夏穂の真実⑥ 帰還
「……どうにか上ってきたけど、何だろうここ」
詩乃を倒してその上の階に来た誠は再び首をひねる。そこには何もない空間が広がっていたのだ。詩乃の話だとここに夏穂がいる、とのことだったのだが、彼の視界に入ってきたのは殺風景なコンクリートだけだった。
「あ、朝日君、ごめんね。そこには仕掛けがあるの。もう少し先に進んでみてくれる?」
「もう少し先ですか? 分かりました」
首を傾げながら一歩一歩ゆっくり進む。そして、3歩ほど進んだその時だった。
(カチッ)
「ん?」
何かのスイッチが入る音が聞こえる。そして、次の瞬間だった。大きな地響きとともに、上から階段が落ちてきた。
「階段?」
「ええ。その階段を上って。その先に夏穂がいるはずだから!」
「……は、はい!」
詩乃に強い口調で言われた誠は、急いでその階段を上るのだった。
「……人?」
隠し階段を上りきった誠は人が倒れているのを発見した。その様子を確かめるために慎重にそこに近づいていく。
「……もしかして間宮か!」
目の前まで近づいて初めてその正体に気付いた誠はダッシュで近づいた。ようやく待ち焦がれた彼女に会うことができるのだ。だが、目の前についた誠は立ち止まってしまう。
「間宮?」
目の前の夏穂は目を閉じたままピクリとも動かない。それこそまるで縁起でもない想像を頭の中でしてしまうくらいに彼女は静かだった。
「……じゃあ朝日君、ここからが正念場よ。準備はいい?」
すると、それまで黙っていた沙世の声が再び誠の脳内に響いた。
「正念場? それっていったい……」
誠が質問しようとすると、沙世はそれを遮って説明を始めた。
「実は夏穂が目覚めていないのはこのシステムを起動したときから分かっていたわ。あの子は詩乃と入れ替わっているときは意識を失ったままだって聞いてたから。実際システムを起動したときの生体反応は朝日君と詩乃ちゃんのものしかなかったし」
「そんな……」
そう言われてみると夏穂も交代人格のことを説明してはいたものの、詩乃について直接的に触れたことは一度もなかった。おそらく、意識がなかったから触れたくても触れられなかったのだろう。
「で、ここから朝日君にやってもらいたいのは、夏穂の意識を目覚めさせること。どんな手段を使っても構わないわ。とにかく夏穂の意識をはっきりさせて。そして、その後にやってほしいことがあるんだけど……」
沙世は誠に小声で何かを囁く。それを聞いた誠の頬がみるみるうちに赤くなる。
「えっ、いや、でもそれは……」
「非常事態なの! 互いの意思疎通ができていて、正直な気持ちを二人が伝えないとここから同時に脱出できないのよ。それに、ここであったことは二人とも元の世界に戻ってきたら忘れてるから心配ないわ」
「……そ、そうなんですか?」
誠は不安そうに沙世に聞く。
「……た、たぶん」
だが、沙世も初めて使う機械の説明を自信満々にすることはできなかったのか、曖昧に返す。
「え、ええー!」
「とにかく、あなたたちが2人同時に脱出するには朝日君が夏穂を目覚めさせて、お互いに正直な気持ちをぶつけるしかないの。今更できないなんて言わないでよね。私は危険なのを承知で朝日君をこのイメージ空間に送り込んだんだから」
「は、はい……」
誠はすっかり緊張からか小さな声で返事をする。
「とりあえず私も夏穂を目覚めさせる方法については考えてあげるから、一緒に頑張りましょう」
「分かりました……」
誠は落ち込みながら答えた。
それからの二人は夏穂に対していろいろなことを試した。まず、沙世がプログラミングを駆使して夏穂に様々な衝撃を与えたのだ。例を挙げると洗濯ばさみで夏穂のほっぺたをつまんだり、鼻フックを夏穂の鼻の中に入れて引っ張ったり、くさやを嗅がせたり。だが、どの方法を使っても目覚めなかった。
対して誠は誠で必死に彼女の名前を呼びかけたり体をゆすったり、とにかくあらゆる手段を使って夏穂を起こそうとするが、やはり目覚めない。そんなことをしているうちにすでに時間は20分経過し、もう残り時間があと10分ほどにまで減ってしまっていた。
「……どうしたらいいのかしら。まさかここまでいろいろやっても目覚めないだなんて……」
沙世は肩を落とす。自分の娘に対して行った行為の数々を思い出して落ち込んでいるのである。一方の誠も一向に目覚める気配のない夏穂を見て絶望するばかりだ。これほどまでに頑なに目覚めないというのは白雪姫を思い出してしまう。
(確か、あの話で白雪姫が目覚めるには何をやったんだっけ?)
思い出す。ずっと寝たままだった白雪姫が目覚めたその方法、それは確か……。
(……!)
思い出した誠はそんな恥ずかしいことができるか! と心の中で突っ込んで見る見るうちに顔を真っ赤にしてしまう。
「……朝日君、私何か他に目覚めさせる方法がないか考えてみるわ。少しだけガイド機能を切っていなくなるわね」
「は、はい」
そう言った直後、マイクが切れる音が聞こえてくる。沙世が誠との連絡を切断した合図だ。これでここにいるのは誠と夏穂だけということになる。
(一か八か、試してみるか……?)
