夏穂の真実③ 詩乃の秘密
「間宮!」
誠は叫ぶ。くしゃみをしてしまった夏穂の周りからは以前と同じように煙が立ち上り、あっという間に彼女の姿を隠してしまう。
「間宮! 大丈夫か!」
誠は一生懸命に煙を払いながら彼女の名前を呼び続ける。だが、その刹那だった。誠の目の前に一本のクナイが飛んでくる。
「うおっ!」
誠は飛んできたクナイを避けると、名前を呼ぶのをやめた。そして黙々と煙を払い続ける。その数十秒後には煙は完全に払われ、夏穂の姿が出てきた。
「……何だ貴様か。反射的に声の方向にクナイを投げてしまったではないか」
「反射的じゃねーよ危ないだろうが!」
誠は突っ込む。おそらくこれは夏穂ではなく、彼女の言っていたもう1つの人格である深山詩乃の方だろう。
「しかし、また貴様と出会うことになろうとはな。もう3度目だろう?」
「別に俺だって好きで毎回お前と会ってるわけじゃねーよ……」
誠としてもできるなら夏穂には早く元の姿に戻ってほしいので、詩乃のことは正直お呼びではない状態なのだが、それを本人に言ったところでおそらくクナイが飛んでくるだけなので、何も言わないことにした。
「まあ、そうだろうな。では、私はまた1人で街の散策でもしてくることにするよ。昨日の貴様の案内のおかげで多少はこの町についても知ることができたからな」
詩乃はそう言って誠の元から離れようとした。
「ちょっと待てよ!」
誠は慌てて詩乃を呼び止める。
「何だ? 何か用でもあるのか?」
詩乃は誠の声に動きを止める。聞く耳を持ってくれるようになっただけでも出会ったころから比べたら大した進歩だろう。
「まだ、俺を信用してくれる気はないのか?」
「少なくとも話くらいは聞いてやろうとは思っているが。でもなければこうやって立ち止まったりしようとは思わないしな」
詩乃は相変わらず淡々と返す。一応昨日の案内は彼女の知り合いとなれるくらいには役に立ったらしい。
「なら、少し相談がある」
「……相談? 一体何だ?」
誠は一拍置いてから詩乃にこう聞く。
「俺と勝負してくれないか?」
「……勝負、だと?」
詩乃はしばらく言葉を失ってから、誠にそう聞き返す。
「ああ。さっき間宮から事情のようなものは聞いたんだけどな。やっぱりお前にも協力してもらわないといけないな、って思ったんだよ。とはいえ、お前も俺に協力はしたくないと思ってるだろうからな。ここは実力行使で行こうと思った訳だ」
「……なるほど」
すると、彼女はいきなり誠の前から姿を消した。
「み、深山?」
「ここだ」
彼女は前と同じように誠の首筋にクナイを当ててきた。
「この程度の動きについて来られないような奴が私に勝負を挑む? 馬鹿も休み休み言うんだな。これが実戦なら貴様はむざむざ命を落とすことになるんだぞ?」
「うっ……」
誠は痛いところを突かれて黙ってしまう。
「それに、貴様にはこの子から聞いた情報があるのだろう? そんなことをしなくてもその情報を私に教えてくれるのなら協力してやらんでもないぞ」
「えっ?」
誠は聞き返す。てっきり詩乃は敵対し続けるものだと思っていたからだ。
「私は何のメリットもない奴と行動を共にするほど阿呆ではないし、貴様と行動したところで私が元の世界に帰れる保証はなかっただろう。だから今までは協力しようと思わなかっただけの話だ。だが、貴様がこの体の主である間宮夏穂から話を聞いたというのなら話は別、貴様から話を聞いた方が早いし、相談しながら対策を練ったほうがいいに決まっているからな」
「いいのか……?」
「安心しろ。私は効率の良い方法しか取らない主義なのでな」
今まで一人で行動しようと思ったのは何だったんだよ、とツッコみたかった誠だったが、彼女の移動速度を考えると本当に一人で情報収集をした方が早いのかもしれない。だが、今は誠をきちんと自分が帰るために必要なピースの1つとしては見てくれているようだった。
