第1話 ハムサンド
武蔵野線は千葉、埼玉、東京を東西に結ぶ環状路線である。
府中本町駅から埼玉県を通り抜けて常磐線へと繋がっている。東京競馬場や中山競馬場への遊興路線でもあり、サラリーマンがいない土曜日、日曜日でも混雑している事が多い。人呼んで『ギャンブル路線』なのである。
環状路線であるが故に、乗り換える乗客の集団が途中駅で一気に入れ替わるのであるが、乗り換えに都合が良い車両に乗客が集中し過ぎている。
中央線に乗り換える乗客は西国分寺駅での連絡改札がある、ほぼ真ん中の車両を選ぶし、埼京線に乗り換える乗客たちは端っこの車両を占領してしまう。
この武蔵野線は府中本町側から中央線、西武池袋線、東武東上線、埼京線、京浜東北線、東武伊勢崎線、常磐線に乗り換えることができるのだが風に脆く、強風が吹くとしょっちゅう運行停止になる、かつては水没して半年以上も運行できない区間さえあった。
五十年前には無かった路線だったが、ある朝、テレビのニュースを観ていて『新路線誕生』を知った。私が小学生だったと思う。
「あの電車を利用する人はかわいそうに・・・」と思っていた時代もあったが今では私自身も利用している。なぜ「かわいそうに・・・」と感じたのかは定かではない。もともと貨物車両が走る合間を縫って、人を乗せるダイヤを組んでいたため四十分に一本しか人を運ぶ事ができなかったから、そう感じたのかもしれないが、記憶が薄くなり過ぎてしまって、はっきりとは覚えていない。父親に連れられて三郷という駅まで釣りのお伴をしたのが最初の乗車体験だったと思う。
江戸川に添うように小川がある。小川といってもホップ・ステップ・ジャンプで向こう岸まで飛び越えることなど到底できない川幅だった。この小川は澄んだ水の流れの中にタナゴという小魚を生息させていた。
釣り竿は短くてよい。五十センチもあれば充分だ。流れている水が透明なのでタナゴが餌を突くのが見て取れる。喰いついたのを見計らってスゥ〜イっと竿を上げれば簡単に釣りあがってしまう。だから浮も必要ないし餌は赤虫でよい。撒き餌も必要はない。
数年が経ち、中学二年生の時にクラスメイトの友人を伴って再訪したが、すでに死の川と化していた。
「あのさぁ、簡単に釣れるって言っていたじゃあないかぁ。」と言われても、たったの数年で水は濁り、泥の川ならまだしも、下水路になってしまっているとは想像もできなかった。それでも半日は粘ってみた。結局、餌を突く感覚も得られずに帰宅したのである。
武蔵野線を使って通勤をし始めてすでに一年以上が経っていた。できれば通勤では使いたくないと思い、あえて職場選びの際には避けていた路線であったが、大人の事情というものがあり、使わざるを得なくなってしまった。ただし金曜日と土曜日の午前中のみである。
この日、私はいつものように府中本町に向かう先頭車両の端っこ、二つ目のドアから乗車した。あえて混み合う車両を選んだのは武蔵浦和駅で埼京線に乗り換える人たちが降りた時に座席を得られる確率が大きいからである。
しかし、この日は違っていた。車内アナウンスが武蔵浦和駅に到着する事を告げると私の前に座っている男性は案の定、降りる準備を始めたので『こいつと入れ替わりに座ることができる。』と思い込んだ。
目の前の男性の腰が浮き、降り口の方に身体が傾いた瞬間だった。隣に座っていた小太りの中年女性が腰を滑らせるようにして隅っこの席に移動してしまった。この小太りの中年女性の行動によって私と並んで立って乗車していた三十歳代くらいのサラリーマンが事もなげに座席を確保できてしまった。
運に見放された人生というものを感じた。
