現場検証
黒い塊が床へ落ち、どろりと広がった。獣だったものは染み一つ残さず床に消えた。
――また。
届かなかった。もう少しで助けられたはずなのに、いつも足りない。
「彩雲、先行しろ」
クリオネのような形をした紙片が工房から出ていった。
あの獣が封印されたものの手足なら、獲得した獲物を主人に見せに行くはず。ならば行き先は森の遺跡しかない。
ユーグは魔石を一つ潰した。内側から溢れた魔力が右腕にまとわりつく。急速に己の魔力を回復させ、森の遺跡までの通路を開く。
「お前一人で突っ走ってどうする!」
転移しようとした矢先、肩を掴まれた。集中力が途切れ、開いた通路が閉じてしまう。
「悠長に待ってられるか!」
ユーグは邪魔をしてきた手を振り払った。妨害してきたのはフェリクスだった。再び転移を強行しようとしたが、今度は胸ぐらを掴まれてしまう。ご丁寧に魔法の発動がしにくくなるよう、わざと魔力を放出して撹乱してくる。
「戦場で使うような術まで持ち出して、邪魔しないでくれる?」
「お前のことだから、最悪のことを考えて、身を守るものを与えているだろう?」
「そうだけど……完璧なことなんて、ない」
「あいつには結界があるだろうが」
「解析されて破壊されたこともあるんだよ? あれは心理状態に左右される。もし精神的に追い詰められたら、発動しない。あれは強力なだけで、万能じゃない」
背後から誰かに頭を掴まれた。遠慮なく、荒っぽく撫でてくる。
「頭を冷やせ。まずお前は敵のことを知るべきだ。無策で乗り込めば、助ける前にお前が死ぬぞ」
ベルトランの声がする。
「無策で戦争を仕掛ける奴があるか。嬢ちゃんを助けたいなら、なおさら冷静になれ。いいか? 結界の分析結果が出た。襲撃してきた時の状況は自警団で調べている。お前が一人で暴走して、全てを無駄にするわけにはいかん」
感情で動くとろくなことがない。分かっていたはずだ。敵のことを知ってから乗り込めというベルトランの言葉も理解できる。けれど何かをしていないと、怖かった。
また届かなかった。いつもそうだ。あと少しなのに掴めない。幸せが手からこぼれ落ちていく感じがする。
作業台の上に置かれていたランプが見えた。
つい先ほどまで、ここに座ってリリィと会っていたのに。あの薄気味悪い魔力を感知して様子を見にいった、その後に連れ去られている。工房に残っていれば、彼女だけは守れただろうかと愚かにも考えてしまう。
「おい。孤独だと思うなよ」
胸元から手を離したフェリクスが、ユーグの背中を押して工房の外へと連れて行こうとする。
「獣の群れは引き受けてやる。お前は支援の手筈が整ったら、いつでも嬢ちゃんを助けられるようにしておけ」
ベルトランはそう言って、工房の奥へ向かった。リリィの家族に説明しに行ったようだ。母親は物音に気がついたものの、口を挟む機会がなく不安そうにしていた。
外に出て冬の風に当たっているうちに、焦りが落ち着いてきた。監視をするように隣を歩いていたフェリクスに話しかけた。
「……よく僕が一人で森へ行くと気がついたね」
「もし連れ去られたのが俺の家族だったら、俺はお前と全く同じことをしていた」
あまりにもあっさりと告げるので、ユーグは思わずフェリクスの横顔を見た。
「あの獣の声は俺にも届いていた。その獣が逃げた道を行けば、お前が獣と争っている。獣の逃走を妨害して加勢しようとしたが、間に合わなかった。領民を守ると言っておきながら……すまない」
どんな時でも泰然としていた戦友に謝罪され、ユーグは言葉が出てこなかった。
転移を妨害していたのは、自分ではなくて獣に向けたものだったらしい。焦りが視野を狭くして、勝手に恨んでいた。
「いや……謝るのは僕だよ。君が止めてなかったら、準備していたことが台無しになってた」
リリィに渡した呪具は、まだ壊れていない。命を脅かすような目に遭っていない証拠だ。仕掛けは二重、三重に施してある。
ユーグはいつでも転移できるよう、空にもう一つ鳥の形をした呪具を放った。
*
受付をしていた従業員の他に、武器で立ち向かった職人も亡くなったそうだ。そのうちの一人は工房長だった。生き残ったのは、何が襲ってきたのか分からないまま気絶させられた者だけ。獣は自分に武器を向けてきた者を片付けてから、魔力を補充していたと思われる。
