前置きが長い
「……ッ! 殺、す……?」
ウェズデムの想定外の言葉に、強く握っていた拳を緩め、京一は困惑の表情を浮かべた。
「ああそうだ。殺す。私はわざわざそのために二つの異世界を渡り歩いてきた。それほどにあの純真無垢な少女は危険だと言えるからだ」
「危険?」
「ああ、危険だ。どんな大量殺戮兵器よりも。どんな天災よりも。あの少女は人々に不幸をもたらし、世界を混沌に導く」
「どういう、意味だ?」
そこでウェズデムは一呼吸置くように間を作った。
京一の沸き立つ怒りも、姿の見えない敵と彼の独特の間にその感情を沈静化させられる。
「少年。君は私やあの青髪野蛮人がどのようにして異世界へと渡ったか、それを考えた事はないのか?」
「……」
確かにそこに考えが至ったことはない。そもそも異世界など夢物語なのだ、その異世界からこちらへ来る手段など、京一にとって思いも至らぬ些事だった。
「だから駄目なんだ。人は持った疑問を解決しようとすることで、先へと進む。疑問は前進へのきっかけだ。種だ。それをむざむざ捨てるような事をするから、こんな中途半端な、文明的でも野性的でもない世界になってしまう。そう言う意味では割り切って野蛮人であることを美徳とするあの青髪女のアインヴェルトという世界の方が好感が持てる」
「うだうだう言ってないで先を話せよ。さっきから前口上が長いんだよ。さっさと姿出して、殴らせろ」
「ふむ、前言撤回だ。この世界は未開で野蛮だったようだ……だがまあ確かに、私は前置きが長いといつも妻に怒られるんだ。では本題に入るとしよう。私たちが異世界へと来た方法は、何も専門的な知識や魔法の類を使用したわけではない。開いていたんだよ。異世界への扉が、そこにな」
その時、ずっと消えていたウェズデムの姿がスッ、と描き出されるように現れる。
すかさず京一は彼をにらめつけた。安易に殴りかかっても、それは京一をもてあそぶように姿を消すだろうし、何より彼の話には興味があった。アインヴェルトから来たブラウよりも、今の京一の疑問をすべて解消してくれる、理論的な思考の持ち主に思えたからだ。
「もちろんその扉の存在を認識し、その異質な扉へ飛び込む勇気は必要だったがね。ではじゃあ、何故そんな扉が現れたか。その原因こそ、この少女――被検体六六六番にある」
ウェズデムの【ノーフェイス】から放たれた光が、京一の正面に先ほどよりも大きな映像を映し出す。
そこには京一もよく知る少女、キリカの姿が映し出されていた。
「……被検体、六六六番?」
「そう。私の世界にいた頃の彼女の名称さ」
「名前は、無いのか?」
「無い。そんなもの、その実験動物には与えられていない」
悪意あるその言葉に、京一は再び感情を湧きたてる。
「私の住んでいる世界はこの世界と同じ、地球という名の星だ。ただし文明はこの世界よりも何百年か先を行っているがね。もっと高度で、もっと知性的な、機械文明だ。ただし、その引き替えとして、私たちは自然と眩いまでの青空を失った。空は汚れ、地は荒れ、海は化け物の住む地獄へと様変わりした。だがしかし、人類は未だ存続し、さらなる繁栄をとげている。かつて学者がほざいた人類の滅亡も、我々はその偉大な知能を持ってして乗り越えてきた」
だがしかし、そんな幸福の時代にも、確かな悪意の芽は育っていた。
ウェズデムはそう続ける。
「まこと愚かしい事だが、我々の世界にも、間違った方法で人類の進化を促そうとしている研究者がいた。それが研究者シリー・ノアイロンだ。そいつは世界最高峰の私と並ぶほどの頭を持った、もう一人の天才科学者だった。ああ、勘違いしないでくれ。並ぶ、と言ってもそれは新聞がそう煽っただけで、実際は私の方が凄い」
聞いてない、と京一は言おうと思ったが、わざわざ突っ込んでやる雰囲気でもなかったため、それをためらった。勝手に言わせておけばいい。
