マジで死ぬわッ!
「……何?」
青髪の女――ブラウ・リュヒテインが眉根を寄せる。
「だから、こいつは俺の妹で、十院キリカだ。他の誰でも無い。な、キリカ?」
「ぐえっ」
京一に合わせたのか、とにかく白髪の少女――キリカはそのうめき声のような返事をしてみせた。イエス、であると。
「それはおかしい。明らかに血縁関係があるように見えない。髪の色も顔つきも違うし、そもそもその服は私がその子に着せたものだ」
「うちは親が再婚しててな、新しい母親が外国人なんだ。だから俺とは似ても似つかない妹ができたんだよ。おかげで手を焼いてる。この服は、あれだ、母方の実家の民族衣装だ。偶然一緒だっただけだな。ドンマイ」
「……そんな話が通るとでも、本当に思っているのか?」
ギロリ、と一色触発の様子でブラウが剣に持つ手に力を込める。
だがそんな彼女をあざ笑うかのように京一は顔を反対にそむけ、キリカに「行こうぜ」と言って反対方向へと歩きだした。
「待て!」
ひゅん、と流れるような動きでブラウは剣を突き出し、京一の背中にその切っ先をそえた。一押しで心臓に突き立てられる程に。
「ふざけるな。そんな話に、私が納得すると思うか? 勝手な事をするな。その子をこちらに渡せ」
「はあ? 勝手な事をしてんのはどっちだよ。優先されるべきは、キリカの気持ちじゃないのか? あんたに許される必要はない」
京一は、確かな敵対心を持って、ブラウをにらみ返した。
例え力で適わなくとも、引く気はないと。
「その子はキリカなんて名前じゃない! ゼノだ! アインヴェルトを救った私の親友だ! あるべきものはあるべき場所へ帰るべきだ!」
「それはあんたの勝手な理屈だろ。そもそもじゃあこいつがそっちの世界にいた前には、他の世界にいたんだろ? だったらこいつが帰るべきはその世界じゃないのか? その世界の人間が現れて返せと言われたら、あんたはこいつを大人しく返すのか?」
「うるさい! 私は貴様と議論しに来たのではない! ゼノを取り戻しにきたんだ!」
「逃げるなよ。あんたが世界を救った英雄だっけ? 碌でもない世界もあったもんだ」
「貴様ッ……何も知らないくせに、私たちを語るなよ、アライエン!」
ぴりぴり、と異常なまでの殺気を背中に感じ取った京一は、慌てて距離を取った。そうして後ろを振り返るが、しかしそこにはブラウの姿は無かった。しかしすぐに京一の視界に真上から何かが降ってくる。それは高くジャンプしたブラウだった。彼女はその剣をキリカと手を繋ぐ京一の右腕に振り下ろした。
ザシュッ――と音がして、京一の腕が切られた。痛烈な痛みが襲い、京一はついその手を離してしまう。
「ぐ、あ……ッ!」
なんとか叫ぶのをこらえたが、それでも痛みは凄まじかった。しかしその腕を見ると、すでに何事も無かったかのように元に戻っている。ただ地面に血が落ちる。錯覚ではない。今京一の腕は一度斬られて、即座に修復されたのだ。彼女の持つ剣【ユングフラウ】によって。
京一の足下にしゃがみ込んだブラウのその殺気のような気迫に、汗をにじませる。
恐ろしい、ただそう感じる。まるでライオンに狙われているような気分だ。
ブラウは間を置かず、剣を京一に向かって突き刺してきた。
「クソッ!」
しかし京一はそれを避けようとせず、あえて前に身体を差し出した。
「何っ!?」
ザシュッ、と再び容赦無く剣は京一の腹部に突き刺さった。だが京一は自分から剣をずぶずぶと深く突き刺していき、ブラウの身体を掴んだ。
「ど、どうせ、元に戻んだろ!」
そのまま京一はブラウを投げた。彼らのすぐ横には鴨川が流れている。その塀を跳び越え、ブラウは川へ真っ逆さまに落ちていった。
「く、っそ……痛ぇ……」
深く突き刺さった剣をゆっくりと抜き、京一はキリカの手を引っ張って走り出した。今のうちに、警察かどこか、安全な場所へと移動しなければ。今ならあの新撰組に助けを求めてもいい。なりふり構っていられる状況ではない。
そう思い京一が五条大橋の袂に差し掛かった時、京一の視界の上、雨の上がった空に人がいた。ブラウである。彼女はその青い髪をなびかせて、宙に立っていた。
「まさか自分から飛び込んでくるとは予想外だった。少し驚かされた。だがしかし、神々を相手にしてきた私と、戦い方も禄に知らない汚れた世界に住む貴様とでは、その実力に歴然とした差がある」
「い……異世界人ってのは、空も飛べるのか?」
「空を飛んでいるわけではない。宙に立っているだけだ。ふんっ。残念ながら神術の講義をしてやる時間は無い。どうしても知りたいのなら、その身体で覚えろ」
京一の立つ五条大橋、その下を流れる鴨川が、音を立て始めた。普段はとても静かで水嵩も少ない鴨川に、少しずつ水量が増してくる。
「翡翠の衣を纏いし貴婦人よ。ただその美しき歌声を貧しき大地に響かせたまえ――【カルチフトリック】!」
ブラウの言霊に呼応するように川が揺れ、そしてついには増水しきった川が氾濫するように京一たちを襲った。まるで水龍だ。五条大橋は一気に波に飲み込まれた。
「大地の水の神の力だ。これがお前達アライエンが捨て去った神々と自然の力。その驚異におののき打ち震え、そして後悔するがいい」
大きくうねった水は何度も激しく橋を打ち付け、そしてそのまま川へと戻っていく。先程まで怒ったように氾濫していた川は、あっという間に普段の静けさを取り戻し、いつもと変わらぬ鴨川へと戻った。