「ありがとう!」
「勘違いするな。私は早く元の世界に帰りたいだけだ。それより早くその情報を話せ。私の気が変わらないうちにな」
「あ、ああ」
その詩乃の偉そうな態度にいら立ちを覚えながらも、誠は詩乃に先ほど聞いた話をすべて口頭で伝えることにした。
「……私が間宮夏穂の想像上の世界の人間? 彼女が本当にそう言ったのか?」
「ああ」
最初に聞いてきた詩乃の質問に誠はそう返すしかなかった。
「では、貴様は間宮夏穂が私の性格はともかく、先ほど言った出身地や私の両親の名前や性格に至るまで想像したと、そう言いたいのか?」
「いや、それは……」
さすがに誠でもそれを肯定することはできなかった。どうも夏穂の話の後に詩乃の話を聞くと、さすがに夏穂の話が全て合っているとは思えなかったのである。詩乃が自分のことしか覚えていない、というのであればまだ先ほどの夏穂の説明でも説明がつかないことはなかったのだが、彼女は自分のことだけでなく、両親や自分の友人の名前まですらすらと読み上げて見せた。さらに今まで通ってきた学校の名前、一番恥ずかしかった思い出など、夏穂が一人で思いつくには無理のある設定が多く存在したのである。
「うーむ、これはいよいよ分からぬ。こう宙ぶらりんな状態だと何をどうしていいのかさっぱりだ」
「……なあ、ちょっと聞きたいんだけど、そもそもお前のいた世界ってどんなところだったんだよ?」
誠は聞いてみる。
「……今そんなことを聞いている場合なのか?」
詩乃は訝しがる。
「いや、ひょっとしたら何かの役に立つかもしれないだろ?」
まさか興味本位で聞いたとは言えないので、そう言ってごまかす。
「……まあいい。つまらぬ話だろうが、聞きたいのなら教えてやる。私のいたところは緑の豊かなところだった。そこで皆が忍になるために様々な練習を繰り返していたんだ。忍者見習いというやつだな。私も少し前まではその一人で、仲間達と切磋琢磨して腕を磨いていた。今の私の移動速度とクナイ作成技術はこの時に形成されたといっても過言ではない」
「へ、へー……」
深山の今持っている能力はすべてこの忍者見習い時期に完成されたものらしい。なるほど通りでずば抜けた身体能力があるはずである。見習い時期から忍者の練習をしているのなら動きが洗練されているのも頷ける話だ。だが、その先詩乃は首を横に振った。
「……しかし、実を言うと思い出せるのはここまでだ」
「えっ? どういうことだよ?」
誠は聞き返す。詩乃は必死に思い出すように話す。
「少し前に今のように忍者の肩書きを名乗れるようになって最初の任務に行ったところまでは覚えているんだがな。そこから先の記憶はまるでない。気が付いたらこの世界にいたのだ」
「なるほど。……今の時点では何とも言えないけど、ここにも何か元の世界に戻るためのカラクリがあるのかもな」
「かもしれないな。確かに貴様の言う通り役には立ったらしい。少し見直したぞ」
「お前の中で俺の立ち位置はどうなってんだよ……」
詩乃の相変わらずの上から目線に誠は呆れるばかりだった。
「……で、これからどうするのだ?」
「どうするって?」
詩乃のその問いに誠は聞き返す。
「私はもう用事も済んだし貴様と行動する意味もそこまであるわけではない。が、貴様としては私と離れては困るのだろう?」
「……まあ、な」
誠は頷く。この状況で詩乃を一人野放しにしておくのは非常に危険であるし、何より夏穂のことが心配だ。
「そこで、提案がある」
「提案?」
誠は首を傾げる。この状況でできることなどあっただろうか。だが、詩乃は誠に思いもよらないことを言った。
「ああ。今からこの体の持ち主、間宮夏穂の家に行ってみないか?」
「間宮の、家?」
予想外の回答に誠の答えが詰まる。
「ああ」
