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【パイロット版】「Draco Magia《ドラコマギア》 Online《オンライン》 -ザラメ・トリスマギストスは死者蘇生の秘薬《エリクサー》を錬成する-

作者: シロクマ

※本連載に向けての試作品になります

 あらかじめご了承ください

挿絵(By みてみん)


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                 第一話

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※補記

 文頭記号「◆」「■」は現実世界 「◇」「□」は仮想世界視点を意味します

 「◇」はザラメ 「◆」は心桜 「■」は観測者 「□」は仮想世界第三者です


 VRMMO『Dracoドラコ Magiaマギア Onlineオンライン』はサービス開始3.5周年の秋イベント開催中だった。

 初心者向けエリア『はじまりの港』は混雑中。

 新規ユーザー向けのスタートダッシュキャンペーンの甲斐もあって活気に溢れていた。


(……人酔いしそう)


 ザラメはなかよし四人組パーティの最後尾をのそのそと重い足取りで歩いていた。

 白髪獣耳の錬金術師少女。

 ホムンクルスという種族を“選ばされた”結果、そのふさふさした獣耳に起因する聴力の修正補助フィックスアシストのせいで少々雑音や会話を拾いすぎるのだ。

 とかく、ゲームはうんざりするほど活況なご様子。


 潮風薫る港町。

 市場には彩り豊かな南国果実に屋台菓子、武器や防具の露天商まで所狭しの品揃え。


「さぁさ、初心者におすすめ! シルバーサーベルはここでしか買えないよ!」


 流麗な刀剣に目を奪われて、なかよし四人組パーティの先頭に立つシローが足を止めた。


 シローは秋の新規実装三種族の一つ『スノーマン』の少年だ。

 氷雪系の半妖精種族、エルフの寒冷地亜種ともされる。シローは銀色の剣を品定めするが、高価格――32,000DM――にただでさえ白い肌を青ざめさせた。


「32000DM!? チュートリアル終わってもまだ2200DMなのにどこが初心者向けだよ!」


「わかってないわね、シローったら」

 

 新規種族『マーメイド』の少女――ミオは、シローを小馬鹿にして一笑する。

 無数の水の玉を周囲に浮かべた人魚は、あたかも水中を遊泳するかのように自在に空中浮遊している。

 ちなみにマーメイドは人魚の秘薬によって一定時間は人間に擬態して陸上歩行もできる。

 その優美さと高い敏捷も相まって、このはじまりの港ではちらほら見かける人気種族だ。


「バカねー、課金者向け装備でしょ? 換算レートは現金の1/10だから、えーと」


「320円?」


「3200円よ! 小学五年生にもなってこんな計算もできないの!?」


「うるせぇミオ! それなら買えるぞって願望がつい先行しちまっただけだよ!」


「ふぉっふぉっふぉ。……ふたりとも、いつも仲良しさんだね」


 鉱山人ことドワーフの神官少女――シオリンは口に手を当て、物静かに微笑んでいる。

 ドワーフは初期実装の基本種族の一つ。説明不要レベルのメジャーな定番。同じ基本種族の人間に比べて、身長が低くてやや横に太い。

 種族としては生命や器用や精神に優れ、炎属性を無効化する耐性もついてくる。

 そしてお決まりの鈍重さ。

 シオリンはふんわりとした白の神官服を纏っていて、ちまっこくて可愛らしい。


 ドワーフは任意でヒゲオプションがいつでも着脱でき、今この少女はサンタクロースみたいなつけヒゲをしている。素が美少女ならヒゲつきなんでも可愛いらしい


「ふぉっふぉっふぉ」


「……キャラロール楽しんでるわね、シオリン」


「うん、ハロウィンの仮装みたいでいつもと違った自分になりきるのは楽しい……かな」


「ミオは魚臭くなっても完全にミオだな」


「ウラァ!!」


「くはぁっ!」


 ミオの強烈な尾ひれビンタを喰らい、木樽の山に叩きつけられるシロ―。

 真隣の市場の商人は大事な商売道具を壊された訳だが、しかしNPCなので「うおっ」と驚く素振りこそ見せても、これといって迷惑料だとかを求めてこない。


(……やれやれ、お子様ですね)


 ザラメ・トリスマギストスは「ゲームだし」と親友らのバカ騒ぎを軽く流した。

 秋の新規実装種族の一つ『ホムンクルス』を選んだザラメは、普段の自分より理知的でクールなキャラづけを楽しんでいた。


 錬金術の申し子といえる知力特化型種族のホムンクルスに相応しき、クールさ。

 フッとバカどもを鼻で笑いつつ、どのフルーツを買うか品定めすることに集中する。


 くんくんと鼻を鳴らせば、バナナやライチ、マンゴーにパイン、それにゲーム内のみに存在する幻想的な架空のフルーツの甘酸っぱい薫りに胸が高鳴る。


「悩ましき」


 食品アイテムの価格は安い。シルバーサーベルの32,000DMに比べて、バナナ一房たった200DMだ。現実世界の課金額に置き換えても20円しかしない。

 しかしこのVRMMO『Draco Magia Online』の全潜水式フルダイブ状態では、高精細な幻想世界を視覚と聴覚以外でも堪能することができる。

 痛覚はオート軽減が働く一方、嗅覚や味覚は不快感を与えかねないものについて軽減するフィルター設定こそあるものの、美味しさや香しさは100%体感することができる。


 つまり、このVRMMOでは“美食”が一大コンテンツとして大好評を博していた。


『ドラマギで秋のスイーツを食べ尽くしちゃおう☆』


 少女雑誌の特集記事を見かけて、ザラメが仲良し四人組に提案したのが事のきっかけだ。

 ザラメと親友のシオリンのふたりで教室で相談して盛り上がってたところを、今年から同じクラスになったミオとシロ―も興味を抱いて四人パーティ結成という流れだ。


 基本プレイ無料のドラマギは10歳以上なら遊べるので、小学生の間でも流行っている。

 むしろ高校受験で忙しくなることを鑑みれば、小学五年生から中学二年生の四年間こそが一番こうしたゲームに夢中になってみんなで遊べる時期だとザラメは考える。


 高校生はどうなのかと問われても、ザラメにはまだ五年も先のことで想像がつかない。

 とかく、ここは遊園地みたいですこぶる楽しい。


「あの、バナナ2とパイン1とマンゴー1とキウイ4とライチ8、あと金剛パインと救命ライチも」


「2500Gだね、解毒アロエも一切れおまけしとくよ」


「解毒アロエ? ああ、毒消し草ですか、まずそう」


「まずいよ」

「じゃあいいです」


「そう言いなさんな、これを錬金素材にしてポーションを錬成するんだよお嬢さん」


「でもまずそう」


「まずいよ」

「じゃあいいです」


「そう言いなさんな、これを錬金素材にしてポーションを錬成するんだよお嬢さん」


「会話がループした……! 強制ですか! これだからNPCは……!」


 時々よくある。

 VRMMO『Draco Magia Online』のNPCは自然な会話を行うようAI制御されるが、優先命令が設定してあれば、その履行を自律思考より優先する条件づけがされている、らしい。


 つまり、ここで初心者のアイテム購入にあたって先々のために役立つ支給品アイテムをそれとなく渡しておくことは優先事項なのだ。

 チュートリアルでも教えられたが、錬金術師はポーションのようなアイテム作成ができる生産職でもあるらしい。


「……でも、解毒はシオリンいるもんなぁ」


 解毒ポーションの作成には素材だけでなく費用と手間がかかる。

 無課金勢の小学生初心者の潤沢といえない初期資金をどう割り振るかを考えた時、いつ役立つかもわからない解毒ポーションより確実に使いそうな攻撃系錬金アイテムを優先したい。


 そして何より、甘くて美味しい秋スイーツを堪能したい。


「……あ、ドラゴンフルーツと火薬草と予備のフラスコとシリンダー買わなきゃ、出費がひどい」


「フラスコ? 心桜こころちゃん何作るの?」


「ザラメです。ザラメ・トリスマギストスです。詩織だって、今はシオリン・タビノでしょ」


「えへへ、しっけーしっけー」


 てへっと舌ぺろ照れ笑い。ヒゲロリドワでも妙にかわいいのはもう天性の才能だ。


 造形美は人魚姫のミオだって負けてない。

 しかしシローとミオの夫婦漫才ぶりは儚く泡と消える悲劇の童話ヒロイン像と程遠い。


 ケモミミ天才錬金術師というキャラメイクのザラメだって造形は負けていない。

 シオリンのご指名で選ばされたこの美少女然とした造形を気に入っているものの、いわゆる中の人であるザラメ――心桜の表情や仕草のせいか、やや愛らしさに欠けている。


 凛としたクールな面構えと言い張りたいが、無愛想な野良猫みたいでもある。

 遊園地の着ぐるみバイトをやったら半日でクビになるだろうとザラメは自己評価する。


(……さて、参謀役らしく、準備だ準備だぞっと)


 ザラメは必要なアイテムを渋々買っては紫色のランドセルに入れていく。

 携行できるアイテムには限度がある。携行アイテムBOXは見た目よりは収納できて重量も半ば無視できても、『格納量:中』のランドセルはもう八割が埋まってしまっている。


「錬金アイテムは高くて使い捨てで強力らしいですよ。いざって時のために今から貸し工房で錬金釜を借りて、初級レシピの“火竜の挨拶ドラコハロー”を作っておくんです」


「わぁ……! さっすが三倍えらい錬金術師様! だね!」


「ふっふっふっ、いずれ世界の頂点に立つ天才錬金術師の誕生の瞬間を目にしてしまいましたね」


「すごいすごい! ……あ、焼き栗タルトもうすぐ売り切れだって」


 五軒隣の菓子屋の呼び込みにめざとく気づいたシオリン。

 ザラメはあわてて予備のフラスコ数個をランドセルに詰め、手をつないで走り出した。


「急ぎましょう!」


「うん、売り切れちゃうもんね!」


 ザラメは全速力で走ろうとした。秋の運動会ではかけっこで六人中二位の脚力でだ。

 しかし残念なことに、ホムンクルスとドワーフは双方とも『敏捷』の値が低い。現実世界における女子小学生の自分たちよりもずっと遅い足取りに、ザラメはびっくりさせられる。


「あっ!」


 荒い石畳の段差につまづき、ザラメは前のめりに転倒しそうになる。

 なぜわざわざ路面の損耗度まで無駄に設定されているのかと言いたいが、その間もなく石の地面に顔から激突――せずに済んだ。

 だれかがザラメのことを抱き止めてくれて事なきを得たのだ。


「お前、怪我はないか?」


 力強さのある、男の腕だ。漆黒の鎧の美男子。硬くて冷たい金属鎧の片腕に収まっているというのに、不思議と、ザラメに不快感はなかった。

 やさしい言葉か、痛覚軽減設定のおかげか。

 ザラメはその小さな体を、黒い騎士の懐中にしばし預けることをよしとした。


「……無事そうだな。全く、どんくさいな、お前」


「ぬっ」


 ザラメは少々ムッとするが、腕を振り払うほどは反発しなかった。

 つい見つめてしまっていたその男の美顔はほんのりと微笑を浮かべていたからだ。

 辛辣に聴こえてどこか甘い声色の軽い罵倒は、むしろ心地よくさえあった。


『完売! 本日の焼き栗タルトは完売になります!』


「あ、ちょ、あああっ!」


 ぽけっとしている間に悲報が届く。

 ザラメは「ありがとうございました! 失礼します!」とあわてて黒い鎧の騎士から離れて、お菓子屋さんの前で呆然とするシオリンの元へ駆け寄った。


「か、買われちゃったね、最後の焼き栗タルト……」


 残念無念また明日。

 不慣れな種族の短所に翻弄され、うっかり焼き栗タルトを買い逃すだなんて。

 ぜぇはぁと短い距離を走っただけでバテる『生命』の値が低いホムンクルスのザラメ。

 一方、ドワーフのシオリンは『生命』が高いおかげか同じ鈍足でも余力があるようだ。


「なんでゲームなのに売り切れるんですかぁ~! がるるる」


「さー? でも明日があるる!」


「じゃあ約束です。明日またふたりで焼き栗タルトを買いにいきましょう」


「うん。……あれ? ふたりでいいの?」


「ふたりがいいんです」


 ザラメは悪戯げに笑ってみせる。

 ふたりは以心伝心の仲だから、すぐに「その方がきっとミオとシロ―の仲が深まる」といういらぬ気遣いと「親友同士のナイショのデザートにしたい」というささやかな悪戯心がわかりあえた。


「うん、約束」


 シオリンは夕暮れの陽に白ヒゲを茜色に染めながら微笑み返してくれた。

 まぶしくて、天使みたい。

 いや、でもこの貫禄はむしろ神様ではないだろうか。


「ふぉっふぉっふぉっ。じゃあそのためにも、いよいよ最初のボス戦だね!」


「アーチ橋のボスですね! 四人の友情パワーで撃破してお菓子代を稼ぐのです!」


 港町のはずれにあるアーチ橋に陣取る、最初のボスとの戦い。

 推奨レベル3に推奨人数4人を満たし、ちゃんと火竜の挨拶も錬成してある。

 何事もなければ、きっと楽々と勝てるはずだとザラメは計算していた。

 そう、予想外の不運なトラブルでもなければ――。




 夕刻頃、“あなた”はとあるネットニュースを目にした。


 VRMMO『Draco Magia Online』にて未曾有の電脳災害デジタルハザードが発生した。

 数百万人の利用者が一斉に強制ログアウトさせられる一方、一部の利用者が全潜水式フルダイブ接続状態のまま意識が戻らない“未帰還者”になっているそうだ。


 あなたは家族や知人に被害者がいないかと不安に感じて、今現在の確認されている未帰還者リストにざっと目を通した。


 無意識に目についたのは若年の、小学生という幼い被害者の名前だった。


『白姫宮 詩織』(11)

『甘草 心桜』(11)


 他にも複数の、若年層の未帰還者の名前が連なっていた。

 そこに貴方の知る名前がないことに少々安堵するが、しかしそれで万事解決ではない。


 見ず知らずの相手とはいえ、想定数千人を越える被災者が発生しているのだ。

 ほんの少し、あるいは強く、あなたは“なにか助けになれないか”と考えただろうか。

 


 ――その時、一通の不審な招待メッセージが届く。

 差出人の名は『Draco Magia Online』運営――とある。

 開いてみれば、一瞬そこには文字化けしたような、あるいはそもそもこの世界に属さない言語が表示され、それがあなたの読文に適した形に修正されてゆく。



『"あなた”は観測者に選ばれた』


 その一文にはじまり、謎の招待メッセージは以下のように綴られる。



『あなたは観測者に選ばれた。観測者もまた、救われるべき冒険者を選ぶことができる』


『新月の審判日ごとに観測順位下位1%の“選ばれなかった”冒険者は削除される』


『新月の審判日ごとに観測順位上位1%の“選ばれし”冒険者は脱出の機会を与えられる』


『観測者は、冒険者に“存在する力”を与える』



 あなたはこれよりはじまる物語に介入する、無数の観測者たちの一人となることができる。


 それ以外の何者であるかを、■■は知らない。


 あなたは招待メッセージを破棄して自らの日常に戻っても構わない。

 それもひとつの結末だ。

 しかし観測者であることを望むならば、同封された数点の救難メッセージを一つ読んでほしい。


『未帰還者になりました。

 だれか助けてください。

 初心者錬金術師PCです、どうか観測と攻略のご協力おねがいします。』


 差出人の名は、ザラメ・トリスマギストス。

 それは無人島の漂流者が波に託すボトルメッセージのように訴えて。

 “あなた”の観測を求めている。


 これより“あなた”は、被観測者ザラメ・トリスマギストスを見守る観測者の一人として――。

 『Draco Magia Online』の閉ざされた幻想世界へと導かれることになる。


 さぁ観測をはじめよう。

 閉ざされた箱庭の世界を覗け。

 死と冒険の舞台を目撃せよ、無色透明なる観測者よ。



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               第二話

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 シオリンの死体は重くて重くてしょうがなかった。

 崩落したアーチ橋のそばで、川水に濡れたザラメはせめて乾かせば軽くなるのではと思い、ずぶ濡れた神官服のシオリンの亡骸といっしょに、焚き火をしていた。

 銀月は他人事のように涼しげで。

 夜風はあざ笑うように寒々しい。


「……ごめんね、詩織、ごめん」


 火の粉に照らされたシオリンの死に顔は綺麗なものだった。

 どうして目覚めないのかと不思議になるほどだ。


 ザラメは泣いても叫んでも奇跡なんて起きないということをこの数時間で学んだ。

 途方に暮れた末、まず、冷静になれるまで休むことをザラメは優先した。


 ――静かな夜。

 ――凍える夜。

 ――孤独の夜。


 極度の疲労感があるにも関わらず、何も安心することができない状況下のせいでまだザラメは睡魔に襲われてはいなかった。


 異変の直前まで、ザラメ達四人はこのあたりの魔物を討伐している。川の向かい岸に打ち上げられた盗賊カワウソの死体がその証拠だ。

 今から港町まで徒歩で時間をかけて帰るよりは、目につく魔物を片付けたアーチ橋周辺にとどまっている方が安全だというのがザラメの判断だ。

 それが正解なのか、間違いなのか、その後の結果以外に教えてくれるものはないだろう。


(……観測者)


 ザラメは腰部側面に着用したホルダーからデータパッドを手にして確認した。

 このデータパッドは『Draco Magia Online』内の世界観に準じて呼べば“導きの書”といい、ユーザーの俗称では“冒険の書”と呼ばれている。


 全潜水式フルダイブプレイ時、各種情報管理に活用する。

 あらゆるデータが集約され、本来ログアウトも冒険の書で手軽にできるはずだった。


 ――無論、ログアウトも通信も今はできない。

 例外的に届いたのは管理運営者を名乗るよくわからないだれかのメッセージだけだ。

 一方的に告げられたルール。


 

『それらは観測者に選ばれた。観測者もまた、救われるべき冒険者を選ぶことができる』


『新月の審判日ごとに観測順位下位1%の“選ばれなかった”冒険者は削除される』


『新月の審判日ごとに観測順位上位1%の“選ばれし”冒険者は脱出の機会を与えられる』


『観測者は、冒険者に“存在する力”を与える』



 観測者とは、何者か。

 ザラメの読解力が正しければ、現実世界の一般人を無作為に選出、この『Draco Magia Online』に閉じ込められてしまった被災者を支援できる善意の第三者……らしい。


