ロウソクケーキ
工房の扉が開いて軽やかな鈴の音がした。リリィは手を止めて、入ってきた客を出迎える。
「アニエス、お店に来るなんて珍しいね」
リリィは思わぬ相手の来訪を心から喜んだ。
焦茶色の髪に緑色の瞳をしたアニエスは、幼い頃からの親友だった。少し変わった性格の子供だったリリィの理解者でもある。物怖じせずにはっきりと言う性格と、切長の目のせいで冷淡に見られがちだが、表裏がないので付き合いやすい。女性らしい振る舞いに欠けていたリリィが、信頼して相談できる相手だった。
「お母さんがまた新作のケーキを作ったのよ。味見してって言われたけど、ケーキばっかりだと飽きてくるのよね……太らないように運動するのも限度があるし」
アニエスは工房のカウンターに真っ白な箱を置いた。蓋が開けられると、甘い香りが広がる。筒型に焼かれた小さなケーキが並んでいた。上から砂糖のアイシングをたっぷりとかけ、真っ赤な木苺が乗っている。火をつけたロウソクを模しているようだ。
「可愛い。アニエスのお母さんは相変わらず器用よね」
「筒型に焼いた生地の中にナッツクリームが詰まってるの。お店に出すお菓子にしたいんだってさ」
アニエスの実家は菓子店だ。たまに試作品の感想を求められることがあり、こうしてアニエスが品物を届けに来る。
リリィは一つ取り出して食べてみた。香ばしいナッツのクリームが美味しいけれど、少し甘さがくどい気がする。
「美味しいと思うけど、私はナッツクリームよりも酸味がある果物のジャムが入ってる方が嬉しいな」
「やっぱり! 私もそう言ったのよ。若い女の子はナッツよりも果物だって。それか、キャラメルよ」
「キャラメルもいいかも。二種類並んでたら、きっと両方とも買うと思う」
そして二つとも食べて後悔するのだ。甘い物の誘惑は怖い。リリィはそっと箱の蓋を閉じた。
「リリアの家族にも聞いてみてくれる?」
「もちろん。みんなアニエスの店のお菓子が好きだから、喜んで食べてくれるよ」
アニエスはほっとした様子で微笑んだ。彼女は家族や店のことで愚痴を言うこともあるけれど、本音ではとても大切にしている。新商品の開発のために、知り合いに試食をお願いしに回っているのも、そのためだ。
後日に感想を伝えることを約束して、リリィはケーキが入った箱を作業台に移した。甘さがしっかりしているので、お茶の時間に出すには重いかもしれない。昼食を軽めにしようかと献立を考える。今日はリリィが食事を作る当番だ。
「おじさんは留守?」
「うん。職人の寄り合い。私は店番」
「……ねえ、リリア。仕事先で襲われたって聞いたけど、大丈夫なの?」
アニエスはカウンターに肘をついた。どうやらケーキは工房に来る口実だったようだ。リリィを愛称で呼ぶ親友は、こちらの心情を大切にしてくれる。リリィが言いたくないと伝えれば、それ以上は踏み込んでこない。言いふらすこともないので、いつも悩みを安心して打ち明けられる相手だった。
「うん、もう平気」
「よく無事だったわね」
「護衛についてくれた人がいたから」
「ふーん……なるほど、例の彼ね。で、リリアは助けてくれた彼に惚れ直したってことでいいのかしら?」
「えっ……ちょっと違うよ。初めての出張だったし、そこまで気持ちが向かなかったような」
仕事と父親の怪我のことばかり考えていて、あまりユーグと話していない気もする。
「そう。親の前では仲良くできないわね」
アニエスはそう言って、からかうように笑った。
「ユーグだっけ? あの人がリリア達の出張について行って、盗賊も倒したって噂になってるわよ」
「えっと……間引きのついでだけどね。むしろそっちが目的だったから」
扉の鈴が鳴って、冷たい風が入ってきた。入り口にいた人物は、逆光になっていて顔が見えない。大柄な体格と腰に刃物をぶら下げた姿に、先日の襲撃を思い出して体が強張る。
