男に必要なのはゲームのパンツを作り込むような熱意
日も傾き薄暗くなってきた雨の降る京の街を、十院京一は自宅に向かって歩いていた。
大晦日も近づき、街は彩られていく。この京という街は、一年を通して休まることなくその様相を変える。春は桜でピンク色に彩られ、夏は祭りで賑わい、秋は紅葉のシーズンを迎え、冬は冬とてライトアップが施される。公式のユニゲーランキングでは、ここ5年常にベスト2入りを果たしているような、一年中人の減らない日本最大級の観光地だ。
そんな京の名を授かった京一は、しかし街の様相とは裏腹に暗い表情をしていた。今日で学校も終わり、高校生の時分ではこの貴重な冬休みをどのように過ごすか、それを生き甲斐としても良いほどなのに、しかし京一は未だ家にも帰らずふらふらと街を歩いていた。
なんとなく目に入った喫茶店へと足を踏み入れる。すぐ向かいに最近できた若者に人気のアメリカ発のカフェとは違い、人だかりもなくすんなり入ることができた。
聞きなれない横文字などが一切ない素朴な喫茶店で、京一はカフェオレを頼み、ガラス張りの向こうに雨上がりの大通りが見えるカウンター席へと落ち着いた。
「「あ」」
声が重なる。
隣に座っていた白のワンピースニットの女子。後ろ姿からスタイルの良さがうかがえると、少しばかり下心ありきで見ていたその女子。
祝部釵。島子県のアンバサダー。
悪魔的な邂逅である。
怒ったような、困ったような、微妙な顔を浮かべる祝部に、京一はどうにか自然と席を変えられないかと思ったが、しかしどうあがいても不自然になるし、それはそれで祝部に失礼だなと思い至って諦めて席へとついた。
何も言わぬまま、お互い気まずい空気の中、ガラスの向こうを見つめる。
「なによ」
祝部が口火を切った。
「何も言ってないだろ」
「何か言いたそうじゃない」
「このまま関わり合いにならずに去りたい」
「失礼ねっ!」
「言えって言ったのそっちだろ!?」
「言ったけど!」
「なんだよ、関わりたいのか?」
「そっ、そんなわけあるかい!」
「じゃあいいじゃないか。何で怒るんだよ……」
京一は終始鬱陶しそうに言って、カフェオレをすする。寒い日にはこれに限る。
そんな京一を、祝部は腑に落ちない様子でちらちらと見ていた。
「あんた学校は? サボってんの?」
「今日で終業式。午前で晴れて奴隷解放です。エクソダスです」
「なにそれ……てか友達いないんだ」
「……どうしてそうなる」
「だって普通そういう時は友達と遊ぶでしょ。男子が一人でカフェとかありえない」
「ありえないは失礼だろ。全国の男子高校生に謝りなさい。ここのカフェオレは美味いんだよ」
「ふーん。図体の割に、随分可愛らしいもの飲むのね」
「不良だからな」
「いや、不良なら缶コーヒーでしょ」
「誰が決めた」
そう言ってもう一度カフェオレをすする。
ようやく黙ったかと思っていると、しかし隣で祝部がまだこちらを見ている。なんだよと思いつつ見ると、彼女の視線は京一の手元、カフェオレへと注がれていた。
「飲むか?」
「えっ!? い、いや、何言ってんのあんた!? それって関節キ――」
「あほか。口付けるところはずらせ」
「あ、そっか。いやそうね。知ってた」
微妙に弁明になってない。
そう思いながらも祝部はすりすりとお尻を動かして京一の傍まで近づいてくる。
改めてこうして横に並ぶと、先日はわからなかった彼女の容姿が明確にわかってくる。
座っているとはいえ、並んでみると身長はおよそ150センチ強くらいだろうか。彼女の寄せた頭に丁度京一の顎が乗りそうだ。昨日はひらひらした衣装を身に纏っていたからわからなかったが、非常に細見で、京一の目線からは彼女の目立った鎖骨が伺える。
てか近い。彼女の視線はカフェオレに注がれており、距離感にまで頭が行っていないようだ。
「の、飲むわよ? いいわね? 恨まないわよね?」
「どんだけ田舎もんだよ。友達と飲み物シェアくらいするだろ」
「男じゃない!?」
「うわきもっ、意識してるからだ。あーやだやだやらし」
「やらしくないわよ! ぜんっぜん大丈夫なんだから!」
「いいからはよ飲め」
「……うん」
というか早く離れろ。京一もぶっきっらぼうでアンバサダー嫌いとはいえ、男である。
容姿端麗な祝部に加え、今現在京一の上から目線では、彼女の鎖骨どころかその奥のブラまで丸見えだった。白と黒を基調とした、真ん中にリボンが付いているものだ。察するに彼女の胸はそこそこ大きいらしい――と、そこまできっちり観察できるのだから、どれだけ今彼女が近くて無防備で愚かなのかわかるはずだ。
「ん、おいしっ」
一口、カフェオレを飲み、口元に手を当てて可愛らしく驚く祝部。こうして見ると本当にただの女子高生にしか見えない。
が、見上げた京一の目線は、祝部と合っていない。
「何よ?」
「この服って、【ユビキタススーツ】で出した服?」
「そうだけど? 可愛いでしょ。この冬限定のエアロの新作よ。着てくださいってデータで送られてきたの」
「いや、そこまで聞いてないけどさ」
「じゃあなによ」
「【ユビキタススーツ】って、下着をここまで再現する意味あるのかなーっと」
「……?」