 ザラメは拙いなりにメッセージを書き、その観測者とやらに助けを求めていた。

 けれども、まだ音沙汰はなかった。


 ――このまま一夜が明けても、何のメッセージも返ってこないかもしれない。

 無人島発のボトルメッセージよろしく。

 一縷の望みは儚く、信じて待つには頼りなかった。


「……なにか、たべなきゃ」


 自己データを確認するに、やはり空腹値が行動に支障をきたすレベルにまできていた。

 パラメーターを見ずとも空腹感はあきらかだったものの、親友の死体のそばで“生きる”という行動を試みることにザラメは後ろめたさをおぼえていた。


 ――さびしい。

 ――かなしい。

 ――くやしい。


 本当は今頃、家族との楽しい夕食を過ごして、小学校の宿題をこなして、お風呂上がりにベッドで髪を乾かしながら親友とチャットしてゲームの感想でも言い合ってたはずだ。

 そのはずなのに。


「……わたしがあの時、みんなを誘わなければ……」


 単なる不運だとはわかっている。

 一個人には予期しようもない電脳災害なのはわかっている。


 きっと責めやしないだろう。

 そうだとしても、それはザラメにとって都合のよい親友の言葉を妄想しているに過ぎず、もう恨み言さえも発してくれないのだという現実が淡々とそこに亡骸として存在する。


 ザラメはとても疲れていた。


 ――静かな夜。

 ――凍える夜。

 ――孤独の夜。


 焚き火の熱さでは補えないほどに、ぬくもりを求めていた。


 その時だ。

 銀月よりも朧げな淡い小さな光の玉が数滴、ふわふわと舞い降りてきた。


 観測者。

 その分身たる小妖精たちがそれぞれに言葉を告げる。


▽『  』


 妖精契約語のささやきはとても優しいものだった。

 悲嘆と後悔の涙を枯れるほど流して、目を赤く腫らしていたザラメは――。

 それとは少々異なる涙を流して、ぐずつき、泣きわめいた。

 小妖精らはザラメに触れることのできない実体なき幻影なれど――。


 銀月より。

 焚き火より。


 ずっと煌々として瞬き、泣きじゃくる少女の嗚咽を優しくなぐさめた。



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             第三話

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 ――観測者である“あなた”に未帰還者ザラメ・トリスマギストスは事の次第を語る。

 なぜ、今に至るのか。


 これは未曾有の大規模電脳災害の真っ只中にいたザラメのこれまで。

 幼き少女はどこか恋しく懐かしむように、気丈に語ってくれた。




 [Lv.5]弁慶カワウソ。

 港はずれのアーチに陣取っているこのボスモンスターは、自分でも勝ち目のある弱そうな相手を見つけては武器や荷物を奪い取ってしまう。


 一見してかわいいと侮るなかれ。

 カワウソはイタチ科の肉食動物である。


 エサではない人間を自ら襲うことはなくとも、必死に反撃するときは犬や猫がとても獰猛であるように脅威になりえるもの。もし水中に引きずり込まれたら泳げない人間は溺死してもおかしくはない。


 ゲーム上の弁慶カワウソも同じくして、そのかわいげのあるルックスと裏腹に序盤の難敵として初心者に立ち塞がるボスモンスターのひとつだ。


「ワニを倒せるらしいですよ、カワウソ」


 ――といった魔物知識を、なぜか知る由もないはずのザラメはすらすら喋っていた。

 クマのように大きく、奪った防具と薙刀らしく武器を纏い、さらに三匹の子分を侍らせている弁慶カワウソにビビった四人はアーチ橋そばの木陰に隠れていた。


 そして弁慶カワウソの情報を披露したザラメにシローミオシオリンの三人は拍手する。


「よ、カワウソ博士!」


「なになに? 夢は水族館でイルカショー?」


「ふぉっふぉっふぉっ、ザラメはすごいじゃろー」


「……いやいや、この“修正補助フィックスアシスト”怖いでしょ? リアルの私が知らない知識を、この“ザラメ”は知ってるってのは……」


 テストのカンニングじみた後ろめたさ。

 そこを割り切ってしまえる仲間たちの気楽さがザラメはうらやましくなる。


「んなこと言ってもよ、オレらはゲームの異世界語を読み書きできるし、習ったわけでもないのに剣術がわかるんだぜ? これがなきゃゲームになんねーよ」


「……正論」


「心桜はホムホムクルルンって知力すごすご系にしたせいで通知うるさいんじゃない?」


「……浅潜水セーフダイブ中は通知ポップ多くてめんどいです」


 仮想世界への接続方式には大きく分けて四段階がある。


 『全潜水式』《フルダイブ》

 『半潜水式』《ハーフダイブ》

 『浅潜水式』《セーフダイブ》

 『無潜水式』《ゼロダイブ》


 これらは仮想世界への同調と没入を潜水行為に例えて、その深さを言い表している。

 『無潜水式』は一切の意識接続を行わず、モニターとスピーカで音と映像のみに触れる状態だ。旧来通りにメディア機器を使っているだけともいえる。


 『全潜水式』は五感すべてを仮想空間に委ねている状態である。“味覚”“痛覚”などが働くのはこの状態のみ。また“修正補助”も最大限に発揮される。

 「0」と「100」は単純明快。問題は中間だ。


 『半潜水式』は仮想空間と現実どちらにも意識を残している状態だ。一昔前でいえば、VRゴーグル装着時のように目と耳を塞いでいる状態に近い。肩を叩けば気づくし、ゲーム内の料理の味だってちっともわからない。


 『浅潜水式』は「0」と「50」の中間という定義。最小限の意識接続を行い、考えるだけでゲームを操作できる。コントローラーなどが不要になる、という程度の感覚であって、映像や音声は視覚や聴覚を占有しない。

 集中せずに済む軽作業くらいならば、日常生活と並行できる『浅潜水式』はとても便利で気軽なためにVRMMOに限らず、幅広くネット社会で活用されている。


 ……が、『浅潜水式』では“修正補助フィックスアシスト”によって得られた情報は蓄積されて通知される。未読メッセージが溜まっていくSNSのように、あるいは山積みの宿題のように、それはめんどくさい。


 ザラメは後悔している。

 知力特化型PCとはつまり、半強制的に山ほどの知識を押しつけられる上、周囲にその知識を頼られるというめんどくさいものだったのだ。


(で、どうするかなぁ)


 弁慶カワウソの弱点属性は炎、雷、斬撃。弱点部位は頭と足ずね。

 危険行動は水中への道連れ落下。

 橋から川に落とされると高確率でこっちだけ死ぬ。不利だと川へ逃げるのも要注意だ。

 こういうのがひと目見てわかってしまうのは便利この上ない。


「開幕、まず火竜の挨拶を狙いましょう。有効範囲に無差別全体ダメージらしいので必ず最初にやらないと味方を巻き込みます。シローくんはスノーマンだから絶対に突っ走っちゃだめですよ」


「もし巻き込まれたらどーなるんだ?」


「雪だもん。炎で溶けます」


「ひぇ」


 シローは顔面蒼白となる。いや、氷雪系のスノーマンは色白なのは元からだったか。


「斬撃を足すねに与えると大ダメージ狙えるそうですよ。大活躍のチャンスですね」


「ふっ、オレの剣技で凍えさせてやるぜ!」


「あ、氷雪ダメージ半減の耐性あるので物理でどうぞ」


「不利属性ぃぃぃぃ!!」


「カワウソス」


 マーメイドのミオに背中をポンと叩かれ、同情されるスノーマンのシロー。

 しかしザラメちゃんは知っている。


「弁慶カワウソに水ダメージ無効の耐性と水棲系特攻ついてるんでマーメイドのミオちゃんは即死しないよう頑張ってください」


「あたしまで不利属性ぃぃぃぃ!? なんで!?」


「カワウソの主食、魚ですから」


「カワウソス」


 スノーマンのシローに背中をポンと叩かれ、同情され返されてしまうマーメイドのミオ。

 うるさいうるさい! とじゃれ合うように喧嘩する不利属性コンビは微笑ましいやら騒々しいやら。

 そのあと「でも水中適性あるからもし川に逃げたら有利ですよ」とフォローして。


「シオリン、いざという時ドワーフは火炎無効ですから“火竜の挨拶”に巻き込みます」


「こ、怖いけどがんばる」


「水中への道連れ落下攻撃にだけは気をつけて。拘束された時は、これを使って」


 ザラメは赤い液体入りのガラスシリンダーを手渡す。

 ロリドワーフのシオリンは『知力』数値が低いゆえか技能構成の差か、“修正補助フィックスアシスト”がアイテムの情報を教えてはくれないようだった。


「これは……?」


「“暴君のくしゃみ”です。激辛トウガラシスプレーとも。至近距離で顔に当てれば身悶えるはずです」


「……心桜ちゃん、これ、わたしも巻き込まれるんじゃ……」


「ドワーフは激辛耐性アリなので五割の確率で無効になるはずです」


「……ああ、神よ」


 神官らしく神に祈る白ひげロリドワーフのシオリン。赤ひげにならないといいけれど。

 そういうわけで準備は万端――。


 夕方空の下、ついに四人は“夕飯までにかたづけよう”と意気込んで。

 火竜の挨拶ドラコ・ハローによって初めてのボス戦の火蓋を切った。


 火竜の挨拶ドラコ・ハローが爆ぜる。


 手榴弾のようにアイテムが炸裂、炎属性の中威力魔法ダメージで広範囲を焼く。

 この“中威力”は、初心者PTの基準では飛び抜けたダメージ倍率である。今使える大多数の攻撃手段は“小威力”まで。一発使い切りの消費アイテムだからこそ、そのコストに見合った高めの水準であるわけだ。


 攻略ガイドの通りに、ザラメの投じた火竜の挨拶ドラコ・ハローは大損害を与えた。

 BOSSモンスターの[Lv.5]弁慶カワウソは大きくひるみ、取り巻きの[lv3]盗賊カワウソ数匹は当たりどころの悪かった一匹が即座にこんがり丸焼きになった。


「っしゃあ! 先手必勝!」


 炎上する石橋を縫うように走り抜けて、スノーマンの剣士シローが剣戟を振るう。

 素早く、そして正確に。

 手負いの盗賊カワウソを一匹、シローは鉄の刃で斬り伏せることができた。


『ギャウウ!』


「やった! 見てたかミオ!」


「うるさい! こっちも戦ってんのよ!」


 マーメイドの武闘家ミオはあたかも水中を泳ぐかのように、無数の水の玉を周囲に浮遊させて擬似的な水中環境を作っては俊敏に泳いで、シローと並び立つように先陣を切る。


 そして人魚の尾を振るい、薙ぎ払うように二匹の盗賊カワウソを叩き伏せた。

 尾先を強化する刃物武器テイルブレードが爛々と炎に煌めき、ミオの武勇を彩る。


「か、かっけえ……」


「見惚れてる暇はないわよ! て、きゃっ!」


「ミオ!!」


 前衛のふたりを襲ったのは残る二匹の盗賊カワウソの反撃、さらに弁慶カワウソの水圧弾だ。先制攻撃に成功したとはいえ、適正レベルの初心者PTのボス戦なのだから一瞬で決着がつくわけもなかった。


 しかし敵の反撃も精彩を欠く。


 シオリンの神聖魔法【聖霊の加護Ⅰ】による防御効果が働いた上、弁慶カワウソの水圧弾には種族的にスノーマンとマーメイドはそれぞれ耐性があったおかげだ。


「癒やしの光よ! 【治癒の光条Ⅰ】!」


 そしてすかさず、シオリンはセオリー通りに傷ついた前衛を回復する。

 それぞれに役割をこなし、連携する。

 敵の能力を把握して、対処する。


 この二つをこなせた上でなお惨敗を喫するような序盤のボス戦などあってはならない。


「……勝てる!」


 ザラメは確信した。

 この仲良し四人組パーティは、きっと今後も順調に戦い抜くことができる。


 単なる小学生同士のパーティなんて、それこそ幼稚なケンカで瓦解しかねない。同じクラスの男子四人組が挑んだら、全員が我先にと殴りかかって回復や支援をやらないものだからあっさり全滅してしばらく気まずい感じになってたくらいだ。

 

『ドラマギで秋のスイーツを食べ尽くしちゃおう☆』


 そのザラメにとっては崇高で大きな目標のために、このパーティは欠かせない。

 このまま四人で楽しくゲームを遊んで、絶品スイーツの数々をゲットする。


 その第一歩として、このBOSSを見事にやっつけねば。


「このまま取り巻きを始末して数的有利を作りましょう! 【小火ボヤの術式】!」


 ザラメは杖をかざす。


 錬金術師の攻撃手段は、主に二種類。


 錬金アイテムを用いない通常攻撃【簡易錬成インスタントアルケミー】。


 錬金アイテムを消費する特殊攻撃【消失錬成ロストアルケミー】。


 【簡易錬成】は他の技能と同じく、EPエネルギーポイントを消費することで行使できるため、ローコストローリターンで戦闘の基本はこちらである。


 【消失錬成】はEPだけでなく事前のアイテム錬成という時間と金銭のコストがかかる上、いわゆる“奥義”や“秘術”といった切り札の位置づけで乱用できない条件がある。

 そしてどちらの錬成術であれ、使用には小さくない疲労感が伴う。


(けっこう、きつい……)


 小規模な火球を作り出して、敵単体にぶつける。

 たったそれだけ。

 それだけのことがとてもとても過酷に感じられた。


 『無潜水式』《ゼロダイブ》や『浅潜水式』《セーフダイブ》のような浅い深度では体感しない、痛みや疲労といった負の感覚に、ザラメは浅からぬ興奮をおぼえる。


 『全潜水式』《フルダイブ》状態のザラメは、まだ駆け出しの錬金術師だ。小さな錬成術だとしても、それは己にとって精一杯の全力であるはずだ。


 だとすれば、それがゲーム全体から俯瞰してみれば塵にも満たない些事だとしても。

 小学生が拳銃をぶっぱなつくらい、本人には大きな事だ。

 杖先に留めた火球の熱さに耐えながら標的を定めて――、狙い撃つ。


「――【小火の術式】ッ!」


 銃声が響くかのように。

 火花散らして小さな火球弾が弾き出された。

 発射の反動に、ザラメは思わず尻もちをついてしまった。


「痛っ」


 投射した火竜の挨拶も熱風を遠くにいるザラメにまで浴びせてきたが、小火の術式も油断ならない熱量と衝撃だ。

 炎上するアーチ橋の上で、また一匹の盗賊カワウソが炎熱に苦しみもがいて倒れる。


 大型犬ほどもある猛獣を殺傷するソレは、きっと現実ならば拳銃よりずっと強力だろう。

 臨場感がありすぎる。序盤のショボい戦闘のはずなのに……。


 ――殺した。

 その実感がザラメにはある。

 ゲームのザコ敵を一匹やっつけた、というだけの取るに足らないことなのに。


(やっぱり、死体が消えない……)


 『Draco Magia Online』は少々、リアルっぽくてゲームらしさに欠けている。


 “修正補助フィックスアシスト”は優秀なことに、ザラメをまた立ち上がらせる。

 駆け出しとはいえ、冒険に臨む錬金術師ならば戦闘中いつまでも尻もちはついていない。


 ザラメは今、どこにでもいる小学生ではないのだ。

 舞台上に立って、望んで与えられた役割を演じている――。


 これはまさにRPGロールプレイングゲームだ。

 


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                 第四話

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 BOSS戦が終わろうとしていた。


 残り火の燻るアーチ橋の上には取り巻きの盗賊カワウソらの死体が転がっている。

 少々同情したくもなるが、ゲームの設定上は人を襲って食らうこともある連中だ。襲われた荷馬車の残骸や白骨化した人馬の骨を見れば、可哀想という感傷も失せる。


 その魔物の頭目である弁慶カワウソは奮闘虚しく満身創痍だ。

 あらかじめザラメたち四人は綿密に作戦を立てて、注意すべき行動を先回して潰しておくことに成功していた。


 シローとミオの前衛コンビは相性の不利を織り込んで慎重に立ち回り、シオリンが傷つくごとに回復を欠かさず行うことで相手の攻勢を封じる。そして後衛火力のザラメが小火の術式を繰り返して、弱点属性で確実に削っていく。


 [Lv.5]のBOSSだけあって[Lv.3]のパーティでは速攻撃破とはいかないが、それでも危なげない試合運びで勝利は目前であった。


「【小火の術式】ッ!」


 これで決着がつく。

 夕暮れ空の下、夕陽よりも赤々と燃える弾丸を錬成する。


 この一撃で決着をつける。

 そして報酬を得て、みんなでショッピングを楽しむ。それぞれ自分の家族がお夕飯を支度してくれているだろうからお買い物は夕食になるだろうか。


 VR美食もいいけれど、やっぱりお母さんの手料理が一番だ。

 こんなに激しいバトルを終えた後のお夕飯は、きっと美味しいに違いない。


 ――なんてことを考えながら、ザラメは火の魔弾を練り上げ、打ち放った。

 反動の強さに仰け反りながら、真っ直ぐに飛翔する火炎弾の炸裂をザラメは目撃する。


「決まった……!」


 熊のように大きな図体の弁慶カワウソが黒煙をあげて轟沈する。

 ――勝利だ。


「わ! わー! やったねザラメちゃん!」 


「あーあ、最後おいしいとこ持っていきやがってー。オレがズバッと決めたかったのに」


 ぴょんぴょんと跳ねるシオリンと軽口を叩くシロー。

 ミオは夫婦漫才よろしくシローをひっぱたきつつ、ザラメに一礼する。


「シローはだまっとれ! ね! 甘草さん! 白姫宮さん! ふたりのおかげでドキドキハラハラの大冒険が楽しめたわ! 誘ってくれてありがとうね!」


 率直な感謝の言葉に、ザラメも照れながらぺこっと頭を下げ、むずがゆさに頬を掻く。

 ミオは傷ついた尾っぽの鱗をカオリンに回復してもらう間、弁慶カワウソの骸を見やる。


「それにしても手強かったよね。あの薙刀が鎧越しに当たった時、血が出て、けっこう痛くってびっくりしちゃった……」


「痛覚設定は最小にしてあるんですよね? それでもかぁ……。すみません、わたし、後衛だからってふたりに痛い思いをさせちゃって」


 革鎧の一部が壊れ、ミオの傷は側腹部を浅く抉っている。さっきまで血も出ていた。

 ゲームだからいいものの、現実でこんな傷を負ったら一生残る。死ななくたって死ぬほど痛いはずだ。


 『Draco Magia Online』のダメージ描写にはフィルタリング機能が働いている。

 流血表現はあっても、ダメージで損傷した箇所は克明に描かれず、やや“あいまい”に表現される。一般向けの漫画やアニメでお見せできる程度なわけだ。

 それでも、痛々しくて生々しい。


「だいじょーぶ! だってゲームだもん! 痛いのも苦しいのも大冒険のスパイスよ!」


 ぺかーと笑顔で大見得を切るミオに対して、心配そうにしてたシローが悪態をつく。


「マゾかよ」


「はぁ!? 仮にマゾでなにが悪いのよ!? 泣きわめいてた方が良かったわけ!?」


「別にそれでもいいよ……。そんときゃオレがミオを守ってやればいいだけだろ」


「ばっ……か、かっこつけてシローのくせに!」


 べちべちと照れ隠しに尾っぽで叩くミオ。痛がりつつどこか嬉しげなシロー。

 少年少女の甘酸っぱいやりとりにはさまれて、ザラメとシオリンは互いににやけ笑う。


「ふぉっふぉっふぉっ、仲良きことは善きかな善きかな」


「こーゆーだだ甘さも嫌いではないですよ、わたし」


 老夫婦が若人の恋愛事情を見守るような構図でほのぼのとする。

 夕陽がまもなく山陰に消えていく。


(……そろそろお夕飯かな)


