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酷い私たち

作者: 化猫


 ああ、本当私って最低だ。

 京谷きょうたに君の顔を見てそう思う。彼の顔は、笑顔を浮かべているにも関わらず、今にも泣き出しそうだ。

 振り返って見た彼に後悔しながら、今度こそその場を去る。


 京谷君は私の教え子だ。

 私は、高校二年生から特進科の担任を急遽受け持つことになり、完全に引き継ぎをされたとは言えないまま新学期が始まった。

 その時に色々と手伝ってくれたのが彼だ。まだ、クラス全員の顔も覚えられていない状態で上手くクラスを回すことが出来ず、その時にそれとなくフォローしてくれた。


 京谷君は、クラス委員長で私と接する機会も多く、先生たちの覚えもめでたい。成績も優秀。運動は苦手みたいだったが、一生懸命やっている姿は好感が持てる。

 クラスの女子から特に注目されていた。


 私にとって、彼は教え子で優秀な子ただそれだけだった。

 ついさっきまでは。


 今日の放課後、科学の授業の為に準備室で備品の確認をしていた時に彼はやって来た。

 京谷君は時々授業で分からなかったことを聴きに来るので、今回もそのことだろうと思った。

 しかし、彼の顔を見て違うとすぐに分かった。いつもの人を落ち着かせるような雰囲気が少し張り詰めているようだったのだ。


「先生、俺さ。先生のことが女の人として好きだよ。」


 準備室に響いたその声に始めは、理解が出来なかった。


「先生は、俺のこと生徒のうちの一人だと思ってるのかもしれないけど、俺はみさとさんとして好きなんだ。ごめんね。酷い生徒で。」


 私は、息が止まるような思いだった。忘れていた呼吸を再び意識して戻すと、手に持っていた箱を近くの机の上に置く。

 そして、彼の思いを踏みにじった。すぐに忘れる思いだと言ったのだ。憧れのような気持ちだと。


 私は、京谷君がどんな気持ちで伝えたか、その震えている手を見てわかったのに。

 逃げたのだ。彼から自分を守るために。教師の仮面を守るために。



 彼から逃げて、職員専用のトイレに行く。幸いにも途中で誰かに合うことはなかった。

 一人になりたかった。一番奥の個室に入るなり、私には泣く資格なんてないのにボロボロと涙が出てくる。


「・・・ごめんなさい。」


 嗚咽の合間にこぼれた言葉は震えていて、消えていった。


 当然それからは仕事に手が付かなかった。今日の仕事だけやってしまうと、体調が悪いからと先に帰った。


 こんなぐずぐずになるなんて社会人として失格だ。


 学校の近くに借りたマンションの自分の部屋に辿り着くと、ソファーに倒れ込む。

 かばんはてきとうに放り投げ、スーツも皺になるのを構わずに、寝転んだ。


 夕方で暗くなっていても電気をつける気にもならない。


 そんな時、スマホに電話がかかってきた。

 ノソノソと起き上がると、スマホをタップする。

 電話の相手は大学からの付き合いがある鈴からだ。


「何?」

「みさと?あんたなんか、声からすっごい負のオーラを感じるんだけどなんかあった?」

「別になにもないわよ。」

「ふーん、まぁいっか。今日早終わりだったから、みさとの家で宅飲みしようと思ってお酒買ってるんだけど何がいいとかあるかなって。」


 飲みたい気分ではないけど、一人でいるより気分が晴れるかな。

 度数の高いお酒と注文を付けて電話を切る。


 鈴が来る前に服は変えないと、クローゼットを開けてラフな服装に変える。

 冷蔵庫に入っているものを確認しているとチャイムが聞こえた。モニターを確認すると、大量の酒の入ったエコバックを持ち上げている鈴が満面の笑みで写っている。

 なんともイラっとさせられるが、文句を言わずにかぎを開ける。


「なんか超ご機嫌斜めって感じだね。まぁ、たーんと飲みなさい。つまみも買ってきたしね。」

「ありがとう。」


 鈴の気づかいに胸があたたかくなる。鈴は口には出さないが、みさとに何かあったことに気が付いているのだろう。その気持ちと共に大量の酒も受け取った。袋を置いたときにゴトンと重たい音がした。



