雨中の魔術士・三
屋敷前・炎上中―――
紅蓮の炎は放った張本人たるカイトの意思を汲んでか、雨の中なおも勢いを増して武家屋敷の裏手を焼き焦がしていく。
木の焼けるいい匂い。
それはカイトが好む炎の香り。
現代日本で自分がどのような生活をしていたか、カイトはよく思い出せない。
放火犯?
だがそれは現時点では意味のないこと。
カイトの目的は敵を倒すこと。
否、強い敵と戦う事。
燃え盛る炎が遊ぶ裏手門……そこにカイトの姿は既にない。
賊どもは逃げる、炎と逆の表門へと。
結論から言えば……炎を恐れず、炎に挑み、裏手門から逃げた賊は助かったであろう。
カイトはここにはいない。
カイトは……表門にあり。
*****
表門―――
「抜けよ……剣を抜く時間ぐらいはやるぜ」
「Fuck you Jap!!(何を……そこをどけ、和人が!!)」
武家屋敷の正面、正門近くの岩にカイトは座り込んでいた。
無論、屋敷から逃げてくる賊どもと戦うためだ。
裏門に火をつけて彼らを誘ったのは他にも理由があったはずだが、もう思い出せない。
カイトは異世界人、召喚され、目が覚めた時……一番に言われたことは
「改造に失敗しました」の一言。
そのせいか、彼は現代日本での記憶の大半を失っていた。
言葉は分かる。
常識も覚えている。
だが思い出がない。
学校の出来事も。
両親の顔も。
自分の事さえ思い出せない。
「ファイアー、ファイアー!!」
だがそれはさておき、なぜ異世界なんて訳の分からない場所に行こうとしたのか。
現代日本と比べて、異世界が過ごしやすそうな場所とはとても思えない。
それをカイトはポンコツ半分の頭で考え、考えたあげく、答えを出した。
「この肉の焼ける匂い……たまんねえな!!」
カイトは魔術を編み、次々と炎弾を放っていく。
愉しい。
ゲームのキャラではない……本物の、生身の人間が自分の力でバタバタと斃れていくのだ。
ふと見ると肩に矢がかすったのか、深い裂傷が刻まれており、ジクジクとした痛みと、何よりも運が悪ければ殺されていたかもしれないという、とんでもないスリルが背筋をゾクゾクさせる。
俺は多分、こんな気持ちを味わうために異世界に来たんだ……出なければ、こんなに戦いが面白い訳がない。
「Bastard !!(お前は俺が殺したは、ず、あぁぁぁ!!)」
「Kill more kill !!(殺せ、ぶっ殺せ!!)」
「Damn it Fail to fire ……Kill it nutz!!(後ろは炎だ、どこに逃げる……目の前のあのいかれ仮面をどうにかしろ!!)」
賊どもは何の抵抗もできずに焼かれ、斃れ、要領のいい者はなんとか逃げ、あるいは死んだ振りをしてカイトの炎術を避けた。
彼らの大半が武家屋敷から略奪した物品で懐を重くしており、動きが鈍く、とても戦えるものではなかった。
故にカイトの餌食となったのだが、当初の目的を忘れているカイトはそれが不満だった。
彼は手強い敵と戦いたいのだ。
一方的な虐殺などつまらない。
事実、逃げたり隠れたりする賊はそのまま見逃している。
「おいおい、こんな奴らばかりなんて聞いてねえぞ……あのヒゲ、これじゃあ、ん?」
魔術を放ち続けたカイトがすっと、まるで電池が切れた玩具のように膝を落とす。
あれ……力が入らねえ。
そう言えば、俺の身体をいじくった奴が言ってたっけか。
魔導書を失えば、力は尽きる……だっけ?
