うんこっ!
うんこっ!
「うまっ! うまっ!」
ばくばくばくばく。
皿に盛りつけられた大量のカレーが、見る見るうちに減っていく。
幼児らしいスプーンの握り方で、しかしキリカは器用にカレーを平らげていく。
「美味しい? キリカちゃん」
「ぐえっ!」
「変な返事するのね」
そんなキリカの横で終始微笑みかけるように見つめていた京一の母――聖花が、いつになく楽しそうに言葉を弾ませる。
どうやら無邪気で愛らしいキリカは、京一の両親に随分と好かれたらしく、晩ご飯中、ずっとキリカを初孫のように愛でていた。キリカもキリカで、その愛される雰囲気を気に入ったのか、ご機嫌そうに振る舞っていた。
「けいいちっ、これうまっ」
「わかったよ。なんべんも言うな。ていうか俺に言ってどうする」
嘆息しながら、そう返した。
そしてちらりとはす向かいに座っていた父に目をやると、父もいつになく表情をやわらげて楽しそうにその光景を見ていた。
久しく見ていない両親の幸せそうな顔に、京一は少しだけほっとする。こうして成り行きとは言え、キリカを連れて来てよかったのではないか、と安息する。
「ところでその、キリカちゃんはどこの家の子なんだい? お父さんは? お母さんは?」
そうキリカに尋ねながら、父――左京が京一に視線を飛ばす。
当然の疑問だ。見も知らぬ子供に、その身元を尋ねない大人はいない。
「いろいろ、事情があるんだよ。知り合いの子供だ。大丈夫、すぐに返す……何だよその目は。別に誘拐もしてねえし、無理矢理連れて来たわけでもない」
「いや、それを疑ったわけではないが……」
どうだか、と京一は心の中でぼやいた。
父の目は、あからさまに京一を疑っているようだった。いつものように。自分の息子を、理解しきれていない。これが京一と父、いや両親との現状の関係だった。
「とにかく、訳ありなんだよ。わかった。今日一晩だけ泊めたら、明日にはなんとかするから」
その空気に耐えられなかったのか、京一は立ちあがりリビングを後にしようとする。
逃げるように。隠れるように。
「京一くん。その、わかったわ。何も言わないから、ね?」
ね、何なのだろう。その後に続く言葉は? 京一は推測する。
何も言わないから怒らないで欲しいのか。避けないで欲しいのか。黙ってて欲しいのか。
よくわからない。
京一には、両親が驚く程に、わからなかった。今も今までも。そしてこれからも。
京一は黙ってリビングを出、階段に足をかける。
「けいいちっ」
すると後ろからキリカが追い掛けるようにリビングを飛び出てくる。口の周りがカレーでべとべとに汚れている。
「もう少し親父たちと一緒にいればいい。別に俺は逃げやしないぞ」
「やっ」
ぶるぶると首を大きく振り、キリカは京一に駆け寄った。そして同じように京一の脚にしがみつき、懇願する小動物のように京一を見つめ上げた。
「はあ。そら、行くぞ」
京一はキリカを抱き上げ、二階へと昇った。そして一番奥にある自室へと入った。
「くさっ」
「うるさい。嫌なら出てけ」
京一がキリカを床に下ろすと、キリカは物珍しそうに部屋を見回した。
「おーへんなのっ」
「だからお前が言うな。異世界人」
なんとなく、京一はそう言ってみる。
そうだ。この少女は今でこそ京一のシャツをパジャマ替わりに着用しているが、異世界人なのだった。それを思いだす。
そして自分は命からがら異世界人から逃げてきたのだった。
「……あほらし」
京一は何度目かの嘆息をする。
酷く馬鹿馬鹿しい。今思えばそんな出来事だった。
いや、出来事自体は、殺されかけたのだから、馬鹿馬鹿しくはない。人生で一番の危機だったに違いない。
だがしかし、ブラウという異世界人の話が、酷く馬鹿馬鹿しい。あれは夢だったのではないか。自分は悪い夢でも見ていたのではないか。家に帰って落ち着くと、そう思えてしまう。
もしかしなくても、明日には、この白髪の少女の両親が普通に彼女を迎えにくるかもしれない。いや、眠って目を開ければ、彼女は既にそこにいないかもしれない。
全ては、幻想だったと。
自分の願いが生み出した、質の悪い幻想だったと、そんな風に。
「ぐえっ、なんだこれっ」
少女のそのうめき声にはっとして顔を上げ、京一はテレビを見た。キリカはリモコンを物珍しそうに触り、突如として映し出された映像にひどく感心しているようだった。
テレビでは丁度、先日行われていた、アンバサダーによる祭典、『天下騒乱冬の陣! 全員集合だ!』(日本観光協会命名)の、録画特別編集版が放映されていた。
