無能と蔑まれた俺の『収納』スキル、実は次元倉庫でして。追放された先で伝説の武具を根こそぎ独り占めしていたら、今更「戻ってきてくれ」と泣きつかれても、もう遅い
【序章:石ころの追放】
「アルト、お前は今日でクビだ」
勇者レオナルドの言葉は、氷のように冷たかった。
彼の金色の髪が、ダンジョンの入り口から差し込む光を反射してキラキラと輝いている。その輝きが、俺の惨めさを一層際立たせた。
「……え?」
聞き間違いかと思った。だが、レオナルドの隣に立つ魔術師ソフィアの侮蔑に満ちた視線が、それが現実だと告げていた。
「『え?』じゃないわよ。聞こえなかったの?」
ソフィアが、真紅のルビーが埋め込まれた杖の先で、俺の胸をツン、と突く。
「あんたの『収納』スキルは、私たち『暁の剣』にはもう不要なの。荷物持ちなんて、もっとマシな方法がいくらでもあるもの」
俺のスキル『収納』。
それは、アイテムを異空間に保管できる、ただそれだけの地味なスキルだった。戦闘能力は皆無。パーティーの冒険中は、ひたすら仲間が手に入れた素材や、皆の分のポーション、食料を運ぶのが俺の役割だった。
「そ、そんな……。俺なりに頑張ってきたつもりだ」
「頑張る(笑)?何を?」
大盾使いのゴードンが、腹を抱えてゲラゲラと笑う。
「荷物を詰めたり出したりするだけだろうが。そんなの、子供の使いと変わらねえよ。俺たちが命懸けで戦ってる間、お前は後ろで見てるだけ。それで同じ報酬をもらってるんだから、楽な商売だったよな?」
違う。
ダンジョンの深層では、いつ魔物が出現するか分からない恐怖の中、皆がすぐにポーションを使えるように常に神経を尖らせていた。誰のどの装備が傷んでいるか、食料はあと何日持つか、全てを管理していたのは俺だ。
だが、そんな声は喉の奥で消えた。
彼らが欲しいのは、俺の言い分じゃない。ただ、不要なものを切り捨てるための「正当な理由」だけなのだ。
レオナルドが、やれやれと大げさにため息をついた。
「いいか、アルト。俺たちはもっと上を目指す。来月には、まだ誰も完全攻略した者がいない『忘れられた王の墓所』に挑むんだ。そこに、お前のような“お荷物”を連れていく余裕はない。分かるな?」
「忘れられた王の墓所……」
その名は、すべての冒険者の憧れだ。最深部には、建国神話に語られる伝説の武具が眠ると言われている。
「そういうことだ。これはパーティーの総意だ。異論はないな?」
俺は、仲間たちの顔を見回した。
いつも冷静な弓使いのリナも、無口な盗賊のジンも、目を逸らすだけだった。誰も、俺を庇ってはくれない。
ああ、そうか。
俺は、このパーティーにとって、その程度の存在だったのか。
ただの便利な「道具」で、もっと便利な道具が見つかれば、あっさり捨てられる石ころだったのだ。
「……分かった」
絞り出した声は、自分でも驚くほど乾いていた。
「物分かりが良くて助かるわ」
ソフィアが嘲笑う。
「はい、これ。餞別よ」
パサリ、と足元に小さな革袋が投げ捨てられた。
チャリン、と軽い音がして、中身が数枚の銅貨だけなのが分かった。手に取ると、ひやりと冷たく、虚しいほど軽い感触がした。舞い上がった土埃の匂いが、鼻につく。
俺は、唇を強く噛み締めた。
悔しさで、目の奥がジーンと熱くなる。だが、ここで涙を見せれば、彼らはもっと喜ぶだろう。それだけは、ごめんだった。
俺は黙って革袋を拾うと、彼らに背を向けた。
その背中に、最後の追い打ちがかけられる。
「せいぜい、どこかの街でポーターでもやって稼ぐんだな!無能スキルにはお似合いの仕事だぜ!」
ゴードンの下品な笑い声が、背中に突き刺さる。
ドクン、ドクン、と心臓がうるさく鳴った。
怒りか、悲しみか。自分でも分からない感情が、腹の底で渦を巻いていた。
◇ ◇ ◇
【第一章:覚醒】
パーティーを追い出され、一人で街への道を歩きながら、俺は自問自答を繰り返していた。
これからどうする?