「これ作ったやつ、絶対変態だろ。ゲームのパンツ作りこむのと同じくらい無駄な努力だよな」
「……っ!?」
京一、胸元、京一、胸元……そう目をやって、祝部はようやく自分の胸元の奥をずっと見られていると気がついた。
「ばっ!? なに見てんのよ!?」
慌てて胸元を隠す祝部。そして右手拳を京一に突きだす――が、それを京一に止められる。
「なっ! こなくそ!」
慌てて左手でも殴りにかかるが、京一はそれをも手で受けとめた。
「甘い」
180近くある男の手に掴まれ、祝部の手は全く動かない。
「あ、あんたね! こういう時は素直に殴られるもんでしょ!?」
「俺はそんなテンプレートな人間にはなりたくないんだ。個性を大事に生きたい」
「乙女の下着をじろじろ見るのが個性かっ!?」
「しっ、大きな声を出すな。店の中だぞ」
「それは……そうだけど……!」
「祝部釵だとバレていいのか? 男と密会なんてスキャンダル、人気アンバサダーとしては致命的だぞ」
「それは、困る……お婆ちゃんを楽させてあげたいし……」
「だったら静かに。声を出すな」
「う、うん……」
顔を赤らめ、しゅんと大人しくなった祝部。大人しくはなったが、もじもじと身体を動かし、視線を京一から逸らす。
「んっ……ん……」
彼女の口から艶やかな声が漏れ、その度に身体がぴくりと跳ねる。
「どうした?」
「……て」
「て?」
「手、男子と繋ぐの、初めてだったから」
「あー」
掴んだ祝部の手を、無意識に強く握り返していたらしい。
どうやらいじりを通り越して、露骨に無垢な乙女の初めてを奪っていたと知り、反省する。
京一は即座に手を離した。祝部は少しだけ目をとろんとさせて、小さく息を吐いていた。
「なんか、すまん」
「すまんで済むわけないでしょ!」
ようやくいつものように戻った祝部は、さっきよりもスペースを開けるように距離をとった。
そして彼女の服が電子的な光を放ち、白のワンピースニットから、胸元をしっかりと抑えたタートルネックの黒ニットへと一瞬にして変装された。まるで少女向けアニメの変身シーンのように鮮やかな変わりようだった。
こうしてようやく元の位置に戻る二人。
「すぐ女に手を出すとか、都会のヤンキーは最低ね!」
「誤解だ。てかヤンキーに最低も最高もあるのか」
「おばあちゃんが言ってた。都会の男は野獣だから気をつけなさいって」
「おばあちゃん子なんだな」
「おばあちゃんに育てられたようなもんだしね。あんたのところは?」
「プライバシー」
「なによ。こっちだって話してるし、乙女の手を握っといてそれは酷くない?」
そうだろうか、と思いつつも、基準は人それぞれなわけで、露骨に酷い人扱いをされると本当に悪い気がしてくる。
京一は渋々といったように口を開く。
「普通に両親がいる。それだけだ」
「兄弟は? あんただけ?」
「……そうだ」
「じゃあさっさと家に帰ればいいのに。こんな雨なんだし、お母さん心配して待ってるわよきっと」
「それはないな」
「なんでよ」
「なんでも」
残りわずかになっていたカフェオレをぐいっと飲み干す。先ほどまでとは違い、どこか苦味を感じる――気がした。
「なに、帰りたくない理由でもあるわけ?」
「ノーコメント」
「あ、わかった。成績悪くて見せられないからとか?」
「よくそんな小学生レベルのことを、ドヤ顔で言えるな」
「なによ。あ、じゃあ実は私を探して会いに来てくれたとか?」
にっこり、と冗談半分で言った祝部だったが、京一はこれまで見せたこともないような不快な顔を祝部に向ける。
「冗談でしょ! そこまで拒絶しなくても……」
「誰がただコスプレしただけの一般人に会いたいんだよ」
「これでもアンラン2位なんですけど」
アンラン――正式名称『アンバサダーランキング』(非公式)というものがネット上で集計されており、これは公式による様々な大会や催し物での各アンバサダーの成果を数値化して出したランキングとは違い、単純な見た目などによるランキングとなっている。
祝部釵はその中でも常にベスト5に入る人気アンバサダーであり、グッズは発売後即完売。彼女のおかげで島子への移住者が年々増加。果ては彼女が主演の映画(島子県観光課制作)は制作費200万円で、興行収入7億円という異例の大ヒットを飛ばした。
だがそんな大人気少女を目の前に、京一は一切の興味を示す様子はない。
「前も思ったけど、あんたアンバサダーになんか恨みでもあんの?」
自分に対して初めての反応を見せる男子を不思議に思い、祝部はそう尋ねた。
京一は吐き捨てるように、
「自分の住んでる街で、武器振り回してる奴を好きになれるか?」
「そう言いきっちゃうとそうかもだけど……あ、待って、わかったわ。帰りたくない理由!」
「それまだ続けるのか」
「お母さんと喧嘩してる――と、か……」
言い切るや否や、京一は音を立てて立ち上がった。祝部は驚いたように京一を見上げた。
「帰る」
「え……なに、アタシなんか悪いこと言った?」
「別に。気にするな」
そう言って京一は足早に出口へと向かった。
前会計のお店は、得した気分になるからありがたい。
出ていく京一を、背後で祝部が不安そうに見つめていたが、京一が二度と振り返ることはなかった。