感情が還る場所
「閉じ込められたな」
裏口を調べていたフェリクスが、さして動揺した様子もなく言った。この男のことだから、出口がないなら壁を壊せばいいと思っていそうだ。帝国騎士は変なところで大胆だから困る。
「面倒だな。壊すか」
「言うと思った」
何か問題でもあるのかとフェリクスは不思議そうにしている。
「腐ってる床とか柱はともかく、壁の石はまだ使えるでしょ。再利用するつもりなんだから壊さないでよ」
「最初からそう言え」
「なにこの理不尽」
領主に大工並の知識は求めていないが、もう少し家のことを思いやってほしいとユーグは思う。それともユーグではなく領民だったら、もっと違う応対をしているのだろうか。
「仕方ない、あの女を弱らせて……どうした?」
「んー……僕も選択を間違えていたら、こうなっていたのかなと思ってね」
青い女は一人で明るい未来を語っていた。既に死した者が語る未来ほど虚しいものはない。彼女に必要なのは来世を願って生まれ変わることだけだ。
「同情したのか」
「そうじゃなくて。拒絶されたことを受け入れられない人の末路がね、心の微妙な部分を刺してくるわけ」
耳を塞いで大声で誤魔化したい種類の刺激だ。
ユーグは青い女の足元に小石を投げて気を引いた。
「君の気持ちは愛じゃなくて、ただの執着だよ。相手のことを考えずに自分の感情を押し付けているだけ。だから失敗した」
「違う! 私を受け入れない貴方が悪いの!」
女の悪意が膨れ上がった。濃い魔力が空き家の中央に渦巻き、鳥肌が立つような威圧を与えてくる。巻き上げられた木片が顔のすぐ側を飛び、漆喰の壁に突き刺さった。
「フェリクス、浮いている物を片っ端から斬れ! その剣、魔力を強制的に拡散させる効果があるんでしょ?」
悪霊が現世に影響を与える時は、魔力を消費している。投げられる前の廃材は、きっと魔力で包まれているはずだ。
「お前は周りくどいだけで、結局は力技ではないか」
「人のこと言えないくせに。君は最短距離で力技に到達するじゃないか」
フェリクスが弾いた石に当たりそうになり、ユーグは慌ててしゃがんだ。赤子ほどの大きさの石は床板を砕き、乾いた地面に落ちる。床はすぐに女の魔力で修復された。
「……わざとではない」
「ああそう」
ユーグは小さな魔石に短い記述を刻んだ。空き家の端に建っている柱に投げつけると、衝撃で爆発を引き起こした。二階を支えていた柱の一つが無くなったことで、支えきれなくなった床が傾く。続けてもう一箇所に魔石を投げて均衡を崩すと、二階の床が下に落ちてきた。
真下にいたフェリクスは身軽に崩落から逃れた。
「おい」
「わざとじゃないってば」
射殺すような視線を向けられたが、ユーグは気にせず受け流した。
どうせフェリクスの身体能力なら避けられるのだ。味方に遠慮して中途半端な攻撃をしていたら、倒せるものも倒せない。全ては女を空へ還すため――そう思うことにした。
「私の家になんてことを……いい加減にしないと呪うわよ!」
地面から白い手が生えてきて足を掴もうと迫ってきた。廃材の上に避難すると、手は標的を見失い、指を大きく開いて固まった。どうするのか見ているユーグの前で、焦った様子で地面を叩いている。目がないので手探りでしか探せないのだろう。
フェリクスが剣先で貫くと、手は間の抜けた音をたてて天井から青空へと抜けていった。
「ああっ! 私のエリザベスちゃんが!」
「名前、ついてるんだ」
ペット感覚で地縛霊を飼うのは、いかがなものか。
「エリザベスちゃん、後で仇を討ってあげるからね!」
女は急いで家を修復しにかかる。柱が立ち、床が埋められるごとに女の魔力は消費されていった。ユーグ達には廃屋にしか見えないが、女は新築の一軒家だと認識しているようだ。窓の辺りでカーテンをかける動作をしながら、新しい家の匂いがするとつぶやいている。
「この家の内部が年月の割に崩れていないのは、女が魔力で維持していたから、みたいだね」
「可哀想だが、修復で魔力を消費させて外に出すしかないか」
「そうだね」
家を壊した相手を放置して修復に勤しむ女を見ていると、もう説得をして自主的に空へ還る段階は過ぎているのだと分かる。思考が狭まり、生前に執着していたもの以外は、長く考えていられない。
ここまで壊れていると哀れとは思えなかった。悪意ある力を垂れ流すだけの存在だから、早めに排除すべきと心が告げている。
――人の情が欠けているのかな。
浮かんできた疑問を押し込め、ユーグは魔石を加工した。
家の形を大きく損なうほど、女が消費する魔力は増える。次はどこを壊そうかと考えていると、動かなかったはずの裏口が豪快に開いた。
