顔だけ極悪人な俺はピンチになります。
人間を構成するもののほとんどが水分であると言われている。
だがそれは間違いであると主張したい。
人間は確かに体の六十~七十%が水分で構成されている。
だがそれは物理的なことであって精神的なことが一切加味されていない。
もし精神的なことを含めて人間を構成するもののほとんどはなんだと問われれば間違いなくこう答えるだろう。
それは煩悩であると。
煩悩は一言で表すと人間の持っている欲そのものである。
それは誰しもが持っており例外なくその人の心をかきみだす。
例えばこういった失敗経験はないだろうか。
あらかじめ授業で使う教科書を忘れておき、隣の席の人に借りることで話すきっかけを作り友達になろうとしたがそもそも貸して貰えなかったという経験が。
そう、そもそもその失敗は友達が欲しいという煩悩が悪いのだ。
友達が欲しいという煩悩がなければ教科書を忘れることはなかっただろう。
クラスの人と自然と話せるようになりたい、友達が欲しいという煩悩が精神に作用して教科書を忘れさせる。
友達が欲しいと思った時点で既に手のひらの上で踊らされていたのだ。
煩悩恐るべしである。
つまり何が言いたいのかというと、教科書を忘れた俺は何も悪くないということである。
現在二限目後の休み時間である。
次の授業の準備をしようとしているときに教科書を忘れたことに気づいた。
まさか無意識のうちに友達を求めていたとは……一度スクールカウンセリングに行ってみようかと真剣に検討する。
だが今の俺にはスクールカウンセリングの前に最優先でやるべきことがある。
そうそれは次の授業の教科書の確保だ。
次の授業は英語であり、毎回誰かが今回学ぶ範囲の英文を読むことになっている。
そして順番的に次英文を読むことになっているのは俺だ。
だったら教科書を忘れたのは事実なので素直に忘れました! と堂々と報告して謝れば良いのではないかと思う人もいるだろう。
俺も普通の先生だったら謝って免れることも出来た。
だが、次の授業で来る先生は一味違う。
その先生は通称、カシコウの魔人◯ウと呼ばれており、その優しい魔人◯ウのような見た目とは裏腹に誰もが震え上がる無茶振りを平然と、淡々と、微笑みながらしてくるのだ。
直接は見ていないが、数ヵ月前とある二年生の男子生徒がタイミング悪く英文を読む日に教科書を忘れてしまい、その人の無茶振りを受け全治二週間の心の傷を負ったらしい。
全治二週間……言い換えれば半月である。
完全な回復まで半月もかかる心の傷…………想像するだけで寒気がする。
俺は残り八分でどう教科書を確保するかを考える。
少し考えた時点で三つの方法が浮かんだ。
まず一つ目の方法は家まで取りに行く。
これは流石に時間に間に合わないだろう。
二つ目は資料準備室にある教科書を少々拝借する。
これは実現可能であるがバレるリスクがある。
それに誰にも見つからず、目的の教科書を探しだすのは至難の技であろう。
では最後の三つ目、誰かに借りる。
もしかしたらこれが一番実現困難かもしれない。
俺が近くを通るだけで避けられてしまうから、借りようもないのである。
俺は頼みの綱であった三つの方法の全てが実現出来そうにないものであることに心の底から絶望した。
一体今日俺はどうなってしまうんだとこれから起こるであろうことに一人恐怖する。
絶望の底に沈みかけたそのとき、俺はある人物が頭に浮かんだ。
いる、いるじゃないか! 教科書を貸してくれそうな人が! と勢い良く自分の席を立つ。
周りの人が少しビクッとなったがこの際気にしていられない。
俺は教科書を借りに教室を飛び出した。
「で、私のところまで借りに来たと」
「そういうことですね、はい……」
「わかったわよ。ちょっと待ってて……」
そう言い残して教科書を取りに行った彼女は田中詩織である。
