そしていつもの日常へ
夏穂と詩乃がイメージ世界で分離し、それぞれの体を得てから一週間が過ぎた。
(結局、こないだは何がどうなったんだろう)
誠は登校しながらこのことを考えるのが日課になっていた。誠にはあの後沙世に感謝されたり、詩乃に見直した、と手放しで褒められたりと何が起きたのかさっぱり分からないことが続いていた。夏穂を救い出したという事実だけが独り歩きしてしまったらしい。
(まあ、間宮は元に戻ったんだよな)
あとで聞いた話では、あの世界から戻るために必要だったのは2人の心を通わせることで、それができたから夏穂と誠はこの現実世界に戻ってくることができたらしい。
(何かすごく大事なことを忘れてるような気もするんだけど……)
しかし、誠も含めた全員があの時のイメージ世界での記憶がないため、誠も当然困惑したままだったのだ。もちろんそのことは沙世にも告げたし、沙世もそのことについては知っていたのだが、それでも沙世は、
「あなたがいなかったら今回のこの行動は成功できなかった訳だし、感謝しすぎてしすぎることはないのよ。これからも夏穂といいお友達でいてあげてね!」
とまで言う始末だった。誠としては夏穂と友達でいるのに母親公認となった訳なので特にデメリットはないからいいのだが、それでもイメージ世界での自分の行動と記憶がないというのは、まるで知らない世界の英雄が何か大きなことを成し遂げたような気がしてすごくモヤモヤするのであった。
「おーおはよー」
「……ああ、真悟か。おはよう」
学校に着くと、真悟がいつものように挨拶してくる。
「何だ? お前こないだからすごく何かにとらわれてるような顔してるぞ? 何か眠れないようなことでもあったのか?」
「……分かるか?」
真悟にそんなことを言われ、顔に出ているのかと考える誠。
「ああ。まるで自分の知らないところで自分が誰かを救い出したらしくて、その理由をすごく知りたいって顔してる」
「……お前何でそんなに毎回的確に俺の悩みを見抜いてくるんだよ」
想像以上に詳しい説明をされて困惑する誠。
「いや、そのくらいお前のことを知り尽くしてないと正直悪友としてお前を振り回すのは無理だって。ほら、互いの肌荒れの度合いまで一目で見抜けて初めて悪友って言えるんじゃないかと思うんだよ」
「それはさすがに気持ち悪いわ! ってかお前は何を目指してるんだよ……」
「んー、俺もよく分からん。芸人辺りじゃないか?」
「お前なあ……」
誠が真悟に呆れていたその時だった
「大変大変大変だよシンちゃん!」
大きな衝突音とともにさつきがやってきた。
「お前は朝から騒がしいな片桐……」
「あ、マコもいたのおはよー」
さつきは誠もいるのを確認すると、軽く挨拶する。
「おう、おはよう。んで、何が大変なんだよ?」
「ああ、そうそう。実は夏穂がね……」
さつきの話では夏穂からさつきに声をかけてきてくれたり、と関係がいつものように戻ったらしい。このところずっとこの話をしているので彼女としては相当嬉しかったのだろう。
「それは良かったじゃねーか」
真悟も喜ぶ。
「うん、やっぱりカラオケに4人で行ったのが良かったのかな?」
さつきの顔はずいぶんと晴れやかになっていた。
「そうかもな」
真悟がノリ良く返す。
「あ、そうそう、それとこっちがさっき言ってたニュースなんだけど、今日転校生が来るみたいだよ。女の子だって」
さつきは思い出したかのように自分がここに来た目的を二人に話す。
「……転校生?」
誠は首を傾げる。既に新学期が始まって日数がそこそこ経過しているというのに、この微妙なタイミングで転校生とはどういうことだろう。