ポーターの仕事を探すか? だが、ゴードンの言う通り、それは日銭を稼ぐのがやっとの仕事だ。プライドが邪魔をするとか、そういう問題じゃない。あまりにも、未来がなさすぎる。
「クソッ……!」
腹立ちまぎれに、道端の石を蹴り上げた。
石は放物線を描いて、森の茂みの中に消えていく。
ガサガサッ!
その瞬間、茂みから何かが飛び出してきた。
「グルルル……」
涎を垂らした、二匹のゴブリンだった。
緑色の醜い肌。手には錆びた棍棒を持っている。冒険者にとっては最弱の魔物だが、戦闘能力ゼロの俺にとっては、死神に等しい。
「まずい……!」
逃げようとしたが、足がもつれてその場に尻餅をついてしまう。
ゴブリンの一匹が、棍棒を振り上げながら、ゲヒヒ、と下卑た笑い声を上げた。
終わった。
こんなところで、ゴブリンに喰われて死ぬのか。
俺の人生、本当にろくでもなかったな。
そう思った瞬間。
頭の中に、無機質な声が響いた。
《スキル『収納』が、極限状況下における生存本能に呼応。隠された機能が解放されます》
「は?」
《『収納』スキルを『次元倉庫』へと進化させますか? YES/NO》
なんだ、これ。幻聴か?
だが、目の前のゴブリンは待ってくれない。棍棒が、風を切る音を立てて振り下ろされる。
もう、どうにでもなれ!
俺は、心の中で叫んだ。
YES!
その瞬間、世界から音が消えた。
いや、違う。俺の意識が、別の空間に飛んだのだ。
目の前には、果てしなく広がる、グリッド線が引かれた空間があった。天井も、壁も、地平線も見えない。無限の空間。
そして、その空間に、見慣れたアイテムたちが整然と浮かんでいた。
ポーションの小瓶、携帯食料の塊、予備の松明、砥石……。これまで俺がパーティーのために『収納』してきた、全てのアイテムだ。
《『次元倉庫』への進化が完了しました》
《特性:容量無限。内部時間停止》
「容量……無限? 時間停止……?」
訳が分からなかった。だが、一つの仮説が頭をよぎる。
時間停止、ということは、中に入れたものは腐らない? 劣化しない?
容量無限ということは、どんなものでも、いくつでも入れられる?
思考が、そこまで至った時。
俺の意識は、現実世界に引き戻された。
ブンッ!
目の前を、ゴブリンの棍棒が通り過ぎる。
間一髪だった。
「グルァッ!」
空振りしたゴブリンが、体勢を崩す。
チャンスは、今しかない。
俺は、もう一匹のゴブリンに向かって、右手を突き出した。
そして、頭に浮かんだイメージを、強く念じる。
――次元倉庫に、入れ!
「え?」
俺自身が、一番驚いた。
目の前にいたはずのゴブリンが、忽然と姿を消したのだ。
「ギ、ギギッ!?」
残されたゴブリンが、仲間が消えたことに混乱している。
俺は、信じられない気持ちのまま、そいつにも同じように右手を向けた。
――収納!
シュンッ、という軽い音と共に、二匹目のゴブリンも目の前から消え去った。
森の中に、静寂が戻る。
俺は、呆然と自分の右手を見つめた。
「うそ……だろ……?」
恐る恐る、次元倉庫の内部をイメージする。
すると、先ほどの無限空間に、二匹のゴブリンが微動だにせず、完全に静止した状態で浮かんでいた。まるで、精巧なフィギュアのように。
「生き物も……入れられるのか……」
そして、もう一つの疑問が浮かぶ。
入れたものは、出せるはずだ。
もし、これを敵の真上で「出す」としたら?
俺は、目の前の大きな岩をターゲットに定めた。
そして、次元倉庫内のゴブリンの一体をイメージし、強く念じる。
――岩の上に、放出!