生き残ったテランスたちから経緯を聞き終わり、教会から派遣されてきた巫女が遺体を清める儀式に移った。殺された者が悪霊にならずに空へ還るよう、一人ずつ丁寧に祈っている。
「獣は人間の姿で町をうろついていたようだな。工房を襲撃するまで、獣の目撃証言がない」
「あの服装は帝都から来たトリスタンのものだったよ。貴族の服は生地が違うから、間違いない」
獣の正体について、他の領民には聞かせたくない。ユーグは小声でフェリクスに伝え、セレスティノを見た。セレスティノは黙ってうなずき、ユーグに同意する。
「森で僧兵と別れたあと、何かあったのかもしれません。門と自警団の本部で目撃されてから、行方不明になっています。獣が襲撃してきたと聞けば、喜んで駆けつけそうな方なのに……」
団員の一人が外に落ちていた腕輪を持ってきた。渡されたフェリクスは内側に刻まれた文字を読み取る。
「……残念ながら、確定のようだ。この腕輪は帝都の大学で管理されている魔導器。登録した使用者の魔力を消費して、結界を発生させるものだ。彼の訪問に合わせて、リール領に持ち込みの申請が出されている」
「森の結界は異常なく働いているはずなんだけどねぇ……」
「アルトロワを襲撃してきたときに、結界の抜け道でも見つけたか……あれはエルフの技術だ。彼らが知らない獣には反応しにくいのかもな」
獣はユーグを狙っているような動きだった。自警団に囲まれていてもほとんど相手をせず、蜂を使って彼らを遠ざけていた。
瞳。
賢者が奪った瞳。
獣たちはそれを探していた。
――僕を狙ったのは賢者に一番近いと思ったからか?
賢者が魔王と作るための技術は、封印していたものと魔力が似ている。魔王以外のことも、そこが源流になっているものがあると言えるのではないだろうか。
例えば――ユーグは己の手を見る。
遺跡で黒い獣が出てきたのは、探知の魔法を使ったあとだ。自分の行動が敵を呼び覚ました可能性を、どうして考えないのか。
「ここに領主がいると聞いたのだが……」
店舗の正面からアウレリオが入ってきた。息絶えている被害者に気がつくと、静かに祈りを捧げてから工房へ来る。
「領主、封印の種類と魔眼について伝えに来た」
「さっそく聞かせてほしい」
「まず封印だが、あれは魔力を限りなく遮断するものだった。双方の空間に魔力が流れないよう制限されている。こちら側の魔力を取り込めず、徐々に衰弱させる性質だった」
結界は建物全体を魔法陣とする、大掛かりなものだとアウレリオは語った。
「いくら強大な力を得たといっても、魔力を補給せず生きられるのは、せいぜい百年ほど。賢者は中のものが死なないよう、結界の強化と共に魔力を補充してやっていたはずだ」
「余計なことを」
率直なフェリクスの感想に、ユーグは同意した。
「それで、魔眼は?」
「魔力が見える。だからあれに魔法は効きにくいと思ってもらいたい。身体強化のような、体の内にある力すら、流れを見抜いてくるだろう。少しでも魔法の気配を察したら、対処される」
よくそんな相手を封じることができたと感心する。封印をする建物内に獣の主を入れないといけない。餌の魔石か、人間の囮か、犠牲になったものは多そうだ。
「魔眼を封じる方法はあるのか?」
「敵が知らない魔法ならば効くだろう。もしくは魔力を使わず、武器のみで」
いつも使っている札や魔石は役に立ちそうにない。獣の主が片目しか使えないのは、不幸中の幸いだろうかとユーグは悩んだ。
「……どうせ倒すと決めた相手だ。予定通り、こちらから討って出るしかあるまい」
フェリクスは作業を終えた団員を集め、数人に工房の後片付けを手伝うよう指示を出した。現場を引き上げる団員に混ざって外に出たユーグは、先に出て通りを見回しているセレスティノを見つけた。
「何かあった?」
「魔力が……獣の魔力が残っているんです」
「それは獣が魔法を使っていたからじゃない?」
「そう、ですよね……」
気持ち悪そうにしているセレスティノは、アウレリオに今後の指示を仰ぐため、また店の中へと入っていった。




