加奈
詰まらない思いつきで創作した作品ですので、過度な期待をしないでくださいな。
――竜一!
ふと、静閑とした夕方の住宅街で俺を呼ぶ声が聴こえて振り返った。
吹き荒ぶ風が住宅街を縫って、俺の髪は風に抵抗することなく流れていく。
「……公園」
俺の眼は、公園に集中する。
ゆらり、と動くブランコに一人寂しく漕ぐ少女に眼が奪われた。何とも儚げで俺の脚は公園へと自然に歩き出して、入り口に差し掛かると反対側の入り口から女性の声が響いた。
「加奈!」
少女の母親なのか、加奈と呼ばれた少女はそちらに顔を向けた瞬間に笑顔を灯し、ブランコを勢いよく降りて女性の元に駆け出した。
「ママ、遅いよ」
「ごめんね」
安心を手に入れた加奈に優しく問いかけた母親は加奈の小さな手を握って公園をあとにした。
俺は加奈の一部始終を眼に焼き付けて、自宅に戻ろうと踵を返した。
「…………加奈」
固く結んでいた筈の口から少女の名がポロリ、と洩らす。
自宅に辿り着いた玄関で弟が母さんに、俺が帰ってきたことを報告して母さんの足音が迫ってくる。
「竜一! 何時だと思ってるの!」
夜と呼べる時間なのに母さんは近所迷惑も顧みずに、怒気を飛ばしてくる。
「ごめん、疲れてるから後で」
俺は俯いたまま靴を乱雑に脱いで、母さんの横を通りすぎて、二階にある自室に向かった。
丸まった背中と覇気の無さに母さんはそれ以上言わないでおいてくれたので、俺は少しだけ肩の力を抜くことが出来た。
自室に入ると電気を点けるのも億劫で、身動きが取りづらい制服のままベッドに体重を全て預けて、瞼が重くなるに従い、疲労を快復せんと眠りにつく。
(加奈。加奈。加奈。加奈。加奈。加奈)
暗い自分の心の中で連呼される名前に恐怖を抱く。何でこんなに少女の名前が耳から離れないのか。
寝返りをうつと右半身に体重が移って、体が悲鳴を上げる。
「いてて、……あー、もう朝か」
昨日の夜に閉め忘れたカーテンが朝の日差しを受け止められずに直接俺の顔に当たっていた。
浅い眠りで疲労が抜けきっていないが、日光を浴びた体は生活リズムを動かし始めたため、俺は重たい体を起こした。
外では、電線に羽を下ろしている雀の鳴き声が響き渡り、廊下では弟が学校へ行くための準備で忙しなく往復している足音が響いている。
「なんだろうな。加奈はどうしたいんだ?」
髪をワサワサと掻いて独り言。
加奈。最近になってよく聞く名前で、近所では十人くらいの少女の名前が加奈だ。テレビでも頻繁にテロップとして流れて、俺が『加奈』という名前を一日に聞く回数は昨日だけで十二回(つまり十二人の加奈を見かけたことになる)。
気持ち悪いほど聞く名前は昔から流行っているわけではなく、ここ二、三ヶ月で急増した。
芸名やハンドルネームのようにコロコロと幼い少女から改名されていき、俺以外の人間は気づいていないみたいだ。
いずれ俺の精神も『加奈』に侵食されるだろうと、予感めいたものが夢に顕れていると思うだけで恐怖に駆られる。まるで壊れる一歩手前を今か今か、と波のように押し寄せてきているみたいだ。
しかし何かの救難信号なのか、俺の幻聴なのか、知らないが、昨日公園の方から俺を呼ぶ声が聴こえたのだ。
――竜一! と。
加奈が俺を招くために呼んでいるかは定かではないが、ヒントとなるべき声が十年近く昔に加奈と遊んだ、あの公園が俺の進むべき道なのだ。
「さて、俺も準備するか」
気合いを入れ直すように声に出して、汗かいた体を軽くシャワーで流した。部屋に戻るとクローゼットから出した、今日着るラフなTシャツとジーパンを着替え、学校にお休み電話を入れる。
今日俺が学校を休み、母さんの心配も無下にする理由は『加奈』に会うためだ。しかし加奈が自ら俺に接触しに来てくれないと俺は本物の加奈に会うことができない。
つまり俺は『加奈』に会うために動こうとしているバカなのかも知れない。
