戦いの後
あとはエピローグのみです
神が異空間へと消えたその瞬間。張り詰めていた空気が、一気に解放される。
一番始めに、止めていた息を吐いて地面に手をついたのは、ブラウだった。尋常じゃない程の汗をかき、その目は未だユラユラと動揺を見せていた。
「はあ……はあ……」
「野蛮人もそんな顔をするんだな……ふっ」
「死にかけの男が大の字で何を得意気に……あれは化け物だ。絶対的な存在。所詮人間の私たちが適う相手ではない……目の前で息をするのも恐れ多い」
「だが君はあれと戦い勝利したのだろう?」
「偶然だ。私たちも高まっていたし、神も私たちを見定めようと手を抜いていた。何より私たちには奇跡があった……」
二人は同時にキリカに目をやった。
キリカは京一を心配そうに見下ろしており、身体をゆさゆさと揺らしている。
「ん……」
すると京一が反応を示した。
「けいいちっ!」
キリカの顔が和らぎ、京一に抱きつく。京一は流した血の割に平然とした表情で自分の手を見下ろしていた。
「傷が消えているのか?」
「……みたい、だな。なんか、声みたいなのが響いてきたと思ったら、一気に身体が温かくなって、気がついたら治ってた」
京一もウェズデムも、信じられないといった表情を浮かべていた。
「神だ。オーディンが貴様の傷を癒やしたのだろう。あの神ならば、それくらい容易いことだ」
そう得意気に言ったブラウに反して、ウェズデムは呆れるように息を吐く。
「何でもありだな……神というものは。ふん、これもまた、主人公故の奇跡というやつか」
ウェズデムはさらに大きく息を吐いて、天を見上げた。
もはや彼に何かをしようという意志も気力も、これっぽっちもなかった。
まぎれもない敗北感。それだけ。
「やっとあんたが言っていた意味が、わかった気がする」
京一はウェズデムの隣にあぐらをかくように座りこんで言った。
「俺は主人公だ。物語に守られて、絶対に死なないし、殺せない。今回、絶体絶命の危機を、神様なんてもんに助けられて、それを心から痛感させられた」
「私は最初からそう言っている。だから君を、その少女を殺すのだ」
キリカは怯えるように京一の背中へと隠れこんだ。
「かもしれない。俺かキリカを殺してでも物語を止めないと、どんどん被害は増えていく。俺の世界とあんたの世界、そしてあの神なんて化けもんがいる世界が、戦争になるのかもしれない」
「そうだ。そして確実に、死者は出る。何万、何十万……いや、何千万という死者がな。私も想定外だった……あんな化け物が暴れ出したら、誰の手にもおえん」
「でも、『かもしれない』だろ? 俺たちの世界にはいくつもの国がある。そしてその国は互いにいがみあってる。それでも何とか均衡を保って平和に暮らしてるんだ。それは異世界同士だって同じだろ?」
京一はウェズデム、そしてブラウにも視線をやった。
「もしキリカを殺すことで異世界の扉を閉じたとして、各々の世界が元通り孤立したとしよう。じゃあ、それで争いごとは起こらないのか? 一生、永遠に平和でいられるのか? 違うだろ? いつだって、どこだって争いごとは起きる。歴史を見れば、それは無くなることはない。だから、あんたがここで俺を殺しキリカを殺したところで、世界は何にも変わらないんだよ」
「だが余計な争いは一つ避けられる。ならば君は重火器を手に持った軍人相手と、あの神という化け物相手、どちらと戦いたい?」
たかだかいち高校生の京一の言葉に、ウェズデムは揺らがない。諭されはしない。
ただ当然のように、言葉を返す。
「じゃあ逆に訊くけど、そのヒロインって概念の存在であるキリカを殺して、それで全部丸く収まるのか? 俺は決してそうは思えない。こんな不可思議な現象だ。それはまたいずれどこかで起こるだろうな。そうだろ?」
「ふ。確かにそうだ。その可能性はかなり高いだろう。そもそもその子は概念だ。殺せるかどうか、殺して扉が閉じるかどうか、それもわからない」
「貴様、そんな確信もなくゼノを殺そうとしていたのか!」
ブラウが噛みつくように言った。
