違和感
「はあ、はあ……」
がむしゃらに走った結果、京一の体力が尽きたところで彼は身体を地面に倒した。
「けいいち、だいじょぶ?」
その体力の半分は、キリカの身体を振り回すように引っ張っていたせいだ。キリカは倒れ込んだ京一を心配するように、顔を傾げる。
「ちょ、ちょっと……休憩……頼む」
荒くなった息使いからもれてくるのは、辛うじて単語のみだった。もはや声を出すのもままならない。それほどに京一の身体は疲弊していた。
だがおかげで随分と家から離れることができた。これで家族が巻き込まれる心配はないだろう。そのことに、ほんの少しではあるがホッとする。
「あら、あらあらあらあら。どこの誰かと思いきや、以前のお不良さんではありませんか」
しかし京一の心が安まる暇もなく、そんな侮蔑の籠もった声が響いてきた。
「……?」
なんとか首を持ち上げてみると、そこにいたのは、もう二度と会いたくないとまで思っていた女――蝶璃揚羽だった。新撰組三番隊組長、斎藤一のアンバサダーである彼女は、この新年を迎える街を警備していたのだろうか、前と同じように青い羽織を身にまとい、腰には自慢の愛刀【鬼神丸国重】を携えている。
「お前……なんだよ、こんなところで……」
「それはこちらのセリフですが。小さな子供をこんな夜遅くの公園に、どういうつもりです? 大晦日にしては、少しハメを外しすぎじゃないかしら」
公園? と京一がようやく自分がいつものホームレス達の住処である公園にいることに気がついた。無意識に目指していたのだろう。
「あれ……?」
しかしおかしい。いつもならここでワイワイと賑やかにホームレスたちがバーベキューでも開いているのに、今日この日、祝うべきこの日に、その公園は物音一つしない静寂を保っていた。何より彼らの住まいであった段ボールハウスまでが、綺麗さっぱりなくなっている。
「……皆は?」
「言ったでしょう。ゴキブリは駆除されて然るべきだと」
にやり、と蝶璃はその顔に似合わない不気味な笑みを浮かべる。
その顔に、京一は何があったのかを気付かされる。
「もしかして、皆を追い出したのか? ここから!?」
「私は正式なルールに則って貴方たちに最後通告をしましたよね? ここを立ち退くようにと。それを聞かぬフリをしていつまでもここを根城にしていたから、強制的な手段をとったまでです。汚らしいドブネズミが、最後の最後まであがいて……みっともない」
「お前……!」
あまりに冷酷な蝶璃の振る舞いに、京一は怒りを募らせていく。
だがそれに対し蝶璃はまるで振る舞われた美酒を飲み干したような笑みを浮かべ、
「ふふ。何を怒ることが? 私は自分の責務に則って、必要な手段をとったまでですが?」
「だったらホームレスの人たちはどこに行けって言うんだよ!」
「知るか」
「……何?」
「ホームレスは人ではない。それが一般常識です。貴方は家の前から追い払ったカラスのその後を心配するんですか?」
「お前、本気で言ってんのかよ?」
「冗談でこんな事を言いに来ませんが? そして最後の仕上げに、その身寄りのない少女を保護します」
蝶璃は【鬼神丸国重】を音もなく抜き、歩み寄ってくる。そしてだんっ、と大きな音とともに踏み込むと、一瞬にしてその間合いを詰めてきた。
「ぐ、っそ!」
上体を下げつつ、キリカの手を離しその襲い来る刀を掴み取ろうする。
だが蝶璃は京一の手を刀の腹で弾き、喉元向かって一閃に突いてくる。本能的に死を感じた京一が守るように喉元にもう片方の手をやると、真っ直ぐ向かっていた刀が直前で軌道変更し、垂直に天へと上がった。全く構えてなかった顎に思い切り打撃を喰らい、京一は身体の自由を一瞬失う。
「あ、が……」
だがそれでは終わらなかった。蝶璃は京一の胸ぐらを掴み、作り上げた小さな拳で京一の顔面を殴り飛ばした。以前のような可憐な動きではない。酷く動物的な、暴力を振るった。