田中さんとは入学式後から話すようになり、今のように友達(仮)のような関係に至るまでにはそう長い時間はかからなかった。
田中さんの『田中病』は初めこそ皆に混乱を与えていたが、今ではすっかり定着し、聞く人が聞けば田中という音のニュアンスの違いでどこの誰のことかを判別することが出来るほど受け入れられている。
「……田中くん。これよね?」
目的のものを見つけたらしい田中さんはこちらまで早足で歩き、確認をとった。
「そうそう、英語の教科書……田中さんありがとう!」
俺は自分の窮地を救ってくれた田中さんに感謝をし、急いで教室まで戻った。
「とりあえず、借りることが出来て良かった……」
自分の教室まで戻り、席についた俺は一人安堵する。
後は授業が始まるのを待つだけである。
俺の周りでは昨日のドラマや近頃人気のオンラインゲームの話などで盛り上がっていた。
まったく授業前の休み時間は次の授業の準備のための時間だろうに全くうらやま…………けしからんことこの上ないと周りの人達を心の中で叱った。
そう決して、全くもって、これっぽっちも羨ましくなどはない。
そうこう考えているうちに授業が始まろうとしていた。
「さっそくだが、授業始める。とその前に前回伝えたように今日の授業はこっちを使うぞ、用意してきたか?」
俺は表面上では冷静を装っていたが内心では……。
今何て? 今日の授業は何て? 嘘だろ? とかなり焦っていた。
「さっそくだがまずは英文を読んでもらおう。えーと四ページを開け」
俺は失念していた。
英語の授業には英語の文法を主に学ぶ英語表現というのと英会話を学ぶコミュニケーション英語があったことを……。
俺はてっきり前回までコミュニケーション英語だったので今回もそうだろうと思っていた。
現実は甘くはないようで今回は英語表現の方だったみたいだ。
殴りたい……ついさっきまで自分やり遂げましたけど? といいそうな顔にメガネをクイッと上げそうな雰囲気まで醸し出していた自分を殴りたい。
何がメガネをクイッだ。そもそもメガネかけてねーじゃねーか。
「今日英文読むの誰だっけ? ちょっと待ってな……」
どうする? この状況? これは絶体絶命で八方塞がりの万事休すの状態だぞ。
「次読むのは……佐藤、佐藤はいるか?」
遂に来てしまった。
こうなってはもう逃げられない、諦めて正直に白状するとしよう。
今までありがとう父さん、母さん、柚子……。これからも幸せに暮らしてくれ……アーメン……と俺は最後にそう言い残して死地に赴いた。
目を覚ますと視界には白い天井が広がっていた。
どうやらここは保健室であるようだ。
時計を見てみると短い針は十二を指している。
どうやら一時間程眠っていたらしい。
俺は乗りきったのだ……あの地獄の時間から……。
俺はあのとき先生に呼ばれた後に正直に教科書を忘れたことを伝えた。
すると先生はニヤリと口の端に笑みを浮かべてこう言ったのだ。
『英文読めないんじゃ仕方ないな。だがこれでは他の生徒に示しがつかないから、何かコントを披露してくれや』と。
おかしい。他の生徒に示しがつかないから何かをさせるところまでは分かる……だが、示しのつけかたがコントってどういうことであろうか? ここはお笑い芸人を育成する学校だったのだろうか。そう疑問に思っていると。
『まぁやらないんだったら仕方ないな、示しをつけられないとなれば……英語の成績を……』
と俺の英語の成績を人質にしてきたので。
『やらせてください!』
俺はあのときそう答えることしか出来なかった。
そして俺は微妙な空気が流れる中、テ◯&◯モのネタを全力で披露したのである。
そこで現実に思考を引き戻した。
俺は思った……。
俺がこのネタを選んだのはなんでだろう、と。
それと同時にこうも思った。
俺に関する記憶と俺自身が消えないのなんでだろう、と。
俺はこの辛い記憶から逃げるようにもう一度眠りについた。