次の瞬間。
ドンッ! という鈍い音と共に、俺の頭上2メートルほどの高さから、ゴブリンが姿を現し、重力に従って岩の上に叩きつけられた。
「グゲッ!?」
静止状態からいきなり叩きつけられたゴブリンは、受け身も取れずに頭を強打し、そのまま動かなくなった。
「…………」
俺は、ゴクリと唾を飲んだ。
これって、もしかして。
もう一体のゴブリンも、同じように高所から落下させる。
二匹のゴブリンは、あっけなく絶命した。
戦闘能力ゼロの俺が、たった一人で、無傷でゴブリンを二匹、倒してしまった。
「は、はは……」
乾いた笑いが漏れる。
「ははははははははは! なんだよ、これ!」
無能スキル? 荷物持ち専用?
冗談じゃない。
これは、使い方次第で、どんな攻撃スキルよりもえげつないことができる、最強のスキルじゃないか!
俺は、死んだゴブリンの亡骸に近づいた。
普通なら、冒険者はここから素材を剥ぎ取る。だが、ナイフ捌きには技術がいるし、何より血生臭い。
でも、俺なら。
俺はゴブリンの亡骸に手をかざした。
――こいつを丸ごと、次元倉庫に『収納』する!
シュン。
ゴブリンの死体は、跡形もなく消えた。
「すげぇ……」
これなら、素材の剥ぎ取りなんて面倒な作業は必要ない。魔物を倒したら、丸ごと収納して、街の解体屋に持っていけばいい。鮮度も落ちない。何せ、内部は時間停止なのだから。
ザワリ、と風が木々を揺らす。
俺は、森の奥を見つめた。
さっきまでの絶望が、嘘のようだ。
目の前には、無限の可能性が広がっているように見えた。
「レオナルド……ソフィア……」
俺を捨てた、元仲間たちの顔が浮かぶ。
彼らは今頃、俺がいなくなった分、自分たちで重い荷物を背負い、ヒーヒー言っている頃だろうか。
「見てろよ」
俺は、誰に言うでもなく呟いた。
「俺は、俺のやり方で、お前たちよりもずっと上にいってやる」
その日を境に、俺の人生は、180度変わった。
◇ ◇ ◇
【第二章:金の鳴る音】
俺は、近くの街「クロスロード」に辿り着いた。
まずは冒険者ギルドに向かう。目的は二つ。冒険者としての正式登録と、今日の稼ぎの換金だ。
ギルドの扉を開けると、酒と汗の匂いが混じった熱気が顔を撫でた。
ガヤガヤとした喧騒の中、俺は受付カウンターへと進む。
「すみません、登録と、魔物の買い取りをお願いします」
受付に座っていたのは、亜麻色の髪をポニーテールにした快活そうな女性職員だった。名札には「エララ」と書かれている。
彼女は俺の貧相な身なりをチラリと見て、少しだけ目を細めた。
「はい、こんにちは。登録ですね。……それと、買い取りですか? 魔物は何を獲ってこられたんです?」
その口ぶりは丁寧だが、どうせスライムか何かだろうという侮りが滲んでいる。
無理もない。
今の俺は、錆びついたダガーを一本腰に差しているだけ。まともな装備は何一つない。
俺は、カウンターの上に手を置いた。
「ゴブリンを二匹です」
「ゴブリン二匹、承知しました。ではこちらの台の上に……」
エララは、そう言いかけて、言葉を止めた。
俺が、カウンターの上に何も出していないからだ。
「……あの、お客様? 買い取ってほしい魔物は、どちらに?」
「ここです」
俺は、カウンターの上に置いた手のひらに意識を集中した。
次元倉庫から、収納したゴブリンの死体を一体、取り出す。
ドンッ!!