「じゃあ、今日の冒険はここまでにしましょうか」


「そうね! 今晩はエビグラタンだってママが言ってたからもー待ち遠しくって!」


「オレんち昨日のカレーだよ……」


「詩織んちはなんだろう? お野菜は少なめがいいなぁ……」


 わいわいと夕飯談義でひとしきり盛り上がった後、ようやく解散の運びになる。


「では、またあした」


 そう告げ、ログアウトしようとした時だ。

 『Draco Magia Online』に激震が走った。


 ――激震。

 言葉通りの意味だ。


 竜と魔法の大地が轟音うならせ鳴動する。

 ゲームフィールドの至る所に亀裂が入り、赤黒い禍々しい閃光が漏れ出した。


 火竜の挨拶が炸裂しても微動だにしなかった石造りのアーチ橋が震え、ザラメ達は立っていることもままならず、石材が崩れ落ちる。


 未曾有の大地震。

 いや、それ以上の異常事態が起きている。


「な、なになになに!?」


「ログアウトを! 早く! ゲームの外へ!」


 ザラメの機転に、ミオがいち早くログアウト操作を試みる。

 しかしそれは無効、エラーを吐く。


「なんで!? 操作を、受け付けない……っ!」


「ミオ、危ない!!」


 混乱の最中、フィールド全体に走っていた亀裂から漏れ出した赤黒い光がまるで毒蛇のように這い、ミオを襲った。それをシローは庇ったのだ。

 赤黒い光に蝕まれたシローの姿形は即座に崩壊をはじめる。


 ガラスの彫像をハンマーで叩き割るように。

 シローは無数のデータの破片になって砕け散って、消え去った。


「きゃああああああああっっ!!」


 悲鳴をあげるミオ。

 ザラメとシオリンにも容赦なく、赤黒い光の毒蛇が食らいついてきた。


 ……為す術はない。

 それは一匹や二匹ではなく、津波のように足元を埋め尽くして這いまわり、飛びかかる。

 一瞬先に赤黒い光に捕まったミオは恐怖に叫び、もがき、呑まれていく。


「いや、いやっ! いやぁぁぁっ!!」


 無慈悲だった。

 ミオの儚い抵抗に何ら情緒の欠片も見せず、赤黒い光は彼女を侵食する。

 ボディの表面を透過して内部に侵入し、やがて内部より崩壊に至らしめるのだ。


 散華するミオ。

 人魚姫の美しい鱗が空を舞い、赤黒い光によって塵と消える。


「心桜ちゃん……っ」


 ザラメの手を、シオリンの手がぎゅっと掴んできた。

 シローとミオの消滅から数秒と経たず、ふたりにもその時が訪れていた。


 実際にその赤黒い光にザラメが触れた時、不思議と痛みも苦しみもなかった。最初のうちはぬるい温水に触れるような感触だ。

 赤黒い光は血管や神経のような、全身を司る網目に入り込んでいく。


 ――何か、探っているようだ。


 本能的に、ザラメはあたかも“検査”のようだと感じた。根拠はない。しかしそれは突き立てられた毒牙よりは丁寧な採血注射のようだった。

 全身にくまなく赤黒い光が走って、崩壊の時が訪れる――。


 ――そのはずだった。

 暗転したザラメの意識が覚醒した時、そこは死後の世界でも、現実の世界でもなく、この天変地異に見舞われた仮想世界のままだった。


 隣では意識を失ったままシオリンが横たわっている。

 ミオとシローは消失、ザラメとシオリンは現存しているという結果だ。


(わたし、生きてる……?)


 夕闇の中、目を凝らす。

 鳴動は去り、噴出した赤黒い光の異変もただ一点を除いて、消え失せていた。


 ぼんやりと輝く、赤黒い光を帯びた巨躯――。


 それは倒したはずの、弁慶カワウソ――その亡骸であった。


 ザラメの“修正補助フィックスアシスト”がソレを知識として表示する。


 “[Lv.X]弁■カ▽▲ソ”


 異常な表示にザラメは恐怖し、すぐさまシオリンを揺すり起こした。


 ゆらり、ゆらり。

 3mを越える巨体の猛獣が、なにゆえか死して蘇り、ゆっくりと薙刀を拾い上げる。


 手入れの悪い鈍刃は赤黒い光を帯びて不気味に輝く。


 ゆらり、ゆらり。

 ソレは血を求めていることが明白だった。


「起きて! 起きて詩織!!」


「ん、んんっ……」


 シオリンが目覚めた直後、猛然と薙刀を構えてソレは突進してきた。

 ザラメとシオリンはとっさに逃げようと走る。

 しかし鈍足なホムンクルスとドワーフには到底、猛獣から逃げ果せそうになかった。


「はぁはぁ、はぁ! あいつ、絶対におかしいです……!」


「……心桜ちゃん、今だよ。今、やろう」


「え、詩織!?」


 不意に立ち止まったシオリン。

 薙刀を振り下ろしてきた弁慶カワウソだったモノの一撃を、彼女はドワーフの耐久力と防具を頼みの綱にして肩口に受けつつ、刺し違えるようにして。


 “暴君のくしゃみ”


 つまり、ザラメの錬成した激辛スプレーを至近距離で浴びせたのだ。

 赤黒き猛獣は悶え苦しみ薙刀を落とすが、すぐさま鋭い爪を備えた両椀によってシオリンの背中を切り裂きながら羽交い締めにした。


 そして元の行動パターン通りならば、このまま道連れにアーチ橋から飛び降りる。

 決断は一瞬。


「っ! 火竜の挨拶ドラコ・ハロー!!」


 錬金術の真髄が瞬く。

 赤黒き獣を、より煌々と赤い火炎爆発によって消し炭にせんとする。

 親友の、決死の覚悟を無駄にはできなかった。


 ――あるいは、眼前にある死の恐怖に怯えて、それが親友を見捨てる結果になりうると考えつかなかったのかもしれない。そうザラメは後に振り返る。


 致命の一撃だった。

 怪物は死に損ないの蘇り、その強烈な威力によって再び絶命するには十分だった。


 けれども。

 大地震によって壊れかけていた石橋さえも火竜の挨拶は破壊してしまった。


「詩織っ!!」


 崩落する石橋。

 爆死した怪物。


 その深々と刺さった爪は決してシオリンの体を捕らえて離さず、絶命した後、そのまま彼女を瓦礫とともに水底へと誘った。


「  」


 なにかをシオリンが最後に叫んだとしても、その言葉が届く状況にはなく。

 大量の瓦礫と怪物の亡骸と共に、シオリンは夕闇の川底へと沈んでいく。


 ――必死の思いで苦心してザラメが岸まで引き上げた時、もう、彼女は死んでいた。


 たかがゲーム上の“死”だ。


 ただ“リトライ”すればいいだけの、羽根のように軽い“死”のはずだった。


 いつまでも。

 夕陽が沈み、銀月が昇って、とうに夕食の時間が過ぎようとも。


「……そう、ですよね」


 シオリンは目覚めることがなかった。


 やがて運営の通知が届く。

 ザラメはこの悪夢が、醒めない現実だということを突きつけられた。


 そして今に至る――。





 一連の出来事を語り終える頃にはもうザラメは眠りこけていた。

 観測者であるあなたへ事の次第を語るうちに、緊張の糸が切れてしまったのだろう。


 “フラスコの小人”


 ザラメは人間態への擬態が解けて、そのボディーは霧散する。

 フラスコ瓶がひとつ、代わりにそこに在る。

 フラスコ瓶の中には、白い小狐のような幻獣がある。額に紫色の宝石があるちいさな幻獣こそ“フラスコの小人”と呼ばれるホムンクルスの正体だ。


 設定上は、ホムンクルスの人間態は魔法によって変化したフラスコ瓶だとされる。

 この無防備なフラスコ入りの小動物の寝姿を晒すのは稀なこと。

 とても安心できているか、あるいは、とても疲れ切っているか。


 激動の一日だ。

 悪夢の一日だ。


 まだ何の力になることができていなかったとしても。

 ようやくひとかけらの安堵の中、ザラメは眠ることができたのだろうか。

 

 あなたが望むのならば――。

 明日もまた、彼女の観測をつづけてみるのもよいだろう。


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              序章ここまで

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              第一章ここから

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 目覚めるとそこは巨大なフラスコの中だった。

 いや、ガラスの向こう側にみえる河原の雑草と比べれば小さいのは自分だとわかる。


 フラスコの小人。

 白い小狐のような幻獣となったザラメは寝ぼけ頭でなぜこうなっているのか思い起こす。


(……ああ、これが今の“わたし”だっけ)


 ホムンクルスはフラスコの外に出ることができない人口生命体という設定だ。

 それゆえに活動する時は、魔法によってフラスコを人体に変化させて人間に擬態する。

 獣耳のついたルックスでありながら鈍足で生命力に欠ける脆弱なフィジカルスペックの原因は、この活動体がそれだけ不完全なことに起因する。


 その一方、ホムンクルスは生まれながらに叡智を宿すとされるほどに魔法や学力に秀でやすいとされ、ゲーム的な長所短所がはっきりと分かれている。


(……籠の鳥、かな)


 ザラメは終わらない悪夢に憂鬱なため息を吐く。


 最悪の気分。

 そう弱音を吐きたいが、睡眠による回復によって意外にも調子はよかった。

 とりわけ枯渇気味だった体力と魔力――HPとEPはばっちり全快している。

 罪悪感さえおぼえるほどに、ザラメは表層的には元気を取り戻していた。


 フラスコの外に横たわる神官服の亡骸をみやって、寝息のひとつも聞こえないことにザラメは淡い期待を打ち砕かれる。

 昨日の惨劇は、寝て覚めれば消えてなくなる悪夢ではなかったらしい。


(……おなかすいた)


 負の感情を整理することは昨日のうちに終えることができていた。

 冷淡か、冷静か。


 いずれにせよ、自暴自棄になって餓死するまで嘆き悲しんでいるとか、後追いで自殺するとか、そんなことをしていられないとザラメは自分を奮い立たせるしかなかった。


(だって、詩織はわたしを助けるために死んじゃったんだもん……)


 まず生きよう。

 生きるために行動しよう。


 それからだ。

 全部それからだ。


 まず生きねば、好きなように死ぬことさえできない。


 そんなことをぼんやりとした頭で考えながら、まどろみを払い、起床した。

 すなわち、人間態へと変化した。

 白髪獣耳の天才美少女錬金術師――という活動体へと数秒のうちに変身するわけだ。


「……おはようございます、妖精さんたち」


 データパッド“冒険の書”を起動する。

 観測者と接触するにはまず冒険の書をアクティブモードに切り替えて、観測可能状態にしなくてはならない。寝てる間は時間経過でオートスリープがかかるので観測は不可になっていたわけだ。


 とにかく人恋しい。

 情報源としても観測者に頼るしかない。

 ザラメは観測者が現れることを待ち望んだが、すぐに反応はなかった。


 時刻を確認すれば、まだ朝の六時半だ。

 ザラメのことを“観測登録”しているメンバーは現在四人と表記されているが、その全員が己の私生活がある一般人にすぎない以上、私生活というものがある。


 それにルールを読むに、観測者は単一の冒険者のみをサポートするわけではない。

 もし起きていたとしても、ザラメ以外のだれかの観測をしていることは大いにありうる。


「下位1%は脱落する……ですっけ」


 “運営”の示すサバイバルゲームについて、まだザラメは対処を考える余裕はない。

 最初の期日は新月――約二週間後だ。

 ゆるやかな、けれど着実に迫ってくる“削除”への恐怖に薄ら寒くなる。


 このまま二週間が過ぎた時、自分が削除対象になりうる底辺プレイヤーだという自己認識がザラメにはあった。

 なにせ、ゲーム開始まだ三日目だ。小学五年生だ。

 下位1%という生存ハードルをまぬがれる手立てはなにか必要だろう。


「ハラが……減りました」


 話し相手もない。情報もない。不安しかない。

 こんな時こそ、とザラメは紫色のランドセルに格納してある携行所持アイテムをチェックして、前日いっぱい買っておいたフルーツを食すことにした。

 簡易料理キットを使い、パイナップルを手際よくカットしていく。


(料理には自信アリ、ですからね)


 初歩的な果物のカッティング程度はいつもやっている。

 これを淡々とこなす。

 けっこう力作業だが、幸い、パイナップルを切れないほどにはホムンクルスは非力ではない。まず葉の付け根から少々を切って、お尻も切る。さらに普通に切り進めようとしたところで通知があった。


▽『おはよう。朝食はパイナップルまるごと?』


 観測者に話しかけてもらえた。

 ザラメは作業の手を休めてぺこっと一礼しながら返事する。

「朝早くから来てくれてありがとうございます。はい、まず水分と糖分の摂取です」


▽『食事は大事にね。空腹状態にはペナルティがあるゲームらしいから』


▽『お、うまそー』


 二人目の観測者だ。

 観測者は皆、その分身たる小妖精としてザラメの周囲に浮遊している。

 淡い光の玉たちと他愛なく会話しつつ、パイナップルを解体していく中、ザラメは興味深いアイディアを耳にした。


▽『冒険写真をアップしてみたらどうかな?』


▽『いいねそれ』


「冒険写真……? SNS的な?」


▽『そう。“写真広場”という掲示板にアップして観測者にアピールできるようだね』


「……なるほど。観測者を増やすチャンスの場なのですね」


▽『冒険者は閲覧できないから想像しづらいかな」


「いえ、ネイティブVR世代なので。小学校の情報ITテストも安定95点以上ですし」


▽『かしこい』

▽『なまらかしこい』


 ザラメは少々照れ笑いしてかしこまりつつ、撮影するならばと考える。

 しかし思いつかず、ここは観測者に頼ることにする。


「あの、見映えするパイナップルの切り方を教えてもらえませんか?」


▽『検索する。しばし待たれい』


▽『パインのリング盛り』


▽『出た! パインのリング盛り! って先越されてる!』


▽『パインの中身をくりぬいて、皮を器にする。他のフルーツも盛りつけるといいよ』


「妙案……やってみます」


 ザラメは器用にナイフを操り、丁寧に果樹皮の器を作り、ライチとパインと角切りマンゴーを乗せてゆき、フルーツ盛り合わせを作ってみせる。

 その合間に少しずつ“冒険の書”のオート撮影機能を使い、調理工程を写真化する。


「この甘酸っぱさ……スウィートネス」


 完成品と実食風景、食レポの撮影までやって、食後にこれを編集する。

 その編集も大半は自動化され、ネイティブVR世代のザラメは最小限の操作だけでプロ顔負けの見映えする楽しそうな冒険写真をアップすることができた。


▽「今時の小学生すげーな……」


▽「どこでおぼえたのそれ」


「少女漫画雑誌の特集ですけど」


▽「すごい」


▽「パない」


▽「これが被災メシ!? あたしの朝食パントーストだけなのに!」


「……増えた」


 三人目の観測者。

 観測登録数も五人に増えてる。つまり、新規。冒険写真の効果アリのようだ。


 ザラメはまだ後ろめたさをおぼえつつ、明るい会話に務めた。

 こうしていると少し、悲惨な現実と向き合うための気力が湧いてくる気がした。



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              第一章 第二話

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 現実世界での動向について、ザラメがわかったこと。

 簡潔にいえば、未曾有の電脳災害に対してまるで社会行政の対処は追いついておらず、混乱の渦中にあるということ。

 往年の大災害を彷彿とさせる混乱ぶりといえる。


 しかしながら大半の一般人にとってはいつもと変わらない日常が続いてもいるらしい。


 被災者――未帰還者は推定一万二千人以上とのこと。

 被災者は国民人口全体に対してざっくり約10000人に1人の割合となる、らしい。


 よって、被災当事者や関係者にとっては一大事でありつつ、ニュースで見かける他人事でしかない部外者の方が大勢ということになる。

 スーパーもコンビニも平常運転ながら行政機関や医療、またネット上を主軸にする各企業サービスは対応に奔走しているといった次第だ。


「……じゃあ、家族とのやりとりはできないんですね」


▽「らしいね。観測者のルールに規定がある。観測者と冒険者のやりとりは監視・検閲されているようだ。被災者家族が観測者に協力してもらって連絡を試みたところ警告の後、続行したらアカウントが削除されたらしい」


 ザラメは朝食の片付け作業をしつつ、状況把握に徹していた。

 観測者のもたらす外界の情報はとても気になるものばかり。

 いわゆる無人島漂流のような状況下では外部との連絡手段は断たれるわけで、それを思えば、すぐに救助されないとしても情報源があることはとてもありがたいことだ。


「強制ログアウトされたプレイヤーは無事、でしたよね。じゃあ当然、みおさんと士郎しろうくんも無事……ですよね」


▽「あたしの友達もプレイ中に弾き出されちゃったらしくて。赤黒いバグみたいな気持ち悪いのに襲われて強制ログアウトさせられたから不安になって医者に観てもらったけど、なんともなかったんだって」


▽「配信者がバグに襲われた動画めっちゃ再生数ある」


▽「ガチ怖い」


▽「大丈夫? 思い出して気分悪くなったりしてない?」


「いえ、つづけてください」


▽「つらい時はいつでも言ってね」


▽「そのミオさんとシローくんは無事のはずだよ。そこは安心して」


「……はい」


 ザラメは淡々と調理器具と余った食料アイテムをランドセルに格納する。

 携行所持アイテムボックスは便利なことに可能な範囲でアイテムを保全管理してくれる。

 フルーツは冷蔵庫で適温管理された状態に等しく、ラップがけせずとも食べかけの料理がひっくりかえって台無しになることもない。

 

【旅荷の過保護】


 というもので設定上は冒険者にのみ与えられる神々なり精霊なりの加護だ。

 他にもいくつか【◯◯の過保護】という名称の、ゲーム上都合のよいものを設定に落とし込んでいる要素がある。


 【旅荷の過保護】によって守られたアイテムの数々は錬金術師ザラメの生命線でもある。

 セキュリティ機能もあり、原則的には本人にのみアイテムの管理権限がある。

 よって、盗まれる心配は皆無になるが、ザラメは何一つとして死亡したシオリンの格納されたアイテムに触れることもできないのがこの状況下では少々よろしくない。


 ミオとシローも消失時にアイテムを落とさなかった為、パーティで分散して所有していた共有物についてはいくらかあきらめるしかないだろう。


 四人用テントがその代表例だ。

 もしザラメにフラスコの中で眠るという特異な種族性質がなければ、テントなしには安眠できないペナルティが生じて体調不良を起こしていたかもしれない。


 とかく、所持アイテムはとても少ない。とても心許ない状態だ。


「……あの」


 ザラメは手の震えを抑えつつ、必要なことを聞く。

 その返答次第では、さらなる絶望が待っているとしても、それをいとわぬ覚悟をして。


「“死者を生き返らせる方法”はあるのでしょうか?」


▽「死者を……」


▽「ごめん、わからないな」


 明確な返事はすぐには得られず、戸惑いの言葉が観測者たちから返ってくる。

 しかし観測者の一人がこう返答した。


▽「ある」


 小妖精の、ささやくように聴こえる妖精契約語はどんな語調かまではわからない。

 自動音声読み上げソフトのような言葉遣いで。

 とある観測者は告げる。


▽「死者蘇生の方法はある」


 ザラメは震えた。

 心が震えた。


(詩織を……助けられる!)


