夏穂の真実⑤ 誠vs詩乃
「……いってえ」
首にずきずきとした痛みを覚えたまま、誠は立ち上がった。
「深山の奴、後で覚えとけよ……」
誠はそう毒づくが、そんなのんきなことも言っていられなくなってしまった。
「……ってあれ? ここ、どこだ?」
目を開けた誠の視界には、薄暗い闇しか見えなかったからである。先ほどまで間違いなく夏穂の家にいたというのに、これはいったいどういうことなのだろう。
「……ひ、くん、朝日君!」
その時、脳内に直接語りかけてくる声が聞こえた。
「は、はい、聞こえます!」
誠は分からないままに答える。
「そう、とりあえず成功したみたいね。私のことは分かるかしら?」
声の主が誰なのか考える。この声には聞き覚えがあった。そして数秒後、誠の頭にある人物の顔が浮かんだ。
「……もしかして、間宮のお母さんですか?」
「正解。私は間宮沙世よ。いろいろあって、あなたを今さっき言ってたイメージ世界に送り込んだわ。実はあなたに夏穂のことを任せたいの。あんまりこういうことはやりたくないんだけど、詩乃ちゃんからどうしてもって頼まれたから……」
「深山がですか?」
意外だった。彼女にそこまで信頼されるような行動をしたとも思えないのだが、どうやら詩乃は誠にすべてを委ねたらしい。
「ええ。だから、私の説明の通りに行動してほしいの。お願いできる?」
「……はい、やってみます」
できなければ元の世界には戻れない、これは先ほど聞いていることだ。ならば、説明の通りにする以外の方法は彼の頭にはなかった。
「ありがとう。じゃあ、早速説明するわね」
そういうと、誠の目の前に火の玉のような明かりが突然現れた。
「今から朝日君の目の前をその明かりで照らすから、その明かりの目の後ろをついてきてほしいの。詳しい説明は時間がないから歩きながら説明するわ」
「分かりました」
薄暗い闇が明かりで照らされたおかげで、誠の視界も開けてきた。目の前には階段のようなものがあり、上まで高く螺旋状に伸びているのが見える。
「これは……?」
誠が呟くと、明かりが階段を上っていく。誠は指示された通り、その階段を上り始める。
「その階段を上りきってほしいの。この階層は大きく3階構造になってるわ」
「3階構造ですか? 深山と間宮を別々の体に入れ直すだけなんですよね? 何でそんな構造になってるんですか?」
誠は聞く。
「さっきも言った通り、もともとこの方法を使う予定はなかったの。だから、プログラミングが中途半端なまま始めることになっちゃってて。一応バグがないことはこの時点で確認済みだから、そこは安心してくれて大丈夫」
「そういうことですか」
誠は納得する。
「で、説明の続きだけど、2階にはあなたを遮る敵が待ち構えているわ」
「遮る敵ですか……?」
「ええ。行ってみれば分かるわ。ただ、はたして勝てるかどうか……」
「……?」
誠はその言葉の真意を測りかねないままに階段を上っていく。そして、階段を上りきると、目の前にはノブのついた扉があった。
「……これを開ければいいんですか?」
「ええ」
単純明快な答えが返ってくる。誠はそのノブを引く。
「……ん?」
ドアを開けた誠は、明るい部屋に着いたことを確認すると、そこに立っていた人物を見つけて首を傾げた。そこに立っていたのは見覚えのないセミロングの女の子だった。着ている服が忍装束であることを除けば普通の女の子のはずだ。彼女の後ろには同じような扉があったので、おそらくこの女の子を倒すことさえできれば、夏穂のところにたどり着くことができるのだろう。1つ気になることがあるとすれば、目つきがやけに鋭く、まるで初めて会ったはずの誠に敵意でもあるかのような、そんな表情をしていることだろうか。
「やっと来たか」
「……あの、どこかで会いましたっけか?」
そう聞いた誠の横を何かが掠めていった。誠がその方向を見ると、その女の子が何かを投げていた。
「この武器を忘れたか?」
誠の頬から血が一筋流れる。誠が後ろを向くと、飛んできたのはクナイだった。
「……まさかお前、深山か?」
「フン、ようやく気付いたか」
女の子、いや、深山詩乃は満足そうに答える。
「どうやら貴様が私を倒さない限り、貴様は間宮夏穂の元には辿りつけないらしい。そして、残っている時間はせいぜい1時間。どうやら、謀らずとも私と貴様はもともと戦う運命にあったらしいな」
詩乃はそう言う。誠が一度勝負を挑もうとしたことを言っているのだろう。
「そんな……」
「それに、私が勝てばこの肉体は私が得ることができる。名実ともに彼女の肉体は私のものだ。貴様が負けてこの世界に閉じ込められてしまえば、私は一人で元の世界に戻る方法でも探すことができる。必要な情報は先ほどの話ですべて得ることができたからな」
「深山、お前、本気で言ってるのか……?」
誠は今までの詩乃の発言とはまるで正反対の言動に怒りを覚える。
「ああ。それが嫌なら本気でかかってこい」
「……いいぜ。だったらやってやろうじゃねーか!」
売り言葉に買い言葉とでも言うべきか、誠の頭にもすっかり血がのぼっていた。
「よし、ならば条件成立だな。私が勝てば間宮夏穂の肉体、貴様が勝てばこの部屋の通過権だ。幸か不幸か、この勝負の勝敗は私が負けを認めたら負けという決まりらしい。ルールは貴様に決めさせてやろう。もっとも、貴様に私が倒せるとは思えないがな」
「くっ……」
