表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/4

2.異世界転移は突然に

異世界転移した時の話。

 アレクシスが立ち去った後、足音を響かせ駆け足でやって来た学園長は、ダミアンを制止出来なかった教師達から婚約破棄未遂の顛末を知り、卒倒しかけた。


 両脇を教師に抱えられて壇上へ上がった学園長は、卒業生達に「婚約破棄宣言はダミアンの独断で行われたことであり、このことを面白おかしく吹聴しないこと」と伝え、夜会は予定よりも一時間早く終わった。


「疲れたなぁ」


 片付けを終えた女性こと“早川ちとせ”は、更衣室でかぶっていたメイドキャップを外して、エプロンドレスから私服へ着替えた。

 一纏めにしていた黒髪は、右耳の下に流して三つ編みにする。

 いつもなら自室でのんびり就寝準備をしている時間。

 荷物を纏めたトランクを手にして、王立学園の門を出て町外れに建つギルド、“黒猫亭”へ向かった。



 ギルド扉のノブには『閉店』の表示がかけられているが、かまわずドアノブを回して扉を開いた。


 カラン、カランッ。


 ドアチャイムの音が鳴り、カウンターに突っ伏していた赤毛の受付嬢は顔を上げた。


「……あー、チトセか。お疲れ様~。マダムから想定外のことが起きたって聞いたわ」


 ずれた眼鏡のブリッジを指で上げる受付嬢の頭上に、赤い羽根の小鳥が現れてくるりと一回転してから彼女の肩に止まる。


「お疲れのところだと思うけど、追加料金を貰っていてね。もう一仕事頼むわね。これは夜会の分の報酬ね。追加分は閣下から貰ってね。あとコレ、マダムからのお手紙。家に帰ってから見て、だってー」

「はぁ、疲れたから休みたいのに」


 受け取った報酬入りの封筒を上着の胸ポケットに入れて、ちとせはカウンター上の置時計を見る。


(追加料金まで払ってギルド経由で呼ばれたら、拒否できないじゃない。そこまでアレクシス様の状態が悪いのね)


 王立学園で会ったアレクシスの状態は、そこまで悪化しているように見えなかったが、かなり無理をしていたのだろう。


「頑張ってね~」


 手を振って見送る受付嬢に軽く手を振り返して、ちとせはギルドから人通りの少ない路地へ出た。


 登録者の多くが冒険者ではなく、一般市民という黒猫亭は人材派遣を主に行っている。

 依頼を受けると、担当者が登録者の中から適した者を選び、依頼された日に登録者の都合が開いていれば仕事を斡旋するというシステムだ。

 依頼は、イベントの手伝い、農作業の手伝いや臨時のハウスメイド、ちとせが引き受けた夜会の給仕係などで、魔物討伐や傭兵などの危険な仕事はほぼ無い。


(いくら緊急だといっても、私から出している条件は「夜間は不可」なのに。マスターも依頼を引き受けるなんて、私ってこき使われているなぁ。転移者の私に仕事を斡旋してもらえて、世話になっているのだから文句話言えないわ)


 黒猫亭のマスターには世話になっている手前、条件を無視されても文句は言えない。何故ならば、ちとせは此処とは違う世界からの所謂“転移者”だからだ。


 今から一年前、元の世界では会社員だったちとせは、働き方改革を完全無視したブラック気味の職場で働いていた。

 仕事の超多忙期真っただ中、「もう新人ではない」と言う上司から仕事を回され、定時退社していく新入社員達を見送りながら残業をして、終電に乗り帰宅する日々を送っていた。


 週休日二日前、疲労が蓄積した意識もうろうの状態で、夕食を買いに近くのコンビニに向かっていたちとせは、目的のコンビニ手前で黒色ワンピースと頭から黒色のベールをかぶった怪しい女性と擦れ違い、声をかけられた。