 ただ闇雲に生き残ることを考えねばとどうにか耐えるだけの被災生活に、たったひとつ、暗雲を切り裂くように光明が差したのだ。

 しかし恐ろしくもあった。


 もし、それが何の根拠もない、その場しのぎの気休めの言葉だったらどうしようか。

 観測者はあくまで無作為に選ばれた縁もゆかりも無い一般人にすぎない。

 ちゃんと冷静に、希望の光にすがりつく前に一歩引いて判断するべきだろう。


「おしえて!!」


 それを理性でわかったとて、ザラメは己の感情はもう止められなかった。


「絶対に、シオリンのことをあきらめない! 絶対に、ふたりで帰るんです! どんなに危険でも! わたしまで死んじゃうかもしれなくても! ふたりいっしょじゃなきゃイヤなんです! だからおねがいしますっ!!」


 感情を爆発させた。

 ザラメは必死に訴えて、目端に涙を浮かべてシオリンの亡骸を見つめた。


 滲む視界。

 滲む死体。


 大切な親友を蘇らせたいと心から願っても。

 この天才錬金術師ザラメ・トリスマギストスという仮想世界での自分は、願えば叶うような特別な魔法なんて持ち合わせていないのだから。


 それがこの竜と魔法の世界に隠されているのならば、自ら見つけるしかないのだ。


▽「いいかい、すこし、落ち着いて。大事な話をするからね」


「はい、はい……」


▽「死者蘇生の方法はね、結論としては“いくらでもある”んだ」


「……え?」


▽「この『Draco Magia Online』は剣と魔法のファンタジーだ。異変前も異変後もそこは同じ。生と死の法則も現実と同じのはずがない。現実世界で死んでさえいなければ、仮想世界で生き返ることはできるはずだ」


▽「……あ、そっか、死んでるのはゲームの中だけだもんな」


▽「今もニュースやってるけど“未帰還者”の中に“死者”は現時点でいないんだって」


▽「君の親友はまだ生きている。現実ではね」


▽「じゃあ早いとこ死者蘇生の手段ってのを教えてやれよ!」


▽「そうそう!」


▽「すまない。僕にわかるのは“方法はある”ということだけなんだ。彼女の死亡状態は、ゲーム仕様に本来あるものじゃない。異変の以前は、そもそもこのゲームに深刻な死亡状態なんてなかった。HPがゼロになっても“戦闘不能”になるだけで“死亡”には至らないという仕様だったんだ」


▽「じゃあ、死者蘇生の方法なんてまだ誰も知らないってことか……!?」


▽「なにそれ、絶望的じゃん! 本当にあるって確証がどこにあるの?」


 観測者らの言葉を、ザラメは一生懸命に理解しようとした。


 シオリン・タビノは死んでいる。

 白姫宮 詩織は生きている。


 シンプルな話だ。

 目覚めても悪夢は終わっていなかった。

 けれど、まだこれは悪夢でしかない。現実であって現実ではないのだ。


「……信じます。確証なんて不要です。もし本当に存在しなくたって、それでもいいよ」


 ザラメは決意した。

 観測者らは一時黙して、少女の決断と旅立ちを静かに見守ってくれた。


 ――朝日が昇る。


 ザラメの被災生活二日目のはじまり。

 あるいは、死者蘇生の魔法探しの旅の一日目のはじまりだ。



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              第一章 第三話

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「つまりシオリンの死体が腐ってない、ということですか?」


 アーチ橋のそばから移動しようとした矢先、ザラメは大問題にぶち当たった。


 シオリンの死体の処遇だ。

 これから死者蘇生の秘法を探し求めようというのに、こんなところに置いてくわけにもいかない。かといって死体を手運びすることもむずかしい。

 焚き火して濡れていた衣類ごと乾かしてみたので少々重量は減ったが、小柄でも革鎧を着込んだドワーフの少女は重いったらありゃしない。

 そこで“死体をどうするか”ということを観測者らと話し合っていた。


▽「私の考えるに、これは現実の死体とは似ても似つかない状態だ。なぜならば」


▽「きれーにしてるよね」


▽「綺麗な顔してるだろ。これ、死んでるんだぜ」


▽「いや古ぃよ」


(古い? 何が? ……時々オトナのみなさんの会話がわかりません)


 ザラメは死体を入念に観察するだなんて発想はなく、考えもしなかったことだ。


「なるほど、心強いです。三人寄ればもんじゃの知恵ですね」


▽「もんじゃ」


▽「もんじゃ焼きかな」


▽「この“死体”には“死斑”がない。通常人体は死後、毛細血管にあった血が低位置に移動することで顔は蒼白になる一方、溜まった血が表面から確認できるがこれは」


▽「所詮ゲームだからなー。雑なんじゃね?」


▽「野ざらしの魔物の死骸を見てみ」


▽「うわ鳥がつっついてる、えぐ」


▽「この少女の仏さんには鳥も虫も無反応だ。この子だけ特別なのかも」


 考察がすごい。

 一時的に観測者がいつの間にか増えてるおかげか、じっくり聞き分けられない。

 仕方なく“冒険の書”を開いて会話ログをざっと読み、ひとつ結論を得る。


「亡骸の過保護、ですか」


▽「冒険者の死体を保全する加護、だね」


▽「ゲームの都合か」


▽「死者蘇生させるなら死体が腐ったり食い散らかされたら困るもんなぁ」


「死んで骨だけシオリンだよ、はイヤですから助かります」


 シオリンはゾンビや白骨になっても愛くるしいのか。

 ドワーフが死んだら白いヒゲだけは残ってるのか。


(……ゲームならワンチャンありうる)


 ホラーじみた想像図をぶんぶんと頭を振ってザラメは忘れることにした。


「……あ」


▽「なに? どうした?」


「死体の運搬、このまま地面を引きずってしまってもノーダメージってことですか?」


▽「こわい」


▽「ホラーすぎる」


▽「理論上は正しいけど倫理上は間違っている」


「……ですよね。なにか良い運搬手段はないでしょうか……」


 ザラメと小妖精らが白ひげドワーフ少女の亡骸を囲んで考え込む。シュールな図だ。

 あーだこーだと観測者らが意見をかわすが大半は“重さ”がネックになる。


 どんな手段であれ、ザラメの限られた筋力では死体を運び続けることは難しいのだ。

 しかしまさに三人寄れば文殊の知恵というもので妙案がポンと出てくる。


▽「死靈術で死体自らを歩かせたらダメなの?」


「……え!? え!?」


 驚愕だ。

 死体を運ぶ手段として、死体に歩かせるだなんて。

 この大人たちはどこからそんな奇想天外な発想を思いつくのかとザラメは困惑した。


「いや、でもゾンビにするのはちょっと」


▽「いやキョンシーにするんだよ」


「なんです、それ」


 小学五年生のザラメには馴染みのない言葉だ。

 しかしここで知識について修正補助フィックスアシストが働く。


【キョン[Lv2]――シカの一種。別名、四目鹿。弱点は炎、突属性。この近隣に生息】


 魔物知識に引っかかった。

 もしや、キョンシーとはこのキョンという鹿のことか。


「……なるほど。死体をキョンにする……と」


▽「そう、キョンシーにして彼女自身に歩かせるんだよ」


「キョンにして歩かせる……」


 鹿角つけて四足歩行するシオリンを想像する。

 トナカイのコスプレ的なやつならかわいい気がしてきた。ソリも引けそう。

 でも、あの白いヒゲはサンタクロース感もあるような……。


▽「妙案」


▽「その手があったか」


▽「え、これ中華ファンタジーだっけ?」


(……中華? キョンってトナカイ的なものじゃないの?)


【なお動物のキョンは中国南東部や台湾に自然分布。日本では外来種で害獣とされる】


(ああ、それで中華って。……え? シオリン害獣になるの?)


▽「死霊術師なら冒険者技能にある」


▽「キョンシーいけそう?」


▽「キョンでいこう」


「あの、シオリンをキョンにしたらハンターに狩られたりしないでしょうか?」


 不安がるザラメ。

 猟銃を携えた猟友会のみなさんに撃たれるトナカイシオリンが目に浮かんだのだ。

 命を無駄にしないよう美味しくジビエバーガーにされかねない。


▽「ハンターか。ありそう」


▽「え、ヴァンパイア・ハンターいるの?」


▽「調べた。たぶんいる」


「いるんですね、ヴァンパイアの狩人……」


 猟友会に馴染んで鹿鍋つっつく黒服サングラスの吸血鬼さん。

 哀れ、食べられるキョン。


「あの! シオリン鹿鍋しかなべにされないでしょうか!?」


▽「もうすでにしかばねでは」


▽「ん、しかなべ?」


「もう鹿鍋になってる!?」


▽「鹿鍋」


▽「ログみたら鹿鍋だった」


▽「鹿鍋? え? どゆこと?」


 大失敗。

 ザラメは何かやらかしたと悟り、結局キョンシーとは何かをわからぬまま悶絶した。


「……な、なんでもない、です」


 この一連のやりとりの録画をだれかが動画共有したら観測登録が四件増えてしまった。

 誠に解せぬ。





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              第一章 第四話

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『死霊術師をさがす』


 といった方向性に話がまとまった矢先のこと。

 会話に夢中で安心していたザラメのすぐそばへと三匹の魔物が迫っていた。


 ザラメの獣耳は聴力に優れるが、警戒を忘れきっていては役に立たない。

 やはり崩落したアーチ橋の下は安全地帯ではないらしい。


「あの魔物は一体……!」


 ザラメは錬金術師の杖を携えて、衣服に忍ばせたシリンダーケースに手を伸ばす。

 即座に仕掛けてこず、こちらの様子を見る魔物たち。

 ここで魔物知識について修正補助が働く。


【キョン[Lv2]――シカの一種。別名、四目鹿。弱点は炎、突属性。この近隣に生息】


「……キョンです!!」


▽「キョンだった」


▽「害獣きちゃった」


▽「噂をすればなんとやら」


▽「lv2? 雑魚じゃね?」


▽「残念ですけどザラメちゃんもlv3のよわよわだから……」


▽「死ぬんじゃね?」


「……え、わたしこのままキョンに殺されるんですか!?」


▽「キョン死」


▽「キョン死」


▽「だれか言うと思った」


▽「冷静に。こちらから攻撃しないで。ステ的にマジで死んでもおかしくない」


 指摘にザラメはハッと我に返り、深刻さを痛感する。


 ザラメはたったひとり。

 キョンの群れは三匹だ。


 そしてザラメのステータスは完全に後衛特化で打たれ弱くて、かなり遅い。

 一匹ずつを炎弱点を突いて一撃で葬っても、残り二匹に蹂躙されかねない。


 もしキョンが正確無比に理詰めで襲ってきていたら、ザラメはもう死んでいる。

 女子小学生が奈良公園の鹿三匹に一斉に襲われたって現実ではとても危険なはずだ。


▽「川辺りは野生動物にとって貴重な給水源。水飲みにきたのかも」


▽「草もしゃってる」


▽「ここの肉食の魔物を倒したから天敵がいなくて我が物顔なのか……」


▽「そっと離れる?」


▽「死体がさ」


▽「まずいねこれ」


 観測者は戦闘指揮官ではない。

 それはザラメだってわかっている。いざという時はまず自己判断が必要だ。

 悩んだ末に、ザラメはそっとパイナップルの皮で作った皿やマンゴーなどの余りをランドセルから取り出した。


▽「あのゴミ捨ててなかったのか」


▽「どうするんだ?」


 ザラメはそっと果実の余りを転がして、そちらに注意を引かせようとする。

 狙い通り、甘い香りの果実は切れっ端でも草食獣の意識をそらすことはできた。しかし三匹相手には長持ちはしないだろう。


「いきます、アイテム錬成……!」


 ザラメの有する錬金術知識が、この場を切り抜けられるかもしれないとあるアイテムの調合レシピを示唆していた。

 それに従って、自分でも“まさか”と思う組み合わせの錬金術を今ここで試すのだ。


「此方は“パイナップルの芯”、彼方は“眠り草”」


 杖をかざして、二つのアイテムの本質――マテリアルを抽出する。

 抽出したマテリアルは一時的にカード状の魔術具に格納され、アイテムカード化する。

 このアイテムカード二種を重ね合わせて、調合用のフラスコかシリンダーで融合させる。


「縦糸、横糸、交えて紡げ! 練りて金糸の螺旋を紡げ! 調合錬金!!」


 魔術とも科学ともつかない儀式の果てに。

 調合フラスコの中で融和した二つのマテリアルが小さく光り輝いて、ぽふっという水蒸気を筒口から拭き上げながら一枚の新たなアイテムカードを排出する。


 その絵柄には日向に眠るドラゴンが描かれていた。


「調合完了です」


▽「錬金術はじめてみた」


▽「どやってる」


▽「会心の一枚」


▽「あのゴミ素材じゃ調合失敗するかと思ったのに」


▽「なるほど、“nap"か」


▽「居眠りってこと?」


▽「パイナップルの芯だけ残してあったから“ナップ”ってこと?」


▽「どういうことなの……」


 混乱する観測者のみなさん。

 ザラメ自身どうしてこれで錬金が成立するか法則性がイマイチわからない。

 けれど、実験成功してしまったのだから天才錬金術師キャラメイクは伊達じゃなかった。


「【消失錬成ロストアルケミー】! “草竜ドラコのうたたナップ”!」


 英気は重々、アイテムを消費して奥義である消失錬成を解き放った。

 食事中のキョン三匹を、草竜を象って舞い降りる甘い香りがふわりと翼で閉ざした。


 あっという間に三匹のキョンは睡魔に屈する。


 複数体への範囲高確率睡眠付与。

 これがパーティ戦ならば、即座に勝利に直結するだろう強力な状態異常付与だ。

 重度の睡眠状態ならば、軽い騒音や衝撃では目覚めることはない。


▽「どうする? 逃げるのかな」


▽「寝顔かわいい」


▽「そもそも草もしゃってただけだしなこいつら」


「では、殺して経験値にして素材を剥ぎます。【小火の術式】!」


 一匹ずつ着実に、確実に。

 ザラメは弱点の炎属性によって無防備に眠るキョンを仕留めていく。

 拳銃よりも激しい反動と浅からぬ消耗を伴うこの簡易錬成術は、やはり“殺す”という感覚があるとザラメは再確認する。


 一つ間違えばこちらが死んでいた以上、ザラメは生ぬるい哀れみを抱けなかった。

 そう、これは生死を賭けたサバイバルなのだと自分に言い聞かせる。


▽「おにちく」


▽「殺伐してる」


▽「よし! 経験値とアイテムGET! いい調子だ!」


▽「けっこう残酷だな、これ」


▽「キョン死」


 戦闘中は一時的に注目が集まるのか、妖精契約語のささやきも多かった。

 当然ながら反応は十人十色だ。

 ザラメは騒々しい間は気にし過ぎないようにしつつ、手早く、魔物討伐で得られる戦利品アイテムというのを回収して現在地を出立することにした。


 そのためにもう一度、アイテム錬成を行う。


「此方は“キョンの亡骸”、彼方は“四目鹿の眼”。縦糸、横糸、交えて紡げ! 練りて金糸の螺旋を紡げ! 調合錬金!!」


▽「は!? どっちもキョンじゃん!?」


▽「どんなレシピだよ」


▽「なにができるのか想像つかん」


「“屍竜の四ツ目”、調合完了です」


 ザラメはマテリアルカードをすぐさま【創出錬成クリエイトアルケミー】する。

 【創出錬成】とは、アイテム作製のための非戦闘用の錬金術だ。


 戦闘に用いる【簡易錬成インスタントアルケミー】と【消失錬成ロストアルケミー】とは大きく異なり、とても戦闘中には行えないほど時間がかかる。

 しかし成功すればアイテム作製できるというのは生産職とはいえ希少な効果といえる。


 ザラメとて、この便利さと面白みに魅了されてメイン技能をこれと定めたのだ。

 ここぞという時に役に立ってくれなきゃ困るったら困る。


「これでよし、と」


 シオリンの額に貼りつけられた一枚の霊符――屍竜の四ツ目。

 ザラメが命令文を唱えると、なんとシオリンの死体はゆっくりと立ち上がったのだ。

 それはまさしく死霊術であるキョンシーを再現していた。


▽「は? え? なんで?」


▽「教えた通りのキョンシーっぽい感じだ」


▽「“キョンの死骸”だからキョンシーってこと?」


▽「素材に目を使ったのは“シー”の部分を補ったのかな」


▽「言葉遊びなのかコレ……?」


▽「ネクロマンサーフラグ圧し折れたわ」


▽「とにかくこれではじまりの港にまで戻れそうねー」


 なんだか大賑わいの出発になってしまった。

 やがて集っていた観測者も多くは退屈な移動の合間にどこかへ行ってしまう。


 シオリンの物言わぬ死体を連れて。

 一路、ザラメははじまりの港へと小舟を借りて下るのだった。





 “はじまりの港”ことルートリネ―港は山々から流れ出ずる大小の河川の終着点である。


 文明は川に興る。

 貿易は海に興る。


 港町ルートリネ―は日夜、川と海と陸路を駆使して物流の中心地となっている。

 人と物が絶えず流動しつづけるのだから、自然と旅人も訪れることになる。

 それゆえに冒険のはじまりの地として港町ルートリネ―が選ばれたのであろう。

 小舟で下れば、川沿いの平地には田園風景が広がっている。


「……平常運転」


 ザラメはさびしい気分になる。

 昨日、この川沿いをのんびりと他愛ないことを喋りつつ四人で歩いたことを思い出す。


 ミオ、シロー、シオリン、ザラメ。

 まるで登下校のような軽いノリでアーチ橋まで小さな冒険に赴いたのだ。

 午前十時頃になると観測者にも各々私生活でやることがあるのか、小妖精が語りかけてくることは稀になってきた。


(……まぁ他の未帰還者のことだって、気になるでしょうし)


