神
清水の舞台が真っ二つに割れ、その半分が大きな音を立てて倒れていく。
「う、うわっけいいちっ!」
落ちていこうとする清水の舞台に残っていたキリカがそう助けを求め、京一は慌てて反転して手を伸ばした。その手にキリカが捕まる。
「どうした。言った側から後ろを向いているぞ」
その隙を逃さず、ウェズデムは京一の背中に銃口を向ける。
「業火に焼かれ、その身を焦がせ――【アグニ】ッ!」
瞬間、その言葉がウェズデムの背後から響いてきたと思ったら、京一に向けていたウェズデムの腕先が、何の前触れもなくいきなり火を放ち始めた。そして火は見る見るうちに腕を登ってウェズデムに襲いかかる。
「ぐっ……なんだこれは!」
防炎加工を施しているはずの【ノーフェイス】に火がつき、それがまるで悪魔のように登ってくる光景に、ウェズデムは焦りを隠せなかった。振り払うように暴れても、火は決して消えはしない。
「神の炎だ。貴様が死ぬまで燃え続ける」
すとん、と降りてきたブラウがそう宣告して、舞台から落ちかけていた京一とキリカを助け出した。
「神などいない! 私はそれを否定する!」
ウェズデムは叫んで一気に上空へと飛び上がった。凄まじい轟音と風圧で、ウェズデムの身体は一瞬にして空へと消えていく。
そしてその後すぐ落下してきて、地面へと片膝をついた。風圧で炎は消え去ったが、しかし彼の鎧は黒く焼け焦げていて、片膝をついているのもやっとのようだった。
【ノーフェイズ】からは、いかにもな警報音が鳴り響き、その鎧もまた既に限界のようだった。
「どうしてだ……どうしてこんな愚かな選択をする……私が最も効率の良い、最大多数の人間が幸せになれる道を示してやったと言うのに……!」
「人の幸せを、他人が語るなよ」
「何?」
ウェズデムは重い顔を持ち上げ、露わになっている片目で京一を睨み上げた。
「あんたが目指す結果が、誰にとっても喜ばしいものかどうかなんてわからねえだろ。そんなもん、いくら数字を並べ上げたところで、わかりやしない」
「ではこのまま互いの世界が干渉しあい、いつ始まるとも知れない戦争をただ待つとでも言うのか……そのせいで君は今度こそ本当に家族を、親友を亡くすかもしれないんだぞ!」
「それはそん時になって考える。人生なんて、そんなもんだろ」
京一は馬鹿馬鹿しいと思いながらも、あえてそんな言葉を返した。全てを論理的に語るウェズデムにとって、理解し難い、相容れぬ価値観。
「そんでもってそん時になりゃどうにでもなるさ。だって俺は主人公だからな」
あっけらかんと言い放つ京一に、ウェズデムは何も言い返せなかった。
あまりに愚かで低レベルな思考回路に、もはや何も言葉がなかったのだ。
それは彼にとって、天敵とも言える存在だ。
「ふ、ふふふ。ふははは」
どん。とウェズデムは仰向けに大の字に寝転がった。
「もういい。疲れた。そもそも私の作戦が失敗していた時点で、この物語を終わらせる事は不可能なんだ。どう足掻いたところで、物語は平和に収束を迎える。第一話はこれで終いだ……認めたくないがね。だが研究者にとって、失敗は成功の基だ――なんて言うと思ったか?」
「えっ」
京一の身体が揺れる。
見ると京一の背中に【ノーフェイス】から切り離されたはずの片腕部位が密着しており、その機械腕からは緑に光る五本の光の刃――ジェノサイドクロウが飛び出していた。
そしてそれは京一の身体を確かに貫通している。
「――っ」
言葉は出なかった。その代わりに、ぼとりと塊のような血が、キリカの足下に落ちて跳ねる。
ちらり、と京一は一瞬だけキリカを見て、しかしそのまま気を失うように向こう側へと倒れ込んだ。
手を伸ばそうとするブラウを邪魔するように、ウェズデムが立ちあがって攻撃を仕掛ける。ただスローモーションに流れるシーンを、キリカは呆然と立ち尽くし、ようやく京一に何が起こったか、理解した。
「けいいち……けいいちっ!」
キリカは京一の身体を揺さぶるように動かしたが、京一はぴくりとも反応を示さない。
「今度は死んだふりではない。その少年は本当に死ぬ。物語はここで終わる!」
「貴様ッ!」
止まらない血を止めようとキリカは京一の傷口に触れたが、それはキリカの白い手を、白い肌を、白い髪を赤く染めただけだった。
「けいいち、ねえけいいちっ!かえろ! おうちにかえろっ!」
ゆさゆさ。ゆさゆさ。どれだけ揺すっても、京一の反応はない。
「ままんが待ってるよ! ぱぱんも! ねえがえろうよっ!」
自然と溢れ出る涙。
その涙は地面に当たって、血だまりに飲まれる。
「今度は芝居などではない! もう物語は終わった! 奇跡は起こらない!」
ウェズデムはそう言って一歩後ろへと跳ね、そして全身の砲門を開いて向けた。
だがその時、京一を守るように、今度はキリカが間に入ってその手を広げた。
「けいいちを、いじめるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
キリカが叫び、その声に呼応するように、突如空が歪んだ。
「な、なんだ……?」
ウェズデムとブラウは上空を見上げた。
雲が裂け、空間が歪み、その歪みはウェズデムもよく知る歪みだった。
「……異世界への、扉だと……」
しかしその歪みはウェズデムが知るものよりも、何倍も大きい。優に数十メートルはあろう扉だ。そしてその果てしない歪みの奥から、何か、とてつもなく焦燥感を駆り立てる何かがゆっくりと近づいてくる。
【ノーフェイス】が、計測不能と言わんばかりに、さらに大きな警報音を響かせた。
「まさ、か……」
そう呟いたのはブラウだった。彼女に似合わぬ冷や汗を滲ませ、彼女はごくりと生唾を飲み込んだ。
彼女はその感覚を良く知っていた。彼女もかつて、一度経験をしたことのあるものだからだ。
それは絶対的な存在。最強で最大で最愛の――絶対主。
「あれは、神だ」




