へらへら
へらへら……へらへら。
そんな笑い方が、僕は嫌いだ。
いや、僕だけじゃなく、世の大多数の人がそうだと思うのだけど……。
……にもかかわらず、意外なほど。
その笑いは、世の中の至る所に平然と蔓延っている。
――へらへら。へらへら。
僕らの主張をせせら笑った連中も、多くがそれを棲まわせていた。
目下だったり立場の弱い者には嘲りとなり――
目上だったり強い者には媚びとなるそれを。
あるいは僕が、か細い記憶を頼りに、交流も久しくなかったこの田舎まで出向いたのは……自分たちの主張の正当性を裏付けるためでも、まして純粋な学術的探究心でもなく。
単に、あれを退治してやりたい――腹立たしいから払い除けたいという、子供じみた癇癪だったのかも知れない。
……だけれども。いや、だからこそだろうか。
僕自身の意志でなく、親の都合によるものとは言え……すっかり村を離れて他所の人間となっていた僕が、恐らくは土着のものだろう〈はらはら〉の伝承について、村の人たちに話を聞くとなると。
愛想良く、話を聞き出そうとすると――。
なるべくそうはならないように気を付けてはいても、心配になるのだ。
僕もまた、媚びを売ろうとするような……そんなイヤな心を撒き餌に、『あれ』を自らに棲まわせてしまうのではないか、と。
へらへら、へらへら――と。
……そんな風に、そもそもがどうしてここまで来たのか、明確な決意を見出せず――。
なのに、妙な使命感じみたものに突き動かされる僕は。
まずは夕食の席で、祖母に〈はらはら〉について尋ねてみた。
「おや、〈はらはら〉かい? 良く覚えてたねえ……」
山菜尽くしの料理、その鼻を抜ける青い香りに、また懐かしさのようなものを感じながら……祖母の話に耳を傾ける。
――まあ、内容としてはよく聞く類の、子供を戒めるためにあるような話だ。
親の言いつけに従わなかったり、行ってはならない場所に行ったり、暗くなっても帰らなかったりする子供は、〈はらはら〉に連れ去られてしまうぞ……と。
――そして、翌日。
空は晴れ渡り、初夏と勘違いするような陽気の中……。
早速村に出た僕は、ひとまず、農作業をしているお年寄りが、手を止めているところを見つけては話を聞いて回ってみた。
へらへらとした、不誠実な対応にはならないように気を付けて。
それでもやっぱり、誰もが話をしてくれるわけじゃなく……時として、そんなに白い目で見たって何も無いですからと、訳なく弁解したくなるような冷たい態度を取られることもあった。
もちろん、ちゃんと話を聞かせてくれる人たちもいた。
……残念ながら、それらは祖母から聞いたものと大差ない話ばかりだったけど。
でも、それも当然と言えば当然だろう。
同じ村の中で語り継がれているものなのだから。
ただ、そこに微妙にでも差異が生じていれば、それを突き詰めていくことによって、その歴史的背景や伝承が生まれた経緯、さらには出自を遡ることも出来るかも知れない。
もちろん、それは――僕らをへらへらとせせら笑った連中の『理屈』こそが正しいのだと、証明するだけになるのかも知れないけれど……。
ほぉーーら……ほぉーーら……!
棚田を脇目に、急な坂道を息切れしながら上っていた僕は、耳に届いたその響きに反射的に顔を上げる。
ただし、それは風の音でも、得体の知れない何者かの声でもなく……。
もう少し上の棚田にいるお爺さんが、僕を呼ぶ声だった。
「……大きゅうなったのう!」
頑張って小走りに近付いた僕へ、お爺さんは開口一番そう語りかけてくる。
僕の方は覚えが無く、それが申し訳なかったんだけど……どうやらお爺さんは幼い頃の僕を知っていたらしい。
いわく、父に似ていたからすぐに分かった、とのこと。
その後、親切に家まで招待してくれた上、冷たいお茶と草餅までご馳走になって……人心地ついたところで、お爺さんは僕の質問にも丁寧に答えてくれた。
もっとも、その内容はやはり祖母のものとほぼ同じで、変わり映えしなかったけれど……それなら、と、一人の人物の名が挙がった。
お爺さんの親戚だというその人は、どうやら元教師で……村の歴史についても調べていたことがあるらしい。
ぜひ話を聞きたいと僕がお願いすると、お爺さんは笑って、話を通しておくことを約束してくれた。
……さすがに日も傾いてきていたし、尋ねるのは明日がいいだろうということで、僕はお爺さんに何度もお礼を言って別れ、祖母の家へと戻る。
その途中、夕日の中、子供を何人か見かけた僕は――。
ふっと懐かしさを覚えるとともに……なぜだろう。
足を止めて、ついと――視線を周囲に巡らせていた。
別に妙な視線や気配を感じたとか、そんなのじゃない。
そんなのじゃなくて……。
そう――。
そこに当然あるべきものを、当たり前のように探した……そんな感じだった。
ほぅぅーーーら、ほぅぅーーーら……。
……どうやら、そのまましばらく立ち尽くしていたらしい。
吹き抜ける風の冷たさに身震いし、我に返った僕は……風邪を引いてはたまらないと、急いで祖母の家へと戻った。
――そうして、祖母との夕食中。
今日あったことを話すついでに、子供たちの姿が印象的だった僕は――。
以前僕が住んでいたときに遊んでいた子供たちが、今はどうしているのかを尋ねてみた。
ただ、そもそも僕も全員の名前を覚えているわけじゃないから、必死に特徴だけを伝えた子もいる。
そして祖母も、さすがにそれで全員に思い至れるわけもなく――分からない、という答えも出たものの、分かる範囲では皆、僕と同じように村を出ているようだった。
もし残っている子がいたなら、そこからまた新しい話を聞けるかも知れないと思ったのだけど……そうもいかないらしい。
それと、僕が見かけたのは、多分ここ数年で引っ越してきた家族の子供たちだろう、とも教えてくれた。
最近では、田舎暮らしに憧れて、都会から移住してくる人がちらほらといるのだそうだ。
……そんな人たちも、〈はらはら〉の話を聞いたのだろうか。伝えていくのだろうか。
それとも――そうした人の入れ替わりで、途絶えていくのだろうか。
ほぅぅーーーら、ほぅぅーーーら……。
窓を揺らす風の音を、布団の中で聞きながら……。
僕は、なんとなくそんなことを考えていた。