 約一万二千人という推定の未帰還者。

 そのうち一部には現実世界における著名人なども含まれている。

 もし凡百の小学生と大人気配信者、どっちの被災模様を見たいか問われたら後者を選んでしまうのは仕方ない。


『新月の審判日ごとに観測順位上位1%の“選ばれし”冒険者は脱出の機会を与えられる』


 この1%に選ばれそうな実力者や有名人にやはり観測者の人気は集中するだろう。

 ザラメはこの上位1%にたった二週間後に到達できるとはかけらも思っていない。

 とにかく脱出より生存することが最優先だ。

 そしてもうひとつ……。



『新月の審判日ごとに観測順位下位1%の“選ばれなかった”冒険者は削除される』


 この下位1%にザラメが選ばれるかといえば、おそらくギリギリセーフだろう。

 今の観測者登録は八人。

 ありがたいことに、最底辺ラインよりは上らしい。


 問題なのはザラメではなくて、シオリンの方だ。

 “死亡状態”であるシオリンは観測可能状態に自分で設定変更ができない。

 どうやっても登録0人のまま二週間後を迎えてしまう。

 “削除”が“現実世界での死亡”を意味するかはまだわからない。

 けれども、このまま死亡状態が継続したまま最初の新月を乗り越えることは不可能。

 ――ということを、ザラメは観測者らに入れ知恵してもらった。


「タイムリミットは二週間後の、新月……すこし、短すぎます」

 すいすいと小舟は進む。

 新米錬金術師と友の亡骸を載せて。




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              第一章 第五話

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 大震災の凄惨さを目の当たりにして、ザラメはどこか醒めていた。


 はじまりの港は深刻な有様だった。

 あの堅牢な石造りのアーチが崩落したのだ。港町にも地震の被害があるとはザラメも予想していたし、観測者も酷い有様らしいと話していた。

 それでも、魔物のうろつく野外よりはマシだと思ってルートリネ―港に帰ってきた。


 淡い期待は見事に失望と落胆に変わった。

 港町の1/3が津波の浸水被害を受けて、残る建物も崩れたりひび割れたりしている。

 あれだけ活気づいていた市場はほとんど閉まっている。

 なにより、人酔いしそうなほど多かったゲームプレイヤーらしき人影が一切といっていいほど見受けられなかった。

 まるでこの都市にはもうザラメ以外だれもプレイヤーがいないかのようだ。

 ――あらかじめ推察してなければ、きっと絶望していたことだろう。


「……ひどい」


 港町の被害状況に同情したのではない。

 ザラメは思わず、自分の境遇を嘆いてしまった。

 これらの港の損害、困っている町民はあくまでゲームの舞台背景とNPCに過ぎない。

 そう割り切った時、この災害状況は運営からプライヤーへの過酷な仕打ちに他ならず、意図してこの惨状にザラメを縛りつける悪意というものを感じさせられた。


「……何も、売ってない」


 昨日、食料と調合用を兼ねてアイテムを購入した青果店も閉まっている。

 そして――。

 ふたりいっしょに。

 ザラメとシオリンのふたりで訪れようと約束した焼き栗タルトの菓子屋さんは――。

 二階部分が崩落して、完全に廃墟と化していた。


「こんなの、ひどいですよ……」


 ザラメは急に気分が悪くなって、めまいからふらりとよろめいた。

 とさっ。

 と偶然に受け止め、転倒せずに済んだのは動く死体のシオリンが随伴していたからだ。


 あの焼き栗の香ばしい薫りに胸ときめかせて。

 気軽に、甘酸っぱい約束をかしたのはつい昨日のことだ。


「ごめんなさい。すこし、泣きたいので……またあとで」


 ザラメはそっと観測設定を、不許可に切り替えた。



 ザラメ・トリスマギストスの観測が不許可に切り替わってしまった。

 なぜ市場で急に泣き出してしまったのか。

 この少女のすべてを知る由のないあなたには推し量ることしかできなかった。

 ――何か。

 何か、もうすこしだけ彼女の力になってあげられないだろうか。

 きっとあなたはそう考えたことだろう。

 

『仲間』


 もし、ザラメに新しい仲間ができれば状況は改善しないだろうか。

 死霊術師の件は流れたにせよ、元々、ザラメの現状最大の課題は戦力不足のはずだ。


 この『Draco Magia Online』はパーティ制のVRMMORPGだ。

 後衛特化型PCのザラメはゲームバランス上どうあがいても単独での活動が難しい。

 四人の時にはなにも問題がなかった野良モンスターにも苦戦する状況は、早急に解決してあげなくてはいけない。


 そのために必要な情報収集は、ザラメ本人だけでは難しい。

 運営は何故か、プレイヤー同士のチャット機能を封鎖している。

 その一方、観測者によって情報がもたらされることまでは禁じていない。


 完全に情報を遮断したいわけではなくて、観測者を主体とした情報交換ネットワークをなぜか作りたがっている、という考察がネットでなされている。

 あるいは情報管理を徹底する余力がなく、観測者が抜け穴になってしまっているのか。


 いずれにせよ、だ。

 あなたは望むならば、ザラメの仲間となりうる冒険者を探してあげることができる。




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              第一章 第六話

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 ザラメ・トリスマギストスの観測許可がまた再開されたのは昼十二時頃だった。

 【観測登録9】

 ひとり増えている……。


 観測登録を行うメリットは運営の示したルールによれば、まず観測可否の通知だそうだ。

 手動でチェックせずともいいので、いつ観測が再開されたかを見落としづらくなる。


 もうひとつはアーカイブの閲覧だ。

 他の観測者によって保存されたデータを閲覧することで、現在だけでなく過去の冒険者の行動についても確認することができる。

 さらに戦闘など何らかのイベントが発生した時、それを通知する機能もある。


 要するに、観測者は登録している複数の冒険者をずっと観続けているわけではなくて、注目のイベントがあればそちらに集まるといった流動をつづける。

 また観測対象に近いエリアでのイベントであれば、非観測対象についても通知が飛ぶ。


 つまり、キョンと戦っていたときの妙に多かった観測者数は、一時的にその周囲を観測していた者たちが野次馬のようにやってきた末、また散っていったのだ。

 時間差でひとり増えたのはアーカイブ閲覧で興味を抱いたのかもしれない。


 ――といった考察ができるのは、ザラメが受けたIT教育のおかげだ。

 小学校の基礎教科として必修の“情報”は小学三年生から習うことになっている。

 国語、算数、理科、社会、情報。

 これら五つを基礎教科として学ぶことになるのでそのへんをよくわかっている。


「さて……昼食、どうしましょうか」


▽「あ、ザラメちゃん再開してる。気分はだいじょうぶ?」


▽「町、ズタボロで飲食店はやってなさそう」


 観測者はただいま四人。

 非イベント時の低速なときはザラメがのんびりしているのもあって会話が成立しやすい。

 その一方、戦闘のような注目のタイミングではコメントも加速して会話が成立しない。


 試合中に観客席のファンとのんきにおしゃべりするスポーツ選手はいないが、試合前後なら気兼ねなく交流することもある。そういう感じ。

 ザラメとしては低速な方が情報収集やかんがえごとはやりやすい。


「気分は……泣いてスッキリしたらおなか空きました」


▽「切り替え早くていいね」


▽「また料理する?」


「どもです。料理してもいいんですけど、手軽に食べれるバナナとかの携行食料はとっておいた方がいいと、さっきアドバイスもらってて」


▽「ああ、もうアイテム買うための店も閉じてるのか」


▽「じゃあ高台に行ってみたらどうかな?」


「高台……ですか?」


▽「港町の海側半分は津波でやられちゃってる。避難した町の人達は、北側にある港より標高が高いところに避難してるはずだ。港町には必ず、津波避難所があるものだよ」


▽「いや、でもこれゲームだぞ?」


▽「ドラマギの異様な作り込みならありうる」


▽「ちょいまち、今ザッピングして確認してみる」


 ザッピングとは、何だろう。

 ザラメが不思議に思うと修正補助がデータを掲示してくれた。


【ザッピング――背嚢を背負い気ままに山や森を練り歩くこと。遠足、ハイキング】 


(家庭科でナップザック作ったことあるけど、ザックってアレかぁ)


 この観測者はきっと山林を散策するようにちょっと見て回ってくる、と言いたいらしい。

 なにか、そんな死語もあった気がするけれど、ザラメには馴染みがなさすぎた。


▽「噴水広場に行こう! 冒険者もNPCも集まってるみたいだ」


「ありがとうございます。行ってみます」


 壊滅的被害にある市場付近をザラメはシオリンの亡骸を連れて後にする。

 ――じつは非公開時、ザラメは泣き疲れたあとですこし市場の瓦礫を調べてまわった。


 いわゆる火事場泥棒だ。

 この四の五の言ってられない状況下、なにか役立つものを拝借できないか。

 そう考えて、とりわけ高価なアイテムのありそうな武器屋を調べてみる。

 

【シルバーソード[34,000DM]――銀製の剣。高い攻撃力と扱いやすさ、銀製特効つき】


 シローが欲しがっていた初心者向け課金アイテムだ。

 所持金の十倍を越える値打ちものを見つけてしまい、ザラメの胸は高鳴ってしまった。

 ザラメ当人には無用の長物であれ、路銀に替えるにはうってつけだ。

 二階部分の崩落した武器屋の瓦礫に埋もれた、銀製の剣の意匠を凝らした鞘へとザラメは手を伸ばそうとする。


 これはゲームだ。

 これを売っていたのはNPCに過ぎず、店員もどこかへ消えてしまった。

 たった二週間のタイムリミットで死者蘇生の秘法を見つけなくてはならないというのに、ちいさなことに躊躇している場合ではない。

 そう自分に言い聞かせて、銀の剣の鞘を掴んだ。


(……詩織、ごめん)


 ――そして鞘を瓦礫から引き抜くと、拾いやすいところに置いてそのまま立ち去った。

 その一部始終を、動く死体となったシオリンが意志のない瞳で見つめていた。


 ザラメは己を恥じた。

 今は亡き親友を言い訳にして、都合のいい理屈で盗みを正当化しようとしたからだ。

 仮にこれがゲームでNPCの所持品にすぎなくても、販売アイテムデータの不正取得は現実でも罪に問われかねないことだ。

 それにもし、今ここに親友が生きていたら、なんて言っただろうか。


(……うん、わかってた)


 ザラメは観測者らと会話しながら、またあの武器屋前を通り過ぎていく。

 安置したシルバーソードはいつの間にか忽然と消えていた。

 誰かに盗まれたのか、店員が回収したのか。


(バイバイ、課金アイテムさん)


 ザラメはカッコつけな自分を少し鼻で笑って、高台の広場へと向かった。









 はじまりの港の高台にある噴水広場では音楽家によって楽しげな音色が奏でられていた。

 それに炊き出しの料理も振る舞われているではないか。

 事前情報通り、広場には避難者らが集い、テントを張って懸命に助け合っていた。


「……すごい」


 ザラメは想像してもみなかった。

 あの活気に溢れていた市場があれほどめちゃくちゃになったのに、避難所は陰惨極まるどころかお互いを励まし合い、元気づけていたのだ。

 怪我人に包帯を巻いてあげたり、老人に粥を運んであげたり。

 同じく未帰還者であろう冒険の書を腰に下げた者たちが手伝っている様子だった。


 なんてたくましいのだろう。


 なんてまぶしいのだろう。


 なんて“おぞましい”のだろう。


「すごい、気持ち悪い……です」


 ザラメはこの異常さを直感的に理解してしまい、めまいを起こしてよろめく。

 この心温かにみえる光景を額面通りに受け取るほど、ザラメは幼稚ではなかった。


「移動します。ここはダメです」


▽「え、と、どうしたの?」


「危険です、ここを離れます」


▽「そっか、ごめんね」


▽「どうしたのかな」


「説明は後でします。すみません」


 ザラメは動揺を隠して、随伴するシオリンがついてこれる程度の早歩きで去った。

 路地裏に隠れて、深呼吸する。

 白い獣耳を立ててしきりに周囲を警戒して、安全を確認するさまは異様にみえたろうか。


「……説明します」


▽「ゆっくりでいいよ、落ち着いて」


「はい……、はい」


 ザラメは時間をかけて直感したことを自分なりに言語化してみせた。


「この人達はゲームのNPCです。昨日、わたしが市場で会話したNPCたちは自然にみえる会話を心がけていても、どこかでゲームを遊ぶ都合の産物でした。他のアイテムや背景、モンスターと同じです。会話はループするし、木箱を壊したって怒りません」


