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苦手な方はご注意ください。

Knights, Wizards, Creatures and Kingdoms

魔法残渣と夜の街

作者: 里崎

ざあざあと雨が降る。ざあざあと波の音が鳴る。


高い防波堤の上に、生ぬるい潮風が吹きつける。


満月の下、傘をかぶった3人の人間が、防波堤の上に座り込んで夜の海を眺めている。そこへ駆けてくる一匹の犬。潮騒を聞きながら、月明かりに照らされた黒い波間をぼんやりと眺めていた3人は、ゆっくりと立ち上がる。


階段を下りて、畑の横を抜けた3人と一匹は、赤提灯の立ち並ぶ屋台街に入った。


「さっすが、ガイドさん分かってるー」


犬を連れた赤ら顔の男が嬉しそうに言って、先頭を歩くバイトの青年の肩にのしかかった。その後ろで竜肉のフライを一串購入していた褐色肌の女が、それに美味そうにかぶりつきながら千鳥足で追いついていくる。


あっと声を上げて男が振り向く。「姉ちゃん俺にもひとくち!」


「嫌だよ自分で買え」あっという間に平らげ、店頭にずらりと並ぶ義角杯リュトンを一つ取って、くいっと飲み干す。「ああ旨」


惜しげもなく晒される白い喉元に、道ゆく者たちがつい視線を向ける。

じゃらじゃらとチップ込みの硬貨を落とす気前のよい酔いどれ客に店主たちが、まいど!と威勢よく声をあげ、


「おごってよ貴族さまー」と男が甘えた声を出す。


「いいかげん重いですどいてください」仏頂面のバイトが平坦に言う。「はいじゃあ最後に上り坂いきまーす」


「ええー」とだらしない格好の男。


「ええー」と露出の多い格好の女。


わん、と足元の犬が嬉しそうに吠える。道端に落ちていたナゾの肉をもぐもぐしながら。


屋台街を抜けた一行は、迷路のような細い裏路地を何度も曲がり、朽ちかけた木の階段を登って、


「今日は西の空が綺麗なんで、こっちです」


登り終えた先頭のバイトがそう言って、茂みの隙間から見える夜空を指さした。追いついた酔っ払い二人が、おおーと歓声をあげる。


闇夜にまたたく一面の星々の下、民家から漏れる精霊灯の柔らかな灯りと、職人街に残る魔法残渣の煌めきが点々と広がる。


酔っ払い二人は、湿った夜風を気持ち良さそうにあびながら、夜の空気をめいっぱい吸い込んで、気持ちよさそうに大きく伸びをする。犬は水溜りの水を舐めている。



からん、と店先のドアベルが鳴って、3人が店内に入ってくる。シェーカーを振っていたマスターの「おかえり」の穏やかな声。頭にかぶっていたキノコ傘を、入口近くのコート掛けに引っかける。肉厚の傘の乾いたところから、ぷわぷわと胞子が舞い上がる。


「たっだいまー、いやー酔い覚ましツアー最高だねぇ」


ずぶ濡れのまま定位置のスツールに座ろうとする男をカウンター越しのマスターが制止して、タオルを差し出した。


わしわしと乱暴に顔面を拭く男が、後方によろめいて飾り棚にぶつかった。カットガラスの美しい杯がぶつかりあって耳ざわりな音を立て、いくつかが割れる。ああーとか言いながら地面に這いつくばる茶色いコート。