「んじゃあ、こういうこと?男子生徒に告られて、みさとが答えを言わずに逃げたってこと?うわぁ、その男の子可哀そう。」

「うるさいわね。仕方ないでしょ。生徒なんだから。」


 テーブルの上には瓶とグラスが散乱し、つまみも皿からこぼれている。

 みさとの顔は少し赤らんでいて、あまり酔っぱらっているようには見えない。しかし、その右手には半分まで飲まれた瓶が握られている。今も手遊びでチャプチャプとみさとが遊んでいる。

 それが今にもこぼれてしまいそうで、鈴が取り上げた。取り上げたそれをぐっとグラスに入れずに瓶から直接煽るように飲む。


「生徒ねぇ、それは災難だわ。みさとも好きなのにちゃんと答えられないしね。」

「はぁ!?誰が好きだって!?」

「えっ、みさともその男の子のこと好きなんでしょ?」


 鈴の真顔で言われた言葉に衝撃を受ける。


 えっ、私が京谷君のことが好きってこと?いやいやいや。

 だって、歳も七つは下よ。私、年上が好みだったわよね!?


 歴代の彼氏を思い浮かべても全員年上だ。京谷君は好みの範疇から完全にアウトな位置。


 混乱しきったまま、おつまみのピーナッツをガリガリと音をさせて齧る。


「あっ、ごめん。まさかの気づいてないパターンだとは思ってなかったわ。だって、告られたら興味なかったらごめんなさいで終わりでしょ?悩むことないじゃん。」

「私・・・京谷君のことが好き?」

「ダメだこりゃ。完全に混乱中だね。男子生徒って誤魔化してたのに名バレしてるよ。みさと。」


 鈴の声が素通りする。混乱した私に頼れるのはこれだ。みさとのそばに置いてあったビール瓶を握ると、ラッパ飲みする。喉が焼けるような熱を感じるが、鈴の止める声を振り切って目につくだけ酒を飲んだ。


 その後、泥酔したみさとに飲ませるんじゃなかったと後悔する鈴が全部面倒を見てくれた。



 それからは、学校で京谷君と顔を合わせることは避けることが出来なかったが、明らかに接点が減っていった。それだけ、京谷君から話しかけてくれる回数が多かったという証拠だ。それは、数カ月たった今も変わらない。