何度も。何度も。
ようやく身体に意識が戻り始め、振りほどいて後ろによろめく京一。その口元からは血がたらりと流れ落ちた。
「あの時受けた辱めを、ずっと返したいと思っていたんです。この女の拳で、完膚なきまでに貴方を打ちのめす。男の貴方からすれば、これ以上ない屈辱でしょう?」
「……ちくしょうが」
怒りが最高潮に達し、京一は現状も忘れて蝶璃に挑みかかった。
だが京一の足もまともに上がらず、力の抜けた素人の拳を、蝶璃は悉く避け、その度に京一の身体に重い一撃を刻み込んだ。
「ごぅ……がっ……」
みぞおちに思い切り繰り出された膝蹴りが、京一の胃の中のものをぶちまけさせる。京一は無様にも、女の前に片膝をつく形でしゃがみ込んだ。
「あはっ。あはははははっ!」
高らかに笑う蝶璃。
アンバサダーとして努力している。彼女が以前言ったその言葉がどれほど重く、そして自分の考えがどれほど浅ましかったか、それを思い知らされる。
彼女らはただのコスプレ集団ではない。
歴とした戦士なのだ。
京一はせめてもの抵抗と、彼女を思いきり睨み上げた。
だがそれは蝶璃にとって愉悦感を高める以外の何物でも無く、蝶璃は嬉しそうにしながらその手に再度一本の刀を召喚した。ぎらりと鈍く光るそれは、彼女の愛刀だ。
そしてその刀を、京一に向ける。
「あほっ! けいいちをイジメるなっ!」
だがその京一と蝶璃の間に割って入るようにして両手を広げたのはキリカだった。小さなその少女は、しかし強い表情で京一を守るようにたち、蝶璃を睨みつける。
「キリ……カ……」
「ふふ。こんな女の子に守られて、みっともない。勇ましいのは感情だけ? 分不相応な理想を求めないで、一般人」
「……」
「まあいいわ。貴方も、そしてこの子も、少し痛い目にあえば考え方も変わるでしょう。二度と逆らえないように。二度と刃向かわないように!」
「え……」
その時、京一は薄気味悪い違和感に気がついた。
この女は、こんな事を言う人間だっただろうか――と。
アンバサダーは原則、一般人への武器の使用を許されていない。例外として、周囲そして自分に被害を及ぼす対象を鎮圧させる事だけは許されている。
だがしかし、今蝶璃は明らかな自分の気分で、その刀を振り上げた。しかも小さな女の子をも巻き込もうとしている。
だが蝶璃は以前、キリカにはおおむね好意的だったはずだ。小さな子供は好きそうな、あくまで優しい一面を持ち合わせていた。それだけでも、彼女が常識のある人間である事は明白だった。だからこそ、悪でしかない自分には何も言い返す言葉がなかったのだ。
少なくとも、もう手も足もでない京一を、そしてそれを守ろうと精一杯の勇気を出した少女を、笑って傷つけようとするような、そんな輩ではないはずだ。
「やめ――」
何か危機感を感じ取り、京一は蝶璃を止めようとそう声を出した。
だがそれは遅かった。京一の目の前で、蝶璃の持っていた刀が、折れた。
何事かと蝶璃がその折れた刀を見上げた瞬間、上空から何かが降りてきて、蝶璃の目の前に降り立つ。
翻るマントに、青い髪。そして冷たく射殺すような瞳。
「何です! 貴方はっ!」
折れた刀で蝶璃は有無もいわさず、その介入者――ブラウに切りかかった。
だがその刀を素手で容易く止められ、ブラウは彼女の腕をひねるようにして回し、そしてボキリ、とにぶい音をさせて腕を折った。ただあまりに軽くやるものだから、折られた蝶璃本人も、唖然としているだけだった。
「え……」
驚いたのも束の間、今度はブラウが腰から抜き出した短いナイフで、蝶璃の身体を容赦無く突き上げた。
声もなく蝶璃は身体を跳ねさせ、ぼたぼたとその血が地面に落ちる。
本物の血だ。
しかしそれでブラウは止まらなかった。もはや必要のない蝶璃への追い打ちを掛けようと、ぶつぶつと言霊を発しはじめる。以前京一にも使った神術を使用する気だ。
蝶璃を、殺すために――。