「誤解が解けたところで……シリーは表舞台で活躍する私をなんとか超えようと躍起になり、人としての道を踏み外した。奴は闇市場を使って小さな子供を集め、そしてそれらを人体実験に利用していたのさ。何の実験をしていたと思う? キメラだ。人間と動物を混ぜ合わせ、人間を一歩先の新人類へと無理矢理進化させようとしたんだ。最終的には翼の生えた人間を理想としていたらしい」
「……それは、腐ってるな」
「ああ、腐ってる。全ての感情論や精神論を否定しているこの私だが、人としての当たり前の倫理観は持ち合わせている。だから私はそれを止めに、奴の研究施設へ乗り込んだ。そこで出会ったのさ、被検体六六六番にな」
エアスクリーンに映し出されるキリカは、服装も違ったが、何より雰囲気が少し違っていた。髪がぼさぼさでみすぼらしく、今よりもよっぽどホームレスっぽい。
「不思議だったよ。そこにいた子供たちの誰もがみすぼらしく薄汚れていたのに、その少女だけは輝いていた。もちろん衣服や身体は汚れていたがね。そういう意味ではなくて、それは一人だけにこにこと笑っていた。そして訪れたよそ者の私に、物怖じもせずに話しかけてきた。そこからだよ。私は保護される子供たちの中から、彼女を預かった。白髪の少女、その存在自体に興味があったからね。そうして私はそこから長い戦いへと巻き込まれていき、最終的に、シリーを絶命させた」
「……殺したのか?」
「何だ、まさかそれを怒るだなんて言うなよ? 奴は殺されて当然の悪党だ。君が今シリーにどんな人格をイメージしたかわからないが、奴のそれはその何百倍も酷い。奴を止めねば私の世界そのものが危機にさらされていた可能性もある。あれは充分に正義だったよ」
「人が死んだ時点で、正義もクソもあるのかよ?」
「ある」
ウェズデムは断言する。様々な経験を経てきた彼には、京一のような感情に任せた子供の言葉は響かない。何故ならそうすることが一番くだらない結果を生み出すと理解しているから。
感情を、精神を、否定する。
「いや、やめよう。精神論は聞き飽きた。私は哲学にも興味は無い。とにかく、そうして長い戦いを終え、私の世界に平和が訪れた。が、その後すぐに、その被検体六六六番が消えた。忽然と、何の足跡も無しにな」
同じだ。あのブラウという青髪の女が言っていた事と同じ。
京一は徐々に彼が言っていることの信憑性を感じ始め、異世界というものの存在を理解してしまっていく自分に、焦りを憶えた。
「あり得ない。人気女優の子宮の中まで見通せるほど街中に張り巡らされた監視カメラの、どこにも映ってやしない。そもそも私の家から出たという記録すらない。そう、その少女はまるで最初からいなかったかのように、忽然と姿を消したのだ」
京一は画面上のキリカを見つめた。
今はこの無垢な少女が、無垢故に恐くを感じてしまう。
「なんなんだよ……こいつは」
「私もそう思った。故に私はその謎に没頭した。そもそも被検体六六六番はその生まれすら定かではなかった。私の世界にナチュラルな白髪を持つ民族は存在しない。私はその出自を調べるのを諦め、ひとまず少女の足取りを追うことにした。しかし少女は私の家からどこにも移動した記録が無い。それは確かだ。であれば、私の家の中から、どうやってか消えたのだ」
「……どうやって?」
自然と質問してしまう自分がいる。京一はそのことに気が付きながらも、しかし知りたいという欲求には逆らえなかった。
「なんだも何も、結論がはっきりしているのであれば、その過程を考えるのが人として当然だろう? 少女は私の家の中で、何らかの現象を持ってして姿をくらました。そしてその過程を追い求めた結果、私はある事に気付いた。それは、異世界の存在だ」
「……合理的な考えを尊重する割に、随分ぶっ飛んだ考えをするんだな」
京一は多少の嫌味を込めて言った。
しかしウェズデムは笑わない。至って真面目な口調で話を続けた。
