静寂を裂く夜
ある日の晩。
その日は忙しく、私達三人ともくたびれていて
いつもより早く床に就いていた。
ぐっすり眠っていたところへ
玄関扉が力強く叩かれる。
飛び起きたシャフィが「こんな遅くになんだ?」と、玄関へ向かう。
右手には、こん棒を構え私とミアに下がっている様、目で伝える。
ミアが私の腕を強くつかむ。
「誰だ?」と言いながらシャフィが扉を細く開けると同時に、
男が大声で 「シャフィ!大変だ!ルツとリャオが憲兵に連れてかれちまった!」と
訴えた。
この男は知っている。
シャフィの友人だ。
街で出くわすと互いに軽口を叩きあっている。
いつものおどけた調子は消え失せ、
彼の顔は恐怖と絶望に塗り固められていた。
シャフィは眉間にしわを寄せて
「なんだって?」と不機嫌な調子で答える。
「密告されたみたいだ。俺、家から見てたんだよ。
突然憲兵がやってきて、ルツとリャオの家の扉をぶち壊して
二人をひっ捕らえた…。
あいつら、こないだ行商に出てた時に
商売相手とトラブルになってたらしい。
そいつらの嫌がらせだ!
あいつらがデキてるって憲兵にチクりやがった」
「今すぐ助けに行く」
シャフィは瞬発待たずに返事をした。
「おい!馬鹿か!?
同性愛で捕まった奴は磔で見せもんにされた後は即処刑だ。
明朝日の出とともにあいつらの首は飛ぶ。
助けられるわけないだろう!?
それに…罪人を助けようとするなんて、
お前まで処刑されるぞ!」
「じゃあなんでお前はこんな夜更けに俺の家を訪ねてきたんだ?」
シャフィはイライラしているのを隠しもせず
不満そうに聞き返した。
「……お前の親父さんは国の為に散った軍人さん。
おっかさんは前皇后に仕えていた方だ。
親方だってこないだ軍隊倉庫の改築のためにレンガを献上しただろ!
だから何とかあいつらにお情けをかけてもらう様、
上申してくれねぇかって頼みに来たんだよ。
仲間内でお上に繋がりがあるのは、
シャフィお前だけなんだ。……頼むよ」
最後は泣き声になっていた。
男はそこまで言うと黙りこんだ。
シャフィはため息をついて言った。
「確かに、俺の両親はかつて王と皇后のお側に仕えた。
しかしそれももはや過去の事。
うちみたいな落ちぶれた軍人の家に、お上は見向きもしないさ。
きっと忘れてしまっている。
親方だって単なる街のレンガ職人としか思われていない。
俺にはなんの力もない。
一平民だ。
ルツとリャオへお情けをかけてもらおうと頼み込むなんてそれこそ不敬だ。
その場で斬られるさ。
俺もあいつらも死ぬ。
だったら、二人を助けて逃がす。
俺が死んでもルツとリャオは生き延びる」
一息で話してから、シャフィは振り返った。
「母さん、すまない。友達が大変なんだ。
一刻の猶予もない。
行かなきゃ」
お母さんは、私の腕をさらにぎゅっとつかむ。
痛い。
背筋をすっと伸ばしたミアは、
「行きなさい。父さんもあなたを誇りに思うわ」とシャフィに言った。
私は彼女の横顔に軍人の女である覚悟を見た。
大切な人の死を恐れない、
いやすでにケリをつけている、
運命を受け止めた女性の誇り高い表情だった。
凛とした母の言葉を受け、シャフィは唇だけで微笑んだ。
「マリナ。母さんをよろしく頼む」と私に伝えた。
震えている私の返事を待たず、
シャフィは槍をつかむと馬にひょいとまたがり
闇に包まれた路地を颯爽と駆け抜けていった。
私はお母さんの腕を払い、裸足のままフラフラと家の外に出た。
手を伸ばしても届かない。
どんどん遠ざかるシャフィの背中に視界がゆがんだ。
頭が回らない。
ルツとリャオが危険だ。
シャフィも行ってしまった。
どうしよう。考えろ。考えるんだ。
このままじゃ、みんな死んじゃう!
ぎゅっと目をつぶり意識を集中する。
ゆっくり深呼吸を繰り返す。
何回目かの息を吐いたあと、覚悟は決まった。
私も行くんだ。
自分が救出に向かったところで何ができるかなんてわからない。
シャフィの足を引っ張るかもしれない。
私も殺されるかもしれない。
でも、ここでじっと待つという選択肢は私にない。
「ちょっと!あんた!馬に乗せて!」
「え!?俺!?」
急に呼ばれて男の声は裏返った。
「あんたしかいないでしょうが。
早く!シャフィの後を追うわよ!」
「いや!姉さん!それはできませんよ!殺されます!」
「マリナ!行ってはダメ!落ち着いて!一旦家に入りましょう」
怯える男とミアが私を玄関口へと引っ張る。
「いえ、行きます。ごめんなさい。お母さん。
私はシャフィを見殺しになんてできない。
彼は私の命の恩人で……弟だと思っています。
姉が弟を救うのは当たり前です」
私の言葉にミアの瞳は涙で溢れた。
今まで我慢していたのであろう、彼女の感情がはじけた。
ミアは私を抱きしめ、子どもの様に声を上げてわんわん泣いた。
しゃくり上げながら言った。
「シャフィもあなたも失ってしまったら、私はどうやって生きていけばいいの?」
「私も同じ気持ち。
シャフィとお母さんがいるから私はここで生きていられる。
だから助けに行くの。
…ちょっと、あんた!早く!馬!!って、、なんであんたが泣いてんのよ!」
男は涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃだ。
「…だって姉さんとおっかさん、感動しちまってつい・・悪い」
「泣く暇あったら早く馬の用意してってば!」
男をどやしつけてからミアに向き直る。
「お母さん、これからなにが起きるか分かりません。
うちにも憲兵が来るかも。
今すぐ叔父さんの家に避難してほしい。
大丈夫?一人で行ける?」
私は何度も頷くミアの涙を拭き、力いっぱい彼女をハグした。
手綱を引く男の後ろに飛び乗る。
馬は全速力で駆け出した。
(なんとか間に合って…。お願い)
気をゆるめると涙がこぼれ落ちそうだ。
大丈夫。絶対大丈夫。
私が弱気になってはいけない。
全員救ってみせる。