重々しい音と共に、突如としてカウンターの上にゴブリンの死体が出現した。
完璧な状態の、無傷のゴブリンが。
「ひゃっ!?」
エララが、椅子から転げ落ちそうになるほど飛び上がった。
周りで酒を飲んでいた冒険者たちの視線が、一斉にこちらに集まる。
「な、な、な、な、何ですか!? 今のは!?」
「ですから、ゴブリンです。もう一体います」
俺は表情一つ変えず、ドンッ、ともう一体を取り出した。
カウンターが、ゴブリン二匹でぎゅうぎゅうになる。
ギルドの中が、シン……と静まり返った。
誰もが、何が起きたのか理解できずに、俺の手元とゴブリンを交互に見ている。
「ま、まさか……アイテムボックス系のスキルか……?」
誰かが、かすれた声で呟いた。
「すごい……! こんな完璧な状態のゴブリン、初めて見ました!」
混乱から立ち直ったエララが、好奇心に満ちた目でゴブリンの死体を調べ始めた。
「血抜きもしていないのに、鮮度も抜群です! これなら、素材だけじゃなく、肉も魔法薬の材料として高く売れますよ! 一体につき銀貨5枚! 二匹で銀貨10枚でいかがでしょう!」
銀貨10枚。
以前のパーティーで、一週間働いて俺がもらえる分け前よりも多い金額だ。
これが、たった数分で稼げた。
「それでお願いします」
「はい、喜んで! ちょっと待ってくださいね!」
エララは、スキップでもしそうな勢いで奥に引っ込んでいった。
残された俺は、周囲の視線を一身に浴びていた。
「おい、今の見たか?」
「ああ。マジックバッグもなしに、どこから出したんだ?」
「とんでもない『収納』スキルの持ち主だぞ……」
さっきまで俺を虫けらでも見るような目で見ていた冒険者たちが、畏怖と興味の混じった視線を向けてくる。
気分がいい、と言えば嘘になる。
だが、少なくとも、不当に見下されるよりは遥かにマシだ。
これが、力か。
すぐに戻ってきたエララから銀貨10枚を受け取り、冒険者としての登録も済ませた。
「アルトさん、ですね。Fランクからのスタートですが、あなたならすぐにランクアップ間違いなしです。応援してますね!」
彼女の屈託のない笑顔が、少しだけ心に染みた。
ギルドカードに刻まれた俺の名前とランク「F」の文字が、やけに誇らしく見えた。
その足で、俺は宿屋と武具屋に向かった。
まずは清潔なベッドを確保し、大衆食堂で温かいビーフシチューを注文する。運ばれてきたシチューの豊かな香りが鼻をくすぐり、一口食べると、柔らかく煮込まれた肉の旨味と野菜の甘みが、空っぽだった胃袋にじわりと染み渡った。
生き返る心地がした。
残った金で最低限の革鎧と、まともな剣を買った。
もう、ゴブリン相手に怯える必要はない。
その夜。
ベッドに横になりながら、俺はこれからの計画を立てていた。
この次元倉庫の力を使えば、普通の冒険者には不可能なことができる。
例えば、ダンジョンの奥深くでしか採れない薬草や鉱石。普通なら、何度も往復して少しずつ運ぶしかないが、俺なら見つけただけ持ち帰れる。
例えば、強力な魔物の素材。普通なら、重くて運べないような巨大な鱗や牙も、俺なら問題ない。
そして、何より――。
「『忘れられた王の墓所』……」
レオナルドたちが、一ヶ月後に挑むと言っていたダンジョン。
伝説の武具が眠るとされる、最難関の場所。
普通のパーティーなら、入念な準備と、ポーター役を含めた完璧な役割分担が必要になる。
食料、水、ポーション、解毒薬、テント、焚き木……。攻略が長引けば長引くほど、荷物は増えていく。それが、彼らの行動を制限する「枷」となる。
だが、俺にはその枷がない。
「フフッ……」
笑いが込み上げてくる。
「先に、お宝、全部いただいちゃおうか」
彼らが自慢げにダンジョンに乗り込んだ時、そこがもぬけの殻だったら、一体どんな顔をするだろう。
想像しただけで、胸がすくような思いだった。
俺の復讐が、静かに始まった。
◇ ◇ ◇