マスターが小さな舌打ちを鳴らす。「ツケとくね、さっきの分も」


「さっきって?」とバイトが尋ね、


白けた目をした女が、タオルで長い髪から水分を拭き取りながら答える。「昼にもあっちのランプシェードぶっ壊して」


「昼間から飲んでたんですか」


「いやぁほら、今日はお仕事なくってね」


襟首の伸びきったシャツを弄りながらカウンターに座った男を見て、このオッサン日雇いか、と軽蔑しきった目を向けるバイト。


「おっと、そうだ、ツアー代」


ごそごそとポケットをあさった男がバイトのところへやってきて、剥き出しの硬貨を手に落とす。ついでに糸くずと紙くずも。


「……まいど」


「姉ちゃんも、払ったげなー」


「うっせぇ先に払ってあるわ」


並んで座った男女の前に差し出される空のグラス。マスターがそこへ、振っていたシェーカーを傾ける。あざやかなオレンジ色の液体が2つのグラスになみなみと注がれる。


「氷姫、あとよろしく」マスターが洗い場に向かうなり、グラスの後ろからひょっこりを顔を出した手のひらサイズの女の子が、小さな手でグラスの表面にそっと触れる。オレンジ色の酒の中に、氷の欠片が次々とうまれ、それがぐるぐるとグラスの中で回った。礼を言う巨大な男女に、スカートの端をつまんで優雅に一礼。小さな手を振ったあと、小さな少女はグラスの後ろに姿を消した。


「はぁい、かんぱーい」


上機嫌に笑いながら男が言うなり、店の中の常連客全員が唱和して一斉に酒をあおった。色とりどりの液体を旨そうに飲み干す酔っ払いたち。立て続けにオーダーが入る。


うへぇ、とバイトが白けた目を向けながら入口近くの丸椅子に座る。


「おぉい、そんなとこ座ってないで一杯」


酔ってきた一人が酒臭い息をふりまくのを嫌そうに身をよじって避ける。


「結構です。……帰ったあと課題やらないと」


「いやぁ、学生さんは大変だなぁ」食べかけのまま放置していたつまみを男がもぐもぐしながら言うのに、大きなため息をついて、雨の降る窓を見上げる学生。


「ほんとですよ、予習しないとついてけないわ、課題は多いわ授業料はバカ高いわ……」


「こんど課題もっといで。おいちゃんがとっても丁寧に教えてやろう」


「寝言は家に着いてから言うもんですよ。酔っ払いに解けるんなら、競争率30倍のわけないじゃないすか、魔王の復活くらい有り得ません」


近くのテーブルで少年たちの下品なジョークにげらげら笑っていた貴族の女が振り向く。「そこまでしてなりたいもんなのか、分析官って」


大きくさらけだした女の細い腰を、白黒まだらの無精ひげの男が肘でつつく。「なんでもできるお金持ちの貴族さまにゃ、あの精緻な職人技の魅力は分かんないかもなー」


「うっぜぇ庶民のひがみうっぜぇ」


子どもじみた喧嘩を始める男女を眺め、酒瓶の並ぶ棚を見上げたバイトが呆れた様子で呟く。


「卒業しても絶対に、一滴も飲まないすけどね、あんたらみたいにはなりたくない」


えー、とマスターが残念そうな声を出し、


「なんだとこの」と貴族の女が目をつり上げ、


「あんまりストレス溜めないようになぁ」学生の顔を眺めながら、男がのんびりと言った。


はっと女がせせら笑う。「あたしのストレスをお前らと一緒にするな、背負ってるものの大きさが違うんだ」


「そうなぁ、一等議席の一番上座でいつも上品な微笑みを崩さず知的で高尚な議論を繰り広げているあの人気敏腕美人代議士さまが、まさかこんな場末の庶民酒場でこんな下着同然のひでーカッコで飲んだくれてるとは、まさか、誰も、思わんよなぁ、痛って」


玄関マットに座り込んでいた犬が急に立ち上がり、戸口に向かって激しく吠えた。店の外、少し離れたところから、ばきばきと何かが壊れるような音。


「なんだぁ、事故かケンカか?」ボトルから手酌しながら女が言う。


バックヤードからマスターが男を呼んだ。


「たぶん裏通りの端にできた猛獣商人の店だな。こないだももめてたんだよな。ちょっと見てきてよ」


「はー?」


「前に言ってたとっておき、一口舐めさせてやるから」


「行かせていただきますっ」


不格好な敬礼をした男が残りの酒を飲み干して、ふらふらと扉に向かう。


学生が不安そうに聞く。「犬、またあずかっときます?」


「んーや、つれてく」


ドアベルを鳴らして出て行った男を見送ったところで、時計を見上げたマスターが、オーブンを覗き込みながら言った。「学生さん、出前一件頼める?」


「はい、もちろん」


「ありがとう。キミに頼むと速いんだよねぇ」


保温袋を受け取った学生が、店内に一礼して傘をかぶって店を出る。軒先に立てかけていた木の板を手に取ると、ふわりと宙に浮かべた。板に模様のように刻まれた細い溝に、青い液体が満たされる。学生はそれに飛び乗って、滑るように迷路のような細い通りをくねくねと走りぬける。すぐさま目当ての家の呼び鈴を鳴らした。


