夏穂の真実④ 夏穂の母親
「何だよここ広すぎるだろ……」
10分ほどかけて誠は屋敷の入り口へとたどり着いた。
「それに関しては同意見だがな」
息を切らしている誠とは対照的に疲れ1つ見せないままに詩乃は応じる。
「お前体力あるよな……」
誠は感心したように言う。
「少なくとも貴様よりはな。忍者である以上体力がないといろいろ困るのだ」
「少しも謙遜したりしないのなお前……」
誠は少しは照れたりしないのかよ、という目で詩乃を見た。
「なぜ貴様程度の奴を持ち上げねばならんのだ。そっちのが疲れてしまう」
「あーそうですか」
まともに会話すると疲れると判断した誠が入口のチャイムを再び押そうとしたその時だった。入り口の扉が開く。
「いらっしゃい。朝日君と、深山詩乃ちゃんだったわね」
入り口の扉が開くと、女性が立っていた。その声はチャイムを鳴らした時に応対してくれたのと同じだった。ウェーブのかかったブロンズの髪にひざ丈ほどのスカート、羽織られているシンプルな白のカーディガンは若い大人の落ち着いた女性の雰囲気をイメージさせた。
(きれいな人だな……)
誠はその美しい姿に見とれそうになるが、本来の目的を思い出して女性に聞くことにした。
「えっと、こんばんは。お若く見えますけど、使用人の方ですか? これだけ広いとお掃除とかも大変なんでしょうね」
誠は失礼のないように聞く。
「……貴様何を言っているのだ?」
だが、詩乃はおかしなものを見ているような目で誠を見ている。すると、誠の言葉を聞いた女性が不思議そうな顔をする。
「私そんなに若く見えるのかしら? これでも一応母親なのよ?」
「……えっ?」
誠はあまりの驚きに聞き返す。
「ああ、そういえばまだ自己紹介してなかったわね。こんばんは、間宮夏穂の母親、間宮沙世です。娘がいつもお世話になっております」
「え、ええええええ!」
誠は本日一番の驚きの声を上げた。
客間に通された誠と詩乃は椅子に座る。誠は周りを思わず見渡してしまう。
(うわー、すごいな……)
そこにはさつきの言っていた通り高そうな置き物があったり、魚の水槽があったりとまさに住んでいる次元が違うという表現がぴったりくる光景だった。
「どうぞ。つまらないものだけど」
少しすると、沙世がお茶請けを持ってきた。
「あ、ありがとうございます」
「かたじけない」
二人はそれぞれお礼を言うと、その中のお菓子を手に取り食べ始めた。
「……それで、一体何がどうなっているのか説明してもらってもいい?」
「あ、俺が説明します」
誠はこれまでのいきさつとどうしてここに来ることになったのかを説明した。
「……なるほど。うん、夏穂の説明は間違ってないわ。それで、何かを知ってそうな私に事情を聞きに来たって訳か」
沙世は納得する。
「はい」
「まあ朝日君が来た理由は分かったわ。でも、どうして詩乃ちゃんはここに? 何度も私の家から脱走しようとしてたのにまさか自分から来るなんて……」
今度は詩乃の方を見る。
「ここに来た方が元の世界に早く帰れると思っただけのことだ。こんなところにいつまでもいる訳にはいかないのでな」
「実はそのことについてもご相談がありまして……」
誠は詩乃に先ほど聞いた情報を沙世にも伝える。
「それは本当なの?」
すると沙世は驚いたように目を見開いた。
「はい。深山が言うにはそうらしいです」
誠は肯定する。
「……うーん、それがもし正しいとしたら本当に厄介なことになりそうね。私たちの考えの通りなら詩乃ちゃんには夏穂の記憶から抹消する形でいなくなってもらうつもりだったんだけど……。詩乃ちゃんは別の世界から来た、と。そう思っている訳ね?」
