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第24話 道

 「彼女は君になにも話していないようだね。厳しい道になる。吉田さんは誰にもなにも言わず愚痴ることもなく、ただただ未来に繋がる道を歩いていった女性だよ」


 彼女にどういう苦労があったのか、僕は知らない。


 ー 自分の思い通りになることなんて十個のうちの二つか三つあれば充分、運のある人だと思うよ ー


 リハビリの先生が言った教訓じみた言葉を聞くのは二度目だった。そうだ、吉田深雪さんと出逢って間もない頃、彼女が僕に言ったものと一字一句同じだった。

 

 高額ながらもパソコンは徐々に家庭内に浸透していき、音声を文字化するソフトは既にあるにはあった。しかしOSが更新されるたびに不具合が生じてしまい、ソフトがハードに追いついていけない状態にある事を教えてもらえた。人間が作り上げた利便性をその人間が享受できない時代に突入しているようだった。


 「きっとここまでの開発には吉田深雪さんの成果も反映されているはずだよ。彼女、本当に頑張り屋さんだったからね」


 そうか、視力障害者のためのハードもソフトも、あの気丈だった彼女が歩んでいた道なのか。僕が彼女の夢を受け継いでいく覚悟を決める日になろうとしていた。


 吉田深雪さんはきっと僕にこう言うだろう。


 ー 私の作った道を壊さないで、しっかり勉強してね。良雄君が決めた道なら私は応援するけれど、途中で投げ出したら許さないからね ー


 彼女のように気丈な生き方を僕ら、光なき者も選べることが出来るよう、僕が次の道を作ってみせる。


 自宅に戻ると僕は父と母、姉に対して決意表明をした。


 「そうか、わかった。良雄の人生だ。頑張ってみろ。お父さんは応援する。でもな仇打ちみたいな考えはしてはいけない。人を恨むことで良雄が幸せになる事は決してないからな」


 父は僕の信念を理解してくれたし、母も姉も賛同してくれた。


 「エレクトーンの練習は続けるの?」


 姉は僕の返答にきっとがっかりするだろうが今、僕がやるべき事は未来における自立であり、親の庇護を離れて自活できるようになることだ。


 「ごめん、途中で投げ出してしまう事になっちゃって。でも時間ができて、僕自身に気持ちの余裕ができた時にはまた姉ちゃんに教えてもらいたい」


 「うん、そうだね。良雄は二曲だけは弾けるようになったから、また弾きたくなったらお姉ちゃんの部屋に来ればいいよ。ちゃんとノックしてから入ってきてね」


 姉の優しい言葉に母が反応した。


 「良雄ってエレクトーン弾けるの?」


母は僕に聞いてきたのか、姉に聞いてきたのか判らないが言葉を返したのは姉の方が僕より早かった。


 「うん、ビートルズのレット・イット・ビーっていう曲とドント・レット・ミー・ダウンっていう二曲だけね」


 「弾いて聴かせてみてよ」


母の言葉は姉にとっては予想通りのリクエストだった。


 「うん、良雄、お母さんに聴いてもらいなさいよ」


女同士だ。姉が追随してくるのも予想できていた。


 「弾かないよ。風呂に入ってカブト虫たちに餌をあげ終えたら、今夜は聴きたいラジオ番組があるんだ」


 僕はそう言って断ったが、理由付けしたのではない。本当に聴きたいラジオ番組があった。ビートルズのライブ盤レコードの全曲目が今夜、放送されるのをカセットテープに録音したかったんだ。


 「ビートルズで思い出した。あのカブト虫たちを雑木林に放してきてよ。もううるさいし臭いし、大きなゴキブリみたいだし」


 五十数匹いた芋虫のうち、二十七匹が成虫になった。そのうちの十五匹が雄で、さらに九匹はツノが曲がっていた。でも僕にとってツノの曲がったカブト虫は珍種に思えて『僕が作り出した僕だけのカブト虫』になった。


 なぜツノが曲がってしまったのかは、きっと腐葉土のせいだと思う。農耕用の腐葉土と、クヌギやコナラの樹から落葉して出来上がった腐葉土では栄養価が違うだろうし、僕が事あるごとに、ほじくり返していた事が芋虫たちにとってはストレスだったに違いない。でも二十七匹も成虫になった事に喜びを感じたのは確かだ。僕にとって初めてのチャレンジは大成功だった。


 母には相変わらずカブト虫の可愛らしさも格好良さも理解してもらえないままだったが父も僕もあのツノが九十度曲がっているカブト虫たちを腐りかけの飼育箱の中だけで命を終わらせようとは思っていない、雑木の森の自然の中に放そうと決めていた。


 「今度の日曜日に放しにいこうか」


 八月のお盆が過ぎた頃だった、父の提案に僕は従った。母の小言がひとつ減るのは助かるが、少しばかりの寂しさもある。


 「うん、五円池のはずれのクヌギの大木に放そうよ。もしかしたら卵を産んで、幼虫になり、命を引き継いで来年の夏にまた、ツノの曲がったカブト虫が一匹だけでも戻ってくるかもしれない」


 来年の夏、その時が来ても僕はカブト虫の姿を見る事は出来ない。そう、それはきっと確からしい事なのだ。

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