一段落するとあとは一階のリビングで母さんを撒くだけになっていた(弟はすでに学校に行っていた)。
――どうしようか、と一瞬悩んだ。それは家を出るためには必ずリビングの横を通らなければならないということだ。母さんがのんびりとテレビを観ていたら、どうにかなったかもしれないが、現在は食器を洗っている。それは俺に背を向けているという状況なのだが、人は一人でいるときの物音はわりかし敏感に反応してしまう。
故に母さんに見つかるということに関しては期待していない。俺が期待しているのは――、
「竜一、まだ学校行ってなかったの? 玄関で加奈ちゃんがずっと待ってるのよ!」
「――ッ!?」
静かに階段を降りたはずだが、俺の足音を的確に察知し、催促してきた。
――いくら身構えて行動してもビビったぜ。直感働かせんなよ。
『加奈』に会うための糸口が確保出来たと思う気持ちと加奈に対する嫌悪感が腹の中でグルグルと掻き混ざって寒気を催すが、
「分かった。今行く」
階段を駆け降りながら母さんに叫んだ。
階段を降りて左に旋回すると玄関で鞄を持って立っている少女――加奈と視線を交わす。
「おはよう、竜一。学校遅れちゃうよ」
同じ高校の制服を身に纏った、艶のあるストレートな黒髪に端正な顔立ちから発せられた言葉は俺の耳を透き通った。
しかし、どんな気持ちでそんな表面上だけの笑顔を俺に向けることが出来るんだと皮肉に思う。
――俺のところに直接加奈を訪問させるとは、どれだけ俺を憎んでだよ!
ともあれ、偽者の加奈には案内人として導いてもらおう。
「加奈、もう少し待ってて。今携帯を取りに戻るから」
俺も出来たかどうかも判らぬ笑顔を作り、言葉を投げ返した。
携帯電話と財布を自室に置き忘れ、非常事態のときに外部との連絡が途絶えることは避けなければならない。交通機関を利用するための財布もしかり。それは加奈に会うだけで県を飛び越えるかも知れないし、また、ケガやコンビニで無駄に財布を出すかも知れない。
携帯電話と財布を取りに階段を駆け上がる俺に不適な笑みを浮かべて加奈は俺の名を呼ぶ。
「竜一、早くしてね?」
心臓の活動は加速し、逆に止まりそうになった脚を懸命に動かして二階に逃げる。
「……ハァ…………ハァ……」
肺に空気を取り入れるため、いつもより多く吸い込んだ。しかしこれがなかなかの作業。何者かに命を狙われている状況にいるかのようで、気道が狭く、呼吸がしにくい。
「これから加奈と行動するのか? 無理そうだぞ」
扉を開けて昨日のようにベッドに体を預ける。長距離走をしたような疲労を感じると、ゆっくりと階段を上がってくる静かな足音が聞こえてくる。
「竜一、まだなの?」
俺は、はっと顔を上げて焦りを感じる。
携帯電話と財布を手に取ったのと加奈が俺の部屋に侵入して笑顔を振り撒いたのは同時だった。
「……ああ。行こう」
言うと加奈は俺に手を差し出してきた。俺は嫌な推測をして尋ねてみると加奈は首を縦に振って、俺の手を強引に繋いだ。柔らかい少女の小さい手で全力で握ったら、折れてしまいそうだ。
「竜一と二人きりで話すのは何年振りかな?」
階段を降りるときも玄関で靴を履くときも決して振りほどくことはなかった手を俺は受け入れたように硬く握った。
「加奈となんて話したことないよ」
偽者はまるで本物と同一であるかのように語るが、俺は『加奈』しか興味がない。
玄関の扉を開けると陽光が眩しく輝いていた。
「竜一は加奈と遊んだこと忘れたの?」
「覚えているよ。嫌な思い出として」
横を向くと近くには加奈がいる。俺の知らない加奈だ。
――『加奈』。俺はお前に会いたい。
日本中が偽者の加奈に染まっているこの日常から抜け出したくて、俺は学校を仮病まで使って本物の加奈に会いに行く。
少し改稿しましたが、可笑しなところがあれば、言ってください。




