10:開始
出産したのはいいが、子供は32週と週数が足りない未熟児だったので暫く入院になった。
出産した翌日、初めての我が子との対面…本当にちいさい男の子が保護ケースの中に寝かされていた。週数が足りないからこの中に入っていないといけないそうだが、肺が心配なだけで他は現時点では問題は無いと言われた。
この子に問題はない…どれだけ安堵したか。
「やっとあえたね。無事に生まれてくれてありがとう。生まれる前から色々と頑張らせてしまったね…至らない母親でごめんなさい。頼りない母親だけど、よろしくね」
涙が流れて、安堵と、嬉しさと情けなさと不安でいっぱいだった。この子を守れるのは多分、私だけだろう。
息子は母方の祖父と似た顔をしていた。母達は橋本さんにそっくりだと言っていた。
実父も継母と共に出産前から何度も来てくれたが…余計な話ばかり。それぞれ一人で来てくれた時も、実母や継父、祖母だけでなく、姉や弟への愚痴も凄まじかった。対面後は毎回私は泣いていた。産前は二人が来るとお腹の張りが酷くなったので、病院側の判断で出入り禁止になった。
橋本さんの異父兄達もわざわざ家族皆で息子にあいにきてくれた。義母と義父はそれぞれ遠方に住んでいる為、息子が飛行機に耐えられる様になってから会いに行く事を伝えた…のだが、義母は直ぐにあいたい、と来てくれた。義母がとても嬉しそうで、初めての男孫だからかとても興奮していた。
生まれたばかりの息子は保護ケースに入っている為、当たり前だが抱っこは出来ない。私も産後鮭状態でフラフラ…何もおもてなし出来なかった。
息子を見て喜んでくれた…それだけで嬉しかった。
幸せを感じた。
そう、幸せを感じたのだ。
しかし後日、前述の様に屈辱と怒りと情けなさに苛まされる。その片鱗はちょくちょく現れていたのに気付かなかった。
愚かな私。
それでも橋本さんとの生活を続けた。
息子が5ヶ月になり、医師から許可を得て電車や飛行機を乗り継ぎ、義父母宅へそれぞれ訪問。
訪問前から橋本さんに、息子の体調と体力の問題も有るので遠方へは行かない。今回は義両親へ息子の顔を見せに来たのが目的だから観光は一切、不要。もし行くなら市内のみと何度も伝えていた。
現地に着いてからも橋本さんとその親友の仁志くんにも何度も伝えたのに、長時間かけて無理矢理、美ら海水族館へ連れて行かれ、案の定、息子と共に体調不良で動けなくなった。
ホテルで横になりたいと何度も言ったのに水族館からそのまま焼肉店に連れられた。
食事も水分も摂れず、真っ白な顔の息子と私。
仁志くんの奥様、沙織ちゃんと合流。話す気力も無くなり、無言の私。水族館拉致の話を二人から聞き、沙織ちゃんは大激怒。そこで仁志くんは事の酷さに気付いてくれた様だった。
散々な旅行だった。
この旅行にかかった費用も全て私が出している。
こんな状態が暫く続いた後、橋本さんは相談無く自衛隊員になった。私に仕事を辞めてついてくる様にと打診ではなく強要されたが、これまでの彼の言動から現職を辞するのは愚策と判断。別居する事にした。
偽母子家庭の誕生。
身体の機能は問題無いと言われてはいたが、やはり週数が足りなかったせいか、息子は身体が弱く頻繁に発熱していた。橋本さんの赴任先は病院も少ないし、入居も家族寮だ。ついて行っていたらもっと大変な事になっていただろう。
私に似て食いしん坊な息子は、ミルクをゴクゴク美味しそうに飲んでは足りないとせがみ、胃に入りきれなくて口からだらだらこぼしていた。「失敗した」とにへら、と笑う顔。乳児でもこんな表情をするのか…と興味深かった。
仏頂面や笑顔も。ぷにぷにほっぺも。まんまるな身体も。ウゴウゴ動く姿も。ミルク臭い口も。体調おかしいと解る匂いも。泣き声も…なにもかもが可愛かった。
食べちゃいたい位に可愛い。その言葉の意味が解った。きっとこんな気持ち。
「隣に自分のDNAを持つ生き物が居ると考えただけで、気持ち悪いと思ってたのに。不思議。見てると面白いし嬉しいし、何かむにゅむにゅする」
「母性愛だろうなぁ。睡眠最優先のお前が、この子の為なら起きてミルクやったりオシメを変えたりしてんだから。母は強いな」
継父は息子をあやしながら、そう言ってくれた。
息子は継父が大好きで、どれだけ不機嫌でも継父があやすと直ぐ泣き止んだ。そんな息子を継父は自分の孫よりも可愛がってくれている…申し訳無い程に。
母性愛…私にもそんなモノが備わっていたのかと感慨深く、またその気持ちを教えてくれた息子に感謝とむにゅむにゅした気持ちになった。
多分これが愛しい気持ち。
この気持ちは以外と悪くはなく、嬉しいモノと感じてもいた。
この気持ちがあれば、息子と二人で生きていける…そう思ったのだった。