「確かに論理破綻した考え方だ。初めは妻も私を笑ったよ。だがしかし、その時の私にはそれが非現実的ではないと思えた。論理的に証明できるとも。その時だった。異世界の存在に感付き、それがあると確信した私の目の前にそれは現れた。歪みが。異世界への扉が」
その時を思い出すようにウェズデムは自分の正面に手を伸ばした。
「……やはり君たち未開人には見えないか。ふむ。良い実験になった。異世界への扉は、それを認識した知識者にしか、見えないと言うことか」
何を納得しているのか、京一には皆目検討がつかない。
だがしかし、今彼の目の前、手の平の先にはあるのだろう。
彼の言うところの、異世界への扉が。
「扉が現れた、というのは間違いだろう。おそらく、ずっとそこにあったのだ。しかし私には見えていなかった。何故ならそんな物は無い、と目をそむけていたからだ。その歪みに向かって私は手を伸ばした。すると、まるで映画のフィルムを途中で切って別のフィルムを貼り付けたかのように、周囲の景色が変わった。そこは私の家ではなかった。いや、私の住む世界ですらなかった。空は青く、地は栄え、海は穏やかにたたずんでいた。鳥が鳴き、蝶が舞い、木々が私の訪問を歓迎してくれたようだった。その時確信したよ。私は異世界へ来たのだ、と。感動に打ち震えた。それと同時に、私の知りたいという欲望が最大限に発揮された。正直その時は、被検体六六六番の事は忘れていた。ただ思うままに歩き、何度も異世界と自分の世界を行き来しては、目の前の失われたはずの生命たちを研究し、異世界の存在を自分の中へ論理的に浸透させていった。その結果わかったことは、異世界はやはり我々の世界とは異なる理で動いている、完全な隔離存在だということだ」
「隔離存在?」
「そう。確かに私はあの自然溢れる野蛮人の世界、アインヴェルトにたどり着いたが、しかしそれは私が超例外なだけであり、その他の全ての事象は私の世界と何一つとしてリンクしていない。それはあまりに異常な事だ。わかるか? 馬鹿にもわかりやすく言うのであれば、真っ黒な液体の中に、一滴真っ白な液体を混ぜたのに、その一滴が黒に一切溶け込まずに浮かんでいるようなものだ。その世界においては、私の存在があり得ないものなんだ」
ウェズデムは両手を広げてそう声を大にしていく。
彼は話し出すと止まらない性格のようで、京一が尋ねずとも、次から次へと説明をしてくれる。
一見馬鹿馬鹿しいような、荒唐無稽の話を。
「異世界というものを全て理解し、万全を期した私は、ようやく本来の目的である被検体六六六番を捜した。そしてそれはすぐに見つかった。アインヴェルトには彼女の痕跡がいくつも残されていたからな。そうして少女を見つけたが、私は再び驚かされた。私が少女と出会ってから三年。そして彼女がいなくなってから一年半。優に五年近く時間が経っていると言うのに、被検体六六六番の背丈から何から、全てが変わっていなかった」
「え……?」
「年端もいかぬ子供だぞ? 1年もあれば10センチは成長する――が、少女は成長していなかった。そしてさらに、私を憶えてすらいなかった」
ますますもって、あのブラウという女の言う事と同じだった。
時間が経つにつれ、あれは夢だ、幻想だと眉唾程度にしか考えていなかった異世界という存在が、京一の中に確かなものとして君臨し始める。
もはや否定できないほどに。
「一大事だ。私の理解できぬ事が今目の前にある。しかもその解決の糸口すら掴めない。そんな事は初めてだった。生まれて初めて私は頭を抱え、悩みに悩んだ。その末行き着いたのが、私の大嫌いな哲学というやつだ。私は染みついた論理的な考え方を矯正し、彼女を抽象的に、概念的に捉えようとした。それこそが解決の糸口だと。結果、私はある仮説を立てた」
ウェズデムはピンと人差し指を立てて言った。
「それが、『物語的ヒロイン説』だ」