「さすがに、このくらい撃てば力も尽きますか?」
カイトの目の前に、薄気味悪いほど朗らかな笑みを浮かべたヒラヒラとした服を着た金髪の白人が立っていた。
賊と同じ白人、ただ流暢な日本語を話すことだけが違う。
だがそんな事よりもカイトは男の両側に関心が向く。
その男は自分と同じくらいの体格の男を二人。
つまりは自分と同じ体重の男を二人、両手で鷲掴みしていた。
掴まれた男は焼け焦げている。
すなわち、この男……司祭ローレンツは二人の男を盾にしてカイトの炎を防いだのだった。
「仲間を盾にするなんてひどい奴だな」
「仲間ではありませんよ……これは敗北者です」
そしてローレンツは盾にした男をゴミでも捨てるように放り投げた。
地面に激突したその二人はクシャとまるで中身が入っていないような軽い音を立てて砕け、少しばかりの赤い血を噴出させる。
爆ぜた男らは日本人っぽい顔立ちをしていた。
ローレンツのような白人ではない。
だが男二人はローレンツと同じように懐が膨らんでいた。
斃れた彼ら二人から零れ落ちる大判小判、そしてお椀のようなものは茶器か。
彼らは略奪者……主がいなくなった屋敷に噛り付いた賊どもだった。
「略奪仲間だろう……それとも、お前に寝返った裏切り者か?」
「言動とは裏腹に意外と目ざといのですね……」
少しだけ感心したようにローレンツがふむふむと腕を組む。
よく見るとローレンツの服の各所は焼け焦げ、肌が見えていた。
だが覗いている肌は剥いた卵のように綺麗な物。
それでカイトは気付いた。
カイトだからこそ気付いた……ローレンツもまた人の肉体ではないことを。
「いいね、いいね……倒しがいのある敵だな」
「倒しがい……舐められたものですね」
魔術を行使するべく、カイトは身体に呼びかける。
目まいと動悸……消えつつある意識から自らの消耗を感じ取るカイト。
それでも戦意を失わないカイトに、しかしローレンツははっきりと侮蔑を浮かべていた。
カイトの消耗を、彼は見抜いていたのだ。
「貴方……力が枯渇しつつありますね、分かります」
「……」
「詠唱もなく連続して魔術を放てることは素晴らしい能力だと思いますが……少し考え無しに行使しすぎましたね」
「……何をする気だ?」
ローレンツが手を振ると、カイトがとどめを刺さず、そのせいで生き残っていた賊どもが一斉に立ち上がる。
彼らは斃れている者たち……否、死体だけではない、まだ息のある瀕死な仲間すらも抱え上げてローレンツの元へと引きずっていく。
次々と並べられる男たち、そう盾だ、彼らはカイトの炎よりローレンツを守る使い捨ての盾なのだ。
「貴方の炎は盾で防げる、そして私の攻撃を……」
ローレンツが何事か呪文を唱えると、彼の服から勢いよく白い布が飛び出し、死体の一つに絡みつく。
何重にも、何重にも布が巻き付いたその死体は遠目にはもう細長い何物か、まるで投擲用の槍のようだった。
「貴方は防げない」
ローレンツは穏やかな笑みを浮かべた。
泣く子も泣き止むような穏やか笑みを浮かべた。
「絶対の防御と、遠距離からの攻撃……これこそ我が最良の戦法……貴方がたの言葉でそう……」
「矛盾だな」
「違います、まあ細かいことはいいでしょう……つまり貴方は私に勝てないということです」
ローレンツの自信満々な態度に、だがカイトの心はどこまでも冷めていく。
なんだよそりゃ。
安全なところから攻撃……絶対防御。
そんな一方的な戦いなどつまらないじゃねえか、同時に……そんなつまらない戦法を取る奴を倒しても面白くない。
スリルがない、興奮がない……面白くない。
「ああ、もう……今日は大外れだ、もういい終わりにしてやる!!」
「Fresverg……」
カイトの口から呪文が零れ落ちる。
その旋律、韻……この中の誰もが理解できない。
カイトは己が知らず、されど頭に流れゆく言霊を紡ぎ始めた。
それはカイトの主を、カイトの本体を呼び覚ます禁断の呪文。
(俺はただのゲームプレイヤー……ただ遊んで、遊ぶだけ、仕事をするのは別な奴だ)
「何を……!!」
ローレンツが彼の術によって槍と変えた人……今や布にくるまれて槍と化した死体。
それがゆっくりと熱を放ち、赤い光に包まれる。
もし仮にカイトが持っていた魔導書を賊が盗まなければ。
その賊がカイトの炎術で重傷を負わなければ。
そして魔導書を懐にいれたままローレンツの槍に変えられなければ……こうはならなかった。
白熱する槍は獄炎と化し、「槍」は孵化するように内側から弾ける。
「起きろ……フレスヴェルグ」
カイトの呼び声に応えそしてその姿を現した紅の鳥が、目の前の……ローレンツの名を持つ悪逆無道な賊を焼き滅ぼす。