最近の若者はむにゃむにゃ
日曜日といえど、遅い時間になると、客足は一気に引いていく。みんな翌日の仕事に備えて、そうそうと帰路につく。
二十二時を過ぎて徐々に閑散としてくる店内をみて、唐木はホールのスタッフに声をかけた。
「だれか道で客引きしてきてくれ」
はい、とか、はいー、とか、うい、という返事が聞こえる。だがソワソワするばかりで動こうとする人間はいない。ただ互いの顔を見合わせる。だれがいくか目で合図し合っているのだろう。
おまえいけよ。いや、おまえこそいけよ。いやいや――気がのらないのだろう。
進んでやりたがる仕事ではないのでいたし方ないとも思うが、こうも露骨な態度をとられるとあまり気持ちよくはなかった。
やりたいことだけできるほど、お仕事は甘くない。仕事のほとんどは気の進まないものだ。我慢してこなしているうちに、やっとやりたい仕事や楽しい仕事が舞い降りる。それではじめてやりがいを感じることができる。
いやな仕事が八割。楽しい仕事が二割。唐木はコンビニといまの居酒屋のアルバイトくらいしか仕事の経験がないが、おそらくどの業界も似たようなものだろう。
そもそも仕事はつまらないものだ。だけど、一生懸命にやる。全力で取り組む。それが大人なのだろう。仕事の楽しさとは、気の進まないタスクからじぶんなりのおもしろみをみつけだすことなのであって、ただ漫然と働くことしかできない輩に得ることができる代物ではない。
そんな当たりまえの前提とすら理解していないワカモノをみると、正直、むかっ腹がたつ。
ああ、そうだ。このまえ、夏子に居酒屋で散々っぱら愚痴ったな。迷惑かけちまったなあ。
なのに、またおなじような憤りを覚えてしまった。よくない。俺はなんどおなじことを繰り返すのだ。
おまえらなあ、と注意しようとしたときである。キッチンにお客からの細かい注文を通していた夏子が、
「いいよ、あたしがいくよ」
と答えた。そのあまりにあっさりとした態度は、そっけなさすらも感じさせた。
ホールスタッフたちが再び顔を見合わせる。
――やばいよ。
表情がそう物語っていた。ベテランにいかせるわけにはいかないという常識が彼女たち(ホールのほとんどが女性スタッフである)のあいだにも働いたのだろう。さすがにそこまで常識に無頓着ではなかったようだ。安心した。と同時にじぶんにあきれた。ほとほと低く設定した評価の基準を無意識に採用しているじぶんに気づいたからだ。
唐木はおもわず苦笑いを浮かべる。最初から期待していないとまではいわないが、それに近しい諦念に感情を抱いてるのもまた事実。
高いレベルとパフォーマンスを求めすぎると、対応できない子たちが脱落してしまうかも。
そんなことにまで意識がまわるようになったのは、あの日、あのときの夏子の言葉のおかげだ。なんだかんだで夏子には世話になってばかりだ。
いまだって夏子に助けられたようなものだ。ベテランである唐木の面子をつぶさないために、わざわざめんどうな役割を買ってでたのだろう。まあ、もしかすると、夏子は夏子なりにフロアのスタッフに憤りを感じていて、それがちょっぴり爆発しただけかもしれないが。
そんな風に思考に埋没した唐木を現実に引き戻したのは、彼女たちの遠慮がちでおそるおそるな声だった。口々に、いやわたしがいきますよ、などといっている。申し訳なさを感じてはいるようだ。
が、夏子は、
「なら、最初から名のりでな。なのにウジウジ、ウジウジ。そんなやつらに仕事を任せられないね」
とはき捨て、いっこうに取り合わない。
怖い。唐木ですらそう思うのだから、ほかの若手スタッフからするとなにをかいわんやである。
推測はあたっていた。というか、超えている。夏子はかなり怒っている。声音から一発でそれが伝わった。夏子からは滅多に聞くことのできない音域の声だ。
気まずい空気が店内を流れる。
キッチンのスタッフも、なにごとかという視線をこちらにむける。
夏子はどこ吹く風で、いちど事務所に入り、看板を手にして戻ってきた。
「なにもおまえがいくことは――」
唐木がいわなければ、だれも止めそうにないので、やむをえずいう。
「聞いてたろ。あんたがこのまえ愚痴ってたことさ。なめた空気が流れてんのさ」
あたしは、あんたほど厳しくできないからね、と夏子はいい、
「皮肉じゃないよ。あんたが正しかった気すらしてきた」
と皮肉っぽく笑ってみせた。
なにもいい返せず、唐木は無言で階段を下りていく夏子を見つめるだけだった。
唐木たちの店は、雑居ビルの五階にあった。看板をもっているのだからエレベーターを使ってもいいとは思うが、そうしなかったのは、夏子なりのプロ根性からなのだろう。お客様が使うエレベーターは使わない。殊勝というか完璧主義というか、夏子らしい態度ではあった。
「ヤバいよ。怒られるかな」
ひそひそ声で心配そうに漏らすのは、最近入った女子大生のスタッフだった。たしかまだ十代だ。おなじ大学に通うスタッフにいっていたようだ。たしかふたりは大学の友人で、新人は友人の紹介でうちに入ってきたのだった。
「大丈夫だと思うぞ」
じぶんでもやけに平坦だと思う声で唐木はいった。
女子大生ふたりはパッと明るい表情になり、こちらをみた。ふたりともメイクが濃かった。ふだんはなんとも思わないのに、なぜかそれが鼻についた。
だからかはわからないが、さらに続けて唐木はいう。いや、夏子のように吐き捨てるといったほうが正しい声音だった。
ふたりして馴れない音域で、慣れないことをしている。
「夏子は優しいからな。俺なら、いますぐにやめさせるが」
彼女たちの表情が凍りついたことに気づいたが、唐木はあえてその後のフォローをしなかった。夏子への裏切りにあたるような気がしたからだ。