 一連のやりとりを思い出す。

 青果店も武器屋も単なるアトラクションの一部に過ぎなかったことは記憶に新しい。


「アレは、ゲームとして不自然すぎます」


 希望。善意。優しさ。思いやり。

 今ここに働いているのは受難に耐えようとする明るく力強い生きる意志だ。

 そう、まるで生きている。


「AIに意思が宿る――。まるで教科書に載っていたシンギュラリティ問題です」


▽「……マジか」


▽「十年くらい前に問題になってたAI特異点か。アレはあと五十年後って予測じゃあ」


「なにか、噂になってたりはしませんか?」


▽「……調べてみたけど、ザラメちゃんと同じこと言ってる人はけっこういるね」


「やっぱり……」


 同じ考えに至る人が多数いるということにすこし、ザラメは安堵する。

 それならば、AI特異点の問題について別にザラメがなにか行動する必要はないはずだ。


 ――AI特異点。

 シンギュラリティとは、AIの進化が人間を追い越してしまうということ。

 “情報”の科目で習っている限りでは、ザラメの生まれる前の時代にはAI絡みの大きな事件がいくつかあったらしい。

 その教訓もあって、現世代のAIは安全措置がとられている。

 あくまでも人工知能というのは人間にとって便利な道具に留まるべきという話だ。


 ザラメのような小学生にも常識だ。古い映画でも新しいアニメでも度々、暴走したAIに支配した未来だなんてSF作品はザラにでてくるものでなじみのある発想だ。

 はじまりの港のNPCはその前兆を見せていたので、ザラメは恐怖をおぼえてしまった。


「……気づいてたんです。この世界はリアルすぎるって」


▽「まだ結論の出そうにない話だ。やめとこう」


「……そうですね」


 遠巻きに眺めている分には平穏といってもいい。

 すっかり馴染んでいる広場のプレイヤーは適応力が高いのか、とても素直なのか。

 どこか子供らしさに欠ける警戒心の強いザラメは、助け合いの輪には入れなかった。


「……どうしよう」


 正直、ただ救助を待つために避難生活をしようというつもりなら避難者たちの仲間になってもよかったのだ。冷静になれば、NPCは善良で安全なようにみえる。


 しかしだ。

 ザラメは死者蘇生の秘薬を探さなくてはいけない。

 シオリンは動く死体であって、それを見つかるとNPCに不気味がられるかもしれない。

 もし理解が得られても、このはじまりの港に留まって寝食の保証された安全な避難所でだらだらすごしていたらあっという間に二週間のタイムリミットがきてしまう。


『新月の審判日ごとに観測順位下位1%の“選ばれなかった”冒険者は削除される』


 運営の意図がすこしわかった気がする。

 冒険をあきらめ、救助を待つだけのプレイヤーに競争を強いる。

 その意図がある以上、ここで炊き出しの粥を食んでいることをザラメは選べない。

 この善意の輪は、NPC当人らも意図せぬ甘き死の罠だ。


「どうしよう、どうしよう……」


 潤沢とはいえないアイテム。貧弱というほかない戦力。二週間という刻限。

 ザラメには何もかもたりない。


 シオリンを見捨てて生存だけを考えるならば事足りるが、それは絶対にイヤだ。

 かといって自分一人だけでは目標の実現は不可能だともわかってしまう。


 広場にいる冒険者らはザラメと似たりよったりの初心者プレイヤー揃いで即戦力にもならないし、この命懸けの状況下でザラメひとりのわがままに付き合わせる道理もない。

 冒険者とは名ばかりの、みんなゲームを遊びにきてただけの一般人だ。

 そして等しく苦境にある、悲劇の被災者だ。


「高望みだったのでしょうか」


 ああ、楽しげだ。

 演奏している数名の冒険者を、ここまで観たこともない数百という光点が照らす。

 どうやらボーイズバンドのようだ。

 戦闘技能のひとつに“音楽家”があるので、ここぞとばかりに活用しているのだろう。


「こんなトラブルに負けちゃいらんねーぜ! 元気だせよ! 俺らの歌で!!」


 声援と熱気――。

 ここで足を止めて、聴き惚れてしまってもいいかもしれない。

 きっと弱った心には心地よい刺激になるはずだ。


 けれど、その先に待っているのはきっと聴衆のひとりとして埋没する自分のはずだ。

 ここに留まっては彼らの冒険の脇役に成り下がりかねない。


「……行こう」


 後ろ髪を引かれる思いで、ザラメは孤独の道を選んだ。


▽「次はどこに行く?」


「食事、できるとこですかね」


 炊き出しの粥だけでも食べておけばよかったと後悔しつつ、ザラメは港町を探索する。



















 白昼の悲鳴に思わずザラメは足を止め、その白い獣耳の鋭敏さを呪った。

 どうする。

 生存を第一に考えた場合、すぐにでも悲鳴から遠ざかるべきだ。悲鳴に近づけば、それだけ危険に遭遇する確率は跳ね上がる。


 そう思って背後を振り向いた時、そこにはやはり随伴するシオリンの物言わぬ姿がある。


 もし彼女がいれば――。

 もし仲間がいれば――。


 ザラメはその早いとは言えない走力で苦しげに息を切らしながら悲鳴の場に辿り着く。


 薄暗い路地裏に影二つ。

 ゆらりと倒れ伏して、影一つ。


 爛々と輝く殺人者の眼は暗闇にあって金色に輝く。

 血濡れた銀色の剣は忘れもしない。消えたシルバーソードだ。


 ぽたり、ぽたりと影色の血が滴り落ちる。

 ――驚愕すべきは、その周囲に光点――観測者が十数も随伴していること。


「……おやぁ、見られちゃいましたか?」


 吊り上がる笑み。

 殺人鬼はとても愉快そうにする。


「ひっ」


 ザラメは後悔した。好奇心は猫を殺す、というではないか。

 心臓が高鳴る。身体が硬直しそうになる。

 影の殺人者は何者なのか。

 その全容を暗闇の中から探り出す暇もなく、それは銀の刃をザラメの首に突き立てた。


「はい、HP0」


「か……ぁ」


▽「ザラメちゃん!?」


▽「おい、ウソだろ」


▽「誰か周囲に呼びかけて! 早く!」


 いともたやすく、ザラメは刺し貫かれていた。

 痛覚は軽減されているが、かえって意識を失わない程度の激痛が走った。

 銀剣の殺人鬼の宣言通りにHPの残量が0になるという数字情報が薄れゆく視界に入る。


【Lv.X ル■▽】


 このまま何もできず、死んでしまうのか。

 ザラメは苦し紛れに【小火の術式】を撃つ。それは銀剣の殺人鬼に被弾しなかった。


「雑魚はおとなしく死んでなよ、どうせ新月の夜にゃ誰かは削除されるんだからさぁ」


 去りゆく凶気。

 狂気めいた高笑いと共に銀剣の殺人鬼は暗闇の向こうへと消えていった。


「……バカですね」


 そしてザラメは静かにひとり呼吸を止めた。

 

 “助かった”


 と安堵して、ザラメは深呼吸する。

 今しがた息の根を止められてしまった方のザラメではない。

 フラスコの中にいる“本体”のザラメ、小狐のような白い幻獣のザラメだ。

 

【死んだふり――ホムンクルスの種族特性の一つ。戦闘不能を一度だけHP1で耐えて、義体のHPを0に偽装できる】


 ホムンクルスの隠れた特性のおかげでザラメはまだ倒れていなかった。

 このいわゆる“食いしばり”効果の亜種は、ゲーム意図としては打たれ弱いホムンクルスの救済措置である。設定上は、ホムンクルスは中核である幻獣態に外殻としてフラスコを変化させた人間態を重ねている義体なので本体は無傷ということになる。


 ホムンクルスはキツネやタヌキ、ネコなど人を化かす動物が幻獣態のベースになるのは“死んだふり”との兼ね合いだろう。

 無論、さらなる攻撃を受けたり、見破られてしまえば意味がないので過信はできない。


(あの魔物が、見破るほどに観察力がなかったおかげで助かった……)


 じっくり観察する暇を与えないために、観測者の“周囲への呼びかけ”から思いつき、ザラメは相手をここから追い払うために【小火の術式】を撃つ。

 道端の可燃物に着弾、発火、発煙――。

 ザラメはとっさに相手を撤収させるための布石を打ったのだ。


(あとはこのまま……だれかたすけてくれるのを待てば)


 けれど。

 ザラメは自分にできる最善を尽くしたけれど。

 悲鳴に駆けつけるという一点を除いて、うまくやったつもりだったけれど。

 闇の奥底から聴こえる微かな音に、それは無駄なあがきだったと否定されてしまった。


「ねぇ、怖い?」


 ザラメに語りかけているのではない。

 路地裏の暗闇の向こう側で、銀剣の殺人鬼はさっき斬り伏せた犠牲者に語りかけていた。

 殺人鬼は、だれかを“戦闘不能”にした後、目撃者のザラメを襲撃した。


「怖いよねェ……でも命乞いとか要らないだよね、そういうの」


 つまりまだ被害者を“死亡”させてなかった。


「きみが死ぬとこ晒させてよ。とびっきり無様に撮るからさぁ。ボクのイイネになってくれるよね? じゃ、登録数稼ぎに貢献よろしく……と」

 それゆえに、トドメを刺そうと後方に移動したに過ぎず、逃走してはいなかった。


(何も、できない……)


 ザラメには死んだふりを続けることしかできない。

 息を殺して、鋭敏な耳を塞ぎ、凶行の一部始終を黙ってやり過ごすしかなかった。


▽「じっとしてて。今は自分のことだけを考えて」


 妖精契約語のささやきに、ザラメはハッとする。

 観測者の分身である小妖精の言葉は“妖精語”ではなく“妖精契約語”である。

 これは“契約を交わした相手との間のみ会話が成立する”という設定に基づく。

 よって、この“死んだふり”状態のザラメに観測者が話しかけても返事さえしなければ内容もバレないし、距離が遠ければ聴こえもしない。

 この孤立無援の窮地にあって、そのささやきは一縷の望みだった。


▽「もうすぐ助けがくるよ」


▽「つらいけど、耐えて」


▽「がんばれ」


 寒気がする。恐怖心におかしくなりそうだった。

 ほんのすぐそばで猟奇殺人を、愉快そうに楽しんでいる誰かがいる。

 ザラメは無力さと悔しさと恐ろしさと、くじけそうな心をどうにか声援でつないだ。

 ほんの身近な時間が、無限大に長い。


「……さて、んん? へぇ、“死んだふり”なんてあんの。教えとくれてあんがとね」


 殺人鬼のつぶやき。

 救援はもう、手遅れになりそうだ。


 血濡れの銀剣をピシャッと振るって雫を払い、つかつかと靴音を鳴らして。

 銀剣の殺人鬼はだれかと愉しげに“会話”しながらゆらゆらと幽鬼のように迫ってきた。

 ――死の恐怖がすぐそこにある。


「小賢しいメスガキにわからせてやれ、だってさ。わかる? 結局みんな暴力と不幸が大好きなのよ。その“需要”に応えてあげるのが人気者になる秘訣さ」


 徐々に、少しずつ。

 殺人鬼の纏っている黒い闇色の小妖精が増えていく。

 ザラメの側にいてくれる白光よりもそれが桁違いに多いのだから無慈悲この上ない。


 悪意だ。

 悪意の集合体だ。

 ザラメのちっぽけなカラダとココロを少数の声援が支えているように、この悪鬼はより絶大な声援を意志の原動力にしている。


(……なんでですか)


 もう死んだふりだって意味がない。

 ザラメは傷口から濁濁と血をこぼしながら義体を起こして、睨みつける。


「おかしいですよ」


 戦う体力も気力もない。

 一矢報いるだけのチャンスもない。

 ザラメが反撃の所作を見せた瞬間、より素早く致命の一撃を与えてくるはずだ。


「そんなの、絶対に間違ってる」


「死んじゃえ」


 銀剣が閃く。

 何も、為す術もない。

 万策尽き、ザラメひとりではもうどうしようもなかった。


 あまりにも理不尽だ。

 理不尽なことの連続すぎた。

 その理不尽ぶりを嘆き悲しんだって何にもならないから――。


 せめて、ザラメは理不尽に立ち向かってやろうと悪あがきに道連れを覚悟した。

 至近距離で、自分諸共に火竜ドラコ挨拶ハローを――。


「……は?」


 予想外の出来事。

 銀の剣閃によって斬り伏せられたのはザラメではなかった。

 無論、救援が間一髪に助けてくれたわけでもない。


「……シオリン!?」


 動く死体。

 シオリンが“ひとりで”に割って入って、ザラメの身代わりになった。革鎧を着込んだ神官服の頑健なドワーフ、そして【亡骸の過保護】も手伝って、シオリンは強烈な衝撃に弾き飛ばされこそすれど、一刀両断にはならず、また立ち上がったのだ。


「ふーん、ウザいね」


 銀剣の殺人鬼はしかし冷静に対処する。

 シオリンは動く死体。その動作は遅く、側方からザラメを狙おうと弧を描いて疾走した殺人鬼の初動に対して、予測軌道上にどうにか自分を盾にしようとすることしかできない。

 逆側へのサイドステップ。巧妙なフェイントだ。


「っ! 【小火の術式】!」


「ぬるい」


 剣先ひとつで迎撃の火炎弾を防がれて、今度こそ、完全に終わった。

 ――かに思えた。

 ザラメのちいさなカラダを、誰かが後方に引っ張り投げて退避させる。


 上下逆さま宙空の視界でザラメが目撃したのは漆黒の盾と鎧だ。

 漆黒の重騎士。

 それはまさしくかねてより観測者が告げていた救援に他ならなかった。


「ぎゃんっ」


 あまりの出来事に、ザラメは見惚れているうちに受け身に失敗してしまった。


(しまった……!)


「……鈍臭いな、お前」


 凶気の銀剣を、漆黒の金属盾が軽々と防ぐ。

 漆黒の重騎士は見掛け倒しでない鉄壁ぶりを示した。まさに威風堂々だ。


 その一合によって力量を見極めたのか、悪鬼は捨て台詞のひとつもなく闇に消えようとする。

 重装備を相手にして不利を悟り、すぐに退く。移動速度では言うまでもなく重装備は仇となる。狂気的な言動と裏腹に、冷静に引き際を見極めてくるのは意外だ。


(弱いものを一方的にイジメておいて、尻尾巻いて逃げるの……?)


 その瞬間、ザラメを支配していた恐怖心が反骨心へと裏返った。


「卑怯者っ!!」


 それはまさしく嫌がらせだった。

 ザラメの撃ち放った一条の火矢が、殺人鬼の逃げる背中に突き刺さる。


 ダメージは軽微だろう。衝撃に転倒しかけるが受け身をとって前転で対処された。

 やはり逃走阻止には至らず、防具耐久値を削るのがせいぜいだろう。


「雑魚モブの分際で……!」


 ザラメを睨みつける野獣の眼光は怒りを帯びていた。

 挑発ひとつで立ち止まるほど直情的ではなくても、格下の雑魚ごときに刻まれた屈辱は浅くなかったようだ。


 ちょっとした負けず嫌いの悪癖があるザラメは余計な恨みを買ってしまった可能性にすこしだけ後悔しつつ、一矢報いたことでにまりと微笑を見せつけた。


「そこまでにしておけ、小娘」


 黒騎士は凛とした中性的な声音でザラメを制した。


 銀剣の殺人鬼と漆黒の重騎士。

 そして自ら動いて庇ってくれたシオリンの不可思議な行動――。

 ザラメは大の字になったまま、戦闘不能で微塵も動かないカラダを横たえている。


▽「いきてる?」


「なんとか」


 観測者への返答を最後に、ザラメの意識は今度こそ途絶えた。




『 』

 あなたは黒騎士へお礼の言葉を述べた。

 純黒の重騎士を一時的に観測登録しておいたことで妖精契約語での会話が成立する。


 黒騎士はガチャンガチャンと金属音を立てつつ、あなたの見守る冒険者の幼い少女――ザラメ・トリスマギストス――のフラスコと親友シオリンを安全なところへ運ぶ。

 道すがら、話を聞く。


「……悪いが、こいつの仲間になってやるつもりはない。事情が変わったんだ。あのプレイヤーキラーがはじまりの港に潜む間は、ここを離れて何の手掛かりもない死者蘇生の秘法探しになんて付き合っていられない」


 黒騎士はザラメの事情を聞き及んで、仲間になるかどうか会って考えると答えていた。

 弱者の苦境に耳を傾け、強者として盾となる。

 そういう人物だからこそ、今この状況下で自由には動けないのだろう。

 しかし、あきらめるにはまだ早い。


『 』


「……あのどんくさぎつねが狙われる? あの余計な嫌がらせで恨みを買った可能性は……確かに否定できない、か」


 どんくさぎつね。

 受け身を取り損ねてたことを言わしめて、フラスコで眠る白キツネのザラメをどんくさぎつねと呼んだのか。

 ザラメは愚鈍でこそないが、鈍足ではあるから的を射た蔑称だ。


「このまま見殺しにするのは確かに寝覚めは悪い……。全く、考えなしのお子様め」


 銀剣の殺人鬼は何者なのか。

 それは推測の域を出ないが、ザラメに執着する理由として逃げる背中を撃たれた屈辱は十分に考えられる。


 一度狙った獲物をあきらめるのは敗北感の伴うことだ。

 最優先目標にならずとも、チャンスがあれば優先して狙ってくるだろう。

 そうなった時、今度はもう死んだふりは通用しない。


「仕方ない。しばらくはこのどんくさぎつねの子守をしてやるか。……お前に熱弁されてなきゃ、おとなしく拠点に引きこもってろと言えたってのに、七面倒なことを」


 文句を零しつつ、渋々と純黒の重騎士は護衛を承諾する。

 鉄仮面の向こう側の内心をあなたは覗くことができないものの、想像がつく。

 彼女はきっとやさしい人だと。







 はじまりの港の高台側に、黒騎士の滞在先である冒険者向けの宿屋があった。

 「Draco Magiaドラコマギア Onlineオンライン」の仕様では安全に宿泊さえできれば、回復拠点としての役割は一見どこも同じようにみえる。


 それこそ安全でさえあれば野宿だって回復できそうなものである。

 しかし四つの点において、有料の宿泊施設を利用することに大きなメリットがある。


 第一に【VR睡眠】が利用できる。


 仮想体験を、睡眠にも適用することで快適な眠りを現実にもたらすというものだ。

 立派な天蓋つきのベッドでふかふかの羽毛布団であったかく眠る、といった睡眠体験を手軽に味わうことができ、寝不足の解消手段として睡眠薬より安全だとされている。


 さらに起床時間もコントロールしやすく、空き時間の仮眠にも便利ときている。

 ドラマギのユーザー層には『美食体験』に並んで『快眠体験』を求める需要があり、冒険をせず観光客のように食事と寝泊まりを楽しむ層が少なくない。

 反面、野宿のしんどさも眠りに反映されてしまうので野外宿泊は非常手段とされる。


 第二に【EPの回復】だ。


 HPの回復手段は多いが、魔法や武技のリソースになるEPは回復手段が少ない。

 不眠不休や野宿など睡眠ペナルティが生じると弱体化が働き、逆にとてもよい睡眠がとれると全回復どころか一時的な強化ボーナスまで働く。


 第三に【寝床の過保護】がある。


 早い話がリスポーン地点の登録だ。本来このゲームでは戦闘不能に陥った場合、有効な復活手段がなければ任意の復活地点から復帰することができた。

 設定上は宿泊施設ごとに『寝床の標石』というマーカーがあり、冒険者の所持する冒険の書の機能によってマーカーを頼りにして魔法によって緊急離脱する仕組みだ。

 しかし異変後はこれが作動しないケースが多発している――。


 第四に【レンタル倉庫】だ。


 このゲームではアイテムを携行所持できる量に限度がある。それを越える所持品を管理保持したければ、宿屋ごとのレンタル倉庫を利用することになる。

 その他あれこれとゲームに欠かせない便利要素が詰まっている為、なるべく有料でも宿泊施設を活用することが推奨される。


「……店主、こいつらの宿代は必要か?」


「ぬお、こ、こいつは……」


 宿屋の店主は驚嘆する。

 厳つい純黒の鎧を纏った騎士が肩に担いでいるのは死体だ。

 ドワーフの神官と思わしき幼い少女の死体に、なにかフラスコに入った小動物が一匹だ。

 黒騎士に随伴する観測者であるあなた達は当然ながら宿泊数に含まれないとして、プレイヤーキャラの冒険者ふたりに代金請求があるかは不明瞭だった。

 ので、単刀直入に死体とフラスコを見せて聞いてしまったわけだ。


「あわわわわ……! こ、これをどちらで」


「――道で拾った」


「さ、ささ、左様で」


 宿屋の店主はNPCだ。しかし異変後のNPC達の反応は以前とやや違って、より“生きている”ように応対するように変化している。

 であるからして、この災害に見舞われて情勢不安な中、重武装の真っ黒騎士が少女の死体を担いできた今、店主は機械的に三人分の宿泊費請求などできなかった。

 口答えすれば首を刎ねられかねないとでも思ったのか、恐怖に声が震えていた。


「お、お一人様の宿代でけっこうでございます! いえ、なんでしたら無料でも!」


「では本日分、520DM確かにここに置いていくぞ」


「ま、まいどあり! どうぞおくつろぎを!」


 ふぅと胸を撫で下ろして、命の危機が去ったことに安堵する店主。

 黒騎士は「……どんくさぎつねめ、つくづく七面倒くさい」とため息をつく。

 原因の六割くらいは死体でなく威圧感の強い真っ黒な全身甲冑のせいだと思えても、あなたは言わないでおくことにした。


「悪いが、シャワーを浴びたいので公開はここまでだ。冒険者にもプライベートはある」


 ここで一旦、観測は非公開に切り替わった。

 






