第三十話 走る二人
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二十八話の続きです。
彼女は言う。
「し、知りません。あなたは誰ですか……」
「えぇ?」
一瞬面食らったシャイラは瞬時に冷静さを取り戻す。
「あなたの名前は?」
「ロ、ローザです」
「わたしはシャイラです」
「はぁ、そうですか……」
シャイラが再び俺の方を振り向いた。
いちいちこちらを振り向かないでくれ、と思いつつ無視も出来そうにない。
ローザも逃げる様子はないし、店内に入ってきた俺の姿を見ても何一つ表情を変えなかった。
彼女は自らを「ローザ」だと名乗った。
ついに彼女を見つけ、喜ばしいのだが……どうも腑に落ちない。
「君の名前は、本当にローザか?」
「は、はい……」
「パン屋の前はどこで働いていた?」
「クラリーネ様のお屋敷です。従業員の宿で身を隠していました。最近、あそこを脱走したんです」
ローザは流暢に述べる。
彼女はローザに違いは無さそうだ。しかし、釈然としない。
俺がずっと秘密裏に探していた女性が、こうも容易く自らを開示するだろうか。
相手は一筋縄ではいかない相手であることは、俺がよく分かっている。
「あ、あの。あたしが何かしてしまっていたのでしょうか……」
ローザは怯えている。これも演技か?
痺れを切らしたシャイラが一歩詰め寄った。
「嘘を吐いてもあなたの為にはならないですよ」
「う、嘘なんかついてません!」
「あなたがローザなら、服を脱いでください」
「は!?」
シャイラの唐突な言葉にローザは顔を赤くしてのけ反った。
「おい、見境が無いのか」
「ヘルバートさん! 誤解しないで下さいよ! わたしはトリーゼ様一筋ですから」
「ならいいが……」
「いいんですか!?」
「いや、よくはない」
ごちゃごちゃ言い合う俺達を見たローザは、徐々に正気を取り戻したようだ。
やや凄むようにして、彼女は言う。
「あの、あたしを揶揄っているだけなら、止めてください」
「揶揄ってなどいませんよ。あなたの体のどこかに、痣があるはずです」
「痣? ……あぁ、ありますよ。背中に。ずっと消えないんです」
「それを見せていただくことは可能ですか?」
「なぜ?」
「呪いを解きたいからです」
シャイラの一言で、場に沈黙が訪れる。
パン屋の外の喧騒が遠くに聞こえ、長い時が経ったかのように錯覚する。
ローザはため息を吐き、小さく声を漏らした。
「あたしは呪われているんですか? ローザが?」
「はい。というか、あなたが呪いを掛けたんでしょう? トリーゼ・ファルシカに」
「トリーゼ・ファルシカ?」
「この期に及んでしらを切るつもりですか」
シャイラは苛立っていた。
ローザは意図して話を逸らそうとしている訳でも無く、何とか言いくるめようとする訳でも無い。
先ほどから、何か嫌な感じが拭えない。
犯人を突き止めたという達成感がまるで感じられない。
「トリーゼ・ファルシカ……。本当に知りません。呪いだなんて、あたし出来ません」
「じゃあ、あなたは今までどこで何をしていたんですか!」
「わっ」
シャイラがバンと会計台を叩いた。
無理もない。目の前の彼女は、俺達の大切な人を苦しめた……。
いや、本人は曖昧な意識の中で執筆活動に勤しんでいたようだから、苦しんでいたかは別だが――、とにかく大切な人の五年を奪った憎き人物なのだから。
「は、働いていました!」
シャイラの剣幕にローザが急いで答える。
シャイラもここが攻め時だと感じたのだろう。強気な姿勢を崩さず、矢継ぎ早に問うた。
「どこで?」
「屋敷、です」
「誰の」
「クラリーネ様の……」
クラリーネの元にいた可能性は濃厚らしい。やはり、彼女こそが本当のローザなのか?
「どんな仕事?」
「家事や雑事を……魔法が使えたので、あれこれやらされていて……」
「は?」
思わず声を漏らしたのは、俺だった。
ローザは魔法が使えないはずだ。
魔法の才能はその人の肉体より、魂の性質に左右されるのだろう。
ローザが乗り移っていたお嬢は魔法が使えず、今のお嬢は魔法を使うことが出来る。
嘘を吐いているか、ローザが最近魔法を使えるようになったのか、判断が出来ない。
……はたまた他の可能性があるのか。
「では、お嬢様の体で魔法が使えないフリをしたのはなぜだ」
「お嬢様……? クラリーネ様のことですか? あの方は魔法が使えないはずですよ。体で使えないフリ……? 何のことを言って……あ、待って、まさか……」
確信をした。彼女は、ローザであるが、ローザではない。
「俺が言っているお嬢様は、トリーゼ・ファルシカ。クラリーネが足元にも及ばない貴族のご令嬢だ」
「それにとても美しいお方ですよ。やや抜けているところがあるけれど、誰に対しても平等に接してくれる。裏表が無くてまるで女神のようなのです」
「シャイラ、うるさい」
彼女がお嬢を知らないのも無理もない。
この女性は長らく閉鎖的なクラリーネの元で働いていたのだから。
「君はなぜその体にいる、マリア」
その名に、彼女の肩がビクリと震えた。
「――っ、お嬢が危ない」
俺はその場を飛び出した。
雑踏を掻きわけ、息をするのも忘れて走る。走る。走る。
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マリアはトリーゼに向かい、上目づかいで言った。
「お嬢様、少し外に行きませんか?」
「いいよー」
「ありがとうございます! お気に入りの場所があるんです。お嬢様には是非、見ていただきたくて」
恥じらいつつ、もじもじするマリアに、トリーゼは毒気を抜かれていた。
クラリーネの元で扱き使われていた彼女の事だ。荒んだ心を癒すお気に入りの場所があるのだろう。
そんな場所に連れて行ってもらえるなんて、心を許してくれた証拠だ。
「では、ご案内します! ここからそう遠くはありません!」
マリアは駆け出した。
トリーゼはマリアが転ぶのではないかと気が気ではなかったが、今日は調子がいい日らしい。
はっきりとした足取りで、彼女はずんずん前を進んでいく。
「急いでください! 日が暮れてしまったら大変です!」
「まだ……お昼だけど」
「いいから!」
マリアは走る。
浮きだった心を気取られぬように。
――ローザは走った。
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