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第13話 瞽女 後編

 この日、僕はリハビリセンターの片隅で自主練習に没頭し過ぎていた。気が付くとリハビリの先生はいなくなっていたし、時刻は夕方の四時近くになっていた。

高校生になった頃からリハビリセンターへの往復は父を頼らず自力で電車を使うようにしていた。ただ、この頃の僕はまだ充分、視力に頼ることができていたので、これから訪れる苦を知らずにいられただけである。


 高校三年間、常に僕の脳裏にあったのは『卒業までは目が見えていますように・・・』だった。

盲学校への編入の話もあった。でもリハビリセンターに通う月に一度の水曜日を除けば、ごく普通の学生生活を送ることは出来る。ただ僕の視野は三年の歳月をかけて徐々にではあるが狭くなっていき、病気は進行を止めてはくれなかった。


 友人と呼べる友達もできた。でもそれは晴眼者が言うところの友人とは必然的に違っていて、常に僕の介助的な存在となっていった。三年生の夏を待たずに左右はもちろん、上下の視野も失ってしまい、例えるなら丸くて細い筒を覗き込んでいるような感じと言えば理解してもらえるだろうか。視野の中心部分だけが丸く、くっきりと残されているだけで、それでも薄暗い光だけだと文字も図形も白い光の中に融け込まれてしまう。病魔の進行に焦りを感じながら、日々を送らなければいけなくなっていた。


 光を完全に失う前にまず頭に叩き込まなければいけなかったのは自宅の間取りであった。

玄関にたどり着くまでの段数、歩数、それに敷居の位置と高さ、引き戸、押し戸、まずは目が見えなくなってもトイレとお風呂だけは自力で行けるようになる事から始めた。と同時に両親は自宅のバリアフリー化に取り組んでくれた。

改造して取り付けられたのは階段と風呂場の湯船横の手すりだけだったのは、僕自身が極端な改築を望んでいなかったからだ。


 「階段から落ちたら大変なことになるから」と滑り落ちた事のある母の助言を受け入れて、手すりが付けられ、僕の部屋は今まで通り二階の一室のままにしてもらった。隣の部屋は六歳年上の姉が社会人になり、独立するまで使っていた。


 確か高校2年生の冬だったと思う。自室でボールペンを机から落としてしまい、どうしても見つけ出すことが出来なかった。床に落ちているはずなのに、床そのものが光を当てられた反射板のように白く輝いて見えてしまい認識できないのである。


 「姉ちゃん、ちょっと探してくれない」と姉の部屋をノックして助けを求めた。


 「机の端っこに落ちていた、はい」


 姉はそう言って僕の掌にペンを乗せて握らせてくれた。


 「良雄、ちょっと私の部屋にこない?」


 姉からの珍しい誘いを受けて多分、幼少期以来だと思う、姉の部屋に入った。姉は僕を招き入れるとずっと使っていなかったエレクトーンのコンセントを差し込み、電源を入れて音を奏で始めた。


 「うるさいからエレクトーンを弾くときにはヘッドホーンをしてくれ、が良雄の口癖だったね」


 「そんなこと言ったっけかなぁ」と僕はとぼけた。


 「良雄は誰のファンなの?」


 「サザン」


 「なんの曲が好き?」


 「栞のテーマ」


 「弾いてあげるね」


 姉はそう言うとイントロダクションからエレクトーンを弾き始め、おまけに歌まで歌い始めた。


 ー彼女が髪を指で分けただけ、それが気になる仕草・・・ー


 姉のエレクトーンの腕前は確かなものであったし、実に簡単に弾いているように僕には思えた。


 「姉ちゃん、この曲って簡単に弾けるの?」と聞いてみた。


 「簡単には弾けないなぁ、ネコ踏んじゃった!なら良雄にも弾けるかもね」


 「ネコ踏んじゃったはダサいよ。ビートルズのレット・イット・ビーならイントロだけでもカッコいい」


 「ピアノはねぇ、バイエルっていう基本があるんだけれど、良雄の好きな曲からチャレンジした方がきっと楽しいよ。お姉ちゃんはオフコースだった」


 「オフコースのなんの曲から始めたの?」


 僕がそう聞くと姉はエレクトーンを弾き始め、教えてくれた。


 ーあなたに 会えて ほんとに よかった うれしくて うれしくて・・・ー


 「言葉にできないだね」


 僕がそう言うと・・・


 「良雄、つらいね、つらすぎるね」


 姉は言葉と一緒に腕を差し出しながら僕の左頬を撫でた。


 「姉ちゃん、良雄とずっと一緒にいるからね、だから・・・」


 「僕の心配なんてしなくていい。姉ちゃんは姉ちゃんの人生を生きてよ」


 「良雄じゃあなくて私の方が病気になっていてもおかしくはなかった」


 そう姉は続けた。運命って奴だと思う。遺伝っていう運命が引き継がれる可能性は二十五パーセントらしいから、僕たち姉弟ふたりの場合、どちらかが網膜色素変性症になる可能性は五十パーセントだ。その五十パーセントを僕が受け継いだんだ。ひとりっ子だったら二十五パーセント、運命という計る事の出来ない宿命ならば、ふたりともに障害を受け継がなかったかもしれないし、ふたりともが黒い血を引きずる運命だったかもしれない。


 ーだれのせいでもない 自分が小さすぎるから それがくやしくて・・・ー


 姉はふたたびエレクトーンに向かい『言葉にできない』の続きを弾き始めた。


 「姉ちゃん、俺、戦ってやる。戦って、戦って、それから負ける」


 自分でも意味不明な言葉を口にした。そして「エレクトーンを教えてほしい」と姉に頼んでいた。


 「いいよ、超初心者コースでイントロだけなら今夜中にマスターできると思う」


 ふたたび姉はエレクトーンに向かうと「レット・イット・ビーはね、四つのコードを覚えれば格好がついちゃうの」


 そう言うとあの有名な前奏部分だけを弾いてみせてくれた。


 C、G、Am、F、C、G、F、C、たった四種類のコードだけで構成されている事を僕に教えた。


 「良雄にも出来るよ、椅子に座ってごらん」


 姉は僕の左手を鍵盤に乗せて三本の指を大きく開かせた。


 「この指の位置で二回、鍵盤を打ってみて」


 姉に言われるままCのコードとGコードを繋いで打つとそれは確かにレコードで聴いたレット・イット・ビーの最初の音だった。ニ音だけだったが嬉しかった。僕は手品に掛かっているような気分になった。

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