カルちゃんと一緒 その①
「わっしょい!」
そんな叫びと共に、瞳が開かれる。目をぱちくりとさせて、現状を把握する。
「……あれ」
目を見開いて考えるが、しかし京一にはここがどこだか、一向に理解できなかった。
「この世界の住人は、目を醒ます時に奇妙な言葉を発するんだな。アライエン」
声のした方に顔を向けると、そこにいたのは綺麗な青い髪をした女だった。
「あんた……ブラウ」
「気安く呼ぶな、アライエン」
「そうだ、あんた何で――痛いっ!」
ビキキ、と京一の右手に電流が流れるように痛みが響く。
「騒がしい奴だ。応急処置はした。別に死にはしない」
言ってブラウは京一の身体を思い切り蹴りつけた。
「ぐおっ! ……お、おま……」
「本当に軟弱だな、この世界の住人は。いい歳した大人が、まるで赤子のように泣きじゃくる。貴様のその歳なら、私の世界では騎士団として立派に剣を振るっている頃だぞ」
「その代わり足し算もできないバカばっかだろ」
京一は蹴られた仕返しに、そう言い返す。
「学問など必要な人間がしていればいい。まずは自分と自分の家族を守る力が無ければ、生きてはいけない。それは人が持つべき最低限の能力ではないか」
「こっちでは勉強しないと生きてけないんだよ。そっちの価値観でこっちを語るな――」
――野蛮人。と言おうとして、言葉を塞き止める。
あの鎧男がずっと言っていたのでつい、彼女をそう嫌味っぽく呼ぼうと思ってしまったが、それは自分の寿命を縮める結果になると思ったのだ。この女を怒らせて、それを抑え込む力など京一にはありはしない。あまりに無力だ。
「……てかここはどこだ。えっと……じゃあなんて呼べばいいんだ?」
「カルティ。あちらではその愛称で呼ばれていた」
「カルティ? どういう意味なんだ?」
「冷徹な女、という意味だ。まあ皮肉だな」
「なるほど。じゃあカルちゃんか」
「ちゃん? なんだ、なんだかわからんがまあいい」
冗談で言ったのにまさか受け入れられると思っていなかった京一は、吐きかけた冗談だという言葉を舌先で彷徨わせていた。カルちゃん……あまりに似合わないあだ名だ。
「ここがどこだと言う話だったが、私にもわからない。この世界の地理を全く把握していないからな」
「偉そうに言うことじゃないよな」
京一はそうつっこみながら、周囲を見渡した。しかしすぐに京一は諦める。こんな場所、この世界のこの国に生まれ住んでいたとしても、わかりはしない。
そこは一言でいうなら、森だった。
生い茂る木々が周囲を囲み、京一の上空は天然の枝の傘が覆っている。目の前では木を利用して燃やした火が焚かれている。まるで野外キャンプのようだ。どうやら今は夜のようだった。
「あんた、自然を大切にする世界から来たんだよな?」
「そうだが?」
「だったら木を燃していいのか?」
「世界は常に食物連鎖であり弱肉強食だ。自然が互いに利用しあうことで全ての命は循環していく。木々をこうして火を燃やす材料にすることは、決して自然に対する冒涜ではない。自然にとって必然であり必要なことだ」
「……なんか、人間目線の勝手な理屈だよな」
「何か言ったか?」
ブラウは一本の木の枝を差し出して、そう京一を睨んだ。その木の枝には、一匹の魚が刺さっており、こんがりと美味しそうに焼けていた。
「どこで取ってきたんだ?」
「この近くに川が流れていた。正直この世界の物を口に入れることは嫌だったが、そうも言ってられない。自然に罪はないからな。ほら、食え」
「……内蔵は取ってあるのか?」
「軟弱な奴だ。勿体ないだろう。食える。私は食べた」
「味付けはしてあるのか?」
「元から充分についている。余計な味付けは食料となった生命への冒涜だ」
「……いや、やっぱ俺はいいや。お腹いっぱいだから」
「……そうか。せっかく取っておいてやったのに」
