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加奈―2


「竜一、制服着てないけどどうしたの?」

「ちょっと今日は加奈に会いたくて学校をサボろうと思っていたところに加奈が来てくれたから、もういいや休んじゃえって感じの格好。変?」

「そんなことないよ、よく似合ってる。それに加奈も竜一に会いたかったから家まで迎えに来たんだし。加奈も今日は休もうーっと」

 俺の言い訳がましい本音を偽者の加奈が笑顔で応えてくれるし、俺に会いに来たとまで言ってきた。

 正直『加奈』の伝えたいことが分かりそうにないぞ。

 俺の家を出て右に曲がって百メートルくらい真っ直ぐ行くとコンビニが一軒あって、そこを左に曲がると例の公園がある。一先ずの目的地は公園だ。なので、加奈に「どこ行こうか?」と尋ねられても俺は事務的に「取り敢えず、公園でお話ししよう」と答える。それでも加奈は笑顔で頷くのだから気味が悪い。

 それにしてもまだ、手を繋ぎながら歩いている。もうすぐコンビニだぞ。朝飯を食べてないから寄りたいんだが、人の目が気になってしょうがない。今だって都会ほどではないものの、自動車の交通が多い地域に住んでいるわけだから、家の近くにスーパーマーケットだってあるし、近所の奥様方にでも観られたら、噂が広がるだろうし…………

 なんか変な緊張してきた。

 俺の知っている加奈なら、この変な緊張をすぐにサーチングで探り当てるところを、偽者はランランと鼻唄混じりにウキウキ気分なようで気づいていない。

「加奈、コンビニで買い物してきていいかな?」

 目前のコンビニを指差しながら、当たり障りのないように言うが、

「加奈も行く!」

 だだをこねる子供のように下から綺麗な黒い瞳で覗き込みながら言ってくる。

 なんでこの娘は『加奈』って自分のことを言うんだろう。加奈って言わないだけで俺はこの娘のことを好きになれるのに。残念です。

「加奈は朝ご飯食べてきた?」

「当たり前だよ! 加奈は竜一の側に居なきゃいけないのに。お腹壊してでも竜一から離れないからね♪」

「そ、そうなんだ。か、加奈は優しいね」

 少しだけ足取りが重くなる。

 加奈は何処までも俺に尽くしてくれるらしい。

 昔本で読んだ女性が男性に無償の愛を注ぎ込んで、結局叶わないことを知った女性は好きな男性を殺してしまう話し。

 現状を維持すれば俺は死なずに済むかも知れない。だが、実際は……本物かどうかも判らぬ加奈を片っ端から話し掛けて、加奈の心の底に眠った本音を聞くと言う、今考えた加奈との対話に備えなければならない。

「俺って軽い男に見られるのか?」

 最低な男に見られるというネガティブな思考が横切る。でもどうすればいいのだ? 今日や明日にでも本物の『加奈』に出会えたら、此処まで数多の人に加奈を名乗らせる必要はない。最低でも一週間。長くて一生。

「なんか考えるだけで疲労が……ッ」

「竜一」

「ん? 何?」

 加奈は一度立ち止まり、不安そうな顔で俺の眼を視てくる。まるで眼の奥を覗かれているようだ。

「竜一は朝ご飯食べてないの?」

「そうなんだよね」

 俺は苦笑いを浮かべ、爪で頬を掻く。

「それでコンビニか。……う~ん」

 俺の経緯を理解した加奈がコンビニを見据えながら呟き、悩んでいる。

 ――コンビニで悩むことなんてあるのか? それとも朝ご飯を食べてないことか? デートでコンビニに寄るのは無しだが、俺としてはデート気分じゃないしな。でも加奈は俺に併せて学校まで休んで……。ややこしいな。

 眉にシワを寄せ悩む俺と唸っている加奈。

 端から観れば、どういう風に俺達は映るんだろう。コンビニで朝ご飯を買うかで悩んでいるのに。

 そして時間にして十秒くらい経ったとき、加奈が顔を上げて、口を開いた。

「よし! 加奈もコンビニ行く!」

 元気な声が聞こえたと思ったときには、コンビニに向かって手が引かれていく。足取りは女の子にしては速く、力強く地を蹴っている。対して俺は引っ張られたことで躓きそうになったりして、自分から行こうと言ったのに慌てふためいた。