それは盲点だった。確かに夏穂の家に行くことができれば彼女の両親もいることだろうし、もう少し詳しい話を聞くことができるかもしれない。だが、誠にはある問題があった。
「……でも俺あいつの家知らないぞ?」
数日前まで事務的な連絡でしか話したことがないような関係だったのだ。さすがに彼女の家を誠が知っているはずはなかった。
「それは私が場所を知っているから問題ない。私はあの家で何度もこやつと入れ替わりを経験しているのだからな。そもそも私が提案したのに貴様を当てになどするはずがあるまい。貴様はやはり阿呆だな」
「……ほっとけよ」
誠は拗ねる。
「で、行くのか行かないのかどうなんだ?」
「行くに決まってんだろ。手がかりがそこにあるかもしれないんだから」
いじけていた誠は立ち上がった。いつまでもこうしているわけにもいかないのだ。
「そういう即決できるところは素晴らしいのだがな……」
「おい、何で俺のお前の中での立ち位置が残念な子になってんだよ!」
やれやれとため息をついた詩乃にすかさず突っ込みを入れる誠なのだった。
「ここが、間宮の家なのか……?」
数十分後に夏穂の家に着いた誠はその大きさに驚愕することとなった。まず彼を出迎えたのは立派な門であった。
「ああ。驚いただろう?」
「いや、もうこれは驚くとかそういう次元の話じゃないだろ……」
そういえば、と誠はさつきの言っていたことを思い出して渋い顔をした。
「あれ、知らなかったの? 夏穂の家って結構な豪邸だよ。裏庭にはテニスコートとか二十五メートルプールもあるくらいなんだから。中には確か高そうな置物とかもあったかな」
どうやら彼女の言っていたことは本当だったようだ。この様子だとおそらく他のテニスコートやプールの話も嘘ではないのだろう。
「確かにそうだな。私も初めて家、というか屋敷だろうな。ここから外に出た時は出口がどこなのか分からなくなったよ」
「だろうなあ……」
こんな豪邸にいきなり放り出されたのでは詩乃でなくてもおそらく迷子になってしまうことだろう。むしろその後きちんと出口を探し出すことのできた詩乃を褒めるべきだ。
「さて、ではインターホンを押してくれ」
「お前が押すんじゃないのか?」
誠は驚きながら聞き返す。
「私が押すよりは貴様が押して私の事情を説明した方がややこしくならないだろうと思ってな。何度も脱走している私よりは貴様の方が向こうも聞く耳を持ってくれるだろう」
「……そんなもんかなあ」
誠は納得のいかない様子で詩乃を見るが、おそらくこのままここでボーっとしていても埒が明かないので、
「……まあいいか。じゃあ押すぜ」
「ああ。頼んだ」
詩乃に言われるがままに、インターホンを押した。
「……はーい。どなたでしょうか?」
上品な女性の声が返ってきた。
「あ、俺間宮夏穂さんと同級生の朝日誠という者なのですが……」
誠は丁寧に自己紹介をする。
「あら、夏穂の同級生? 珍しいわね。でも、残念だけどまだ夏穂は帰ってない……」
「間宮さんならここにいます。今は深山詩乃を名乗っていますけど」
「……深山詩乃?」
女性の声のトーンが明らかに落ちた。あまりいい反応ではない。
「はい。先ほど間宮さんから事情は聞きました。それでそのまま帰ろうとした時に入れ替わり現象っていうんでしたっけ? それが起こりまして」
「……なるほど。夏穂が言ってた事情がばれかけてる男の子っていうのは君のことだったのね。それなら話が早いわ。今門を開けるから、中に来てもらってもいいかしら。その深山詩乃ちゃんも一緒に」
なぜかは知らないが、向こうは間接的に誠のことを知っていたらしい。だが、それはそれで好都合だ。
「はい、分かりました」
大きな門がゆっくりと開いていく。数十秒かけて門は完全に開いた。
「じゃ、行こうぜ深山」
「ああ」
二人は屋敷に向かって歩き出した。