 ザラメがフラスコの中で目覚めた時、そこはふかふかベッドの上だった。

 フラスコの隣にはシオリンの死体が安置され、丁寧にシーツが被せてある。


「ここは……宿屋、みたい」


 冷静に状況分析した結果、善意ある誰かによって安全な環境下に運ばれたとザラメは推察する。もし悪意があれば、シオリンの死体にまで敬意を払う必要はないだろう。

 幻獣態で一眠りするとホムンクルスは劇的に回復が早いという性質がある。

 人間態に変身してみれば、HPは五割、EPは全快まで回復しているとパラメーターを冒険の書で確認することができた。


「……あ、防具ダメになってる」


 ドラマギの武器と防具には耐久値がある。初期装備よりちょっとマシ程度の安物防具ではやはりすぐ破損状態に陥るらしい。

 それだけ銀剣の殺人鬼は脅威だった。一撃しか食らってないのに、全部もっていかれた。


(……寒気がする)


 ぶんぶんと頭を振って、ザラメは不安な気持ちにならないよう忘れることにした。


「1、2のポカン! よし忘れた!」


 心細さを補いたくて、ザラメは冒険の書を開いて観測許可をオンにする。

 すると数秒とせず、ザラメのことを心配していた常連らしき観測者らの『良かった!』『目が覚めた!』『安心した!』などの“録音コメント”が届いた。

 いわゆる留守電だ。


▽『ザラメちゃんへ。黒騎士さんが宿屋さんに運んでくれたよ。仲間になってくれるみたいだからよかったら頼ってみてよ』


「……仲間? あの黒騎士が?」


 ザラメは目をぱちくりさせ、心底に驚かされた。

 これまでも観測者らのコメントにアイディアや情報をもらったり、精神的に励まされてきたりはしたものの、まさか強力そうな仲間まで勧誘してくれるだなんて。

 ゲームの舞台上に直接干渉できなくても、観測者というのはただ見ているだけの観客や聴衆ではなくて、間接的に干渉できる支援者や裏方に近いのだろうか。


 現在の観測登録は【十二人】だ。

 これは観測者らの話では上位1%には程遠いが、下位1%を明確に脱しているらしい。


「……いいのかな」


 ザラメは小学五年生だと公言している。女子供は優先して守るべし。――という考え方は今でも根強くて、無力でも無名でも興味を惹きやすいのだろう。

 そのずるっこさを自覚しつつ、四の五の言ってられない事情のザラメは遠慮なく観測者の協力をおねがいしてきたわけだが、正直、想定以上に助けられてしまっている。


 ああ、善意がまぶしい。

 凶気の刃に倒れかけた直後だというのに、ザラメは恐怖の闇に囚われていなかった。


「……え、シャワー?」


 不意に届く水音。白いふさふさの耳毛が生えた獣耳をぴくぴく動かしてザラメは探る。

 宿屋のサニタリールームに誰かいる。


 ――きっと黒騎士だ。

 状況を踏まえるとそう推察できるが、ザラメは直に見て確かめたわけではない。


▽「あ、ザラメちゃんおきてる! ん、なに、シャワー? だれかいるの?」


 再開後の観測者第一号さんに「黒騎士さんだと思うんですけど……」と返答すると▽「よし、安全確認ね! いけ!」とそそのかされた。


「いけ、と言われたって……」


▽「あたしが考えるに、きっと黒騎士にはヒミツがあるはずよ。これは早いうちに正体を知っておくチャンス! 気になるでしょ? だいじょーぶ! JSはおフロのぞいたってノープロブレム!」


 頭痛がするほど思考が軽い。

 しかし気になるといえば気になる。ザラメは好奇心を倫理観より優先させることにした。


「防犯、もしもの時の防犯ですから……」


(昨日、お菓子屋で転びそうになった時、助けてくれた人と鎧と声が同じ……。あの時は兜つけて顔を隠してなかったよね……気になる……)


 ザラメは杖を握りしめて、こっそりとサニタリールームへ忍び寄る。


「現実問題、気になります。ご遠慮願いたいタイプだと後からわかるのは困るし……」


▽「えへへー、ワクワクもんだぁ~!」


 いざとなればこの観測者を悪者にしよう。

 ザラメは悪知恵を働かせながら、サニタリールーム内に忍び込み、シャワールームの曇りガラス戸をそっとずらして黒騎士のはずの裸体、もとい正体を確認する。


 一面の湯けむり。

 黙々と湯けむりが立ちこめて、じつに見えづらい。

 もう少々戸を開いて、ザラメはじっと確認する。


(……なんだろう、すごく、綺麗……)


 その美しい裸体は芸術めいていた。

 型通りの美男美女をキャラメイクすることが容易なゲームといえど、誰しもに天性の美貌が備わっているわけではないのが不思議なものであることに、黒騎士と思わしき者の造形美はどこか一線を画していた。

 美術の教科書で目にする彫刻のような美しい筋肉は、あの重装備を十全に着こなすだけの説得力を有しているものでしなやかでたくましく、かといって岩塊のようにゴツゴツとしすぎてもいない。

 中性的なシルエットは注視すれば美男子とわかるが、細身の美女と見間違える者がいても無理からぬこと。

 なにせ、丁寧に御髪の泡を洗い落とす仕草はまるっきり乙女の指遣いだった。


(……え? どっち?)


▽「うわ、エッロ」


 シャワーの水音が淡々と反響する。

 ザラメは胸が高鳴るのを自覚した。これはもはやドキドキしない方がどうかしてる。

 イケナイコトをしている、という背徳感も手伝ってるのだろうか。

 キュッとシャワーの栓が閉められて戸が開く瞬間まで、ザラメは食い入ってしまった。


「――おい、どんくさぎつね」


 脱衣所のバスタオルで“胸”をまず隠した黒騎士は不機嫌そうに見下ろしてくる。

 下半身はタオルの丈がどうにか足りる程度で、なんとも際どい隠し方だ。

 その衝撃的な絵面と悪事がバレたことでザラメは頭が真っ白になる。


(バレた――!)


▽「わぁ、修羅場ってきた!」


「わたしじゃありません! こいつです! この妖精さんに言われてやったんです!」


▽「ずるっこい!?」


「……ナイショにしろ」


 ぼそっと裸体の麗人はつぶやく。

 不機嫌さに気恥ずかしさの入り混じった妙な顔つきに「え?」とザラメは小首を傾げた。


「後から説明するが、これには事情がある……。他言無用だ! いいか!」


「あ、はい、仰せのままに」


「記録も消せ! 今ここで!」


「は、はい、消します消します!」


 正座して叱られモードになっていたザラメはあわてて冒険の書を操作する。

 範囲指定してログを非公開にすれば生で目撃した観測者一名を除いて、記録はどこにも残らない。その記録も盗撮動画みたいなものだからこのご時世わざわざアップするリスクを犯すことはないだろう。

 そもそもセンシティブな表現は映像記録にしようとするとフィルターが適用される。

 謎の光や濃い湯けむりだらけでザラメ以外には無修正で目にはできないはずだ。


(あー……、死ぬかと思った)


「着るからあっち行ってろ!」


 襟首つままれ脱衣室からポーイと追い出されるザラメ。

 しばらく後、湯上がりらしい簡素な部屋着に上下着替えてきた黒騎士のいでたちはどちらかといえば男物の装いだ。何も恥じらう点はないはずが、妙に所在なさげにする。

 絨毯の上で正座するザラメを見下ろすように、黒騎士はベッドに座る。


 ――ぺたんとW字に股を開いて、割り座で。いわゆる女の子座りで。

 そして櫛で長い黒髪を梳いて入浴後のケアに気遣いながら、黒騎士はむくれっ面をする。


「これが俺の、いえ、私のヒミツ。……ああ、七面倒くさい」


「……どゆことです?」


 宇宙の真理に触れた一匹の猫が如く。

 純黒の重騎士の謎によって、ザラメはその精神を銀河の渦へと旅立たせそうになった。




 純黒の重騎士の正体は水も滴るいい男、黒髪のイケメンだった。

 ――というシンプルな話ではないらしい。


 端正な顔立ちこそ中性的ながら長身痩躯でまぎれもなく男の人にみえるが、仕草の随所にどこかしら女らしい艶や恥じらいが垣間見えるのが黒騎士の不可思議さだ。

 ザラメは正座して神妙に黒騎士の叱責を待つ。


「……俺の名はキルト。キルト・ハンドラー。お察しの通り“あの”キルトだ」


「どのキルト?」


「あのキルト以外にキルトはいない。ああ、アニメ版じゃなくて原作準拠のキルトだが」


「……わかりゃん!」


 ザラメは大いに困惑した。ドラマギ内の知識として修正補助フィックスアシストも働かない。黒騎士の言葉するキルトとは何なのか。

 逆に、黒騎士はなぜザラメがわかってないかを不思議そうにする。


「……まさか、え、ご存知ない……?」


「一切ちっとも全然わかりゃんません」


「あの“冥想のブラックギルド”のキルト様を知らない……? 作品名もわからない?」


「ん、んー……」


 言い方を鑑みるに、有名なアニメ化もされた作品の登場人物が“あのキルト”らしい。

 どこかで名前だけは聞いたことある気もするが、ザラメの守備範囲外っぽい。


「それ、いつのやつです?」


「え、完結したのはたった五年前なんだけど」


「その頃わたし幼稚園生ですから、そういう古いアニメはちょっとわかりゃんです」


「古い!? 冥想のブラックギルドが!?」


 純黒の重騎士は金ダライでも天井から降ってきたかのような衝撃を受けている。

 口から魂がぽわわと抜け出すようなダメージ具合だ。

 堅牢鉄壁の重騎士にとって深刻なメンタルダメージになってしまった様子だが、それほど“古いアニメ”扱いは堪えたらしい。


「はっ。じゃあお前、この姿を見てもなにも気づいてなかったのか!?」


「自爆ですか?」


「自爆だよ、悪いかよ! 余計なことを言わなきゃよかった、私のバカ!」


 不安定に“俺”と“私”がいったりきたりする。

 ここにきて、ザラメはようやく違和感の正体に気づくことができた。


「結論としては黒騎士さんは冥想のブラックギルドのコスプレPCってことですか?」


「……そうだ。この俺、キルトは創作上の登場人物。この私はその“なりきり”勢だってバレたかと焦って、こうしてお前を口止めしてる訳だ。……ああ、七面倒だ」


「七面鳥?」


「七面倒!」


 叫んだ直後ぼそっと黒騎士は「このやりとり原作でもあった気がする」と独りごちる。

 とかく情緒不安定な黒騎士さん。

 ザラメは困惑させられたが、しかしなんだか親しみやすさをおぼえてもいた。


(……なんだ。このひと、べつに怖い人でもなんでもない。普通の人なんだ)


 威圧感のある重武装のせいでザラメは少々、黒騎士を警戒していたのは事実だ。

 こっそり正座を崩して、ザラメもぺたん座りで楽にする。

 VRMMOであっても不慣れな正座をずっとつづけると足が痺れてくるのはひとつの発見だ。


「俺が“あのキルト”だってことを他人にはナイショにしてほしい。お仲間の観測者にもだ。コスプレごっこ中に電脳災害で閉じ込められたとか、バカっぽくて恥ずかしい……」


 黒騎士はうつむき、頬を赤らめて乙女のように可憐に恥じらう。

 中性的な美男子の造形なために、少々ちぐはぐな印象こそあるが、ある種のギャップめいた魅力たっぷりでザラメはドキッとさせられる。


(か、かわいい……)


 カッコよく自分を助けてくれた黒騎士の第一印象がきっと“あのキルト”で、ザラメに今見せているかわいい“このキルト”が素の黒騎士なのだろうか。


 ――面白い。

 ザラメは素直にそう思い、興味がさらに高まるのを自覚した。

 そして面白がるだけでなく、すこし冷静に考えてみて、その悲劇と苦悩に理解を示す。


「バカっぽくていいじゃないですか。好きなキャラになりきって楽しむのは普通のゲームプレイです。だってこれ、ロールプレイングゲームですから。他人がだれに迷惑かけるでもなく遊んでるのをいちゃもんつけてくる方がどーかしてるんです。わたしだってたったレベル3のごみよわレッサーパンダのクセに自称“天才錬金術師”ですからね」


「……ごみよわレッサーパンダ」


 すかさず、がおーと猛獣のポーズをしてみせるザラメ。

 フッと黒騎士は笑った。


「――決めた。子守はやめだ。お前の仲間になってやるよ、どんくさぎつね」


 急にカッコつけた黒騎士はキザに芝居がかりながらそう宣言した。

 ――仲間。

 薄々とは期待していたが、不意にそう告げられてザラメは心の準備ができていなかった。

 と同時に、その“どんくさぎつね”という言い回しに少しイラッとする。


(……あ、でも、これってキャラロールなのかな。たぶん、親しみを込めてる気がする)


 黒騎士は“キルト様”と憧れていた。きっと大好きなキャラなのだろう。

 察するに、こういうちょっと口の悪い男の子ながら本当は優しくて良いやつだとか、そういうところが魅力なキャラづけなのだろう。演じたいほど大好きになれる人物像なのだから、いいとこなしの悪口野郎ってことはないはずだ。


 だとすれば、ここで無粋に「そういうのやめてください」なんて塩対応は選べない。

 ザラメは熟慮の末、こう返答した。


「歓迎します、ウスノロオオカミさん」


 クールな天才錬金術師少女らしく、皮肉には皮肉で返してやることにする。

 一瞬、黒騎士は眉根をしかめる。銀剣の殺人鬼をみすみす逃走させたことを指摘されたのだから本来は機嫌を損ねてもおかしくはない。

 しかし黒騎士はまたフッと笑って、ザラメの真意を理解したのか晴れ晴れしい顔つきで。


「俺のハダカ覗いて何言ってやがるんだかな、このむっつりメスガキどんぎつね」


「なっ!」


「イヤならナイショにしてやるからナイショにしろ。ふたりだけの秘密の約束だ」


「……い、いいでしょう」


 ザラメは“弱み”を互いに握り合う中、冒険の書を介してパーティ契約を結ぶ。


 “二人目の仲間”


 純黒の重騎士ことキルト・ハンドラーがこうして仲間となった。












 夕刻、観測者であるあなたはザラメと黒騎士の公開状態の通知に気づく。

 これから夕食の頃合いだったので支度しつつ様子を見る。

 どうやらザラメと黒騎士は正式にパーティ契約を結ぶことになったようでお膳立てしたあなたは一安心といったところだ。


 黒騎士――彼女はどこまで秘密を明かしたのだろうか。

 キルト・ハンドラーの元ネタにあなたはすぐに気づいていた。原作の“冥想のブラックギルド”は知名度が高く、言い回しもそれっぽいのでわかる人にはわかる。


 既存キャラクターの模倣PCは稀に見かける事例なので正直、観測者の視点ではそこまで気になることではない。

 現実の自分と大きく異なるキャラメイクなんて、そもそも異種族の冒険者を作って剣と魔法の世界で遊ぼうという趣旨の時点で、それはごく当たり前のことだ。


 とはいえ、現実と仮想体験ゲームをごっちゃにしたり、難癖つけて罵倒したがる連中は少なからずいるだろう。

 なにより、第三者視点ではさしたることでなくても、当人には大きなコンプレックスとなることだってよくある話だ。


 ありきたりな悩みだって、当人には大問題だ。

 そのせいで孤立してしまっていた黒騎士を、同じく孤立していたザラメと引き合わせたのはあなたの彗眼であったといえる。


 ――が、だ。


 パーティメンバーは上限五名まで、シオリンを除いてあと二名の空き枠がある。


 【五輪の過保護】


 四大元素、また五大元素や五行説に基づくものでゲーム的都合もあわせてパーティを五人までにする理由になるシステムである。

 全体への補助効果や回復はこの【五輪の過保護】によりパーティ契約を結んだ五人にまで有効、超過した対象には無効になるといった実利上のメリットが五人PTにはある。


 もし六人で遊びたければ「3+3」「4+2」などの2パーティが同行するという合同形式を選択できるが、基本形は五人パーティだ。

 たったふたりでも前衛と後衛の役割分担ができるだけ大違いだが、できれば早急に仲間集めをしておいた方が理想的進展だ。


 ……が、はじまりの港に滞在する初心者冒険者の大半はもうパーティ結成済みだ。

 五人パーティ構成がセオリーな以上、この緊急事態ではとにかく集まって五人組を作ろうと初日の夜にはもう大半の冒険者が動いていた。

 二日目の昼にはじまりの港にもどってきたザラメは、死亡状態のシオリンを含んだふたりとカウントされ、しかも開始三日目で世辞にも強そうには見えない。


 しかも死者蘇生の秘法を求めるというザラメの目的は、とにかく安心安全にこの災害をやりすごしたい低レベル初心者勢には自殺行為にしかみえない。

 黒騎士のようにフリーのソロ冒険者でしかも即戦力という優良物件など、もはやはじまりの港では他にいないだろう。


 ――なにせ、他の孤立したソロ冒険者を数名、銀剣の殺人鬼が暗殺してしまっている。


 殺人者の情報が拡散した今、このはじまりの港であえてソロを継続している冒険者はもはやいるはずがなかった。

 都合よく仲間が見つからない現状、しばらくはザラメと黒騎士のふたりだけで冒険しなければなるまい。


 残念ながらドラマギへの決済サービスは停止措置が下されている。

 現状、資金や物資の支援はゲーム外部からできないことが悔やまれる。


『黒騎士さん、料理できないんですね』


『違う。キルト様は料理下手属性なんだ。私ができても俺がするのは解釈違いだ』


『中の人もメシマズ説』


『黙れ。食材調達はしてやったんだ。義務は果たした』


『はぁ、世話が焼ける人ですね……』


 宿屋の厨房設備を借りて、ザラメは黒騎士と打ち解けた様子で料理している。

 それにしても全身甲冑のまま厨房の端に突っ立っている黒騎士はどうにもシュールだ。

 どうやら当分、黒騎士は鎧兜で正体を隠したいらしい。


 無意識に『キルト様』とポロッと口走ってしまっているのでバレないのは観測者がまだ少数な今のうちだけでいずれは焼け石に水になりそうだ。


 なお、ドラマギは【俗称】と【本名】を使い分けができる。

 ディスプレイネームには設定した【俗称】が表記され、基本は『純黒の重騎士』として他のプレイヤーやNPCは認識することになり、キャラの本名は伏せることができる。


『じゃがいもの皮むき程度はしてくださいね、それも解釈違いとは言わせませんので』


『……ちっ、面倒だがやってやるか』


『にんじんとたまねぎの下処理、あと井戸水も汲んできてください黒騎士さん』


『七面倒くさい! くそっ、どんくさぎつねめ……』


 それでも渋々とやる。原作のキルトも文句を言いつつやってた気がする。

 じゃがいもの皮を厚く切りすぎて怒られるのが本家だが、よくみると黒騎士は丁寧に適度な薄さで剥いている。キャラロールを徹底したいがためにわざと貴重な食材を無駄にするようなことはしないのは状況に合わせた妥協点だろう。