 コンビニの入り口は正面に対して、左寄りにあり、その頭上には宣伝広告の垂れ幕が年中掲げられている。

「いらっしゃいませ~」

 入店するとレジの向こう側で胸に研修中と記された名札を付けている女性が爽やかな笑顔を振り撒いた。

 俺は女性に見とれながら、レジの前を通り過ぎておにぎりコーナーへ。

「!?」

 しかし、加奈はそれを許さなかった。俺の握っている手を加奈は必至に引き戻して俺を先へ行かせようとしない。

「加奈、どうしたの?」

 加奈は俯いている。俺の声が届いているかさえ分からないし、加奈の気持ちも理解出来ない。

 ――朝ご飯を買うことは先程了承してくれたじゃないか。それともレジの女性をにやけながら見たら、いけないと言うのか?

 すると微かだが、加奈の声が俺に届く。

「…………だめ」

「ゴメン、聞こえなかった。もう一回言って」

「……やっぱり買っちゃだめ」

「え? なんで? 幾ら準備が遅かった朝でもお腹減ってるし」

 ぐ~、と都合よく鳴ったお腹を押さえて加奈の反応を観察する。

「私が竜一と一緒にお昼に食べようと想って作ったお弁当があるからッ!」

 今度は俺の眼をちゃんと視て、頬をピンク色に染めながら言ってくれた。これには俺も気恥ずかしさを感じて眼を逸らした。

「そうか、ありがとな」

 俺の口から出た声は自分でもハッキリと伝えられたか、分からない。それでも加奈は頷いた。

 気まずい雰囲気となったコンビニで何も買わないで帰るのは気が引けたので俺はお茶を買ってコンビニを出た。店員とも暫くは会えないな、と思いながら。



「お弁当もう食べる?」

 公園に着いた俺達は日陰にあったベンチに腰を降ろして、空を仰いでいた。

「正午まであと三〇分だし、いいよ」

 携帯電話で時刻を確認した俺は加奈の膝の上に乗せられた鞄に視線を落として朝から何も食べていないのを実感する。

 コンビニで朝ご飯を買えなかったから加奈の手作り弁当に期待していたのに加奈は公園に着くや「お弁当を食べたら、お昼ご飯が無くなっちゃう」とか、言い出してお預けになったからだ。

 加奈は「頑張って作ったんだよ」と照れながらも鞄からお弁当を取り出した。

 俺は同じ学校に通っている女学生でも失礼だが、所詮赤の他人。弁当に毒物でも入っているのではないかと、頭の片隅で考えてしまう。でも弁当箱の蓋さえ開いてしまえば、俺の思考は杞憂だと思ってしまうほど、色とりどりの野菜が敷き詰められており、美味しそうだ。

「竜一の好きな卵焼きもあるからね」

「…………」

 俺は冷や汗と沈黙が同時に起こって硬直した。

 それはピンク色の弁当箱から加奈は一膳を使って取り出した卵焼きを俺の口許へ持ってきたからで。即ち、『あ~ん』を要求してきたのだ。

「あ、あの、加奈。一人でも食べられるよ、俺は」

「竜一はこういうの嫌いなの?」

 卵焼きを弁当に戻して、見るからに落ち込む加奈。

 ――コイツは感情が表情に表れるタイプなのか? 扱いづらいな。

「加奈、卵焼き。……食べたいんだけど」

 自分でも何言ってんだ! と内心に突っ込みを入れて、加奈の機嫌を直すように心掛ける。偽者は俺を言いくるめて『加奈』の世界に取り込めようとしているのだ。俺が加奈の掌で踊らされているように見せ掛けて、『加奈』を直接問い詰めてやる。

 急がば回れである。

「あ~ん」

 加奈の掛け声とともに俺の口の中に入り、しょっぱい卵焼きが噛めずに転がる。

「どう?」

 加奈は俺の反応を気にしているようで、俺はこの不味い卵焼きを『美味しい』と言おうか、『しょっぱすぎる』と言おうか、悩む。

 普通の感性で言えば、誰が食べても『美味しい』とは言えない代物。味加減からするに砂糖と塩を間違えたという初歩的なミスだろうことも食べれば誰でも分かる。

 しかしどうだろう。卵焼きでこの不味さだと、他の料理も調理法を間違えているのではないか。

「どう? 美味しい?」

 おっと、感想を言わないと。

 加奈の表情から笑顔は完全に消えている。まだ昼間だというのに星という涙が出てしまうかも知れない。それは避けねばなるまい。なら、『美味しい』の一択しかなかったわけか。