「さみしい・・・だなんて勝手ね。」


 今日も準備室で一人作業をしているとポツリと弱音が出てくる。今更気づいたところで遅いし、早く気づいていたとしてもどうしようもない。答えは変わらないのだ。


 窓にうつっているみさとの顔は、ひどく疲れていた。





 その次の日、事件が起こる。夏休み前の大掃除の時だ。


「はい、今から大掃除をするのでいつもの掃除の担当のところに行ってください。詳しくはそこの担当の先生に聞いてね。じゃあ、解散。」


 一気にぞろぞろと動き出した生徒に教室掃除のための道具を用意する。

 一班が教室、二班が第三体育館。そして三班が教室前廊下と渡り廊下だ。


 教室は各担任の担当で、新聞紙と雑巾、そして窓拭き用のスプレー洗剤を用意する。

生徒たちも教室の大掃除はある程度要領が分かっているので、細かく指示をしなくても大丈夫そうだ。みさとも机を運んだり、ドアを外すのを手伝ったりする。


「みさと先生。黒板消しのクリーナーの中もするの?」

「はい、お願いしますね。彩夏さん。」

「はーい。」


 友達同士でおしゃべりしながら、掃除を続ける様子を自分も有ったなとなつかしく思う。

 他の子たちも机の上を拭いたり、ロッカーを拭いたりしている。


「窓もしなくちゃいけないわね。」


 教卓を動かし、窓の近くに置く。その上に新聞紙とスプレー、雑巾を一枚設置する。

 しかし、窓は大きくみさとの身長では届かない。教卓の上に乗り上げると上の方からスプレーをした新聞紙で拭いていく。


 この教卓結構ガタガタするから怖いのよね。ガタガタさせながら、内側も外側も丁寧に拭いていく。


「先生、俺が変わるよ。なんか見てて危なっかしい。」


 後ろからかけられた声に体がびくりと震える。


「京谷君。」

「ほら、貸して。新聞で窓を拭いた後に雑巾で乾拭きでしょ。」


 驚いて固まっているみさとの手の中から新聞紙とスプレーをするりと抜き取るとさっさと拭いていく。それに慌てて手伝える範囲だけ手伝う。さすがに教師として全部お任せは情けない。

 京谷君にとって私は嫌な奴だろうに、優しくしてくれるのに胸が疼く。

 そんな思いに蓋をして、すぐに教師の顔に切り替える。


 二人でするとすぐに終わった。


「ありがとうございます。京谷君助かりました。」

「どういたしまして。」


 京谷君はそれだけ言うとさっさと友達のグループに戻っていった。

 ・・・全く何を期待しているんだか。前みたいに接してくれることなんてないのに。


 自分自身の浅ましさに吐き気がする。京谷君から目をそらすように掃除道具の片づけをする。


 だから知らなかった。京谷君が友達と話しながらもみさとのことをジッと見ていることを。



「あれからもう一年ぐらいね。」

「みさとご乱心女子会からね。」

「ちょっとご乱心女子会って何よ。」


 目の前でワインの香りを楽しんでいる鈴を睨みつける。

 あれから一年、二年生だった生徒たちも大きくなり、もうすぐ卒業式だ。

 みさとは、二年生の夏休みを過ぎると一年生の頃に担任だった前橋先生が入院から戻ってきて、副担任となったのだ。必然と京谷君と接する機会はさらに減少し、授業中に顔を見る程度になった。


「ご乱心はご乱心だよ。それより、彼卒業なんでしょ?どうするの告るの?」

「何言ってんのよ。そんなわけないでしょ。」

「え~、でもみさとってまだその子のことが好きなんでしょ。私が合コン誘ってもこないし。」


 まだまだ足りないとばかりに聞いてくる鈴におつまみのチーズを突っ込んで黙らせる。


「あのねぇ。もう一年たってるんのよ。若者の一年って本当にすぐなんだから、もう忘れちゃってるわよ。」

「ふーん。みさとってメンドクサイね。しかもズルい。」

「・・・分かってるわよ。」


 みさとだって分かってる。分かってるけど、私は先生で、彼は生徒なのだ。言えるわけないじゃない。


 卒業当日。生徒たちが真剣な目で卒業証書を受け取っていた。いつもは不真面目な生徒も耳を澄まし、校長先生の挨拶を聞いている。生徒たちは、二年前と比べると確実に成長していた。彼らは、これから一歩社会に近づく。新たな生活に新たなコミュニティへ入っていくのだ。


 京谷君だってそう。きっと私のこと何て忘れて、可愛い彼女ができるだろう。考えるだけで胸が痛くなる。素直に卒業を喜べない自分が自分の中にあることが、情けなくて恥ずかしい。


 消えてしまいたい気持ちを持ちながら、壇上で立派に証書を受け取る京谷君を見ていた。


 卒業生たちが体育館を出ていく。最後に教室で担任の先生からの成績の受け渡しがあるのだ。それの後に、卒業生の家族たちもゾロゾロと帰って行く。


「みさと先生」

「鈴木先生、どうかされました?」

「申し訳ないのですが、明日は授業で体育館を使うので、パイプ椅子の片づけをお手伝いしてもらえませんか?」

「はい、構いませんよ」


 朝の職員会議で、後片付け担当の先生が腹痛で来られなくなったことは聞いていた。卒業生と来賓、在校生や卒業生の親たちの分まで合わせれば、結構な数になる。人手は出来る限り、多ければ多いほどいい。