沙世は少し考え、詩乃に聞く。詩乃は頷いた。
「そう思っているのではなく、私は本当に別の世界から来たのだ」
「この際その真偽はどうでもいいの。もしそれが本当だとしたら先ほどの計画を実行に移すにはあまりに非人道的すぎる、このことが問題なのよ」
詩乃は腕組みをする。数秒後、彼女は二人の方をしっかりと見据えた。
「実は夏穂と詩乃ちゃんが入れ替わりを起こしてから一か月近く経ってるの。そして、夏穂と詩乃ちゃんは頻繁に入れ替わっていて、その頻度は日に日に短くなっていってる」
「……すると、どうなるんですか?」
状況の呑み込めない誠は沙世に質問する。
「本来1人の人間には1つの魂しか宿らないわ。それが2つ宿っているというのは相当特異な現象である。これは朝日君でも分かるわよね?」
誠はこくんと首を縦に振った。
「2つの魂が肉体の支配権を奪い合っているのが今の夏穂と詩乃ちゃんの状態なの。もしこのまま詩乃ちゃんがくしゃみをしなかった場合、最悪夏穂は詩乃ちゃんに存在を飲みこまれて消えてしまう可能性があるわ」
「何だって!」
誠は叫ぶ。せっかく仲良くなれてきたところだというのに、夏穂の存在そのものが消えてしまう可能性があるというらしい。
「もちろん私たちもその状況は非常に危険だと思っていたからいろいろ解決策を考えては見たわ。でも、結局思いついた方法は2つしかなかったの」
「その方法は何なんですか!」
誠は沙世に掴みかからんばかりの勢いで聞く。
「1つは先ほど言った通り、夏穂の状態でいるうちに詩乃ちゃんの存在を夏穂の中から消すこと。私たちの仮説では詩乃ちゃんは夏穂の想像によって生まれた人格の1つだったから、この方法で解決、今日で夏穂の二重人格生活も終わるはずだったの」
「でも、深山は自分がこの世界ではなく別の世界から来たって……」
誠は沙世に反論する。沙世はそうね、と答える。
「ええ。だからこの方法は取れないわ。もしこれが本当だとしたら、私たちの手によって1つの命を消し去ってしまうことになってしまうから」
「じゃあ、もう1つの方法は? あるんですよね?」
誠ははやる気持ちを抑えきれないままに聞く。しかし、沙世は悩む。
「あるにはあるんだけど、こっちも人道的な方法ではないのよね……。夏穂を実験台にすることを承諾した私がこんなことを言うのはすごく筋違いだとは思うんだけど……」
「それしか間宮を救う方法がないなら迷っている場合じゃないですよ! 何より間宮は今危険な状況にあるんですよね? なりふり構っている場合じゃないと思います!」
誠は沙世に熱弁する。すると、沙世もその固く閉ざそうとしていた口を重く開いた。
「じゃあ言うけど……。夏穂の体を一時的に眠らせている間に、夏穂と詩乃ちゃんをイメージ世界の中に送り込むの。それで、誰かに同じようにイメージ世界に入ってもらって、内部から私の操作を手伝ってもらいながら夏穂と詩乃ちゃんの魂を別々の体に移し替えるの。こうすれば二人は別々の体を持つことになるから、今まで以上に行動の幅は広がるし、夏穂と詩乃ちゃんの肉体支配の問題も同時に解決することにはなるわ」
「そんないい方法があるならどうして……」
誠は半分も沙世の説明を理解しないままに聞く。
「……その誰かがこの場にいないのよ」
「……あっ!」
誠は気付く。
「私は外から機械を操作しなければいけないから内部に入ることはできないわ。そして、夏穂と沙世ちゃんを機械に送り込んでしまうでしょう。この計画を内部から手伝う人がいないのよ。それに、この機械の中に分離しておける時間はせいぜい一時間、仮に手伝う希望者がいたところで、永遠に戻ってこられないかもしれないところに誰かを送り込むなんてできるわけがないじゃない」