むしゃり、とブラウはその焼き魚にかぶりついた。
誰もが羨むような容姿に、輝くような青い髪と瞳。見るからに美しいその女性が、大股を開いて木の枝に刺さった魚をほおばっている姿は、なかなかに新鮮だった。
野蛮人。あのウェズデムという知識者がそう呼んだのも、どこか納得がいく。
「じろじろ見るな。飯を食うのがそんなに可笑しいか? 貴様らは飯を食べないのか?」
「飯とか言うなよ……ショックだ。なんて言うかもっとこう、お姫様のような高貴なやつかと思ってたのに、思いっきり下町育ちみたいなんだな」
「うるさい。他人の所作にいちいちいちゃもんをつけるな」
「そりゃ悪うござんした。で、カルちゃんはなんでこんなとこで生活してるんだ?」
「この世界での私は、あくまで存在しないはずの生命体だからな。住まいを得ることも、人の目に付く場所に居つくのもはばかられた。だから誰もいない森に一時的な拠点を作ったんだ。場所で言えば、貴様の住んでいた街からはそう離れていないはずだ」
「人目を避けるとか、気にするんだ、そういうこと」
「当たり前だ。貴様は私をなんだと思っている」
「……傍若無人で暴虐非道な異世界人」
シュキン、と鋭い音がして、京一の首に一本の剣が添えられる。あまりに美しく速い動きに、反射的に避けようとすら思えなかった。
「じょ、冗談、です」
恐ろしく睨まれたので、京一はそう丁寧に謝って見せた。
忘れていたが、この女は元々敵だったのだ。隣にいて安心する方がおかしい。
ブラウは剣をひき、大きく息を吐いた。
「昔はな。私もそんな女だった。騎士団の中でなりふり構わずのし上がってやろうと躍起になり、次から次へと目に付く相手に切っ先を向けた」
「へえ。騎士団とか、あるんだやっぱり」
「やっぱり? どうして知っている」
「いや、そういうファンタジー小説とか映画とかあるからさ」
「なるほど。確かに私の世界にも高度な機械文明を描いた物語書物などがある。それと同じか」
「多分」
「もしかするとかつて異世界に行った事のある人間が伝聞した世界が、書物となって残されているのかもしれないな」
確かに、と京一は同意する。それはあって然るべきだと思う。
「私のいたアインヴェルトでは、十五を迎えると立派な大人と見なされ、何か仕事を始めなければいけない。この世界のように学問を志す者もいるが、そのほとんどは貴族だ。我々のような平民は基本的に農作業に従事するか、家の仕事を継ぐか、はたまた騎士団に入って矛と盾を手にするか、そのどれかしかない」
京一はなんとなく自分の手を見下ろした。
彼女の世界ならば、もう自分はその手に剣を持ち、身体を真っ赤に染めているのだ。そう思うと、どこか身震いを憶える。あまりに世界が違いすぎる。
「貴様の読み通り、私は貧しい村育ちだったからな。成り上がるには、騎士団に入隊し、勲功をたててのし上がるしかなかった。だからこそ冷徹な女などと呼ばれ、忌み嫌われた」
鋭く目を細め、ブラウは目の前で揺らめく炎を睨み付けた。
「そんな時だ、私があの子、ゼノに出会ったのは」
「……ゼノ……」
「ここはゼノでいいだろう。この世界でのあの子はキリカかも知れないが、少なくとも私と出会い旅をしたあの少女はゼノだったのだから」
「……そうだな。悪い」
「とにかく、私はある事件の際にあの子に出会った。全てが憎く、全てを斬り殺してしまいたかった程荒んでいた私の心に、あの無邪気な少女はあまりにも眩しかった。だからこそ、初めは拒絶した。暗闇の中で生きていた私に、陽の光は刺激が強すぎたのだ。だがしかし、ゼノは執拗に私に付きまとった。いくら突き放しても、彼女は私の前に現れる。気がつけば私は彼女に感化され、暗闇の外へと出ていた」
「確かに、あいつ、明るいもんな。そんで妙に人なつっこい」