 全部運び終わる頃には、腕がパンパンだ。

 日ごろの運動不足をヒシヒシと感じる。明日はきっと筋肉痛ね。もう少し普段から運動をすべきかしら。

 家に届いたチラシに、近くにジムが出来たことを宣伝していたのを思い出す。


 本気で考えながら、任せられた体育館の戸締りをする。最近はこういう戸締りに厳しいので、入念なチェックをする。


「先生」


 みさとはその声を聴いた瞬間、体から血の気を引かせる。

 こうして片付けの手伝いを受けたのも会いたくなかったからだ。全く関係ないことを考えていたのも、彼のことを考えないためだ。

 どうしてきたの?と言いそうになる口をキュッと閉める。大きく深呼吸をした。しっかりと教師の仮面を被りなおすと、彼に向き合う。


「あら、どうしたの京谷君。今頃、皆は写真を撮っているはずだわ。あなたと写真を撮りたくて友達たちが探してるんじゃない?行かなくていいの?」

「みさとさんに言われて、考えたんだ」


 みさとの言葉に答えないまま、力強い瞳がジッとみさとを見据える。無意識に後ろに下がるが、すぐに踵に壁が当たる。その間に距離が詰められる。生徒と教師の距離ではない。


「俺ね。やっぱりみさとさんが好きみたい。憧れでもないし、軽い気持ちでもない。もう三年だよ?三年間みさとさん一筋。これでも信じてくれないかな」


 京谷君が申し訳なさそうにみさとを見る。その目は、生徒としてではなく、みさとを女として見ていた。


「私は先生で、京谷君は生徒よ」

「うん、そうだね。だから俺のせいにして良いよ。みさとさん」


 京谷君は、壁際にみさとを追い詰めると耳元で囁く。

 その瞬間にみさとは分かった。京谷君にはとっくの前にみさとの気持ちがバレていることに。


「お願い、止めて」


 首を横に振り、みさとが震える声で答える。京谷君を押しのけようとするが、簡単に両手を掴まれ抑え込まれてしまう。


「言いたくないの」

「うん、知ってる。でも言ってほしい」

「嫌だ。離して」

「みさとさん、愛してる」


 まっすぐとぶつけてくる想いを、みさとは生返事なんて出来ない。みさとだって答えたいのだ。簡単に想いを告げてくる京谷君を憎くすら思う。本当に酷い生徒だ。みさとは、涙が勝手に出てくるのを止められなかった。流す理由も彼ならば、慰めるのも彼だ。みさとの溢れる涙を親指で拭いとる。仕草は優しいくせに、言葉は残酷だ。問い詰められれば、みさとの中でも揺れが酷くなる。


「みさとさんは?」

「‥‥‥好きよ。好きでごめんなさい」


 とうとう白状してしまった。彼は生徒で私は先生なのに。言った直後から、深い後悔に襲われる。もうどうしたら良いのか分からない。全身から力が抜け、とうとう座り込んでしまう。手足の震えは止まらない。


「ごめんね。先生はこんなに後悔してるのに。俺うれしい」


 一緒に座り込んだ京谷君がみさとをなだめるように抱きしめ、ポンポンと背を叩く。


「みさとさんは真面目だから、きっと困らせるって分かってたのにごめんね」


 愛してると耳元で京谷君が囁いた。

 みさとは、そんな京谷君に心の中で謝った。結局すべてを彼のせいにしてしまった。震える口で何とか紡ぐ。


「‥‥‥私の気持ちは私のものよ。言ったのも私自身が決めたの。謝られる筋合いはないわ」

「そっか。そういうところも好きだよ。俺のせいにしちゃえば楽なのにね」


 京谷君の顔が近くまで来たと思ったら、唇が重なる。

 ひどく甘い味がした。



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