雨中の魔術士・一
屋敷前・深夜―――
街路に撫でるような霧雨が満ちていた。
まるで思い出したように小雨がその霧雨を払い……静かな空間は、その調和を乱すことはない。
これが童ならば、たまの恵みとして喜び、外を駆けまわり、存分に水分を吸収するだろう。
成人した者でさえ、稀なる自然の妙に、素朴な美しさを見出すかも知れない。
だがそれは同時に闇にうごめく者どもの挙動をも隠す。
その霧雨は、美しい面ばかりを映すわけではないのだ。
例えば「彼」を射殺さんとした刺客の存在をも雨は覆ってしまった。
「……?」
聞こえた羽切音は刺客がクロス・ボウを放った故。
続く鈍い音は彼の胸を矢が貫通したためであった。
頽れる彼の姿を確認して刺客はゆっくりと暗がりから姿を現す。
「I,m winner(俺の勝ちだ)」
金髪の青年、年の頃は二十を少し超えた辺りか。
伸びに伸びた無精ひげが彼の外観年齢を少しばかり上げていた。
青年は手を上にあげ、屋敷近くの大木の上にて待機する仲間に合図を送る。
こちら側の警護の兵は殺した……。
そして仲間から合図が飛んでくる。
向こうも片付けた突入するぞ……。
「O.K(了解)」
青年は念のために手に持つクロス・ボウの歯車を動かして次弾を装填するとそれを放つことなく背負い、代わりに腰にかけていた鞘から一振りの剣を引き抜いた。
長さは約50センチほど、両刃のその剣はカトラスだ。
短い刀身は室内で戦闘するのに適した武器。
目の前のやや古びた日本家屋を襲うにはうってつけの得物だった。
「Jap……Kill take something(和人から殺して奪え)……?」
今まさに邸内に侵入しようとした金髪の白人がふと下を見ると、分厚い本が目に入った。
四隅を鉄で補強した皮の装丁……中身がどうであれそれだけでも一財産だ。
表に描かれた精緻な鳥を模した紋章を見るにもしかすると魔導書。
売り飛ばせば運が良ければ数年くらいは遊んで暮らせるかもしれない。
「……」
青年は唾を飲みこんだ。
こんな重そうな本、戦闘には邪魔だし、うっかり壊してしまっては売ることができない。
だが、略奪は基本的に早い者勝ち、後で最低限の分け前が貰えるとはいえ早い者勝ちなのだ、高額な物品は先を越されないよう、自分で持っているに限る。
しばしの思考の末、青年はその本を持っていくことにした。
一瞬、その本が光り輝いたような気がした。
気がしただけなのだが、それが気のせいでないのだとしたら、いよいよこれは本物の魔導書だ。
今日はついてるぜ。
心から漏れ出す笑いをかみ殺し、青年はカトラス片手に邸宅へとのっそりと消えていった。
*****
雨が強くなる。
霧雨は叩きつけるような強い雨に代わり、まるで賊どもの襲撃を露見させないよう協力しているかのようだった。
無論、そんなことはない。
天候を操るような強大な力……異世界から召喚された者でもない限り、そんな力は振るえない。
異世界人……主に日本という異界より召喚される稀人達。
だが実のところ、そのような外来者はそれほど珍しくはないのだ。
むしろこの世界は異世界人の力で成り立っていると言っても過言ではない。
だから彼らは国の中枢に囲われており、こんな寂れた郊外になどいようがはずがない。
そう……いるはずがなかったのだ。
「痛ぇ……痛すぎだぜ、いたいいたいいたいたい……ああ、もう痛みをなくすくらいチートでなんとかしてくれよ!!」
雨に濡れながら喚き散らす者は、先程矢で胸を射られた「彼」であった。
突き立った矢が身体を苛むのか、さかんに痛みを訴えるが、それがあまりに素直な訴えのためか、のたうち回るその姿に無様という印象はない。
それ以前に……仮にこの場に他者がいたとして、その者は無様かどうかなどと言う些末事を気に掛けたりはしないだろう。
心臓の辺りに矢が突き刺さっているのだ。
普通なら、間違いなく致命傷のはずだが……どういうわけか胸から噴出する血はいつの間にか止まっている。
彼は……死んではいない。
「っ……!!」
しばしの間、痛みでのた打ち回る「死なない男」。
どれくらいの時間が過ぎたか……あるいは胸に突き立つ矢がどこかに引っかかったのかもしれない。
矢はぬるりと怖気が走るような音を立てて身体から引き抜かれる。
それでようやく……彼は立ち上がることができたのだ。
「へぇ……やっぱり不死身なんだな」
血で染まる胸をベタベタと触りながら彼は己の身体……そして能力を検分しにかかった。
心臓を串刺し……その傷が既に癒えているとは異常な再生力である。
彼は自身の異常を驚くどころか、むしろ誇らしげな笑みを浮かべた。
「ま、心臓がないんだから、胸を貫かれても死なねえか」
彼の名前は秋音……異世界、現代日本より召喚されし異世界人である。
異世界人はこの世界に召喚されると同時に強大なる力を得る……その異常な再生力もある意味では当然の事なのだ。
「あれ、魔導書はどこ行った……? あれがないと俺はまずいんだけどな……悲鳴?」
あらかた体の確認を終えた後。
カイトはようやく自分が命令された事柄を思い出していた。
この邸宅の警護。
そういえば、正気に戻るまでにどのくらい時間を費やしてしまったのか。
邸内の騒々しさに言いようのない焦りを今更ながら感じていた。
「しまった、出遅れた……俺が相手する敵が残ってるんだろうな」
任務失敗の危機よりも、己と死合う相手の不在こそが恐れ。
彼は急ぐ、戦うべき相手を……己が愉しみを逃さぬように。
科せられた任務は、再び頭から抜け落ちかけていた。