前口上(手記0)
アルバイトで使えないやつは、人間扱いされない。してもらえない。
どこにでもいるだろう。なにをやらせてもダメ。なんど教えてもダメ。使えない。いらない。見ていてイライラする。そういう輩のことを、
――要領がわるい、というそうだ。
(僕だ。僕のことだ)
アルバイトをはじめると、先輩に
「こいつ使えない」
と切られる。
だいたい、バイト当日に露見する。もって、三日がいいとこだ。
そういう情報が出回るのは、なぜかはやい。裏で、どんなことをいわれているのだろう。
そして、ほかのバイトの対応が目に見えて変わる。一段下にみられていることを肌で感じる。下等にみられる。見下される。周囲からの冷たい視線をひしひしと感じる。
たまに、それを表に出さない人もいる。親切なのか。そうではない。外面がいいだけだ。そういう輩にかぎって、あとでぼくが知らないところでおなじようなことを噂していたりする。なぜかそういう情報はまわり回って、もしかすると意図的なのかもしれないが、こちらに届く。時間差悪口である。そちらのほうが二倍傷つく。
――そんなこと、知りたくないのに。
つらくなってアルバイトを辞める。
バイトは内容よりも人間関係などというが、けっきょく、内容をまともにこなせないやつが、まともな人間関係を築けるはずなどないのである。
仕事をまともにできないやつは、人間として落第なのである。だれも一人前として扱ってくれない。半人前扱いというと、なんだか可愛がられているように聞こえるが、そうではない。だれもそんなやつと友好的な関係を築こうとしないのだ。その点を切り離すような言説など、まったくもって意味がない。寝言である。
要領がわるい。不器用。
ぼくという人間の本質は、けっきょくのところ、そのふたつに収斂されるのだろう。それを端的にいい現わす語彙が日本語には存在する。さすが「私」という意味の言葉ですら無数にある日本語といったところか。
――グズ。
クズではない。グズである。
漢字で書いたほうがわかりやすい。「屑」ではなく「愚図」なのだ。
性格のわるいクズでも、うまくやれば、それこそ要領よくやればそれなりの人生を歩める。が、グズはちがう。要領よくやろうとしても、そもそも要領がわるいからこそグズなのだから、うまくいかない。要領よくできるなら最初からグズではない。
社会はクズに寛容で、グズに厳しい。
現代社会では、要領がわるいというのは、致命的な欠点になりうる。
反対に、いわゆる「仕事ができるやつ」はつまり「要領がいいやつ」といい換えることができる。
コミュニケーション能力だ、協調性だ、クリエイティビティだ、問題解決能力だ、調整能力だとビジネスにおいて求められる能力はやたらと多いし、いま現在もビジネス書シーンであらたな用語が濫造されているが、つまるところ、それらすべては「要領がいい」という能力に帰結する。
ニンゲンリョクなどという定義のはっきりしていない曖昧模糊な言葉に頼るくらいなら、最初から「要領がいい」といえばいいものを、社会はなぜかそうしない。身も蓋もないからだろう。(要領がわるい人間にたいして)あまりに救いがないからだろう。社会はそうやってグロテスクな事実を隠ぺいする。オブラートに包む。
だからこそ、ぼくが筆をとったわけであるが――。
要領がいいやつは人生万事うまくいく。要領に恵まれない人間は、ほかにどんな長所があろうと、社会では評価されない。
不毛だと思う。不当だと思う。人間の価値をあまりに単純化というか単線化しすぎている。ほかにも評価する軸はいろいろあってしかるべきなのに、なぜだかそこばかりみられる。
要領がわるいというのは、(成績的な意味で)頭がわるいとか、ブサイクであるとか、無数ある人間の欠点の種類のうちで最悪のものだ。
ビジネス、いやこんなカッコつけたいいかたはやめよう。仕事の世界において、それは顕著である。
アルバイトか正社員を問わず、ほぼすべての仕事が「要領」を軸に能力を評価する。
だから最初の「アルバイトで使えないやつは、人間扱いされない」というのは、正確にはまちがいだ。
正しくは。
要領がわるいやつは、人間扱いされない。
グズは人間ではない。人間ではなく――グズだ。
もはや人種がちがう。
グズはグズの時点で、つまり生まれ落ちたときから負けているのだ。
なんとも救えない着地点である。が、それが現実である。
では、グズは死ぬしかないのか。たしかにぼくも最初はそう思っていた。が、それはまちがいであると気づいた。気づかされた。気づかせてもらえた。
……急に希望に満ちた語り口になって申し訳ない。
しかし、ただグチグチいっていてもしかたない。詮無きことだ。
グズなのはわかった。では、どうするのだ。
――ぼくたちは死ぬしかないのか。
ちがう。そうじゃない。それを訴えるために、ぼくはこの物語を語る。
これはグズによるグズのための物語だ。
みっともなく仲間を、同族をかばおうとする自己満足の説話だ。
仲間たちが人生を捨ててしまわないために説得する説話だ。
すべてのグズたちに。
すべての不器用たちに。
すべての要領がわるい人たちに。
すべての生きづらさを感じる人たちに。
この物語を送る。
結論を先にいっておくとしよう。
結びの言葉は決めている。
こう諭し、いい聞かせる。
――あきらめるにはまだはやい。
前置きはこれくらいにしよう。ちんたらするなグズという罵声が聞こえてきそうだ。くわばらくわばら。
要領がわるいので、うまく語ることができないかもしれないが、まあゆっくりと付き合ってほしい。
なあにお互いグズ同士ではないか。
焦ることもあるまい。
ここには、要領や効率を求めるあくせくした現代人はいないのだから。
ああ、なんでそんなに要領わるいかな、と怒られる心配はない。
トップでゴールすることを目指さずに、みんなでお手手つないでゴールテープを切ろうではないか。
せかされるのはごめんだ。
寝ころびながら、ポテトチップスでもかじって、気楽に聞いてほしい。
ぼくも気楽に語るから。ぼくも気楽に書き進めるから。
まずは幼少期からはなしを起こそう。