最低な男
あと少し……!
「何……?」
ブラウは信じられないと言わんばかりに眉根を寄せた。
京一は顔を下げて何も話さない。ウェズデムは死体に鞭打つように言葉を続ける。
「五年前、十院京一は実の母を亡くし、暗く落ち込んでいた。そんなところにやってきたのが、彼の父親と再婚をした、今の義母、聖華だった。若く麗らかな女性に、しかし少年は馴染めなかった。彼の中には亡き母が確かな存在として君臨していたからだ。まだ子供だった少年が上手く馴染めないのとは裏腹に、自分の気持ちをわかってくれているはずの父親と、赤の他人である義理の母は誰もが羨む仲の良い夫婦を形作っていく」
そしてその愛の究極である、新しい命が芽生えた。
「義母はまだ若い。それ故、子供を作るという行為は至極当然のように行われ、すぐにその腹に愛の結晶を宿した。生まれてくる新しい命に浮かれ、彼女らは自分の子供が女の子だとわかると、すぐに名前をつけた」
それが――霧華。十院霧華だ。
聖華という義母の名前から一文字受け継いだ、全力の愛が込められた名前。
「だがその明るい感情とは対照的に、十院京一の感情は恐ろしく冷めたものだった。いや、もっと卑しい、どす黒い感情だ。まだ過去を捨てきれない幼い少年を横目に、父は新しい家族に現を抜かし、まるで死んだ母も、そして息子である自分も見ていないように感じられた。どこかすねたように内に籠もっていく少年の気持ちをかえりみず、新しい人生を謳歌している。子供である少年には、それが悔しくもあり、哀しくもあり、そして苛立ちでもあった」
そんな時、事故は起こった。
「既にお腹も大きく、出産も間近と言った時に、少年は新しく生まれてくる妹が自分と両親を切り離してしまう最後の契機に思えてならなかった。その子が生まれてくれば、ついに自分は見捨てられる。忘れられてしまう。それ故少年は、お腹の大きくなった母を階段から突き落とした」
「やめてくれッ!」
京一は両耳を押さえて、地面に頭を打ち付けた。
そんな京一をさらに痛めつけるように、それを楽しむようにウェズデムは言葉を続ける。
「当然、突き落とされた母は我が子を流産し、十院霧華はこの世に生を受けることなくこの世を去った。母は泣き崩れ、父は絶望に落ちた」
「……そんな事を……」
ブラウは確かな侮蔑の視線で京一を見下ろした。
「だが一番精神にダメージを受けていたのは誰でもない、十院京一本人だった。癇癪を起こしてやった事に、自分は思っていたよりも残酷で非道な事をしてしまったのではないかとようやく気付いた。全く気持ちが晴れ晴れとしない。むしろ、以前よりも気持ちは暗かった。そして何より辛かったのは、そんな少年を、義母が責めなかったことだ」
京一が浮かべる義母の姿は、いつも笑っている。
怒っている顔など、見た事が無い。それはもちろん、あの時だって。
「義母は少年に会ってからずっと、少年に気を使ってきた。自分が家族として、母として受け入れてもらえないであろう事は予測していたから。だから何ヶ月、何年かけてでも自分を少年に受け入れてもらおうと、努力した。そして階段から突き落とされ時も、彼女はあくまでつい階段から足を踏み外しただけだ、と言い張った。全ては不運な事故だった、と……見事な寵愛ではないか。それほど愛されていたにも関わらず、少年は自分は蔑ろにされていると勘違いし、自分の母親を傷つけた……滑稽だ。実に滑稽だよ」
ウェズデムはせせら笑う。挑発するように。
「生まれてくるはずだった妹に罪悪感を感じていた君は、突如目の前に現れた白髪の少女を自然と擁護した。まるでそれが自分の妹のように思えたか?」
「やめろ……違う……そんなんじゃない! 俺は……」
「俺は、なんだ? どう言い訳をする!? ならばどうしてキリカなどと名付けた! どうしてああまでして守ろうとした!?」
黙れ――そう言わんばかりに、京一はウェズデムに襲いかかった。だがすぐにブラウに堰き止められる。
「どけっ!」
「挑発に乗るな! キリカの側から離れるな!」
言われて足元にしがみつくキリカに気づく。少女は静かに涙目を浮かべている。その様子に、溜飲が下がる。
「キリカ……」
「ここでだめ押しゴールといこうか、少年?」
嬉しそうに、楽しそうに、嬉々とした声色でウェズデムが言った。
「君の妹が亡くなったのも、ただの偶然か?」
「――え?」
意味がわからず抜けたような言葉が漏れる。
だがすぐに理解した。
理解してしまった。
「いや、ちが……階段から突き落としたのは、俺で……」
でも、運命がこうなるように操作されていたのだとしたら?
