別れ
血の気が引いた。
いつからバレていたのだろう。
剣を抜いた兵士たちに取り囲まれた。
「お前たち。こんなところで何をしている」
「答えろ!」
「あ!こいつら…!
さっき広場で揉め事起こした奴らだ!」
「なんだって!?」
「囚人に触るわ、アディス様に逆らうわで
ひどい騒ぎになったんだぜ。」
「この…命知らずが…!
お前ら、脱獄の手引きをしたな!」
まずい。非常にまずい。
シャフィは無表情で、感情が全く読めない。
汗が顔から滴り落ちる。
「法を破り、王を愚弄するなど。
シュメシュの民として、おのれ恥ずかしくないのか!
切り落としてやる!」
激高した兵士は
シャフィに襲い掛かろうとしている。
「やめろ!
アディス様に俺たちが殺されるぞ!
こいつらを見かけたら
すぐに伝えるよう言われてるんだ!」
(え?アディスに伝える?)
「もうよい。聞こえておる。
猫が2匹忍び込んだとな」
「は!アディス様!
この者たちが、囚人2名の脱獄を手引きしたようです!」
「ふーん……で、囚人は?」
「え。あ、はい。ただいま捜索中でして……」
「何をしている。とっとと捕まえろ。
囚人に逃げられたなど愚か者が。
明朝、お前の首を晒されたいのか?」
アディスは表情一つ変えない。
衛兵の顔が一気に青紫になり、
慌てて兵士たちに囚人捜索の指示を出し始めた。
アディスはいつからいたんだろう。
全く気配がなかった。
彼は音もなく腕組みをしてたたずんでいた。
「さて。お前ら。
何回厄介ごとを持ち込めば気が済む?」
私とシャフィを順番に睨みつける。
まるで獲物を狩る鷹だ。
この時初めて、
私はアディスと真正面から向かい合った。
肩で切りそろえられたつややかな漆黒の髪。
黄金の額飾りがよく映える。
肌は陶器の様に滑らかで、はちみつ色。
鷹の様な瞳は髪と同じ漆黒。
とがった顎が若さを感じさせた。
羽織っている黒のガウンには
金地の糸で豪華な刺繍が施されている。
首にも腕にも金のアクセサリーを付けている。
改めて対峙すると、威圧感が半端ない。
まじで位の高いすごい人というオーラしか感じなかった。
勢いだったとはいえ、
私は相当やばい奴に
喧嘩を売ってしまったのだろうなと、今更後悔する。
シャフィは先ほどと同様、
ひざをついて頭を下げたままだ。
(逃げている間は私もビビッてたけどさ。
とはいえ、冷静に考えれば
憲兵が勝手に私たちが脱獄ほう助した~って騒いでるだけで
なんの証拠もないもんね。
適当に言いくるめてこの場を切り抜けてやる)
私がでっち上げ話を披露しようとした時だった。
シャフィはゆっくりと、
しかしはっきり通る声で言った。
「申し上げます。
私、イルマンの息子シャフィは
罪人2人をこの手で逃がしました。
罪人をかくまう事は大罪であると分かったうえでの行いです。
弁解する余地はございません」
開いた口がふさがらない。
(え?うそでしょ。シャフィ。
何言ってんの!?それ以上しゃべっちゃダメ!!)
私が抗議する間も与えず、シャフィは早口で続ける。
「しかしこの女、マリナは
なんの関与もしておりません。
すべてはこのシャフィの一存によるものです。
どうか彼女にご慈悲を」
シャフィは地面に頭をこすりつけて懇願した。
「そうか。お前たった一人の行いだと」
「はい。おっしゃる通りにございます」
「アディス様。
この者、先の近衛隊長イルマンと
亡き皇妃様の侍女ミアの息子かと存じます」
それまでアディスの横に佇んでいた長髪の男が急に口を開いた。
「誠か。イルマンとミアの?」
「はい。アディス様は幼く
ご記憶に残っておられないやもしれませんが、
わたくしはミアが時折この者を背中に負いながら
お仕えしていた事を記憶しております」
「……なるほど」
そうだ!
シャフィのお父さんとお母さんはかつて王宮に仕えた人たち。
恩情だってあるはずだ。
そう一瞬でも期待した私が
大馬鹿だった。
アディスは鬼だった。
「それはそれ。これはこれ。
罪人を逃がしたことは大罪。
それ相応の報いを受ける事になる。
おい!この者の首を跳ねよ!!」
「いや!やめて!!
この人でなし!!!!」
アディスにとびかかろうとした私を
長髪の男が制した。
「その女もやかましいわ。
殺してしまうには惜しい器量だが、
うるさくてかなわん。
共に葬れ!」
「お待ちください。
異端の女を処刑すると神の怒りに触れるということは
アディス様もご承知のはず。
殺すのが惜しいとおっしゃるのであれば
王付きの侍女メリト・ネスウトにするということで
お怒りをお沈めいただけませんか?」
私は長髪の男に抑えつけられ動けない。
こいつ細身のくせになんて馬鹿力なの!?
興奮するアディスとは対極に、冷静に長髪の男が提案をする。
「……メリト・ヌスウトか。
おもしろいことを思いつくものだな。
いい暇つぶしになるやもしれん」
厳しい表情はそのままだったが、
アディスは男の言う事に一応納得したらしい。
アディスが合図をすると、
さっき青紫になった兵士が出てきて言い放つ。
「罪人!王からのご慈悲だ!
言い残す事はあるか?」
シャフィが口を開く。
「マリナ……メリト・ネスウト……すごいよ。
よかった。これで君の命は助かる。
つまらない事に巻き込んでしまってすまなかった。
怖い想いをさせたね」
シャフィは笑っていた。
いつもと何ら変わらない笑顔だ。
(いや。やめて。そんな悲しいこと言わないでよ)
生暖かい涙がほほをつたう。
彼を今すぐ抱きしめたいのに
長髪の男が私にそれを許さない。
兵士に両腕を押さえつけられたままシャフィは続けた。
私は声にならない嗚咽をもらしながら
もう届かない手を彼に差し伸べる。
「僕たち家族にとって君は太陽だった。
君の記憶が戻って
無事に故郷に帰れることをいつまでも祈ってる。
必ず帰るんだよ。
ありがとう。姉さん」
ザッ!!!!
シャフィの命は、兵士の振り落ろした剣に奪われた。
鮮血が辺りを血の海に染め上げる。
「シャフィーーーーーー!!!!!
いやあああああああ!!!」
私の絶叫が、
夜明けを目前に白みだした空へこだました。