「ひゃあっ! 今度は誰!?」
風もないのに煙が室内に満ちてくる。甘い香りには魔力が満ちており、心を鎮める作用があった。教会で儀式などに使う香油だ。
「……モニカ」
フェリクスが珍しく動揺を隠していない。今さら言い訳などできるはずもないのに、そっとユーグの影になる位置へと移動している。
鎖がついた香炉を手に入ってきたのは、長い黒髪を解いた女性だった。領主の妻という立場の方が有名だが、かつては死者を鎮め葬送する巫女を務めていた。フェリクスと同じく順調に歳を重ねているはずだが、童顔なのかあまり大きな変化が見られない。
上質な服を着ているが、現役の巫女だった頃とほとんど変わっていない。何年経っても、どんな格好をしていても、死者を安堵させる雰囲気に満ちている。
「ここからは私にお任せ下さいね」
モニカは金色の瞳でこちらを見ると、優しく微笑んだ。拒否権など与えない強い口調に圧され、ユーグとフェリクスは大人しく壁際に下がった。なぜかモニカの背後に羅刹の姿が見えたような気がする。あまり深く考えてはいけないものだとユーグは思うことにした。
右手に杖を持つモニカは悪霊に近づき、穏やかに語りかける。
「偽りの生、偽りの未来、全てが終わる時が来ました。ここにいても辛いだけ」
「辛い……」
瓦礫の中に隠れようとしていた悪霊は、恐る恐る顔を覗かせた。女性がいると逃げるはずの悪霊だが、煙を通じて満たされた魔力に妨害されて、逃げ場が見つからないようだ。この空き家はモニカの支配下に置かれている。
「辛いのは嫌……私は愛されたいの」
「幸せになりたい?」
「もちろんよ!」
「この光の先に、次の道が現れます。どのような人生になるか分かりませんが、温かい来世であることを祈っております」
ふらふらと出てきた悪霊は、モニカが作りだした光の輪の中に入った。不思議そうに空を見上げている。
女の体が青い球に変化して、天井の穴から抜けていく。風船のように風に煽られながら昇り、やがて空と同じ色になって溶けていった。
「さて、フェリクスさん」
まずいと察したフェリクスは、さっと目を逸らした。
「いくらご自分で解決なさるのが早いからといって、何でも抱え込まないで下さいね。貴方を支えることが私の務めですから」
「しかし」
「フェリクスさん?」
「……善処しよう」
領主が折れた。
「わぁ。珍しいものを見た」
「ユーグさんも、あまり無理をしないで下さいね。せっかく再会できたんですから、危険なことは控えないと」
「う、うん。気をつけます……」
ユーグは素直に頷いた。決して怒られている訳ではないのに、反論できない圧力がそこにある。フェリクスが素直に従うわけだと納得した。
「あの、悪霊の気配が感じられなくなりました。いったい何が――」
裏口にカーティアが現れた。悪霊の気配が消えたことと、いつの間にかモニカがいることに驚いている。
「敷地の裏から入ってきたのか?」
「はい。見られないように、精霊に道を聞きました」
下ろしていた髪を一つにまとめ、モニカはフェリクスの問いに返した。持ってきた杖は巫女だった頃に使っていたもののようだ。形はカーティアが持っているものと同じだが、先端の花のような土台についている輝石の色が違う。
「悪霊はいなくなったみたいだし、二人は帰った方がいいんじゃない? 聞かれると面倒でしょ」
「すまないな。頼んだ」
「よろしくお願いします」
廃屋を出ていく二人と入れ替わるようにして、カーティアが入ってきた。
「先程の方は領主様の……あの方も巫女だったのですか? どうして――」
「君、長生きしたいなら疑問を忘れることも大切だよ」
ユーグは混乱しているカーティアの唇に指を当てて黙らせた。
「沈黙が身を助けることは、巫女なら教えられているよね? 貴族のところで見聞きしたことは、口外しないように。約束できる?」
「は……はぃ。私、教会へ帰りますっ」
純粋な巫女は顔を真っ赤に染めて、ふらりと離れた。逃げるように裏口へ向かい、木枠にぶつかりながら外へ出ていく。巫女の見習いが最初に教えられることを、素人のユーグから指摘されたのだ。怒って当然だろうとユーグは判断した。
ともかく脅しが上手くいったことに満足し、誰もいなくなった空き家を眺めた。かろうじて残っていた二階部分はすっかり抜け落ち、木材は薪にするしか使い道がないようだ。
「……何もないってことは、好きにできるってことだよね」
家を建てるには、まずどこから考えればいいのだろうか。問題は山積みだが、一つ一つ解決策を考えていると、未来が良い方向へ動いているように思えてきた。