「くっそ! マジで死ぬわッ!」
橋の上から声が響いた。橋の袂、その一部になんとかしがみつくようにして京一は波に耐えていた。片手にはバタンキューしてしまったキリカも掴んでいる。
「やはり、こっちの世界の神は上手く扱えないな」
「充分凄いわ! ……くそっ! 化けものかよ」
「全ては私たちの神への信仰心の力。貴様らアライエンにはもう二度と得ることのできない力だ。その力を捨てたのは誰でもない、お前達自身だろう。こんなに世界を汚し、自然を蔑ろにして……ここは私たちが最も憎むべき世界だ」
「知るかよ。俺が生まれた時はもうこんな世界だったんだ。俺に言うな」
「それもそうだな」
苦笑し、ブラウは京一に向かって疾走した。京一はブラウから奪った剣を構えて、それをタイミング合わせて振り抜いた。しかしブラウにヒットしたその剣からは、彼女を切り裂いたような感触は一切せず、逆にその剣を持った京一の手がダメージを受けた。
「っつぅ……!」
「無駄だ。今の私はいかなる攻撃も受け付けない」
そう言われてよく見ると、ブラウに打ちつける雨が、彼女に当たる直前、何か膜のようなものに当たって弾けている。そう、雨粒は彼女には当たっていなかった。
ブラウの周囲には身体のラインに沿って神術で作った光の膜ができており、彼女に触れようとする一切のものを弾いているのだ。それ故、京一の放った拳も、剣も、彼女に直接届くことはなく、その膜に阻まれた。
「チートかよ」
「返せ。それは貴様のような汚れた人間が持っていていい代物ではない」
ブラウは剣の刃の部分をためらいなく掴み、それを奪い取った。簡単に手放す気は無かったのに、京一はいとも簡単にそれを奪われてしまう。神術うんぬん以前に、基本的な身体能力の時点で、京一はこの華奢に見える女に適っていなかった。
ザシュッ――京一の身体を剣が横断した。胸から血がどばっと溢れ出て、傷はすぐに消える。だが痛みは確かにあって、京一は地面に片膝をついた。
「まだ気絶しないか。こちらも力加減が難しいんだ。悪いが、さっくりと首でもはねて終わらせてもらう。そしてゼノは、返して貰う」
「……く、そっ……」
動こうにも身体が言う事をきかない。痛みや傷口は消えても、受けた精神的なダメージと、確かに流れた血は無かったことにはならない。
京一は先程の水の衝撃で気を失ってしまったキリカに視線をやった。
「悪い……俺にはちょっと、無理そうだ……」
「何度も言うが安心しろ。私は別にゼノを殺そうと言うわけではない。彼女をより平和な世界へと帰してやりたいだけだ。実際にこの世界に来てみてわかった。この世界はあまりにも醜悪すぎる。自然を、神を蔑ろにし、人類が頂点だとおごっている。街はわけのわからないもので溢れ、当の人間の顔は死んでいる。こんな世界で生きていく事自体、不幸と言わざるを得ない」
「なに……?」
「不幸だ、と言ったんだ。息をするのも躊躇うような世界だぞ? それが不幸でなくてなんだと言うんだ。この世界に生まれただけで、不幸だと言わざるを得ない。こんなところで生きていくくらいなら、死んだ方がマシだ――」
そう言い切るや否や。ブラウが京一に向けていた剣が小さく揺れた。それは今度は京一が、ブラウの剣の刃を鷲づかみにしたからだった。しかし京一は生身の人間だ。剣を掴んだその手からは、確かに血が流れ落ちる。
「死んだ方が、マシだ……? マジで言ってんのか、それ」
「……何か癪に障ったか? しかし私は本音を口にしているだけだ。こんな人間の醜悪な部分を具現化したような世界に生まれて、それが不幸以外のなんだと言うんだ?」
「こんな世界でも、生きたくたって生きられない人間だっているんだぞ!」
「だから? だからといってこの世界を肯定する理由にはならない。あの子を、ゼノをこの世界に置いておける理由にはならない。それに、貴様のような無力な人間に、あの子を守る力があるとも思えない」
「……」
その言葉に、京一は悔しそうに強く瞳をとじた。
今自分は何も抵抗ができず諦めようとしている。それが結果で、それが京一の限界なのだ。
「もし恨むとするならば、己の力の無さを恨め」
ブラウは無理矢理京一の手から剣をはぎ取り、それを高く空に掲げた。
その瞬間、ピキキ――と音がして、突如として足下の五条大橋がひび割れた。堅固に建てられたはずの京の名物五条大橋が、無残にも砕け落ちていく。
そして、京一の目の前の、今にも剣を振り下ろそうとしていたブラウが、落ちていく。それを京一は唖然と見つめた。がらがらと崩れていった五条大橋の、しかし京一のいる部分から先だけが綺麗に崩れ去り、京一とキリカは残った橋の上に残された。
そのまま京一は下の瓦礫の山を見下ろすが、大きな瓦礫の下敷きになったのか、ブラウの姿は見えない。ただ自然のままに鴨川が流れているだけだった。
ただそれを見下ろしている暇などなく、京一は慌てて立ちあがり、気絶するキリカの方へと走ってそのまま彼女を抱き抱えた。
「……くそっ」
そう舌打ちをして、京一はその場を離れる。
今はこの好機に、とにかく姿を隠すべきだと思ったからだ。
あの異世界の女がこれで死ぬとは思えない。すぐにでも追い掛けてくるだろうから。
だからたった一つの目的地を目指して、走ったのだった。