【第三章:独占】
翌日から、俺のダンジョン攻略が始まった。
目的はただ一つ。金と、経験と、そして元パーティーへのささやかな「お返し」の準備だ。
俺がまず向かったのは、『粘菌の湿地帯』と呼ばれる中級者向けのダンジョンだった。
ここは、毒を持つスライムや、麻痺効果のある胞子を飛ばすキノコの魔物が多く、解毒薬や麻痺消しが大量に必要になる。そのため、多くのパーティーは長居ができず、深層部の貴重な薬草を採り尽くすことができなかった。
だが、俺にとっては庭のようなものだ。
次元倉庫には、街で買い占めたポーション類が、それこそ湯水のように入っている。
「うわっ!」
案の定、足元から飛び出してきたパープルスライムの粘液を浴びた。
すぐにステータスを見ると、「毒(弱)」の表示が出ている。
普通なら、ここで慌てて解毒薬を飲むところだ。
だが俺は、おもむろにそのパープルスライムに手をかざす。
「収納」
シュン。
毒の原因そのものが、目の前から消えた。
そして、次元倉庫から解毒薬を一本取り出して、ゴクリと飲む。
楽すぎる。
戦闘と呼ぶのもおこがましい。
敵を発見し、収納する。ただそれだけ。
巨大なオークも、俊敏なリザードマンも、例外なく俺の次元倉庫に吸い込まれていった。
彼らは、俺が「最強のスキル」で認識した瞬間、ただの「アイテム」に変わるのだ。
湿地帯の最深部。
そこには、銀色に淡く輝く『月光草』が群生していた。
万病に効くとされる、超希少な薬草だ。市場に出れば、一本で金貨10枚は下らない。
「うわ、すげえ……」
目の前に広がる光景に、思わず声が漏れた。
数十本、いや、百本以上はあるだろうか。
普通の冒険者なら、根を傷つけないよう慎重に採取し、専用のケースに入れて、数本持ち帰るのが限界だ。
だが、俺は。
「全部、いただくか」
俺は、月光草が群生している地面に手を触れた。
そして、スキルを発動させるイメージを、より広範囲に、より深く設定する。
――この一帯の土ごと、根こそぎ『収納』!
ズズズズズ……!
足元が、静かに揺れた。
見ると、月光草の群生地が、直径5メートルほどの円形に、綺麗に土ごと抉り取られ、跡形もなく消えていた。
次元倉庫の中を覗くと、巨大な土の塊ごと、月光草の群生が完璧な状態で保存されている。
「ははは! こりゃ傑作だ!」
これなら、鮮度も何も関係ない。街に戻ってから、ゆっくり好きなだけ採取すればいい。
俺は、まるで畑の作物を収穫する農夫のように、湿地帯の貴重な資源を片っ端から「収穫」していった。
街に戻り、ギルドに買い取りを依頼すると、またしても大騒ぎになった。
カウンターに現れたエララは、俺が次々と「放出」するおびただしい数の魔物の死体と、山のような薬草を見て、目を丸くしている。
「ア、アルトさん!? これ、全部一日で……?」
「ああ。まあな」
「信じられない……!」
特に、無傷の月光草を数十本出した時には、ギルドマスターまで飛んできた。
「き、君は一体何者なんだ……!?」
俺は、一ヶ月でクロスロードの有名人になった。
『次元のアルト』
それが、俺の新しい二つ名だった。エララからは「もうCランクへの昇格試験も受けられますよ!」と太鼓判を押された。
潤沢な資金を得た俺は、装備を最高級のものに一新した。
ミスリル銀で編まれた鎖帷子。風の加護が宿るブーツ。攻撃魔法を一度だけ無効化する指輪。
もはや、ゴブリンに不意打ちされて尻餅をついていた頃の俺ではない。
そして、俺はついに、あのダンジョンの前に立っていた。
『忘れられた王の墓所』
ごつごつとした岩山に、ぽっかりと空いた巨大な口のような入り口。不気味な風が、中から吹き出してくる。
レオナルドたちがここに来るのは、おそらく数日後。
それまでに、すべてを終わらせる。
「さて、宝探しの時間だ」
俺は、誰にともなく笑いかけ、一人、暗い墓所の奥へと足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇
【第四章:空っぽの玉座】
『忘れられた王の墓所』は、噂に違わぬ凶悪なダンジョンだった。
意志を持つ亡霊騎士、即死の呪いを放つ死霊、そして、侵入者の生命力を吸い取る、陰湿な罠の数々。
だが、それらすべてが、俺の前では意味をなさなかった。
罠は、仕掛けられている床や壁の部分ごと収納して進む。
魔物は、発見次第、一体ずつ収納していく。
俺の進撃は、誰にも止められなかった。食料も水も、文字通り無限にある。疲れたら、安全な場所を確保して、次元倉庫から出したふかふかのベッドで眠る。探索は、快適そのものだった。
そして、探索開始から三日後。
俺は、ついに最深部に辿り着いた。
そこは、ドーム状の巨大な広間だった。
天井には、光る苔が星空のように瞬いている。
そして、広間の中央。
幾段もの階段の上には、黒曜石でできた、巨大な玉座が鎮座していた。
玉座には、一体の骸骨が深々と腰掛けていた。
ボロボロの王衣をまとい、頭には豪奢な王冠。そして、その骨張った手には、禍々しい輝きを放つ、一振りの大剣が握られていた。
《リッチキング・アーサー》
古の王の成れの果て。この墓所の主だ。
「グルオオオオオオ……」
リッチキングが、空ろな眼窩に青い鬼火を灯し、ゆっくりと立ち上がった。
凄まじい魔力のプレッシャーが、肌をピリピリと刺す。
こいつが、このダンジョンのボスか。
俺は、リッチキング本体ではなく、その右手に握られた大剣に意識を集中した。
伝説の魔剣『ソウルイーター』。俺が狙っていた、このダンジョン最大の宝だ。
――ソウルイーターを、収納!
念じた瞬間、しかし、何も起こらなかった。
魔剣は、リッチキングの手の中で鈍い光を放ち続けている。
「……なるほど」
どうやら、リッチキングが放つ魔力そのものが、一種の結界となって収納を阻害しているらしい。スキル任せのゴリ押しは、ここで通用しないということか。
面白い。
「グルル……?」
動かない俺を、リッチキングが訝しげに見ている。
俺は、不敵に笑いかけた。
「悪いが、力ずくでも奪わせてもらうぞ」
俺はまず、次元倉庫からリビングアーマーの小隊を、リッチキングの背後に転送した。
ドン! ドン! ドン!
突如背後に出現したかつての配下に、リッチキングの意識が一瞬そちらに向く。
「グギ!?」
その隙を、俺は見逃さない。
今度は、リッチキングの頭上に、湿地帯で収納した巨大な岩を、続けざまに三つ放出する。
「なっ……!?」
リッチキングは慌てて岩を魔力で撃ち落とすが、そのために結界の力が明らかに揺らいだ。
今だ!
――ソウルイーターを、収納!
今度は、確かな手応えがあった。
リッチキングの手から、魔剣がシュン、という音と共に消え失せる。
「グ、グギ……我が剣……どこへ……!?」
武器を失い、狼狽するリッチキング。
――粘菌の湿地帯の、毒沼ごと、放出!
ゴボゴボゴボッ!
リッチキングの足元に、突如として紫色の毒沼が出現した。
大量のパープルスライムを含んだ、高濃度の毒の沼だ。
「グオオオオッ!? こ、これは……!?」
足を取られ、毒に身を焼かれ、リッチキングが苦悶の声を上げる。
そして、ダメ押しだ。
俺は、次元倉庫から一つのアイテムを取り出した。
それは、湿地帯で採取した『月光草』だ。聖なる力を宿すこの薬草は、アンデッドにとっては猛毒に等しい。
俺は、それを投石器のように、リッチキングに向かって投げつけた。
ヒュン、と風を切って飛んだ月光草は、リッチキングの額に、ペチリ、と当たった。
「ア……アア……アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
断末魔の絶叫。
リッチキングの体は、聖なる光に焼かれ、塵となって崩れ落ちていった。
後には、ボロボロの王冠だけが、毒沼の中に沈んでいった。
「……終わった」