「あら、マルクさんじゃない。狩猟の帰り?」
リリィの視界をアニエスがさりげなく遮った。
親友の背中から覗いた来訪者は猟師のマルク――アルトロワの住人だ。肩から鶏のような魔獣を数羽、縄で縛って担いでいる。早朝に仕掛けた罠を見回ってきたのだろう。
「よう。女同士で楽しく話してるところに悪いな。テランスさんから魔石の加工が終わったって聞いたんだが」
「あ……うん、これね」
リリィは加工済みの棚から、マルクに渡すものを取り出す。料金を受け取って帳簿に名前を書いてもらい、受け渡しが終わった。
「これこれ、テランスさんに加工してもらうと長持ちするんだよな。ありがとよ、また頼むわ」
マルクはリリィの様子に気付くことなく、魔石を手持ちの革袋に入れて帰っていった。
「……それで、誰が大丈夫なの?」
客の姿が完全に見えなくなると、アニエスはリリィの額を指で突いた。
「武器を持った男の人に急に近づかれると、ちょっと怖いってだけよ。私、そこまで繊細じゃないから」
「そう思ってるのはリリアだけじゃない? アランが心配してたわよ」
「アランが?」
アニエスはすぐに答えず間を置くと、言葉を選ぶように慎重に話し始めた。
「ねえ、貴女が誰を選んでも、それはリリアの自由だと思うわ」
「急にどうしたの」
「でもね、もし本命以外の人が好意を寄せてきたら、ちゃんとお断りしてあげるのよ」
「う、うん?」
「傷つけたくないからって、曖昧な言葉で言わないこと。初恋を拗らせているような男は厄介なんだから。はっきりと、何なら嫌いですって言って諦めさせるのも優しさなのよ。分かった?」
「私に告白してくるような物好きはいないと思うけど」
一人だけ該当者がいるが、あれは例外中の例外だとリリィは思う。誰が好き好んで中身が半分男のようなリリィを選ぶというのか。体目当てで声をかけてきた旅の商人ならいたが、あんなものは数のうちに入らない。
アニエスは残念そうな顔でため息をつき、リリィの頰を両手で摘んだ。
「まあいいわ、それもリリアの個性よ。たとえ幼馴染でも容赦しないこと。返事は?」
「ひゃい」
「よろしい」
勝手に何かを納得された。答えに満足したらしいアニエスは、ユーグに会いに行かないのかと聞いてきた。
「リリィのお父さん、まだ厳しい?」
「最近はそうでもないよ。ただ……忙しそうだから」
「油断してると、他の女の子に既成事実を作られるわよ」
「えっ!?」
「家を修繕している時を狙って、差し入れにお菓子を持っていく子が結構いるみたいね。見た目は悪くないし、無理もないわ。彼は全部断ってるみたいだけど、対応が紳士的だから余計に熱が入るみたい」
「そ、そう……」
アニエスが言う通り、少し油断しているのかもしれない。お互いが好きで再会したとはいえ、仕事を理由に会わないでいると気持ちが離れてしまうのではないか。ユーグがリリィに向けてくれる感情が、永遠のものとは誰も言い切れないのだから。
「私の言葉で揺らぐくらい嫉妬したなら、リリアも何か持って行ったら? 好みとか聞いてるんでしょ?」
甘いものが嫌いなことは知っている。でもそれだけだ。食事を作った時は美味しそうに食べてくれるけれど、特に好きなものを聞いたこともない。
「いくら向こうから告白されたからって、リリアも努力して愛想尽かされないようにしないと。せっかく好きな人ができたんだから」
「……そうね。相手の好意に甘えてたわ」
やはり持つべきものは親友だ。今まで逃げていた恋愛に目を向けるよう忠告してくれる。
今の時間なら昼食に間に合う。いつも粗食は駄目だと言っているが、今日は手を抜いたままでいてほしいと、リリィは勝手なことを考えていた。




