現実にこんにちは
やりたい事だってあった。なりたいものだって、それなりにあったけど。
まあ結局、大学を卒業してからも特にやりたい事も見つからずにやっていたバイトの延長。
レンタルショップの店員なんて、私的にはあり得ない将来像だ。だけど仕方ない、これが現実。
何かしらの位置があったら満足してたんだろうか、…いや、店舗長になったって変わんないか。
だって、やりたい事もやらなきゃいけない事も今の私には見つからないんだから。
――なんてひとりごちてみる。
桃乃三春、まあ何となく可愛らしい名前だと客観的に思ってしまう。
でも名前負けしてるなあ、と言うか色々と負けてるなあと言う感じだ。
レンタルカウンターに肘をついて客を待つ。客側からは見えないが、私はしっかりと椅子に座っている。
無気力でやる気なし、愛想笑いもしない真顔、何故カウンターに座っているのかも分からない、仕事を完璧になめている態度…そう、私だ。
けれどそんな私にも楽しみくらいありまして。
「桃乃ちゃん先輩、今週の日曜日空いてますかあ?」
男にも女にも媚びるようなこの女、後輩の高野だ。
入ったその日から日に日に化粧と髪が増えていく、もはや何をレンタルさせたいのか分からない。
ちなみにうちは健全なレンタルDVDとCD屋だ。非合法じゃない。
「何で?何かあるの?」
「合コンですよお、今回は当たりですって本当に!」
「日曜日ね、私より年上っている?」
「もちろんですよお、桃乃ちゃん先輩も気に入りますって!」
日曜日は戦争だ。
……そう、私の楽しみは合コン。夢も何もない職場よりお酒飲んでイケメンとわいわいしてた方が絶対楽しい。うん、絶対。
高野に行くことを伝えては、カウンター越しに店内を見渡す。
相変わらずの見知った顔ばかりが陳列棚を見ていた。
ふと考えると、新しい服がなかった気がする。日曜日に出かけるなら何か買っておかないと。
「あの、」
ぼそりとした声に顔を上げる。初めて見る顔だ。
どうやら会員カードを作りたいらしい、私はマニュアル通りの言葉で対応して真顔のままカードを作ってやった。
「そういうのが駄目なんだよ。」
会員カードを作った後、すぐさま店舗長の田沼に言われた。いつもの事だ。
可愛い新人にはいつも気味の悪い視線をやってにやにやしている。知っているんだからな、あの高野だって‘田沼さんってマジキモいんですけど‘というレベルだ。
「聞いてるのかキミはッ」
「はい、分かってます。あい、あい。」
「はいと言え、何だあいって!」
だから結婚出来ないんだよ、この三十路超えが。
…と言う視線を送ってみたが伝わらなかった。そりゃそうか。
「キミはカウンターにいるんだから愛想よくして貰わないと、サービス業だよ接客!」
うなだれながら頷く。
こんなバイトなんかやめてやる!ととか叫んでみたいけどやめておこう。まだ洗濯機の支払いが残っている。そろそろ新しいバイトでも掛け持ちしないとなあ、そうしないと洗濯機も、服だって買えない。
「桃乃ちゃん先輩!また明日~!」
愛想の良い、合コン仲間でもある高野に別れを言い店を出ていく。
帰路を辿っていくと、ショーウィンドウに自分の姿が映った。
肩につく程度の長さ、焦げ茶色に染まった髪は実は地毛だったりする。高校生の頃は散々頭髪検査で言われていた。
化粧だってあんまりしない顔はお世辞にも女の子らしい可愛らしい系ではない。
…ちょっと高野が羨ましかったりする。
合コンでは「は~い、頑張っちゃいます~」などとハイテンションで言うが仕事中はほぼ真顔。何だろう、楽しいはずなのに疲れる。
再び歩を進めるも、信号が赤に変わる。
可愛いお姉ちゃん達がチラシを配っていて、私にも満面の笑みで手渡してくれた。
チラシを片手に歩いていくと、若いママさん達が出来たばかりのマンションの前できゃいきゃいと井戸端会議をしていた。子供たちは少し離れたところでゲーム。…私もよくやったよ。
そんな事を考えていると、OL風のお姉さんにぶつかってしまった。
「あ、ご、ごめんなさい…」
「大丈夫ですよ、すみません。」
会釈を返してくれたお姉さん、良い人で良かった。
鞄を持ち直すと、ふと電柱に貼られたぼろい紙が目に入った。
“キミもヒーローに。ピンク募集”
キミもヒーローに!じゃないところが何だかテンションが下がる。
よく見ると日給五万と書いてあった。…五万?!
「どんなバイトだよこれ…」
ピンクだけにピンクっぽい仕事なんだろうか。
ちょっと私じゃ務まらない気がするな。だって需要がなさそう。
そこにはご丁寧に地図まで載っていた。どうやらこの近くにあるみたいだ。
時計を見るとまだ6時過ぎ、ちょっと見るくらい良いだろうか。そんな事を思って、地図に書いてある矢印を目的に歩き出してみた。
*
アパートだった。
しかも古い。私の住むアパートと良い勝負なんじゃないだろうか。ここで日給五万?
「いやいや、こりゃ無いな。」
引き返そうとアパートに背を向けた、その時だった。
ガチャガチャと訳の分からない不協和音、もといギターをかき鳴らす音。
次にはそれに対してなのか分からないがうるさいうるさいと喚く男の声。
近所迷惑と言う言葉を一切無視した様な感じだ。
馬鹿の集まりっぽくて凄く嫌だ。
眉を顰めていたが、近くを通ったサラリーマンが舌打ちをしていた。舌打ちだけで済ますあなたは良心的です。
「ちょっとアンタ、知り合いならきちんと言ってちょうだいよね!」
気の強そうなお年寄りが私の背中をばしんと叩く。
思わず「イタッ」と口にした。
まじまじと見ていたからだろうか、何だか知り合い扱いされている。
「いや、私は…。」
「しっかりしなさいよね、みんな迷惑してんだから!」
迷惑してんのは私だ、と言いたかったが仕方なく口を噤む。
「その音うるさいよ!」
「お前には騒音に聞こえるのか?可哀想なイヤホンを持ってるんだな。」
「何イヤホンって!耳だよ耳!」
「その通りだよ。君達の騒音の所為で千代と電話し辛いんだよ中二病が。」
…最悪だ。
もうそれしか言えない。
扉から漏れてくる声は、どう頑張っても例えても喧嘩中。
ちらりと下を見やる。
やっぱりそこには先程のお年寄りが仁王立ちで私を見上げていた。何だこの状況。私、無関係なんですけど。
眉を寄せて仕方なしに扉をノックする。
暫くして扉が開き、中に見えたのは時代錯誤気味のバンドマン、スマホ片手に満面の笑みでテレビ電話をする男、
メイド服を着た女性2人とマカロンを食べるヘラヘラした男、端にはパソコンと向き合い一切口を開かない男。
初対面の私でも分かる。
コイツらは自分しか見えていないろくでもない連中だ、と。