誠は夏穂の顔を見る。おそらく成功する確率はほぼ0だろう。だが、藁にもすがる思いで試さないといけないくらいの時間しか残されてはいないのだ。
(やってみよう。何かあっても沙世さんが戻っては来るだろうし)
誠はそう考え、夏穂の目の前に自分の顔を持ってくる。ゆっくりと確実にその厚みのある唇に向かって、唇を近づけようとして……。
「……ってできるかー!」
叫ぶ。こんな形で夏穂の唇を奪うのはさすがにどうかと思ったのだ。だが、誠は首を横に振って考える。
(キスだと考えるからダメなんだ。これは人工呼吸、そう考えればノーカンだノーカン)
思い直し、再び彼女の唇に顔を近づける。何より今は夏穂の命がかかっているのだ。そう自分に言い聞かせる。今度こそ目の前に近づけた唇をそのまま夏穂の唇へと持ってきた。二人の唇と唇が触れる。
(どうだ……?)
そして、誠が夏穂から離れる。しばらく様子を見守っていたが、夏穂の反応はやはりない。
(やっぱり駄目だったか……)
そう思い、誠が諦めて次の方法を考え始めたその瞬間だった。
「……朝日、君?」
「ま、みや……?」
「うん……」
夏穂が目を覚ました。誠は夏穂を抱きしめる。
「目覚めてくれたのか! 良かった、本当に良かった!」
「どうしたの……?」
何も分かっていない様子の夏穂は訳が分からない様子で誠の方を見ていた。だが、本当に大変なのはここからである。
「えっと、間宮。説明は後になるんだけど、俺の話を聞いてくれないか?」
ここで喜んでいる暇はない。もう時間がないのだ。
「……えっ? う、うん、いいけど……」
誠は夏穂の承諾を得ると、夏穂の目をまっすぐと見る。そして、
「間宮、今から俺の言ったことに正直に答えてほしい」
居住まいを正した。
「えっ、は、はい」
正座した誠を見て、夏穂もきちんと座り直す。
「……間宮、俺はお前のことが好きだ。お前は俺のことをどう思ってる?」
そして、誠は夏穂にそう自分の本心を告げる。告げた誠の顔はもちろん赤いが、告げられた夏穂の方はもっと赤い顔になっていた。
「え、えっと、ありがとう。私は……朝日君にいろいろと感謝してるよ」
夏穂はそう返す。誠は断りの返事が返ってこないことにホッとしたものの、
(……ん? これはどういうことだ?)
いまいちはっきりした反応が返ってこなかったことに戸惑う。
「えっ? それってどういう……」
だが、詳しく聞こうとしたその瞬間だった。
(パンパパパーン!)
突然謎のファンファーレが鳴り響いた。
「え、何? 何なの?」
夏穂は戸惑いながら誠に聞くが、誠も沙世から詳しい説明を聞いていたわけではなかったので同じようにあたふたしてしまっていた。
「……あれ、朝日君? これは……もしかしてうまく行ったの?」
とその時、ちょうど沙世が帰ってきた。
「……えっ? お母さん? 本当にどうなってるの?」
新たな人物の登場に夏穂は頭がついて行かず、すっかり疑問符を連発するだけになってしまっていた。
「は、はい。とりあえずはうまく行ったみたいです」
一方の誠は何が起こったかは分かっていないものの、そう答えるしかないので沙世に返事をした。
「……そう、良かったわ」
安心したようにそう言った詩乃は、誠の目の前に2つのカプセルを出した。
「きちんと2個のカプセルを出すことができたってことは本当にうまく行ったみたいね……。朝日君、夏穂。二人ともそのカプセルの中に入ってくれるかしら? そのカプセルの中に入ると元の世界に戻ってくることができるわ」
「ほ、本当ですか?」
誠は喜びの声を上げた。
「元の世界? えっ?」
一方の夏穂は状況が呑み込めることのないまま勝手に話が進んでいく状況なので、もう条件反射のように聞き返していた。
「夏穂はとにかく入って! 戻ってきたら事情は説明してあげるから! 朝日君も急いでね!」
「えっ、う、うん分かった……」
納得がいかなさそうな顔をしながら、夏穂はしぶしぶカプセルの中に入る。
「はい、分かりました!」
誠も同様にカプセルに入る。その瞬間、まぶしい閃光と共に二人を乗せたカプセルはその場からあっという間に姿を消したのだった。
「……ん?」
誠は見慣れないカプセルの中にいた自分の存在を確認する。
「何だここ?」
よく分からないままにカプセルを開け、外に出る。すると、
「フン、きちんと戻ってこられたようだな。何よりだ。とりあえずついてこい」
誰かに声をかけられる。そこにいたのは見たことのない忍装束を着たセミロングの女の子だった。だが、知らないはずのその彼女を誠は確かに見たことがあったような気がした。
(何だろう、この子どこかで見たような……)
実は彼女とはイメージ世界で一度会っているのだが、先ほど沙世が言ったように誠に記憶は残っていなかった。彼女のことを深山詩乃だと誠が知るのはそれからすぐのことだった。
そして、誠がその女の子に連れられて部屋から出ると、詩乃に気絶させられた部屋と隣の部屋にいることが確認できた。だが、誠は肝心の知りたいことを知ることができてはいなかった。
「なあ、間宮は……」
「心配しなくともきちんと目覚めているから心配ない。見てみろ」
誠の心配をよそに、詩乃は先ほど沙世と話していた客間へと案内する。
「あっ……」
そこには母に抱かれてわんわん泣いている間宮夏穂の姿とその彼女を抱きしめながら同じように涙を流す間宮沙世の姿があったのだった。