 足を止めて振り向くまでの間に、一気に距離を縮めた女性は勢いよくちとせの手首を掴んだ。


『……お前』


 女性に手首を掴まれた瞬間、周囲から聞こえていた雑踏と人の声という全ての音、街灯と建物からの灯りが消えた。


『え? 何、これ?』

『やっと、見つけた。これでやっと、代替わりが出来る』


 戸惑うちとせの手を離さず、ゆっくりと顔を上げた女性は黒色のベールで表情は見えないが、赤い唇が動き弧を描いた。

 ベール越しに女性と視線が合い、体を揺らしたちとせを翻弄するように吹き抜けた一陣の風によって、女性のベールがめくれ上がる。


『ひいっ』


 鮮血を彷彿とさせる真っ赤な瞳がちとせを凝視していて、ちとせは悲鳴を上げた。


『あ、ああっ!』


 女性に掴まれている手が熱を持ち、勢いよく得体の知れない何かがちとせの体内に流れ込んでくる。

 全身が燃えるように熱くなり、立っていられなくなったちとせは崩れるように蹲った。


 数秒とも数分とも分からない時間をかけて、ちとせの体内に流れ込んで来た何かが収まると、手を掴んでいた女性の姿は消えていた。

 顔を上げて立ち上がろうとした瞬間、ちとせの足元に穴が開き悲鳴を上げる間もなく穴へ落下していき……気が付くと元いた世界とは違う世界へ転移していたのだ。


 異世界転移後、ちとせがいたのは煤けた色の壁をした建物に囲まれた、薄暗い路地裏だった。

 自分の置かれている状況について行けず、混乱しながら路地を彷徨っていたちとせを拾ってくれたのは、黒猫亭のマスターだった。

 グレイ色の髪をまとめて簪を挿し着物を着た初老の女性、それが黒猫亭マスターのマダムフジコ。

 マダムフジコはちとせと同じ世界、昭和初期の時代から此方の世界へ来た転移者だった。


 時空の歪みを感じ取ったマダムフジコは、自分と同じように転移者が現れたことを察知し、ちとせを探していたのだという。

 黒猫亭の奥にある、マダムフジコの私室へ通されたちとせは「異世界転移」というファンタジーな言葉を聞き、茫然自失になった。


『信じられないでしょうね。私が生まれた時代、あの世界では戦争をしていてね。家で母の手伝いをしている時に、落ちてきた爆弾の爆風で吹き飛ばされて……気を失って目を覚ましたらこの世界の荒野にいたのよ。泣いていた私を通りがかった冒険者パーティーが助けてくれて、彼等と一緒に世界中を回ったわ』


 目を細めたマダムフジコは、持っている煙管の口元に口を付けて吸い、甘い香りがする薄桃色の煙を吐き出した。


『元の世界に戻る方法も探したけれど、私には見付けられなかった。冒険者を引退した後、夫と一緒にギルドを創ったの。ちとせが出会ったという女性は、おそらく魔女でしょう。高位の魔女は人の範疇から外れているため、膨大な魔力を後継者に受け渡さなければ死ねないと、昔、魔女の友人から聞いたことがあるわ』

『魔力? そういえば、代替わりとか言われたような気がする』


 俯いたちとせは、小刻みに震える手を見る。

 女性に掴まれた手首は未だに彼女の指の痕が残り、体中に流し込まれた電流のようなものの余韻は残っていた。


『今はまだ混乱していて、受け入れるのは無理でしょう。とりあえず、身の振り方を決めるまでうちのギルドで働いて、この世界のことを知りなさい』


 煙管を灰皿の上に置いたマダムフジコはにっこりと微笑んだ。



 ***



 黒猫亭から十分程歩いた場所に建つこじんまりした借家。

 家族で住むには手狭だが、一人暮らしには十分な広さのあるこの家は黒猫亭のマスター、マダムフジコの所有物であり、ちとせはギルドに登録することを条件に破格の値段で借りていた。


「わんわんわんっ」


 ちとせの帰宅に気が付いた隣人の飼い犬が尻尾を振って駆け寄り、隣家と借家の間に設置してあるフェンスに飛びついた。


「しー、ただいま」


 フェンスの隙間から手を入れて、甘えて来る犬の頭を撫でる。

 一頻りなでた後、借家の扉にはめ込まれている青色の魔石に手をかざし、魔力を流し込む。


 がちゃりっ

 扉に埋め込まれた魔石がちとせの魔力を認識し、扉から開錠音を発する。

 玄関で靴を脱いで室内用スリッパに履き替え、玄関と繋がっているリビングダイニングの椅子の上に、肩から掛けていたトートバッグを置いた。


「はぁ、疲れたな―」


 トートバッグの中から取り出した水筒に口をつけて果実水を一口飲む。

 今すぐ入浴して汗を洗い流したいところだが、この後追加の仕事が控えているから出来ない。


「仕方ないか」


 息を吐いたちとせは、体と服に浄化魔法をかけて身綺麗にする。


(着替えと化粧は……このままでいいか。追加依頼してきたのはあっちだし、特に気にしないだろうし。フジコさんが引き受けたのだから、危ないこと無いでしょう)


 黒猫亭に登録してある基本勤務時間は、朝八時から夕方五時まで。

 王立学園の夜会は仕方がないとはいえ、追加の仕事は完全に勤務時間外だった。


 ソファーに座り、テーブルの上に置いてある手鏡を手にして、ちとせは手鏡に映る自分の顔を凝視する。

 元の世界にいた頃より、規則正しい生活を送っているおかげで顔色も良く、目の下の隈も薄くなっていた。

 この世界では、内包する魔力によって成人後の見た目に変化がでるという。外見が幼くなっているのはちとせの魔力量は多いということ。

 魔力量の多さと転移者だということを知っている者は、マダムフジコと追加依頼をしてくれたアレクシスのみ。

 元の世界に比べて、危険なことが多いこの世界では、自衛しなければ生きていけない。

 念の為、ちとせが内包する膨大な魔力と生活魔法以外の高位魔法を使えることは秘密にしていた。


「あ、そうだった」


 手鏡をテーブルの上に置き、トートバックから受付嬢から渡されたマダムフジコの手紙を取り出す。

 封筒の封を破り中に入っている便箋を開いて、書かれている内容を読んでいくうちにちとせの眉間に皺がよっていく。


(「そろそろ閣下を受け入れてあげたら?」って、どういうこと!? 恋愛関係じゃないって、違うって何度も言っているのに!)


 指先に力が入り過ぎて、破りそうになった手紙を折り畳んで封筒に仕舞い膝の上に置いて、ちとせはテーブルに突っ伏した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