「うん、さっきそんなことを話してるのを先生たちから盗み聞きしてきた」
「……片桐、お前もう少し表現に気を使おうとは思わないのか」
誠はさつきの発言に突っ込みを入れる。
「うーんと、じゃあ、盗聴?」
「いやそれ表現違うだけで意味一緒だし。しかもイメージ的に悪化してるから」
「だって事実だし……。ほら、今日も空が青いように、私は今日も平常運転なんだよ。分かるでしょ?」
「いやそんなさも当然のように言われても分かんねーよ!」
誠の突っ込みが冴えわたる。
「いやー今日も絶好調だねマコ! あたしもここでボケまくった甲斐があったね!」
さつきは満足そうに頷く。
「お前わざとか! わざとやってたのか!」
「えっ、だってマコとシンちゃんってお笑い目指してるんじゃ……」
「目指してねーよ!」
いつものようにボケ全開のさつきに誠の突っ込みはフル回転状態だ。
「おーそうかさつきにも分かるか。さすが我が同志よ……」
一方の真悟はさつきとがっしりと握手を交わしながら同盟を結んでいた。
「まあさっき話してたのが聞こえてただけなんだけどさ」
「やっぱりか。お前らいろいろとピンポイント過ぎるんだよ……」
誠は朝からぐったりしてしまう。この二人といるだけで1日の会話の半分くらいは使っているような気がするからだ。
「おはようございます。それじゃ、ホームルーム始めますね」
「あ、そろそろ時間か。じゃあまたねー二人とも!」
さつきは誠たちの担任の先生が入ってきたのを確認するとそう言った。
「おう! またなー」
「じゃあなー」
真悟は元気そうに、誠はだるそうに、それぞれさつきの去り際を見届けるのだった。
「さて、それでは今日は皆さんにお知らせがあります。入ってきてください」
担任の声でさつきの言っていた転校生が入ってくる。
(転校生ねえ……)
誠はボーっと目の前に視点を合わせた。セミロングの女の子である。
(あれ、どこかで見たような……)
たぶん気のせいだろうと誠は片付ける。そもそも誠に他校の知り合いの生徒などいなかったからだ。転校生と言えば、まあ知っている人物が来ることはないだろうが、仲良くできたらいいな、と思っていたその矢先の出来事だった。
「深山詩乃だ。皆の者、よろしく頼む」
「ぶっ!」
誠は何を食べていたわけでもないのに思いっきりむせていた。視点を合わせてよくよく見てみると、確かに目の前にいたのは制服を着た深山詩乃だった。
(な、何で深山が学校に?)
誠は不思議そうに詩乃を見るが、当然答えは返ってこない。
「えっと、じゃあ深山さんの席は……、相原君の後ろでいいかしら」
「承知した」
詩乃は普通に歩いて真悟の後ろの席に座った。
「えっと、よろしく深山さん」
「うむ」
(どうなってるんだ……?)
真悟のあいさつに詩乃は普通に答え、誠はその様子を見て違和感を覚えるばかりなのだった。
「ねーねー深山さんって……」
後ろで女子たちが話している中、誠は何が何だかわからない様子で席に座っていた。
(何だ、どうなってるんだ?)
「あ、朝日君ちょっといい?」
「のわぁあ!」
いきなり声をかけられて驚く誠。声をかけてきたのは間宮夏穂だった。
「あ、ごめん。何か考え事でもしてた?」
「い、いや、別に大丈夫なんだけど、どうしたんだ?」
「実は詩乃のことなんだけど……。あとで話したいから今日もし良かったら一緒に帰らない?」
「えっ、あ、ああ、分かった」
「うん、ありがとう。用事はそれだけだから、また後でね」
夏穂はそのまま誠の前の席に座ると、いつものように授業の準備を始めた。
(何だろう……?)
