治療の効果
ユーグは壊れたイスの脚を拾い、テランスの折れた腕に添えた。
「……遅いぞ、護衛」
「すいません」
「リリアーヌが無傷だったことに免じて許してやる」
細く裂いた布で固定する時にテランスがうめいた。正常な位置になるよう動かした時に、腕に痛みが走ったようだ。
「そのまま動かないで下さい」
固定が終わって起きあがろうとしたテランスを制し、ユーグは血のように赤い魔石を取り出した。魔石は内包している魔力が濃いほど、赤く濃い色をしている。一目見ただけで高濃度の魔力が詰まっていることは、見習いのリリィにも分かった。
ユーグは魔法式に似た文字を魔石に刻み、テランスの腕にかざした。魔石から落ちる赤い光が前腕を包み込む。
「お……おい、何やってんだよ。どこで手に入れたか知らんが、そんな貴重な石を」
「魔石ならまた森へ取りに行きます」
「またって、お前」
「職人の腕が治るなら、いくら注ぎ込んでも惜しくない」
「だからってそんな無茶苦茶な魔法式で、魔力を無駄遣いする奴があるか! だいたいその式のどこに傷を癒す記述があるんだ?」
「お父さんが気にしてるの、そこなの?」
魔石職人らしい発言に、リリィは半ば呆れた。
「仕方ないだろうが。こんな上等な魔石、滅多に見られないんだぞ。リリアーヌもよく観察しておけ。真ん中に濁った部分があるだろ? これは魔石が育つ初期の段階に強い魔力の影響を受けて――」
好奇心が赴くままに魔石を眺め、解説を始めたテランスを見る限り、襲われた精神的な傷はないようだ。今まで一人で出張をしていたのだから、似たような経験をしてきたのだろう。
テランスは消耗した魔石を名残惜しそうに見つめ、続いて己の腕を見る。
「ほとんど痛みが消えた……」
「痺れはありませんか? 骨は繋がったと思います。でも完全ではないので、一日は安静にして様子を見て下さいね」
「ユーグ、お父さんにそんな優しい言い方しちゃ駄目よ。ちゃんと仕事をするなって言わないと」
「動かさなきゃいいんだろう? 左手でも加工はできるさ」
「またそんなこと言って……お父さんはもう休んだ方がいいよ。怪我してるんだから」
仮眠用に用意された小部屋へテランスを追い立てる最中、ユーグから小瓶に入った薬を手渡された。
「鎮痛剤。我慢してるけど、相当痛いはずだから。どんな手を使ってもいいから飲ませてあげて」
テランスに聞かれないよう、耳元で囁かれる。思わぬ不意打ちに声が出そうになった。父親が近くにいるのに、あまり色っぽいことはしないでほしい。
先に小部屋に入ったテランスは、先ほどよりも元気がない様子でベッドに腰掛けていた。ユーグの前では意地を張っていたのではとリリィは察した。
「……お前を助けるつもりが、逆に助けられたな」
「ちゃんと守ってくれたじゃない。私一人だったら、入り口から押し入られてたよ」
「怖い目に遭わせたことに違いはないぞ。あいつが間に合ったから良かったようなものの……」
欲望を丸出しにした視線を思い出し、リリィは鳥肌が立った。
「不甲斐ない父親ですまない」
「お父さん……」
それは違うと言いたかった。出張についてきたのはリリィの意志で、扉を開けたのも自発的に行ったことだ。人と戦うことなんて慣れていないのに、テランスが侵入者に立ち向かおうとしたところをリリィは見ている。
「私もお父さんも無事だったじゃない。食事を持ってきてくれた人も助けられたし。今日はそれで終わりにしよう? 疲れてると悪いことばかり考えちゃうから、もう寝ないと。反省するのは明日でいいじゃない」
リリィはテランスに鎮痛剤を渡した。
「これ飲んで。謝るよりも先に怪我を治して。疲れてる時はいい仕事が出来ないって、お父さんいつも言ってたでしょ?」
「リリアーヌ……そうだな、今は止めておくか」
テランスは受け取った鎮痛剤を飲み干し、靴に手をかけた。右手が使えないテランスを手伝い、リリィは靴を脱がせて足側に揃えて置く。テランスが横になったことを確認してから、照明の光を極限まで暗くした。
