ふらふら
ふらふら……ふらふら……と。
昨日、村を歩き回って疲れたところに、夕方から夜にかけての冷たい風がこたえたのか――。
ふらふらと……していた。朝起きると、頭が。
額に手を当てれば、若干、熱っぽいような気もする。
だけど、動けないほどじゃない。
それに今日は、わざわざ話を通してもらったんだから、行かないわけにもいかない。
僕は、念のためにカバンに入れておいた風邪薬を呑むと、軽く朝食を摂ってから、昼前までもう一休みして……。
昨日、お爺さんから教えられたお宅へ向かった。
……少し、ふらふらとしながら。
熱のせいだろうか。
そんな僕を、誰かが、どこかから……常に見ているような、そんな気がした。
ほぅーーら、ほぅーーら……と。
今日も風は強く鳴き、それに運ばれてきた雲が空を覆う。
昨日とは打って変わって、昼なお薄暗く……肌寒さすら感じられた。
「ああ、いらっしゃい。話は聞いているよ」
目的のお宅で僕を愛想良く出迎えてくれたのは、昨日のお爺さんより随分と若く見えるけど、実際にはそんなに変わらないっていうおじさんだ。
元は教師をされていたからか、大学の勉強のためにと語る僕に、協力は惜しまないとのことで……僕も、敬意をもって先生と呼ばせてもらうことになった。
先生はいかにも理知的で物腰のやわらかい人だったので、幸い僕も、自分がへらへらと媚びるようになるのを心配する必要もなく、自然と接することが出来た。
「……私はね、もともとは〈ほらほら〉だったんじゃないかと思うんだよ」
清潔感のある和室に通され、熱いお茶とともに切り出されたのは、先生のそんな自説だった。
――調べてみると、このあたりの地方では数百年前、疫病の流行と前後して、人攫いが横行したことがあったと分かったそうだ。
この山深い地で、そうした連中は山肌に点在する洞窟を拠点に……。
村の子供たちを狙っては、言葉巧みに連れ去っていたのだという。
そこまで聞いて、僕もピンと来た。
「つまり……『洞穴』に住む悪いヤツらということで……『ほら』ですか?」
「うん。そこに、『法螺吹き』の『ほら』もかかっているんじゃないかな。
あとはもちろん――」
……ほら、ほら……。
耳元で、耳の中で――そのものずばりの声が響いた気がする。
そう……呼びかけだ。
うっすらとした夕闇の中から、手招き、呼ぶ声――それは、「ほら、ほら」と……。
――なるほど、と僕はうなずいた。
『法螺』を吹き、『ほらほら』と、『洞』に連れ去る悪意ある存在――。
そんな連中から子供たちを守るための戒め――注意喚起が、そのまま妖怪へと姿を変えていったと考えても、なんら不思議は無い。
ただの言葉遊びのようでもあるけれど、そうした簡素で凝縮された『言葉』が、妖怪や不思議な伝承に結びついているのは、往々にしてあることだ。
――言葉は、それだけでは単なる形に過ぎないけど……。
想いが強く重なることで、『言霊』にもなるのだから。
だからこそ……大事なことは口に出来ないときもある、おいそれとは。
そして同時に、大事なことだからこそ……言葉にしなければならないときもあるんだ。
「……じゃあ、そうして子供たちを戒め、守るために使われていた〈ほらほら〉が、年月を経て〈はらはら〉に変わっていった……と、そういうことですか?」
「うん……恐らくは、子供たちを心配する親の心情と重なって……だね」
はらはら……はらはら……。
……そう……そんな心情だ。
気を揉んで、落ち着かなくて……心配で……。
木々の合間から、物陰から――――
「……大丈夫かい?」
ふと気付くと、先生が僕の顔を心配そうに覗き込んでいた。
……どうやら、ボーッとしていたみたいだ。
僕はあわてて「大丈夫です」と答えて、すっかりぬるくなったお茶をぐいと飲み干す。
しんどい、だるい……というほどでは無いけど、やっぱりまだちょっと熱で頭がふらふらとしているようだ。
あるいは、朝に呑んだ風邪薬の効果で、眠気も出ているのかも知れない。
ほら、ほら……
ほら、ほら……
気を抜くと、そんな呼び声が、頭の中に浮かび上がってくるようで――
「……そう言えば、話をした当時の……まあ、一種の史跡があるんだが、案内しようか?
もっとも、昔住んでいたのなら、行ったことがあるかも知れないけれどね」
小さく頭を振る僕の耳に、現実として届いた先生のその提案に……僕はぜひと、一も二もなく飛びついた。
眠気覚まし……そう、そうだ、眠気覚ましだ。
外の風に当たって、歩いて。
このぼんやりとした頭を、しゃっきりとさせたいんだ――。
そんな僕の真意を知らず、好意的に解釈してくれたのか、「勉強熱心だ」と笑う先生に導かれて……お宅を辞す。
そうして、相変わらずの曇天の下、さらに山に向かって坂を上っていくうち……。
目的地へと近付くにつれて……。
僕は、既視感を強くしていた。
はっきりとは思い出せないけど――確かに、この道を歩いたことがある気がする。
そう…………いっしょに。
――いっしょ? 誰と?
ああそうだ、友達だ。
幼い頃、一緒に遊んでいた――今は僕と同じく村を離れたっていう……。
こうして僕を、見てくれている――
「……どうかしたのかい?」
先生の声に、僕は反射的に顔を上げる。
……どうやらまた、立ち止まってボーッとしていたみたいだ。
僕は先生に、懐かしく感じて……と、苦笑とともに正解でも言い訳でもあるようなことを告げながら、足を動かす。
ほぅぅーーーら、ほぅぅーーーら……。
ほーーら…………ほーーら…………。
僕の周りを強く吹き抜けていく風は――。
そうしながら、囁きかけていくようだった。
呼んでいるようだった…………ずっとずっと、遠くから。