夏穂との関係が切れていない上に、夏穂が自分から話しかけてくれたというのは誠からすれば喜ぶべきところなのだが、どうにも夏穂の様子があまり変わっていないような気がすることに不安を覚えた。だが、そんなことを考えていても仕方ないので、ひとまず誠も授業の準備をすることにした。
そして放課後、
「……で、一体どういうことなんだ?」
夏穂に呼ばれた誠はそう聞く。今二人は誠がちょうど詩乃と初めて会った辺りを歩いていた。
「こないだ朝日君のおかげで詩乃と私が分離できたでしょ?」
「ああ、そうだな……」
こないだのことはさっぱり覚えてないのだが、それはとりあえず事実として存在していることである。
「そのことは本当にありがとう。朝日君には私も詩乃もすごく感謝してるよ」
「ああ、うん。どういたしまして」
お礼を言われるほどのことをした記憶はないのだが、とりあえず便宜上返しておく。
「それでここからが本題なんだけど、詩乃の言ってたこと覚えてる? あの、別の世界から来た、とか何とかってやつ」
そういえば、と誠は思い出す。確かに詩乃はずっと元の世界に帰らなければ、と執拗に言っていた。
「そうだったな」
「それで、元の世界に戻る手がかりが見つかるまでの間、私たちと同じ高校で勉強することになったの。それで、今日から転校生扱いで私たちのクラスに編入することになったんだ。本当は朝日君にも連絡しようと思ってたんだけど、連絡先とか知らなかったから……。ごめんね」
「そういうことだったのか……」
誠は納得する。確かに深山が家の中でクナイや自主トレーニングなどをしていたら沙世にとってもいろいろと大変だろうし、あくまで学校編入は名目で、半分は厄介払いなのかもしれない。
「うん。そんな訳だから、またよろしくね」
「おう」
何をどうよろしくされるのかは知らないが、とりあえず誠は頷いておいた。とそこで誠はあることを思い出す。
「なあ、そういえば1つだけ聞きたいことがあったんだけど、いいか?」
「うん、何?」
夏穂は微笑みながら答える。
「あのさ、こないだ深山と入れ替わる前にお願いしたいことが、って言ってただろ? あれって結局何だったんだ?」
ずっと話す機会がなかったのですっかり忘れていたが、そういえば誠はそのお願いを聞くことのないままに今こうやって夏穂と話していた。誠としてはそれでは釣り合わないと思っていたので、そのお願いだけは聞こうと思っていたのだった。
「あー、あれか……。言ってもいいの?」
夏穂が少し恥ずかしそうにしながら聞く。
「ああ。だってそのくらいはしないと……」
せっかく仲良くなることができたのに申し訳ない、という言葉は呑み込んで答える。
「うん、分かった。……実は、朝日君に私が詩乃と入れ替わっちゃったら助けてほしいって頼もうとしてただけなの」
「……それだけ?」
「うん」
夏穂はばつの悪そうな顔をして答える。自分が合理的に動かなくても誠がきちんと助けてくれたことに引け目を感じているのだろう。
「そっか、ならいいや。俺も間宮が元に戻ってくれて良かったと思ってるし」
一方の誠はようやく聞きたかったことが聞けたので晴れ晴れとした顔で返す。
「……怒ってないの?」
夏穂は不安そうに聞く。
「むしろ何で怒るんだ? あんなことになったら藁にもすがる思いで誰かに頼りたくなるのは仕方ないだろうし、その誰かが俺でむしろ良かったと思ってるくらいだよ」
誠はそう答える。実際これは誠の本心であり、嘘偽りのない正直な気持ちだった。
「そっか、ありがとう」
夏穂はホッとしたように誠にまたお礼を言った。そして、
「……あのさ、せっかくだからもう一個お願いしてもいい?」
ふと思いついたようにそう誠に聞いてくる。
「お、おう。別にいいけど……、いったい何?」
誠は緊張しながら夏穂に聞く。夏穂は深呼吸をすると、誠の方を向いた。
「私と……、これからもずっと仲良くしてくれる?」
その質問の答えは決まっていた。誠は即答する。
「もちろん!」