だがウェズデムは動けないにも関わらず、強気に鼻を鳴らした。
「ふん。このまま放っておいても何もわかりやしない。不可思議な現象を解明させるには、こちらからアクションを起こしてやる必要がある。もし少女が死に、別の存在が生まれれば、それらの現象の解明に一歩近づける。解明に近づく事で、我々人類にとってそれは不可思議な現象ではなくなり、言い換えれば我々の好きなように、思った通りにその現象を再現、利用できるということだ。人類はまた一歩、先へと進む。こんな機会を逃す私ではない」
「そんなことのために、ゼノを……」
「そんなこと? 聞き捨てならないな。私が教えなければ異世界へ行くことすらままならなかったのに。私の探究心がなければ、君は少女に会うことすらできなかったんだぞ? 恨むべきは私ではなく、自分の無能さだ」
ブラウはウェズデムを蹴りに行こうとしたが、京一がそれを遮った。ブラウは仕方が無く大きく舌打ちをして苛立ちを示した。
「おっさん、前に言ったよな。キリカは世界に混沌を呼ぶって」
「ああ、その通りだ。もうその片鱗は垣間見えている」
「でも本当にそうか?」
「……何?」
「確かに主人公とヒロインがいる所では、事件がよく起きる。それが物語なんだから当然だ。じゃないと物語は進まない……でもさ、あんたはこうも言った。自分の世界からキリカが消えた時、まるで自分の役目を終えたかのように消えていったって。憶えてるよな?」
「……言ったが、それが何だ?」
「それってさ、キリカが問題を呼び寄せてるんじゃなくて、キリカが問題のあるところに現れてるだけなんじゃないのか? ……その問題を解決するために、救済しに来てくれてるんじゃないかって、俺はそう思う」
「……理想論だな。それは客観的ではない。君の願望が入ってる」
「じゃああんたの意見にあんたの主観は入っていないのか? ただそうかもしれないというだけで行動を起こすなら、それは俺と同じだろう」
「では君は、爆発するかもしれない爆弾の入ったアタッシュケースを、それがもしかしたら家族の誰かの所有物かもしれないからと捨てずに家の中に置いておくのか? 普通はまず家から出して、安全な所に置いておく。その後その中身がなんだか確認すればいい」
「じゃあそのスーツケースをとりあえず調べて欲しいと識者に渡し、それがそのまま盗まれたら? 中身はうちの全財産かもしれない。俺は見事に詐欺に欺されていたことになる。その時あんたは代わりにその失った分の大金を俺に返してくれるのか? この場合、キリカの命を返してくれるのか?」
「……」
ウェズデムは黙った。
彼にとってもこの件は推測の域を出ない。だからできればさっさとこの場を去りたかった。京一らが余計な知恵を浮かべる前に、終わらせたかった。
だがそれも、もう遅い。
「だからさ、俺たちは今回のこの現象に関して、何一つとして理解できてない。全部、もし、かもしれない、って話ばっかりだ。それをおっさんがいろいろ理論付けて言ってるだけで、根拠は一つもありゃしない。おっさんにとっては試してみてなんぼなんだろうけどさ。でも人の命は一つだ。死んでしまって、なかったことにはできない」
「君が言うと説得力があるな」
「はっ……だからさ、答えを出すのは全部が解明してからでもいいんじゃないか? 何もわからないまま推測で行動して、それで後悔したって遅いんだから」
「やらなかった事を後悔するよりは、マシだと思うが?」
「どっちもおんなじだろ。結局全部結果論としてしか語れない。だって未来は誰にもわからないんだから。あんただって、世界だとか平和だとか関係なければ、こいつを、キリカを守りたいんじゃないのか?」
「……」
ウェズデムがキリカを見ると、少女は恐る恐るではあるが、自分を見ていた。その顔も、その仕草も、その容姿も、全てが自分のよく知るあの少女――被検体六六六番だった。
何一つ変わらない。
「それが感情ってやつだろ。どれだけ強がったって、あんたも人なんだから。ずっと一緒にいた奴を何の感情も無しに殺すことなんてできやしない。だから、せめて自分の手でって思って、そう考えてこっちに来たんだろ? 他の人間に任せられないって……違うか?」