京一が生まれてからずっと、今日までの出来事すべてにキリカの能力が関与していたら?
妹は、死ぬ必然だったのだろうか。
そして、母も?
「嘘、だ……」
しがみつくキリカを振りほどき、後ずさる。
「けいいち……?」
「いや……違う……そんなはず……」
「けいいち、どうしたの?」
目の前で動くその少女が――その物体が――怖い。
これは本当に京一の願うように、か弱い人間なのだろうか。
なんで動いてるのか。なんで喋って自分の名を呼んでるのか。
なんで、どうして……。
「お前は、なんなんだよ!?」
叫びが暗くなった夜空へと響き渡る。
「けいいち……」
自分に恐怖する京一の目に、キリカはじわじわと涙をためていく。
「泣くな! 俺の名前を呼ぶな! どうして……なんで俺のところになんか……俺はこんな運命求めちゃいねぇんだよ!!」
「けい……いち……」
キリカの瞳からポロポロと涙が零れだす。
その様子に胸が痛くなった。
でもそれ以上に、言葉にできない恐怖が京一を包み込んでいる。
「みっともない姿だ……それでは場も温まってきたところで、1つ提案がある」
そう言ったウェズデムを、京一はゆっくりと振り返った。そして彼の手に収められた赤い装置が目に入る。
京一の認識が正しければ、それは親指で押すタイプのスイッチだ。
ウェズデムはその赤いスイッチに親指を添えた。
「君たちにも一目でわかりやすいように、このようなアナログな形で表現した。見ての通り、これは爆弾のスイッチだ。遠隔操作用のな。ドラマチックな演出だろう? この赤いボタンを押せば、あるところに仕掛けた爆弾が、気持ちいいくらいの音を立てて爆発する。さて少年、ではその爆弾は、どこに仕掛けてあるだろうか? 今君の頭の中に過ぎった最悪の場所を思い浮かべるといい」
「……おい、やめろ……」
京一の脳裏に浮かぶもの。それは家族だ。
先ほどまで京一がいた、身を寄せる近所の家。そしてそこにいる父と義母。
「私に君の思考はのぞけないが、いやはや、正解と言っておこうか。そう、私は君のご両親が身を寄せている家に、家一軒なら瞬時に焼き尽くしてしまう程度の爆発物を設置していおいた」
「お前ってやつは……どこまで腐ってんだッ!」
「だからこれは私のせいじゃない。君のせいだ、少年。君が全てを巻き込んでいるんだ」
「……!」
その時、からん――と、京一の前に、ウェズデムが何かを投げた。
それは抜き身状態のナイフだ。公園の街灯の光を反射し、ぎらりと鈍く輝いている。
「死ね、少年。自害しろ」
「は……?」
「私には君を殺せない。ならば、君には自分で死んでもらいたい。世の中には、最後に自決するという物語も少なくない。往々にして悲劇だがね。だが今の君にはもってこいのシチュエーションではないか」
京一は再度ナイフを見下ろした。
何の変哲も無いナイフだが、しかしそれを胸に一刺しすれば、呆気なく京一は死ぬだろう。そして誰もが願った通りそこで物語は終わり、京一の家族も、周囲の皆も救われる。
少なくとも、理不尽な運命に巻き込まれることはなくなる。
「家族を護りたいだろう? また君は自分のせいで、家族を殺めるのか?」
「……」
「懺悔をしろ! 亡き妹に申し訳ないと思うなら、詫びてみせろ! これ以上他人を不幸にするな、十院京一!」
その言葉に操られるように、京一はゆっくりと手を伸ばし、そのナイフをその手に取った。
「やめろ。貴様はあの男の言葉にだまされている! 死んだところで何かが変わる保証はないんだ!」
ブラウが必死にそう声をかけるが、京一はそのナイフを逆手に持ち替え、切っ先を自分の心臓に向けた。
「けいいちっ! いやだ!」
話の内容はわからずとも、京一がせんとするとこを感じ取ったのだろう。キリカが京一の腕を掴んだが、しかし強引にその手を振りほどく。
自分が死んでも、あの少女を取り巻く呪いが消えるかどうか、それはわからない。新しい主人公が設定されるのかもしれないし、自分が死んでも物語は終わらないのかもしれない。
だが少なくとも、自分という枷を外した家族は幸せになれる。
それは間違いないんだ――。
「ちょっとこれは、どういう状況かしら……?」
瞬間、夜の公園に響いた声は女のものだった。
見ると入口には見覚えのある裾の短い巫女装束を纏った、あの祝部釵が立って、唖然と状況を見つめていた。