「だろう? そうして私は彼女に導かれるように旅をし、仲間と出会い、敵と出会い、そして世界と、神と向き合うまでになった。あれはきっと運命だったのだろう。ゼノとの出会いは偶然ではなく《・》必然だった」
「……『物語的ヒロイン説』、か」
こくり、とブラウは頷く。
「私はそんな理論立ててあの子との出会いを解釈など決してしたくはないがな。だがしかし、あの男の言う事も納得できないわけではない。私もこの世界に来てゼノを見た時に驚いたんだ。全く成長していない、あの子の姿に」
「何で俺を助けたんだ? 俺からあいつを取り戻したかったんじゃないのか? 今なら俺の家で親と一緒にいるはずだぜ?」
「……本当にあの子がゼノなのか、それがわからなくなったんだ。あの変人の言う通り、あの子が概念的な存在だとすれば、私と共有した時間も思い出も、全てなかったのではないかと。だとすれば連れ帰ったところで、あの楽しかった時間は取り戻せないのではないかと。それにあの鎧男の弁なら、私がいくらゼノを狙おうとも、無駄足らしい。神がかり的な力で必ず邪魔が入ると」
本当にそんな事がありうるのだろうか。京一はそう考える。
さっきはウェズデムという口達者な男に上手く踊らされ、翻弄させられていたが、しかしよくよく考えれば馬鹿馬鹿しい話だ。キリカは物語におけるヒロインであるのだから、生半可な事情では死ぬ事はありえない。
本当にそんな力があの子に? そもそもヒロインとは、物語とはなんなのだ。
「私も初めは眉唾ものだと思っていたが、しかし貴様らを初めに襲った時、さも偶然のように貴様は私から逃れることができただろう? 橋が崩れて」
京一の脳裏に、その時の光景が浮かび上がる。あれはおそらく彼女が放った術による波の衝撃で橋にヒビが入ったのだろう。
そう、偶然に。
「あ、そう言えばあれ大丈夫だったのか? 瓦礫の下敷きになってたけど」
「問題ない……とは言えなかったがな。本来なら私にとってあの程度の瓦礫など何の障害にもならないはずなんだが、あの時は上手く対処できずに足を挟まれて動けなくなってしまっていた。あれもまた、考えてみればゼノの力だったのだろう」
「そうだったのか……じゃあ俺を助けたのは?」
「癪だったんだ。貴様なら露知らず、あの変人の鎧男にゼノを奪われるのだけは嫌だった。奴の思惑通り行けば、ゼノは殺される。それだけは許せない」
「よく生きて逃げれたな、あの男から――ってそうか。それも、俺が主人公だったからか? 物語上逃げれるようになってたってか?」
冗談半分で言ってみたが、ブラウは真剣な表情を崩さなかった。
「どうだろうか。物語において、主人公サイドに物語が上手く転ぶのは当然だが、しかしそれはここぞという時だろ? 今回の場合、私とあの男の実力はほぼ互角、いや客観的に見ても私の方が有利だった。だから別に神がかり的な奇跡があったわけではない。断じて無い」
どうして二回も、そして強調して言うのだろうか。
それだけこのブラウという女のプライドが高いのだろう。負けず嫌いということだ。どうも異世界人というのは自信過剰にできているようだ。
京一は彼女を怒らせないように、下手にプライドを傷つけるのはよそうと思った。
「でもあいつの言う通り、俺が物語における主人公なら、俺もそう簡単な事じゃ死なないはずだろ? だったらあいつは何をしたかったんだろうな」
「さあな。しかし悔しいがあの男の頭の中は海のように広大で深い。何事も用意周到に確実に行う性格だ。それを考えれば、あの男のあの行動にも意味はあったんだろう」
「……だな」
京一がいくら頭をひねったところで、あの男の考えを読み通せる気がしなかった。あの短い会話の中で、ウェズデムという男の性格の悪さと、傲慢さ、そして何よりもその頭の良さを思い知らされたのだから。




