夏穂の真実① 一人で抱えていた秘密
「よ、洋楽!? 朝日君って洋楽歌うの?」
歌い始めた誠を見て夏穂が驚きの声を上げるが、驚いたのは夏穂だけではなかった。
「いや、俺も初めて聞いたけど……。さつき、これ知ってるか?」
「えっ、あたしも知らないなぁ……。日本国外はあたしの専門外だもん!」
真悟もさつきも聞いたことのない曲だったのである。さつきは腕を組んで状態を後ろに逸らし、得意げな顔をする。
「いや、そこでドヤ顔されても……」
真悟はさつきに呆れた顔をする。
「好きになるのも一瞬、恋覚めるのも一瞬、でも、お前のことはずっと愛し続けると誓ってやるさ♪」
「……しかもこれ普通のJPOPじゃない?」
誠の歌の続きを聞いた夏穂がさつきをジト目で見る。さつきはあのねぇ、と前置きしてから、
「……あたしだって万能じゃないのよ。何でも知ってるわけじゃないから、こういう時にその人の好みを収集しておいて、他の人との会話に合わせられるようにしておくの」
「なるほどね。……でも、その努力を勉強に向けたらもっと成績も伸びると思うんだけど」
「あーん夏穂、それは言わないでー!」
さつきは泣きまねをして机に顔を伏せる。彼女の一番の弱点は勉強であった。先ほどの日本国外は専門外という彼女の発言もここに絡んできている。なので、期末テストで一番点数が悪かったのは誰だったとか、そんな噂話だけは彼女の耳には入ってこない。もちろん誰の点数が一番悪いのかは想像に難くない。
「という訳で、あとで勉強教えてください夏穂さま。そろそろテストが近いのです……」
さつきが頭を下げ、夏穂に頼む。彼女が自分から勉強するのはこのテストが近い三日前とかその辺りだけである。
「よろしい。じゃあ、金曜日からのテストに向けて特訓してあげるから、覚悟しといてね?」
「はーい……」
この時ばかりはさつきと夏穂の関係は完全に逆転していた。ここに来る前のさつきのからかい気味の態度などもうどこにもない。
「間宮、生き生きしてるなぁ……」
「ん、何の話だ?」
真悟がポツリとつぶやいたその時、歌い終わった誠が戻ってきた。
「ああ、間宮がさつきに強気に出た瞬間というかなりレアな場面を目撃したのさ」
「な、何だと……」
誠はショックのあまりガックリとうなだれる。自分がノリノリで歌っていたときにそんな刺激的なことが起きていたらしい。ちなみに刺激的というのは誠比三倍増しである。
「そういやマコ、今の何の曲? あたしたち誰も聞いたことなかったんだけど……」
復活したさつきが誠に尋ねる。
「ああ、これ? 最近始まった深夜ドラマのテーマ曲だよ。誰も知らなくて当然だって。ほら、『恋愛優待券』ってやつ」
「……あー、あの何かよく昼間に宣伝してるやつか……。何でお前そんなの見てんの?」
真悟が聞く。誠はあまりドラマを見るタイプの人間ではなかったからである。まして深夜ドラマなど今までの誠では考えられないものだったはずだ。
「親が見てたの見たら続きが気になってしょうがなくなったっていういつものパターンだよ。ほら、前にも似たようなことがあったろ?」
「……そういやあったなそんなこと」
真悟は思い出す。誠は以前にも親が見ていたのを見てたらハマった、という理由で少女漫画を読んでいたことがあったのだ。
「お前意外と人が見てるものにハマりやすいんだよな……」
「面白いものは誰が見てもハマるもんなんだよ」
これは誠の持論だった。もっとも、必ずしもすべてのものに当てはまるわけではないが。
「だったら一緒に春野雨のライブ行こーぜ!」
「……それだけは断固拒否させてもらう」
例を挙げればこの真悟が押してくる春野雨だ。彼女のセンスはどうも誠とはかみ合わないものらしく、前に一度真悟から彼女の出演した何かのドラマのDVDを見せてもらったことがあったのだが、どうしても好きにはなれなかったのである。
「あれだけ人気なのに、マコって面白いよね」
誠たちに聞こえないように、夏穂にそっと尋ねるさつき。一方の夏穂はと言えば、
「私はそんな風に人に流されない何かを持ってる人って結構好きだけどな」
さらっとそんな事を言った。しかし、誠はそんなことが話されていることなど知る由もなく、ひたすら真悟の誘いを断るばかりだった。
そして六時間が経過し、お開きの時間となった。時間は夜の九時で、すでに外は漆黒の闇に染まっていた。
「じゃ、俺たちこっちだから、お前はちゃんと間宮送ってってやれよ」
「うっせー、分かってるよ。お前も片桐送ってくんだろ? ちゃんとエスコートしてやれよ」
