永久に眠りし戦巫女・一
屋敷内部―――
「何にもないな、この屋敷……」
薄汚れた門をくぐり、これまた掃除の行き届いていない屋敷内に入る。
カビ臭い空気と、焦げ臭い空気が交じり合ったそれは目眩がするほど不快であった。
廊下はがらんとしていて殺風景であり、まるで誰も住んでいないかのような不気味な趣を醸し出している。
「全部、盗まれたのか……あの短時間に?」
壊れた棚、その中身はなく。
そこだけ日に焼けていない壁は何かがかけられていた証拠であるが、今は何もない。
この屋敷は賊が襲撃する以前に死んでいたのだろう。
屋敷を守らんとした家臣の存在すら、そこには感じ取れない。
*****
そうこうするうちに奥の座敷で当主と思われる老人が見つかった。
首と胴を切り離されたそれは、生きているとはとても思えない。
不死身とうそぶくカイトだって首を斬られれば死ぬ。
不死身のカイトを殺す手段の一つ、それはバラバラにすること。
まるでどこぞのスライムのようだが、体積が小さくなると生命維持に支障が出てくる。
頭だけだと体全体の約七分の一、それでは生命は維持できない。
身体は生き続けるが、頭が死滅した以上、それは死んでいるのと変わらない。
「ま、生きているわけがないか……うん、半分燃えていていても、特に問題はないな」
その首切り死体は半ば炭になっていた。
火がここまで来ていたのだろう。
カイトが放った魔術の炎、水でも消えないそれをカイトは戦闘に夢中で解くのを忘れていた。
戦闘が終わり、はたっと気付いて術は解いたが完全に鎮火した時には屋敷は半ば焼け落ちていたのだ。
「さすがに何か埋め合わせがないと怒られるかもな……何かないか、高そうな物」
躊躇せずに火事場泥棒?……しかも放火犯は自分、に走るカイト。
だがここに物はない。
むしろ箒と塵取り、雑巾とカビキラー、綿棒とコロコロと古新聞が欲しいくらいだ。
しかし何か行動を起こせば何かが起こるもの。
諦めかけた時、床下……焼けて崩れた床の下に何かが布にくるまっているのをカイトは発見した。
幾何学模様の赤い布にくるまれたそれを床下から引きずり出し、ゆっくりと布をほどいていく。
「顔……?」
布をほどいたことにより露出した一部は顔のようだった。
先のローレンツの死に顔、あれも無残なミイラだったが、それ以上だ。
枯れ枯れになった正真正銘、本家本元のミイラ。
マッチ一本で燃えそうなその干からびた死体には、無論……生前の顔など分からない。
分からないが……目から一本の細い細い線が頬に伸びていた。
「涙の……跡」
「この子は」随分泣いたらしい。
死体の跡に残るくらい。
死にたくはなかったのだろう、こんな目に合いたくはなかったのだろう。
泣いて泣いて、そして降ろされる無慈悲な判決。
「髪が長い……女の子か?」
カイトの枯草のような白髪よりも、なおもか細い、申し訳程度の白髪は胸まで伸びている。
このミイラは多分、女の子。
布の上から図った身長は百三十センチにも届かない。
小さい、小さい……女の子だった。
「何をやっているのです?」
カイトが振り向くと、そこにはいつの間にか黒頭巾が立っていた。
カイトには彼がこの部屋にやって来たことを感知できなかった。
カイトが今は及ばぬ相手、そしてそれはカイトがいずれ戦いたいと思う相手でもあった。
「遅かったな、ギルドマスター」
「その役職で今は呼ばないでください、今の私は黒頭巾ですよ」
黒頭巾を被ったヒゲ、来栖と名乗る男が現れた。
彼が現れたということは、今回の作戦が終わったと言うことだ。
奇妙なことだが、此度の賊の襲撃……公の元となれば、罰せられるのはローレンツら襲撃者ではなく、それに抗ったカイト達なのだ。
カイトら日本人……ではなく和人は敗者。
それは勝者に逆らってはいけない存在なのだ。
「賊どもの口を封じ終わりました、もうじき教会の兵がやってくるでしょう……逃げますよ」
「おお……とっととずらかるか」
カイトは布に包まれたミイラを抱えて逃げる算段に移る。
無論、来栖はそのミイラを見とがめた。
だがそれは何だと誰何するより先に、来栖はその正体を言い当てる。
むしろ見つけたカイトよりも、その物を来栖は知っていたのである。
「珍しい……遅裁刑を受けた罪人じゃないですか」
「チュー……なんだ?」
首をかしげるカイトに、しかし来栖は応えずにひとまずここを離れるよう合図する。
ここで長々と説明をしている時間はないと、カイトもまた理解していた。
「表玄関に十字架が見えました……いかが致しましょう」
「恐らく、裏門にも兵が回っているでしょう、幸いにもカイトが屋敷を焼いたおかげで抜け道はいくらでもあります、では……」
「はっ……」
黒い集団が来栖の命を受けて速やかに退散する。
それにカイトも続いた。半焼したこの武家屋敷に十字架を掲げる教会の兵が到着した時、そこには誰もなく。
ただ同胞たる司祭ローレンツの干からびた老衰死体があるばかりだった。
*****
「黒髪黒目の十六歳、女、家内奴隷、十万クロイツァーでどうだ」
「異世界人の血が八分の一も入った男、戦用……五十、早い者勝ちだよ!!」
カイトらが裏通りを抜けて行く中、表通りから威勢のいい声が聞こえてくる。
その声を聞き、黒頭巾らの何人かが嗚咽を漏らした。
ここは奴隷市、並べられているのは大半が黒髪黒目の日本人系。
彼らは異世界人と、その混血、「和人」と呼ばれる人種だ。
(とんでもない世界に召喚されたもんだぜ……ま、いいけどさ)
召喚時点で強大な力を与えられ、現代日本の高度な文明をもたらした異世界人。
彼らは導く者として、この世界で崇められていた。
だがどういうわけか。
今、彼らは鎖に繋がれている。