薬の中には睡眠効果も含まれていたのか、いくらもしないうちにテランスは眠りに落ちていた。部屋を出たリリィはそっと扉を閉める。
「ユーグ、片付けてくれたの?」
作業場ではユーグが静かに魔石を拾い集めていた。扉を塞いでいた食卓は元に戻され、壊された窓には応急処置の板が貼り付いている。
「ただ集めてるだけだよ。加工済みかどうかは分かるけど、これ依頼してる家ごとに分けてたよね?」
「大丈夫。最初に総数を確認した時に、全部の魔石に番号を刻んでるから。帳簿を見れば仕分けできるわ」
「……あ、本当だ。何か書いてある」
ユーグは光に魔石を透かした。その横顔に元気がない。
――流石に責任を感じてるみたいね。
護衛としての仕事は街道を移動する間だけだ。村に滞在している間は契約外になっている。そもそもユーグが村へ来たのは間引きが目的だった。
――護衛って名目で一緒に来たんだから、ユーグが後悔するのも仕方ないか。
リリィは上手い言葉が見つからず、ユーグの正面に回った。何も警戒していないユーグに自分から抱きつく。
「リリィ……?」
躊躇いがちにユーグの両手が背中に触れてくる。
「ありがとう。絶対に来てくれるって信じてた」
「でも」
「領主様に報告しに村を離れることも、立派な仕事でしょ? 私もお父さんも生きてる。それで今はいいと思うの。貴方だけが責任を背負わないで。そんな顔をするぐらいなら、半分よこしなさい」
返事は無かった。リリィを包む力が強くなって、お互いの体温が混ざる。ゆっくりと髪を撫でてくる手が、ようやく安心できる場所にいると感じさせてくれた。
「扉を蹴破った時に」
「うん」
聞こえてくる声すら心地よい。
「リリィが瓶で殴るところが見えて、惚れ直した」
「貴方ね、この状況で言うことがそれなの?」
唐突に現実が帰ってきた。
「いやいや、カッコ良かったよ」
「笑いながら言わないでくれる?」
この上がった心拍数の責任をどうしてくれるのかと、リリィはユーグから離れようとした。だが人の肩に額を乗せて笑うユーグは、リリィの体を大切に抱きしめて離さない。
「リリィが未成年じゃなきゃ、このまま口説くのに。残念」
「私としては口説く場所にも気を使ってほしいわ」
視界に魔石があると、どうしても仕事のことを考えてしまう。
ユーグの腕から逃れたリリィは床に落ちていた魔石を拾った。
「まさか今から仕事を再開する気?」
ひらひらと手にした帳簿を振って、ユーグが微笑んでいる。仕分けをするには帳簿が欠かせない。リリィが手を伸ばすと、ユーグは届かないように上に持ち上げた。
身長差が憎い。背伸びをしても取り戻せない位置に帳簿がある。
「リリィも休まないとダメ」
「まだ眠くないの。それに窓を壊されたから、魔石を見張っておかないと」
「何のために僕がいると思ってるの?」
魔石を取り上げられ、リリィに割り当てられた小部屋へ追い立てられた。
「ユーグ!」
「休養が必要なのは君も一緒。武器を持った奴らに脅されて、心が疲れてないとでも思った?」
「魔石を集めるだけならいいでしょ?」
「あまりワガママ言ってると、朝まで添い寝するよ」
リリィは先程の体温を思い出して恥ずかしくなった。顔が赤くなるのが自分でも分かる。いくら人生二度目でも、相手がユーグだと意識しすぎてしまうようだ。
黙ったリリィに満足したユーグは、小さな塊を渡してきた。白くて丸い飴に見える。
「眠れないなら、これあげるから。大人しくベッドに入って」
「これは?」
「睡眠薬。舐めるだけでいいよ」
リリィを部屋に残してユーグは出て行った。一人になると急に体が重く感じる。ユーグが言う通り、心が弱っているらしい。
「……私、疲れてたのね」
何もしたくない。
リリィは楽な服装に着替えてベッドに入った。今になって襲われたときの恐怖が蘇ってきて、手が震えている。
――助かってから怖いと思うなんて。
睡眠薬を貰っていて良かった。口に入れると甘いミルクの味がする。余計なことを考えないように、目を閉じて味に集中しているうちに、リリィの意識は緩やかに落ちていった。