「……うるさい。わかったような口をきくな。未開人」
目を覆うように腕を乗せ、ウェズデムはそう愚痴った。
だがそれは彼にしては言葉足らずな、むしろ敗北を認めたような、そんな声音だった。京一はブラウと顔を見合わせ、少しだけ微笑んだ。ブラウはまだ納得がいかない様子だったが、それでも京一の意図をくんだのか、何も言わないと言わんばかりに視線をそらした。
「よっし。じゃあ帰るか」
京一は地面を叩いて立ちあがった。キリカは京一の首に捕まるように一緒に浮き上がった。
「わわっ。けいいちっ! おちるあほっ!」
「そこをお前の定位置にすんな。地面を歩け地面を……って、あれ……?」
ふらり、と京一の身体が大きく揺れる。そしてそのまま身体が倒れていく。
「ふわっ!」
落ちそうになるキリカと、京一の身体を、しかしブラウが腕を差し出して止めた。
「けいいち、だいじょーぶ?」
「血を流しすぎたな。貧血だ。心配ない」
「だが血を流しすぎだ。生命活動は停止していないが、徐々に身体が弱ってきている。すぐに処置してやらんと、死ぬぞ」
大の字のままウェズデムがそう忠告して、ブラウは動けない彼を少しだけ蹴りつけた。
「動けない人間を蹴るなよ。野蛮人。だから野蛮人だと言うのだ」
「どうしてその状態で偉そうにできるんだ。本当に、自尊心だけはどうやっても折れないんだな。変人」
「ふん。誉めても何もでんぞ」
「誉めてない」
がん、と今度は強めに、ウェズデムの身体が露出している部分を蹴った。さすがのウェズデムも、小さくうめき声を上げる。
「ねえねえ。けいいち、だいじょーぶなの?」
ブラウの身体を揺するように、キリカがそう尋ねてくる。その心配そうな表情も、守りたくなる小動物のような感覚も、全て慣れ親しんだもの。
「ゼ……いや、キリカ、と言うのだったか」
ブラウは恐る恐る語りかけた。
「そうだよ。ねえ、けいいちだいじょーぶ?」
「ああ、大丈夫だ。死にやしないよ」
どこか、優しく語りかけてしまう自分がいた。
それもこれも、随分長い間忘れていた感覚だった。
「そっか。よかった。けいいちっ」
ばむ、とキリカは眠る京一の身体にしがみついた。そしてあっという間に少女は京一の上で眠ってしまう。
ブラウは京一とキリカを軽々と抱きかかえ、歩を進めた。
「どこに行く?」
そんなブラウの背中に、ウェズデムが言葉を飛ばす。
「どこでもいいだろう。貴様に教えてやる義理はない」
「いいのか? 今なら少女を奪って自分の世界に帰る絶好のチャンスだぞ?」
「ふん。そんなものもうどうでもいい。この子はゼノじゃないのだからな。そう確信した」
「そうか」
ブラウはウェズデムへと振り返った。
「お前も運んでやろうか? 動けないんだろう?」
「要らぬお世話だ。動けないというのは、これ以上余計な事に使うエネルギーが無いと言うだけで、最低限自分の家へ帰るだけのエネルギーは残してある。それくらい当然だ」
「そうか。それで貴様はもういいんだな? この子の事」
「いいわけがない。だがしかし、今回は引くさ。少年の言う通り、不確定要素も多すぎる。何より、私ではどうあがいても主人公もヒロインも殺せないようだからな……また別の方法を考えるとしよう。それまでは、休戦だ」
「わかった。だがしかし、今度は私も正面から全力で相手になるよ。今度はゼノではなく、キリカと京一を守るためにな」
「……勝手にしろ」
ウェズデムはやれやれと息を吐いた。ブラウはそれを見て少し顔をほころばせ前を向いた。
サイレンの音が聞こえる。ウェズデムは急いでこの場を去るべきかと考えたが、しかし最後にと、ポッケの中から一本の煙草を取りだした。それを口にくわえ、火をともす。
「ふう……未開な世界だが、不思議な事に食べ物と煙草だけはどの世界のものよりも美味しい」
もう一度、大きく煙を天に向かって吐いた。
「もう少しだけ扉を開けておくのも、悪くないかもしれんな」