つい先日生中継をしたばかりなのに、数日後の今、もう録画総集編を放送し、しかもそれがゴールデンタイムに四時間もの長時間放送をしているのだから、ユニゲーというものがこの国でどれほど人気であるかを計り知れるだろう。こういった祭典は毎回パッケージ化され、しかもその特典としてアンバサダーたちの裏側をメインに撮った特典が入っている。一枚一万もするほどのその作品が、しかし毎度数十万枚の売り上げを記録するのだから、恐ろしい。デジタル配信版を含めれば、トータル販売数数百万はくだらない。まさに化け物コンテンツと言えよう。
今現在、画面の中では様々なコスプレをしたアンバサダー達が、自分達の地元のPRを賭けていくつもの勝負に挑戦していた。一見アイドルのお遊び運動会のように見えるが、その動きは洗練されており、人離れした動きで次々とイベントをこなしていく。
それは一重に彼ら彼女らの秀でた身体能力以上に、【ユビキタススーツ】に搭載されている通称【UTシステム】、正式名称は【Ubiquitous Transforming System】――端的に言うならば、いつでもどこでも記録内臓した衣装に変身できる、未来のようなシステム――のおかげである。これらシステムを開発し運用する会社は数年前に突如として頭角を現したベンチャー企業で、その会社の社長名、社員数から本社の住所まで、何から何までブラックボックスに隠されている――らしい。
京一もよく知らないのだ。まだタッチパネルのタブレット端末で皆が動画を見、文字を打ち、ゲームをしていた時代に、急に次世代技術として登場した。それはあまりにも突然で、マスコミは恥も外聞もなく、それら未来を先取りしかのようなシステムを、オーバーテクノロジーと呼んだ。要は全く理解できていないのだ。誰も。
テレビ番組はこの【UTシステム】をこぞって取り上げ、海外は技術大国日本の復活だと騒いだ。しかしこのシステムを開発した会社はこれを完全に独占、ブラックボックス化し、他のいかなる者の流用も拒絶した。
現在この未来技術は、日本のアンバサダーという存在のためにしか利用されておらず、一般には普及していない。
だから知らない。それだけの話。
「あほだろ。こんなコスプレして危ないもん振り回して、何がユニゲーだ」
京一は実体験からそう愚痴をこぼす。
よくよく考えれば、アンバサダーには御当地アニメキャラを由縁に持つのもいて、あの青い髪の女は、そういった類いのアンバサダーに過ぎなかったのではないか。彼女のキャラも、語った内容も、全てアニメの設定に基づいているだけではないのか。そう思えてくる。
いや、そう思いたい。
「おー」
キリカが声を上げる。
テレビでは一人のアンバサダーがみるみる内に他のアンバサダー達をなぎ倒していき、障害物競走で一位になっていた。
「あいつ……」
見覚えのある女性が画面上を駆け抜ける。祝部釵。彼女のアンバサダーの由縁は、島子県を舞台にした神話、ヤマタノオロチ伝説に登場するクシナダノヒメだ。
彼女はアンバサダーの中でも一際注目を浴びており、なんちゃらと偉そうな名前の付いた剣を華麗に振り回したりして、カメラを独占していた。主にそのカメラは彼女の下半身を集中して映していたが。
彼女はその可愛らしい見た目に合わないぶっきらぼうな表情で表彰台の上に立っており、優勝した褒美として島子を宣伝するCMが流れ終わると、顔を真っ赤にいていた。
「ドMかよ」
冷たく言って、京一はテレビのチャンネルを変えた。
それに怒ったのはキリカだったが、次に映し出されたバラエティ番組を見た途端、瞬時にそちらに興味を奪われたようで、けらけらと笑いながらテレビに釘付けだった。
この少女を見ていると、つくづく不思議に思う。
あのブラウという女の言を信じるとして。
キリカは異世界から来た少女で、かつては京一の知らない世界で神々と戦い世界に平和をもたらした英雄の一人らしい。しかもその前にも別の世界にいたらしく、おそらくそこでも何かをしてきたのだろう。
だがしかしこんな子供が? 何のために? どうやって?
そんな疑問が湧いては尽きない。現状、京一は異世界というものの存在を認めてはいる。あってもいいだろう。それくらいには。
では彼女はここに何をしに来たのだろうか。それを知るはずの当の少女は記憶喪失だ。何の手がかりもない。もしかして遊びに来ただけでは? と思える程、少女には何の目的意識もなさそうだった。
「異世界は行くもんだろ……なんで来ちゃうかな」
言って京一は布団を被った。
今はもう何を考えてもまとまりそうもない。というか情報が少なすぎて、これ以上何も考えは進まない。ならば今は何も考えず寝て、時間の経過をみればいい。
そうすればまた、何かが起こるだろう。
彼女を取り巻く物語が、嫌でも京一を巻き込むだろう。
だから考えるのはそうなった時でいい。京一はそう思って、眠りについた。
「けいいちっ! うんこ!」
「やかましい!」