誠は冷静に状況を推理する。目の前に立っているのは、彼の知る限り最強の敵。おそらく普通の手段で戦ったとしても、勝つのは不可能だろう。それならば、と誠はあるルールを提案することにした。
「……よし、じゃあ俺にクイズを出させてくれ。俺が出すクイズは5つだ。その中の1つでもお前が答えられなかったらお前の負け、逆にお前が全問正解すればお前の勝ちだ。どうだ?」
「……ほう。純粋な肉体勝負では勝ち目がないと踏んで頭脳戦か? まあ私は頭脳前にも自信があるから問題はない。いいだろう、その条件を飲んでやる」
詩乃は不敵に笑う。誠に負けることはないと信じきっているのだろう。
「よし、じゃあまずは第一問だ。俺の名前を答えてくれ」
「フン、朝日誠だろう。なめているのか?」
詩乃はにらむ。この程度の問題では満足できないといった様子だ。
「じゃあ第二問。お前が宿主にしている人物の名前は?」
「間宮夏穂だろう」
イライラしたように答える詩乃。
「じゃあ第三問。その母親の名前は?」
「間宮沙世。先ほど名乗っていたではないか」
「それでは第四問。お前の名前は?」
「深山詩乃。どうやら貴様、私に勝つ気がないらしいな」
詩乃はがっかりしたように誠を見る。期待外れにも程がある、と言った顔だ。だが、誠は淡々とクイズを続ける。
「じゃあ最後、第五問だ。乙女も恥じらう黒歴史っていう写真集をつい最近出した芸能人の名前は?」
「……ん?」
最後の問題が出た直後、詩乃の解答が止まる。それはそうだろう。誠はこの四問を出している間にたった一問の彼女が答えられないような質問を考えていたのだから。確かに彼女にまともな手段で挑んでも勝つことは不可能だ。だが、それは誠の知識だけをかき集めた場合の話である。もし彼女が別の世界から来たというのなら、もちろんこの世界の有名な芸能人については知らないだろうし、ましてや写真集を出したなどという情報を彼女が得ているとは考えにくい。そしてこの問題を出した理由はもう1つ、さつきから来たメールの内容を思い出したのも1番の理由だ。
(それからやっぱり昨日の話なんだけど、夏穂が一人できょろきょろしながら朝風モールのあたりを行ったり来たりしてたみたい! 信憑性はこっちの方があるかな。まあ夏穂が朝風モールで迷子になるとは思えないんだけどね!)
行ったり来たりということは、当然朝風モールの中に入ったとはいえ中心地までは行っていないはずである。朝風モールの中にはもちろん大型のショッピングモールというだけあって、テレビなどが売っている電器屋さんなどの店舗も立ち並んでいるのだが、それには奥まで行く必要があるのだ。詩乃が元に戻るためにテレビを見てまで情報を得ようとしていたとは考えにくい。あとは詩乃の案内に使ってしまったレイテストとセレクトミールに関連しない春野雨に関係する問題を出してしまえば、彼女は答えられないと踏んだのである。
(感謝するぜ真悟……)
「ほら、どうした? 答えは?」
誠は人生の中でこれほど彼に感謝する日が来るとは思わなかったと思いながらも詩乃を煽る。
「ぐぬぬ……」
詩乃は悔しそうに誠を見る。
「ほら、早く答えろよ」
「……うさんだ」
「何?」
「降参だと言ったんだ! まさかこんなことで貴様ごときにこの言葉を言わねばならぬとは! 深山詩乃、一生の不覚だ!」
悔しそうに地団太を踏む詩乃。その瞬間、後ろの扉が開いた。
「……先に進むがいい。この先に間宮夏穂はいる」
「ああ。そうさせてもらうぜ」
誠は詩乃の横を通り過ぎると、階段までかけていった。
「……しかし、あやつにあそこまでの機転を利かせる力があったとは」
誠が通り過ぎた後、詩乃はそう呟く。もともと彼女は誠の出した勝負がどうであれ、自分が勝ってしまうようならわざと負けるつもりだった。だが、誠は自分の力だけで詩乃を打ち負かし、その先の階段へと進んでいった。
「フン、会った頃よりは成長したと認めてやるしかあるまいな」
詩乃は感慨深そうに言った。とその時だった。
「詩乃ちゃん、聞こえるかしら?」
誠の時と同じ仕組みを使い、沙世が詩乃の脳内に語りかけてくる。
「ああ、大丈夫だ。きちんと聞こえる」
「でも、名演技だったわね。まさか朝日君をあそこまで挑発してくるとは思ってなかったわ」
沙世は意外そうに言う。イメージ世界に入る前に打ち合わせていたとはいえ、詩乃が誠の頭に血を上らせるまで挑発したことを言っていたのだ。
「……私自身あいつの潜在能力を見てみたかったのでな。真剣勝負をすることができたのは良かったと思ってるよ」
「そうね。朝日君の頭の回転が速いことはこの勝負だけでも十分に読み取ることができたもの。いい友人を持ったのね夏穂は」
「……そうだな。羨ましい限りだ」
詩乃は晴れ晴れとした顔で答える。
「さて、と。それじゃあデータ転送の時間ね。このプログラムは勝負に負けた人間かある条件を満たした人間しか戻ることはできないようになってるから……。今から詩乃ちゃんの意識を夏穂とは別の体に移すわ。準備はいい?」
「構わん。あまり元の体の持ち主に迷惑はかけたくないのでな」
すると、詩乃の目の前に大きなカプセルケースが現れる。中に入れということらしい。詩乃は躊躇なくそのカプセルケースの中に入る。その瞬間、ゆっくりとケースが閉まった。
(……あとはしくじるなよ、誠。現実世界でまた会おうではないか)
そう思った頃にはすでに詩乃の意識はなく、そのまま深い眠りに落ちていた。それを見計らうかのように、カプセルケースはその場から消えたのだった。