静寂が戻った広間で、俺は次元倉庫を開いた。
中には、禍々しくも美しい魔剣『ソウルイーター』が、静かに浮かんでいる。
その柄にそっと手を触れると、ぞくりと魂が震えるような冷たい魔力の波動が伝わってきた。これが、伝説の力か。
それだけじゃない。
道中で見つけた宝箱から回収した、伝説級の盾『イージス』、神速の弓『シルフィード』、ありとあらゆる魔法を増幅する『賢者の石』……。
このダンジョンに眠っていたお宝は、今や、すべて俺のコレクションになっていた。
俺は、空っぽになった玉座を見上げた。
「さてと……」
そろそろ、主役の登場だ。
俺は、宝物庫と化した次元倉庫を抱え、悠々と墓所を後にした。
◇ ◇ ◇
【最終章:後の祭り】
▼その数日後――忘れられた王の墓所・中層
「クソッ、なんでポーションがもう尽きかけるんだよ!」
大盾使いゴードンの悪態が、湿った通路に響いた。彼の背負う巨大なバックパックは、食料と水でパンパンに膨れ上がっている。
「ゴードンこそ、無駄にポーションを使いすぎなのよ! 少しは攻撃を避ける努力をしたらどう!?」
魔術師ソフィアも、いつもは完璧に整えられている髪を振り乱し、息を切らしていた。
勇者レオナルドは、そんな仲間たちのいさかいに眉を寄せた。
「二人とも、やめろ。今は仲間割れしている場合じゃない」
だが、彼の言葉にも力はなかった。
アルトを追い出してから、彼らの歯車はことごとく狂っていた。
荷物の管理がずさんで、誰が何をどれだけ持っているか曖昧だった。食料の配分で揉め、戦闘中に必要なアイテムをすぐ取り出せずに何度も危機に陥った。
「……アルトがいれば」
誰かが、ポツリと漏らした。
その場に、気まずい沈黙が落ちる。
そうだ。あいつがいれば、こんな重い荷物を背負う必要もなかった。戦闘に集中し、常に最高の状態でいられた。あの時は不要だと思った存在が、今になって、自分たちの冒険の「基盤」そのものだったと気づかされたのだ。
「……とにかく、進むぞ。最深部の宝さえ手に入れれば、こんな苦労も報われる」
レオナルドが、無理やり自分たちを奮い立たせる。
だが、彼らを待っていたのは、さらなる絶望だった。
ようやくたどり着いた宝物庫は、すべて――もぬけの殻だった。
「な……なんだよ、これ……」
ゴードンが、空っぽの宝箱を前に膝から崩れ落ちる。
ソフィアは、呆然と立ち尽くしていた。
「誰かが……我々より先に……?」
レオナルドの顔から、血の気が引いていった。
▼そして現在――冒険者ギルド『クロスロード』
ギルドの酒場で、俺がエールを飲んでいると、一つの噂が耳に入った。
「おい、聞いたか? 勇者レオナルド様のパーティーが、王の墓所から命からがら逃げ帰ってきたらしいぜ」
俺は、口の端が上がるのを抑えられなかった。
その時だ。
ギルドの扉が、荒々しく開かれた。
現れたのは、ボロボロの装備を身につけた、レオナルドたちだった。
皆、憔悴しきった顔をしている。
彼らは、ギルドの中をキョロキョロと見回し、やがて――俺の姿を捉えた。
カウンターの隅では、エララが心配そうに、しかしどこか興味津々な目でこちらを見ている。
「アルト……!」
レオナルドが、鬼の形相で俺のテーブルに突進してきた。
ドスン! と彼がテーブルを叩く。
「お前だな! 王の墓所を荒らしたのは! 『次元のアルト』なんてふざけた二つ名で呼ばれているそうじゃないか!」
俺は、ゆっくりとエールのジョッキを置いた。
「……人聞きの悪いことを言わないでくれ、勇者様。俺は、正規の手順でギルドにクエストを申請し、ダンジョンを攻略しただけだ。何か問題でも?」
「問題だらけだ!」
隣から、ソフィアが金切り声を上げた。
「あんたのせいで、私たちの計画は台無しよ! 伝説の武具が一つも残ってなかったじゃない! どうしてくれるのよ!」
その必死の形相は、もはや滑稽ですらあった。
俺は、ふう、と息を吐いた。