この駅で降りる乗客の群衆が一点のドアに集中して、まるで野に放たれた伝書鳩のように下車していく。入れ替わりに突入してくる乗客の集団の中に同じ部活のスポーツウエアを着込んだ十人ちょっとの女子高生たちがいた。前に乗り込んだ乗客たちを押したり、避けたりしながら全員一緒に乗り込もうとしていたのだが「次の電車をご利用ください。」というアナウンスが流れてきた。
まったく無慈悲な言葉である。乗客たちを待たせるだけ待たせておいて、いざ乗り込もうとしたらお断りである。
集団の情報にいたスポーツウエアの数人は乗り込むことができずに、このアナウンスに従って乗車を諦めたのだが、若い者たちは集団を崩さなかった。ただの一人でも乗り込めないならば全員が撤収を決め込んだ。
一旦、乗り込んだスポーツウエアの女子高生たち全員が下車しようと逆流を始めたのだ。
私はこの光景を先頭車両の二つ目のドアの横に立ったまま見ていた。
逆流して下車している女子高生の集団の隙間から白杖が見えた。
盲人にしてみれば降りるべき人が降り切り、乗り込もうと思っていたら追加の下車が始まってしまったのだから、歩を前に出すタイミングが分からなくなってしまったのだろう。
光の差さない眼球を思いっきり見開いた形相で、事の次第に慌てていた。
それでも白杖は電車内の床を探り当てて自分の乗り込めるスペースを確認しながら右足だけを一歩進め、電車内に乗せようとしていた。さらに左足をホームのアスファルトから浮かせて身体を電車内に入れようとした時だった。
ドアが閉まり始めてしまった。
電車内にいた乗客が咄嗟にこの盲人の背に手をまわし、車内へ移乗させようと引き込もうとした瞬間だった。盲人の頬を閉まり始めたドアが左右同時に挟み込んで、顔がまるで怒っているキューピー人形のように映った。
「ハムサンド!」
盲目で初老の男性は唐突に発した。
顔だけが電車のドアに挟まったまま車中にあって、身体は駅のホーム上にある状態になってしまいながら発した唐突な言葉「ハムサンド!」に私の廻りの乗客たちも視線を盲人に向けたが、それはほんの一瞬の出来事であり手にしているスマートフォンや携帯ゲームに目を戻した。
電車のドアは危険を察知してすぐに開き、別段、事故にもならなかったのだが盲目の初老人はこげ茶色の顔をさらに握りしめ、額の汗を反対の掌で吹き飛ばしていた。
両の頬を同時に電車のドアに挟まれて発した『ハムサンド』という言葉は私には奇異に思えたのだが、周囲の者たちの無表情から察すると、そう感じたのは私だけだったのかもしれない。
武蔵浦和駅で詰め込めるだけ詰め込んだ先頭車両のドアが再び閉まり、電車が走り出すと私の好奇心も薄れて、老人の存在を気に留めなくなっていた。その証拠に私が下車する新秋津駅でこの盲人の方も下車していたことに気が付いていなかった。
新秋津駅は西武池袋線との乗り換え駅になる。西武線での駅名は秋津であり、武蔵野線とは駅自体が繋がっていない。駅と駅との間に古着屋、金券ショップ、立ち食い蕎麦屋などの商店が並んでいて、徒歩で六分ほど離れている。武蔵野線からの乗り換え駅の中で一番不便であり、過去には地下通路を作って駅同士を繋げる計画もあったが頓挫したまま今に至っている。
道幅も狭く、西武線から武蔵野線へ向かう人たちと、その逆を行く者たちが路上を不規則に歩くから、雨の日は傘同士がぶつかり合うし、道幅四メートルしかない道路を自動車も入り込んでくる。迂回路が無いのである。
この不便な乗り換え駅までの道を歩いているときに、私の脳裏の片隅から盲目の初老人が発した『ハムサンド』がやはり奇異な想いで蘇ってきていた。