真悟の軽口を同様の調子で返す誠。
「……俺は送るっつーより多分こいつに振り回されるのが正しいような」
「何か言ったかしらシンちゃん?」
「いえいえ、何でもございませんよさつきお嬢様」
「よろしい」
本音の出かかった真悟はさつきの一言で慌ててごまかした。この二人、とっさにこんな会話が出てくるところを見ると、なかなか相性がいいらしい。それを見た誠はこう呟く。
「……お前らの方がよっぽどカップルっぽいっての。息ぴったりじゃねーか」
「そ、そんなことある訳ないじゃん! ……それじゃ、解散ってことで、マコも夏穂もまた明日ね! ほら行くよシンちゃん!」
「あ、ああ、分かった。じゃ、また明日な誠。っておい、待てってのさつき!」
顔を真っ赤にしたさつきがものすごいスピードで歩いていってしまったので、真悟はそう誠に言ってから慌ててさつきを追いかけた。ものの数分もすると二人の姿は見えなくなっていた。
「……俺何かおかしなこと言ったっけか?」
「朝日君って結構天然なんだね」
さつきのあまりの態度の変わりように誠が首を傾げるが、夏穂はそんな誠を見てそう一言笑うだけなのだった。
「じゃあ、私たちも帰ろっか」
「おう」
誠は頷いて夏穂と歩き出した。
「で、そういえば何で今日はカラオケに行こうと思ったんだ?」
少し歩いてから誠は純粋な疑問を彼女にぶつける。そもそも今日は誠が夏穂に昨日のことも含めた彼女の秘密について聞こうとしていたのであって、夏穂に呼び出されたのははっきり言って予想外だったからである。すると、彼女は思いつめたような、それでいて覚悟を決めたような顔で誠の方を向いた。
「……な、何だ? どうしたんだよ間宮?」
「朝日君に聞いてほしい話があるの。私の秘密について」
彼女はそう切り出した。
「秘密……?」
誠は驚いて聞き返す。まさか彼女自身の口からその言葉が出てくるとは思っていなかったからだ。
「うん。朝日君はもう分かってるんでしょ? 夏休み前の私と今の私、どこか明らかにおかしいって」
「……まあ、そうだな」
思い返してみればおかしなことばかりだった。目の前にいたはずの夏穂らしき人物が突然消えたことにせよ、一緒に帰っていた時のくしゃみをした後の夏穂が明らかにいつもと違っていたことにせよ、レイテストでその夏穂が突然いつもの夏穂に戻ったことにせよ、すべてに違和感があったことは確かだ。
「本当は誰にも言うつもりはなかったんだけど、目の前であんなことになっちゃったらさすがに隠し切れないと思って。だから、お詫びとしては釣り合ってないと思うんだけど、私の秘密を朝日君に教えようと思ったの」
「……そうだったのか」
「うん。あともう1つ、厚かましいとは思うんだけど、秘密を教える代わりに私のお願いも聞いてほしいの。無理なこと言ってるっていうのは分かってるんだけど」
夏穂は慎重に言葉を選びながら誠にこう聞く。それだけ今の夏穂は切羽詰まっているということなのだろう。何より、これだけのことがありながら今まで親友であるさつきにすら話そうとすらしてこなかったのだ。何か相当のことがあったと考えるのが普通である。
「……分かった。俺で良ければ話は聞くし、もし良ければそのお願いってやつも聞かせてくれないか? 俺なんかにできることなら協力させてほしい」
もし彼女が都合のいい利用相手としてたまたま正体のばれてしまった自分を使おうというのでも、自分の好きな人である夏穂と一緒にいる時間が増えるのなら構わない、そう思った誠が答えた瞬間だった。
「ありがとう朝日君!」
誠が彼女に対して抱いている複雑な感情を知ってか知らずか、夏穂は誠に抱き着いてきた。誠の顔がみるみる赤くなる。だが、そんな場合ではなかったことを誠はすぐに知ることになった。というのも、
「ごめんね、本当は不安でどうしようか悩んでたんだけど、朝日君がそう答えてくれて嬉しい。本当にありがとう……」
夏穂が誠の胸で泣き出してしまったからである。どうやら言葉以上に彼女は精神的に不安定な状態にあったらしい。
「間宮……」
誠はそのまま彼女の背中に手を回す。ほんの数日前からは考えられないことではあったが、誠は夏穂のことを抱きしめていた。夏穂は離れようとしないばかりか、さらに誠の腰に回していた腕をきつくした。
「ごめんね、ちょっとだけこのままいさせて……」
それは夏穂が知り合いに心を許した数少ない瞬間だったのかもしれない。そのまますすり泣く彼女を誠はただただ慰めることしかできなかった。