「うん、美味しいよ。加奈は上手いんだね。料理を作るの」

「ほ、ほんと? 実は今日の朝まで失敗続きで、家出るぎりぎりに出来た卵焼きだったの! 加奈が一人で作ったかいがあったよ」

 加奈は胸に手を添えて、ほっと穏やかな表情になっていった。

 はぁ……

 心に思っていないことを言うのは、幾ら偽者に向かってでも胸が痛む。

 でもまだだ! 卵焼きは本当に調味料の入れ間違えかも知れない。きっとそうだ。俺が今言ったことが本音になれば、決して嘘にはならない。加奈は頑張ったと言っていた。他の料理は美味しいはずだ。せめてご飯だけでも。

「竜一、次はミートボール食べてみて」

 程よくソースがミートボールに絡んでいて、見た目は卵焼き同様美味しいそう。

 俺はミートボールが市販の冷凍食品であることを祈りながら、口に入れてもらった。先程と同じで「あ~ん」をして。

「おっ! 美味しい! 完璧だ。加奈、マジで旨い」

 俺の表情はどうなっているんだろう。一瞬そう思った。多分、幸せな顔をしているんだろうな、と思った。

「竜一、そのミートボールはお母さんが作ったの。次は加奈が作ったの食べてみて」

「そうなのか? 加奈のお母さんはとても素敵そうだ」

 俺は偽者の加奈と居るなかで、一番輝いている瞬間は今だと確信している。だから、加奈が作ったミートボールも加奈の母親同様の味だろうと勝手に解釈して、卵焼きの件は頭から完全に消え去っていた。

 何が言いたいかというと、俺はバカだった。

「…………」

 言葉にしただけで加奈を傷つけてしまうかも知れないと脳が感知した。

 いや、危ないのは俺だ。

 ミートボールモドキを排出しなければ、味覚障害になってしまうと体が訴えてきている。

 これほどまでに不味いのを作れるのは一種の才能か。それしか褒めるとこがない。

 あとで病院に行こ。助かる道はそれしかない。

「どう? 加奈が作ったミートボール」

「…………」

 俺は加奈を無視――シカトして公園に来る前のコンビニで、事前にこうなることを予測した上で購入したお茶をこれでもか、と思うほど、胃に流し込んだ。

「はぁ」

 口内にミートボールモドキの味がなくなったときのお茶の減り具合は尋常ではなく、五〇〇のペットボトルなのに空にした。時間にして四秒。 

 


 俺はドジを踏んだのだろうか。

 すぐ隣を優雅に座っている彼女を見れないでいる。

 俺は加奈になんて声をかければいいんだ。弁当の話題は俺が悪いことは分かっている。あのとき、男なら嘘でも笑顔を作って美味しいと言えばよかったんだ。今からでは気まずすぎてどうすることも出来ない。

 視線は滑り台やブランコなどの遊具を往復するばかりで高い位置に太陽が出ているにも関わらず、俺と加奈の間はすきま風のように冷えきった空気が漂っている。

 何か加奈と盛り上がれるネタはないかなぁ? と探しているとき、俺は滑り台に眼が止まった。先程は単なるオブジェクトとしてしか機能していなかった遊具がである。

 これは賭けてもいい話題ではないか、と思って加奈に顔を向けた。

「加奈、確か俺ん家で昔のことを覚えているとか、覚えていないとか言ってたよな?」

 俺の急な発言に眼を丸くする加奈は数秒間、素の無表情を形成して、

「あー、……言ったと思う」

 と、瞬きをいつもより数回多く繰り返して言った(適当に多くと判断)。

「なら、靴飛ばしを覚えているか?」

 加奈のことなので俺に話を合わせるために適当に頷いてもらったら、駄目なので、言葉を減らして言った。

 靴飛ばしは俺が幼い頃に流行った何処まで遠くに靴を飛ばせるかを競う遊びで靴はすぐにくたびれるため、親からしたら堪ったもんじゃない。定規を弾いて遊ぶ、あの遊びも学校で禁止になったほどだ。

「勿論覚えてるよ。靴を飛ばしたあと、取りに行くの大変だったよね」

 俺にはどうしてか作り笑いに見える笑顔でそう答えた加奈は続けて話す。

「竜一は確か、小学生のときにブランコに乗りながら、靴を飛ばして雨上がりの水溜まりに靴を落としたことも覚えてる」

 今度はクスッと鼻で笑う加奈。

「…………」

「あれ? 竜一? 竜一は覚えてなかったの? 自分から言ったくせに、もう!」

 加奈が俺を見てくる。

 ――恐い。

 え? なんで? 恐い。

 なんで知ってるの?

 恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い恐い。

 彼女は誰ですか?

 彼女は何者ですか?

 なんで俺と『加奈』しか知らない記憶を知っているんですか?

 偽者ですよね?

 偽者の『加奈』ですよね?

 俺の隣にいる彼女の名前は……、…………、加奈?

「……竜一、竜一!」

「へ?」

 加奈が俺の肩を揺らして俺の名前を呼んでいたことに数秒かけて、間抜けな声を出す人が自分だと気づくのにさらに数秒かけて、やっと自分が正気を取り戻す。

「どうしたの? 具合が悪そうだよ? 私のお弁当のせいだよね」

 なんで加奈は知ってるんだ? 俺は決して忘れていない。寧ろ加奈が言わなければ、俺が言おうと思っていた件だ。

 これも『加奈』が仕込んだことなのか? 

 この娘の記憶を改竄して新たに『加奈』の記憶を植え付けている?

 皆はそうしたから、自然なのか? 記憶の改竄をしてない俺だけが、可笑しいのか?

「……あれ?」

 皆が自然? 俺だけが可笑しい?

 脳裏に嫌な思考が一瞬だけ思い付いた。

 それだけは思ってはいけない、精神が可笑しくなる思考だった。

「…………俺が可笑しいんじゃないか?」

 汗が大量に流れて前髪が猫ッ毛のように纏まり、Tシャツは背中に張り付き、手は震え始める。

 大量に『加奈』と名乗る人物が現れて、今日をもって接触してきた。

 うん。ここまでは予定調和だ。

 でも可笑しい。

 なんで加奈は昔話を知っている!

 もしかして、加奈が増えたのではなく、俺が加奈が増やした?

「つまりだ」

 真実を見つけ出すために俺は深呼吸をして息を整えようとする。

 何事にも焦りは禁物だ。

 つまり、加奈が作り出した世界ではなく、俺が作り出した世界なのではないだろうか。

 隣で心配そうに首を傾げている加奈は俺が答えて欲しいと思ったことを答えて、でも都合よくするのは良くないと加奈に感情があると思い込んで接している。

「俺が思い込んでいる空想?」

 すると携帯電話が振動する。

 おっかなびっくりして俺はカメのように遅い動作で携帯電話を取り出して着信相手を確認する。

 相手は――俺の母親。

 速く鼓動する心臓は少しの安堵では落ち着かないようで、携帯電話を持つ手に力が思うように入らず、電話に出れない。

「竜一、貸して」

 加奈は俺の許可も取らずに携帯電話を取り上げて、勝手に電話に出た。これも俺が加奈を動かしているのだろう。

 暫く、加奈は電話の向こうにいる俺の母親と会話を弾ませながら、たまに俺に笑顔を向ける。そして加奈は俺の耳に携帯電話を当てた。

 聴こえてくるのは、誰でもない俺の母親だった。

 訊き飽きた声に心を落ち着かせ、自分で携帯電話を持つ。

 この空想が終わったら、自室にいて、自室のドアを開けたら、母親が携帯電話を片手に立ち竦んでいるのでは?

「落ち着いた?」

 携帯電話を切って、隣に顔を向けると同級生とは思えない包容力が有りそうな彼女が俺にそう訊いてきた。

 俺は彼女に笑顔を作った。

 出来ていたかはともかく。

「空想男ってどう思う?」

 俺は皮肉げに彼女に訊いた。彼女はは言う。

「私は竜一が竜一でいるなら、気にしないよ」

「きみ、名前は?」

「加奈。加奈って呼んで」

 所詮空想か。

 俺は携帯電話を仕舞おうとしたが、握っていたはずの携帯電話が無くなっている。

 先程持っていた手を開いたり、閉じたりを繰り返すが、今の俺にはいらないような気がする。

「加奈、靴飛ばしやろうよ」

「いいけど私強いよ」

 俺は彼女の手を引っ張ってブランコに走っていく。

 途中でどんなバカップルだと、思ったが、楽しんだ者が勝ちと、屁理屈にも聞こえる言い訳を胸にしまってブランコをこぎ始めた。


 ――いざ、勝負だ。昔のように。

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