「……」
誠は黙ってしまう。
「他に方法はないのか?」
代わりに先ほどからずっと黙っていた詩乃が口を開いた。
「あるくらいならこんなに困ってないわ。この2つ以外に思いつく方法は今のところ存在しないの」
詩乃は両腕を机の上に置き、祈るようなポーズをする。
「どうしたらいいのかしら……?」
すると、いったん黙ってしまった誠が立ち上がった。
「……その役、俺に引き受けさせてもらえませんか?」
「えっ?」
沙世は誠の方を見る。
「馬鹿なこと言わないで朝日君。あなた、自分が今何を言っているのか分かってるの?」
「……はい。自分がいかに馬鹿なことを言っているのかくらい、俺自身が一番よく分かってます」
誠は神妙な面持ちで答える。
「じゃあどうしてそんなことを……」
「間宮はこれまでクラスメイトの誰にも話すことなく、自分の秘密を守り抜いてきました。俺だって、正直片桐に言われなかったら気にも留めないレベルでしたし、こうやって深入りしようとも思わなかったと思います。でも、この数日間でいろんなことがあって、間宮の秘密を知ることになって、そこで改めて思えたんです。できることなら間宮に元の日常を返してあげたい、そして、間宮ともっと仲良くなりたいって」
これは誠の本心だった。この数日間、それこそ誠は情人では経験しえないレベルの不思議をいくつも経験してきた。その度に何度も他の人にばれそうになった彼女の秘密を、よく知らないままにとっさの機転だけで守り抜いてきたのだ。そして、彼女から秘密を聞けるまでの信頼関係を勝ち取ることができた。そんな誠からすれば、今の答えは至極当たり前のことであり、迷う時間すら惜しかった。
「そんな理由で……」
「お願いします! 俺をそのイメージ世界ってやつに送り込んでください!」
沙世の言葉を遮って頼み込む誠。もう一歩も引く気はない。
「駄目よ。たった今知り合ったばかりの人間をそんな危険な場所に送り込めるはずないじゃない」
しかし、沙世も頑なで、誠の頼みを許可しようとはもちろん思わなかった。
「そんなこと言わずに、お願いしま……うぐっ」
そんな平行線の議論は、ある人物のある行動によって進展を迎えることとなる。
「この程度の不意打ちに気付かないような奴がよくも私に勝負を挑もうなどと考えたものだ。片腹痛いわ」
詩乃だった。詩乃が立ち上がって誠の首に手刀を見舞ったのだった。
「詩乃ちゃん……?」
「私の体を眠らせてイメージ世界に送り込むということは、当然こいつも眠らせておかねばならないのだろう?」
「あなた、まさか朝日君をイメージ世界に連れて行く気?」
沙世は正気かという目で詩乃を見る。
「ああ。こいつならばそこらの知らないやつよりは信用できるし、少なくとも自分が帰れなくなったところで後悔はしないはずだろう」
「だからって……」
沙世は尚も反論しようとするが、
「それに、おそらくこの体の持ち主もそれを望んでいるような気がするのだ」
「……夏穂が?」
詩乃のその発言に聞き返してしまう沙世。
「ああ。何となくだが、そんな気がする。あまり精神論でものを語るのは好きではないが、今回に関してはどうしてもそう思えてならないのだ。だから、私からも頼む。散々身勝手なことをしていてなんだが、今回はこいつを行かせてやってはくれないだろうか?」
詩乃が頭を下げる。沙世は目をつぶって少しの間考えるが、
「……分かったわ。ただし、私がナビゲートするからには全員無事で帰すからね。詩乃ちゃんも準備はいい? 今から行くわよ!」
沙世は部屋を出る合図をしてそのまま客間の外に出る。
「……ああ!」
詩乃は誠を抱えると、そのまま沙世の後を追ったのだった。