『美味しいクラムチャウダーのために頑張ってくださいね、ウスノロオオカミさん』


 このふたり、仲良くやっていけそうだ。

 あなたはそう安堵して、自分も夕食の支度に専念するのだった。




「第三回、死者蘇生の秘法GETだぜ会議をはじめたいとおもいます」


▽「わーぱちぱち」


▽「なお前二回今のとこ成果なし」


▽「三人寄らばもんじゃの知恵」


 夕食を済ませて異変二日目の夜七時すぎ、ザラメは宿屋のベッドの上で会議を開く。

 参加者は少数の観測者、そして仲間になってすぐの黒騎士のみ。

 ちなみにザラメは携行アイテムのひとつとして所持する、装備アイテム「安眠のパジャマ」に着替えている。黒騎士も同じだ。

 つまりパジャマパーティーのような会議っぽさゼロの絵面になってしまっている。


▽「パジャマ会議」


▽「睡眠の回復ボーナスを増加させるから寝間着はガチプだぞ」


▽「うわ、調べたらこのゲーム鎧を着たまま寝たらペナルティあるって」


▽「パジャマ推奨だったのか……」


 早くも脱線する話題。

 黒騎士は寡黙に、ベッドの上に片膝を立てて座っている。傍らには剣を備え、引き締まった空気感を醸している。男物の黒地の寝巻きもなかなか決まっている。

 観測されている間はなるべくボロを出さないようカッコつけたいらしい。


「……で、死者蘇生の秘法とやらには一切の手掛かりがないそうだな。ザラメ、悪いが俺は武闘派だ。復活の魔法やアイテムの知識には縁遠い。武具や魔物はさておきな」


「でしょうね。そこは黒騎士さんじゃなくて私の担当です」


 ザラメは会議室によくあるホワイトボードを模した絵図を冒険の書によって出力して、図解を交えつつ過去二回の考察をまとめる。


「未帰還者は約1万2000人、そのうち観測登録下位1%が新月の夜に削除される――。120人、多いですよね。そして今回、あの殺人鬼や弁慶カワウソのような“Xシフター”の存在が報告されている、でしたよね……?」


 赤黒い光を纏って復活した弁慶カワウソ。

 黒い小妖精を伴った銀剣の殺人鬼。

 共通するのは冒険者を『死亡』させうること、『Lv.X』と名前やステータスの異常だ。


「Xシフター? 初めて聞くが、どういう意味だ」


「……えと、だれか解説おねがいします!」


▽「レベルがX表記だからってのはわかる」


▽「童話の赤ずきんに出てくる人食い狼みたいな怪物としての変身能力者のことをシェイプシフターというんだ。これが一番有力説」


▽「“篩”にかける役割だからシフターだって説もあるぞ」


「現状、このXシフターに戦闘不能にさせられると『死亡』状態になる場合がある、という注意喚起が出回ってるそうです」


▽「有志がまとめた情報では全体で五十人以上の犠牲者がいる、だって」


「……つまりXシフターは各地に複数いる、厄介だな」


「そして撃破報告はわずか。犠牲者はもっと増えると思われます」


 ザラメは淡々と言葉する。

 いちいち感情を高ぶらせていてはキリがない、役立ちもしない。冷静たらんとする。


「……もしXシフターに殺害されることがすぐさま削除を意味するとしたら。わざわざ【亡骸の過保護】で冒険者の死体を守ってくれるシステム上の意味がありません。死者を蘇らせる方法はきっとあるはずです。……でも、手掛かりはゼロですけど」


 ザラメはどさっとベッドに背を預けて、ごろごろと悔しさともどかしさに寝転がる。


「うーーーーーーぐーーーーーにゃーーーーー!!」


▽「珍獣がおる」


▽「八方塞がりザラメちゃん」


「わたしの知識も全然ダメ! “修正補助”に引っかかりません! あーもう!」


 ザラメは白い獣耳を苛立たしげにくりくりとイジる。

 黒騎士にも妙案はないらしく沈黙を続けるが、ふと何かに気づいた様子で。


「……そうか、ザラメ、お前が弱いせいもあるのか」


 と暴言を吐かれた。

 一瞬ムッとさせられるが、しかしすぐに真意がわかるとザラメは納得させられた。

 盲点だった。


「それ、まだ“知力”が目標値に届いてないってこと!?」


「お前、たったレベル3だぞ? 新米冒険者が死者蘇生の秘法なんて貴重な情報をあらかじめ知っている方がおかしい。なにか特別な理由でもなきゃありえない」


「うぐぐ……。特別な理由なんて何も……」


 低レベルによる知力判定の失敗。

 そう言われたって急速にレベリングはできかねる。たった二週間では無理がある。

 ザラメは非常な現実を突きつけられてしまっただけかと落胆するも。


▽「……特別な理由、あるのでは?」


 と観測者のひとりが発言した。

 詳しく! とザラメが催促すると▽『だってザラメちゃん、人造生命体のホムンクルスだって種族設定だよね?』と指摘された。


 またもや盲点だった。

 灯台下暗しもいいところ。


 ザラメは雑に『魔法がすごいケモミミかわいい』くらいの理由でシオリンにおすすめされた種族なものだから、ホムンクルスとは何か、と深く考えたことがなかった。

 錬金術の産物、人造生命体。

 生命の禁忌に触れる種族ならば、なにか、それをヒントに死者蘇生の秘法につながったとしてもおかしくはない。


▽「……もしかしてアレか? 賢者の石?」


▽「エリキシルだっけ、錬金術にそういうのあったよね」


▽「いや死者は蘇らんだろ」


▽「しかし不老長寿の霊薬とかで名前は上がるぞ、エリクサー。有名な薬だろ?」


▽「いや、エリクサーはもう名前は出てるんだよ。でも心当たりなさそうだった」


▽「うーん、知力ステ不足ってことかな……」


 議論が活発化する中、ザラメはなにか閃くかに集中する。

 自分の内側に眠っている知識が、なにかの拍子に呼び起こされるかもしれない。


(そっか、ザラメ・トリスマギストスは“わたし”であって“わたし”じゃない……)


 フラスコの小人。

 錬金術の創造物。

 自分ではない自分に戸惑いつつ、ザラメは真剣に内なる知識へ向き合った。

 観測者らの、小妖精の言葉にじっと耳を傾ける。


▽「ザラメちゃん出身地どこ? 家族とかいないの?」


▽「いやいや、ゲームの自キャラだぞ? んなもんあるわけ……」


 出身地――家族――。

 ザラメは、いや、心桜はまず自分本来の家族について思い描いてしまった。

 けれど今はホームシックになっている場合ではないと一旦忘れることにして。


 現実世界を生きる自分としてではなく、この竜と魔法の大地に生きる一人のホムンクルスとして自分を定義づけ、じっと意識を集中する――。

 自らの創造した仮想世界の分身、天才錬金術師ザラメ・トリスマギストスを演じること。

 そうせねば、この世界の真理の一端に触れることはできないだろう。


(わたしはなる。演じる。それが詩織との約束を果たすために必要だから――)


 断片的に、見たこともない記憶の景色が垣間見える。

 アルバムの写真を切り刻んで、パッと紙吹雪のように舞い上げたように。

 ひらひらと記憶の断片が降ってくる――。


(集中して。もっと、深く潜らなきゃ……)


 少しずつ、スローモーションになっていく記憶写真の紙吹雪。

 心に咲く、桜吹雪。

 不明瞭なソレが、やがてひとつの写真となって“修正補助”を機能させる。


【出身地:第二帝都 パインフラット】


【家 族:シロップ・トリスマギストス、キャンディス・トリスマギストス】


 そこに写っていたのは、存在しないはずの記憶――。

 見知らぬ都市、見知らぬ家、見知らぬ家族、見知らぬ錬金術。

 プレイヤーが知る由もなく、けれどプレイキャラクターは知っている己の出自。

 不確かながら、それは迷い人を導く北極星のように夜暗に煌々と輝いてみえた。


「帝都へ。第二帝都へ! そこにわたしの“家族”がいます!」


 ザラメの突拍子もない一言。

 一時の静寂。

 そして投じられたきっかけを頼りに観測者らの議論が一気に進展した。


▽「え? なんで家族とかいるの? 3日前に作ったキャラだよなぁ?」


▽「設定上ドラマギの冒険者はいきなり無から生まれたわけじゃないぞ」


▽「自動生成かな。ドラマオートメイク機能はドラマギの特徴のひとつだし」


▽「第二帝都はすこし遠いけど次の目的地にはちょうどいいかもね」


▽「推奨7レベルの中級エリアはきついぞ」


▽「レベリングと装備の見直しやんないとか?」


▽「時間ない。黒騎士はレベル9だし強行軍すべき」


▽「パインフラットの様子ちょっと調べてくる」


 活路が開けたかもしれない。

 ザラメが黒騎士を見やると、彼は「……行こう、お前は俺が守ればいい」と答えた。


 こうして被災二日目の夜が過ぎていく――。

 希望の灯火は、まだ弱くとも燃え続けている気がした。




 被災三日目の早朝、ザラメは5時に起床していた。

 にわとりだって『わたくしもまだ寝てる頃でございますよ!?』と驚きそうな早起きだ。

 ホムンクルスの種族特性もあるが、前日ぶっ倒されて寝てた分、早起きしてしまった。


(……黒騎士さん、寝相がまるまってて妙にかわいい)


 ライカンの種族特性なのか否か、パジャマ姿の黒騎士は「G」の字を描くような尻尾と鼻先がくっつきそうな丸まった寝方をしていた。


 イヌミミ尾男子がすぅすぅと寝息を立ててるさまはザラメの興味を大いに買った。

 会議中、人前だと“ガルト様”らしく寡黙で少し口の悪いイケメンを演じているが、それだけに無防備なさまはギャップの大きさが際立って愛くるしい。


(……撮影しとこ)


 プライベートで楽しむようにパシャっと一枚。

 冒険写真広場にアップはしない。ヒミツを守る約束だ。でもそれはそれ、これはこれ。


(第一、寝方が見事に女子なんですよね……)


 寝る直前、黒騎士はおもむろにヘアオイルつけて長い黒髪をゆるふわ三つ編みにして左右おだんごにまとめてから寝ていた。寝具と長髪が擦れてダメージを受けないようにするためのヘアケア方法だ。

 おそらくゲーム内では不要な美容法なのに現実での習慣でやってしまったのだろう。


 なお、黒騎士の隣にはシオリンの死体がある。ベッドで寝ていると死亡状態だと一見わからないのでちまっこいロリドワーフの寝顔と合わさってより見栄えがする。

 ちなみにザラメはフラスコの中で幻獣態で寝るので、ひとり机の上で寝ていたりする。


「……あとは寝息があればなぁ」


 微動する黒騎士、微動だにしないシオリン。

 死霊術札でキョンシーっぽく歩かせている時は意識せずに済むが、直視するとつらい。

 じわっと涙腺が熱くなるのをおぼえて、ザラメはあわてて顔を洗った。


「めそめそなんてしてられません……!」


 ザラメは朝食後の出立までにやれることをひとりで考えてみる。

 しかし良案が浮かばず、朝五時にも関わらず試しに観測者の公開設定をオンにした。


▽「うわ、早起きさんがおる」


「こけっこっこー。どもです。妖精さんこそお早いですね」


▽「こっちは夜勤明けでね、これから寝るとこ」


「夜勤……。お仕事おつかれさまです。気にせず寝てしまってもいいんですよ」


▽「寝落ちたらごめんね。それで今朝はなにしてんの?」


「昨日、第二帝都へ向かうことが決まった後、レベリングせずに強行軍でいくって話でまとまったんです。でも弱いなりにできる範囲での補強はしておきたくて、出立までになにかできることはないかなと」


▽「えらいね」


「少々迷惑かけるだけならまだしも無能のレッテル貼られたら悔しいじゃないですか」


▽「すごい負けず嫌い」


「たまに言われますね、それ」


 ザラメは白い獣耳の先端をすりすりと指で撫でつまみ、思索しながら宿屋の庭先に出る。

 秋口の夜明け前は、まだ暗く肌寒かった。

 薄っすらと白んだ暗闇の中に、ザラメは銀剣の暗殺者がもし潜んでいたらと想像する。


「もし、今ここで敵に襲われた時、わたしは無力です。為す術もないままに死にます」


▽「ふーむ……」


「別に、適材適所と割り切ってしまってもいいんです。黒騎士さんを盾にして、後ろから遠距離攻撃や支援をする。これが成立してる間はどうにかなります。でも、もしわたしが敵側だったら、まず脆弱で厄介な私を潰すか、わたしを守らせることで黒騎士さんを縛るか、いずれにせよ目に見えた弱点を賢い敵なら見逃さないはずです」


▽「ザラメちゃんは初心者で小学生なんだよね? じゃあ仕方なくない?」


「……でも、仕方なくても、できる範囲でいいから少しでも補いたくて、こうしてます」


▽「ふーむ……いかん、コーヒー飲んで目ェ覚ますか」


「あっ、す、すみません!」


 ザラメは観測者の分身である小妖精にぺこっと謝る。夜勤明け午前五時にする相談には確かにちょっと重すぎた。

 しばらく待つと缶コーヒーでも飲んできたらしい観測者はこう答えてくれた。


▽「このゲームのこと詳しくないんだけどもさ、ここから出発までの待ち時間にできるのはなにかの練習か、出立の準備くらいじゃないかな? 実戦はダメ」


「……ですよね」


▽「防具が破損状態のままだしね。あさイチで買い替えにいく予定?」


「黒騎士さんの所持金頼みになっちゃいますけど、はじまりの港でまだ売ってる防具の中でマシなものをさがす予定になってます、ね」


▽「じゃあその破損した防具、捨てる?」


「安値で売却はできます。雀の涙くらいにしかなりませんけど……」


▽「じゃあそれ、実験素材にしちゃったら?」


「……はい?」


▽「防具を錬成しちゃダメなの? いや、素人考えなんだけども」


「装備品を、錬成……?」


 ザラメは紫色のランドセルを開いて、携行アイテムボックス内に格納された傷んだ防具と素材になりそうなアイテムを再確認してみる。

 これまで着用していたのは、


【初心のマジックローブ[520DM]】


【分類:軽装非金属。防御力:低 物理耐性:微小。魔法耐性:微小。魔法強化:微小】


 というはじまりの港で調達できる中では手頃で役立つおまけ効果のある布製防具だ。

 防御力は物理・魔法など総合的なダメージを軽減する防具本体の基本性能を示し、◯◯耐性は個別に軽減してくれる防具本体の特性を示している。


 『防御力:低』『火炎耐性:大』


 といった風に、基本性能が低くても特定の耐性がとても高いなんて場合もあるわけだ。

 初心のマジックローブはその点なんのかたよりもなく、まんべんなく微弱に補っている。

 レベル3まではこれで事足りる想定だったが、同程度の代替品では心許ないのは確かだ。


「装備品の錬成……できる、のかな」


▽「なにか問題でも?」


「本来、防具は錬金術師の作成できるアイテムじゃないはずです。錬金術師はアイテムを生産できる技能のひとつですけど、世界観としては武器は武器職人、防具は防具職人がいるわけですからして。専門分野の技能をそっちのけで防具作りなんて……」


▽「そーなんだ。残念だね」


「できるわけ……ない、のに」


 ザラメは我が目を疑った。


【刀狩りのウォーターローブ[56000DM]】


【分類:軽装非金属。防御力:中 斬撃耐性:大。水氷耐性:大。火炎弱点:小。魔法耐性:小。魔法強化:小。水中適性:中】


 調合レシピを、閃いてしまった。

 ザラメに働く錬金術師としての“修正補助”がデータを掲示する。

 現在装備の100倍もする高価な防具をアイテム作成できるかもしれないというのだ。


「これ、課金アイテム……!? なんで!?」


▽「え、なに、どしたの?」


「あの、作れるかもしれないんです。課金アイテム。超高い防具」


▽「なにそれすごそう」


「刀狩りのウォーターローブといって……これ、データです」


▽「絶対つよい」


「素材の大半、弁慶カワウソと盗賊カワウソのドロップで揃ってる……。少しだけ素材が足りないけど、その足りない素材を錬成すればいいんだ……!」


▽「え、素材アイテムの錬成?」


「お弁当作りをイメージしてください! ごはんやシャケをひとつずつ丁寧に作って、箱に飾りつけて完成させるんです! 錬金糸、水の中和剤、魔法針をまず錬成して、マジッククロースと初心のマジックローブをパッチワークしてカワウソ素材を融合させちゃえばできる、はずです。だからまず錬金糸の素材を……ちょっと森で採取してきます!」


▽「ひとりで!? 今から!?」


「宿屋の裏手の森で草むしってくるだけですから! それくらい朝飯前です!」


▽「ホントに朝飯前にやるひと久々にみた」


 ザラメは意気揚々と森へ突撃していった。

 自信はある。

 このはじまりの港にあるちいさな森はチュートリアルとしてシオリン、シロー、ミオと四人で採取クエストをやらされた思い出の場所だったからだ。

 ちいさな森は異変後も地震の影響はほとんどなく、どんなところになんの素材アイテムが自生するかもザラメはよくおぼえていた。


『かったるいよなー薬草集めだなんてよ』


『ぶつくさ言わないのシロー、千里の道もローマからよ』


『ミオちゃん、ローマは一日にしてならず、と混じってるよ?』


『あっ!』


『草』


『よーし一発ぶんなぐるわ薬草こんだけあるもんね』


『がんばってシローくん、回復魔法の準備してあげるね』


『いや殴るの止めろよシオリン!?』


 他愛無い仲間とのじゃれあいが今はもう遠い出来事のようだ。


「バカばっかりですね」


 ふふっ、とあの時どんなことを自分が言ったか思い出し笑いしながらつぶやく。

 夜明け前の暗い森の中だというのに、ザラメの素材集めは順調に進んだ。

 まるで四人で手分けして探しているかのように順調にだ。

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