「知らないな。俺が見たときには、もう何もなかった。誰か、俺より先に入った奴がいたんじゃないか?」
「嘘をつけ!」
ゴードンが吠える。
お前たちより「先」に、俺が全部いただいた。ただそれだけだ。
レオナルドが、ハッとしたように表情を変え、今度は懇願するような声色になった。
「……アルト、頼む。俺たちが間違っていた。お前のスキルの本当の価値を、俺たちは理解していなかったんだ」
ほう、来たか。
俺が待ち望んでいた、その言葉が。
「だから、もう一度、俺たちのパーティーに戻ってきてくれないか? お前の力が必要なんだ。もちろん、報酬は最高額を約束する。リーダーの座を譲ってもいい!」
リーダーの座。最高額の報酬。
かつての俺なら、喉から手が出るほど欲しかったものだろう。
だが、今の俺には、道端の石ころほどの価値もない。
「お断りだ」
俺は、きっぱりと告げた。
「な……!?」
レオナル-ドが、信じられないという顔で俺を見る。
「どうしてだ! 俺たちは、かつて苦楽を共にした仲間じゃないか!」
「仲間?」
俺は、思わず鼻で笑ってしまった。
「石ころを捨てるように、銅貨数枚で俺を追い出した連中が、どの口で仲間なんて言うんだ?」
俺は、ゆっくりと立ち上がった。
そして、次元倉庫に意識を集中する。
ズシリ、と。
俺の右手に、禍々しい輝きを放つ大剣が出現した。
魔剣『ソウルイーター』だ。
「なっ……そ、その剣は……!?」
レオナルドの目が、魔剣に釘付けになる。
彼らが血眼になって探していた、伝説の武具。
俺は、ソウルイーターを弄びながら言った。
「お前たちが俺を必要としているんじゃない。俺の『便利な倉庫』が欲しいだけだろう?」
「そ、それは……」
「図星か」
俺は、ソウルイーターを近くのテーブルに突き立てた。
ミシリ、と硬い木のテーブルが悲鳴を上げる。
「悪いが、間に合ってるんだ。俺は一人の方が、よっぽど快適に稼げるんでね」
俺は、呆然と立ち尽くす彼らに背を向けた。
その時、ソフィアが震える声で叫んだ。
「待ちなさいよ! あんたみたいな裏切り者が、伝説の剣を持つ資格なんてないわ!」
裏切り者、か。
面白いことを言う。
俺は、足を止めて振り返った。
そして、次元倉庫から、もう一つのアイテムを取り出した。
それは、リッチキングが被っていた、ボロボロの王冠だった。
俺はそれを、ゴミでも捨てるように、彼らの足元に放り投げた。
カラン、と乾いた音が床に響く。
「資格、ね。じゃあ、お前たちは、そのダンジョンのボスが落とした冠でも拾っていくといい。今のあんたたちには、そっちの方がお似合いだ」
「……っ!」
レオナルドたちが、言葉を失う。
俺の視線の先で、エララが口元を隠しているが、その目は笑っていた。彼女は、すべてを理解しているのだ。
俺は、彼らに最後の言葉を投げかけた。
「ああ、そうだ。忠告しておく」
俺は、テーブルに突き立てたソウルイーターを指差した。
「この剣、もう飽きたから、そこのギルドマスターにでも譲ろうかと思ってる。お前たちが喉から手が出るほど欲しがった伝説の剣の、なれの果てを見届けるといい」
そう言い放つと、俺は今度こそ、振り返らずにギルドを後にした。
背後で、レオナルドの「そんな……馬鹿な……」という絶望に満ちた声と、ソフィアの引きつったような悲鳴が聞こえた気がした。
外に出ると、夕日が街を赤く染めていた。
俺は、大きく息を吸い込む。
ああ、なんて清々しい気分なんだろう。
彼らは、これからどうするのだろうか。
信頼を失い、成果も出せず、プライドだけが高い元・勇者一行。
俺が捨てた「お宝」を巡って、醜い争いを始めるのかもしれない。
だが、そんなことは、もう俺の知ったことではない。
俺の次元倉庫には、まだ誰も見たことがない大陸の、未踏のダンジョンの宝の地図が眠っている。
俺の冒険は、まだ始まったばかりだ。
今度は、誰にも邪魔されず、すべてを独り占めにする、最高の冒険が。