「まいどー」


荷物を渡して駄賃を受け取り、店に戻ろうとしてーーすぐ近くから、聞き慣れた犬の声。学生が動きを止める。


「……なんで、あんなのの心配なんか」


ぶつくさ言いながら、板の向きを変える。



カラン、と傾けたグラスの中で氷が鳴る。酔っ払いたちの喧騒の中、揺れる液面を眺めながら、女がぼんやりと呟く。


「なんでアイツの過保護に付き合わなくちゃならないんだ」


おや、とマスターが笑う。「先週来たときは長尺のドッキリだのなんだの、楽しそうに言ってたのに」


年季の入った重厚なカウンターにだらしなく頬杖をつく女性。ひとつに雑にくくった長い髪が、テーブルからするりと滑り落ちる。「寝れなくて酒びたりになるほど、学生のうちからだらしない大人にイラつくほど、大事なのかねぇ、分析官って」


磨いたグラスを並べながら、マスターが穏やかに問う。「昔の自分と今の自分を見ているよう?」


貴族の女がぐいと酒をあおる。度数の強い酒が喉を焼くいつもの感覚と、そのあとにくる心地よい酩酊感に身を任せながら、


「うっさいよ」


ふてくされたように、小さく呟く。



ーー吹き付ける夜風に、カタカタと窓枠が鳴る。

月明かりだけの闇の中、消したばかりの蝋燭から、煙のにおいが漂う。


夜の静寂に、ひたすらな闇夜に、不意に男の心臓が跳ねる。

清潔なシーツの上、充分に満たした腹を寝巻きの上から撫でて、努めて長く息を吐き、目を閉じてーー闇の中に、まぶたの裏にどうしたってちらつくーー


 事故現場に数多積み重なる幼い遺体。

 薄暗い街角に置き去りにされた、破壊魔法の残渣が怪しく煌めく、凄惨な惨殺死体。

 「もういいよ」と諦めて力なく笑う蒼白な顔。

 常軌を逸した罪人の異様な笑顔。

 伸ばした指の先をすり抜けて、紙切れのように谷底に落ちていく人間の死体。

 泣き喚く遺族の、悲痛な声。胸ぐらを掴む手の熱さ。

 「諦めろ」眉間に深い皺を刻んだ同僚の、震える声。


数回寝返りを打った男は、枕の上で頭をかきむしって、うめき声と共に身を起こす。手のひらに滲む、じっとりとした汗をシーツで雑にぬぐって、背を丸め、のそのそとベッドから抜け出す。


それでも、と掠れた声で、酒くさい息とともに小さく吐き出す。

窓辺の棚の上に並べられたヒビの入ったガラス管に、月灯りに照らされた痩せこけた男の横顔が映るーー



ずらりと並んだ濃紺の制服。その前の地面にみっともなく這いつくばる茶色いコート。そのかたわら、行儀よくお座りしている子犬が一匹。「うーん」とうめいている薄汚れた見覚えのある姿に、ざっと青ざめた学生は人混みを押し除けて飛び出した。


「すんません、すぐ連れて帰りーー」


周囲に頭を下げながら男の肩を掴んだところで、厳しい顔をした濃紺の制服たちが学生を取り押さえた。


「あーごめん、俺の助手なんだ。離してやって」


地面に張り付いたままの男がのんびり言って、ゆっくりと身を起こすと、振り向いて眉を下げた。


「来ちゃったか。ーー夢、壊してごめんなぁ」


「え?」


濃紺の制服が、学生から手を離して数歩下がる。薄汚れた茶色いコートの下からふわりと出てきた数本のガラス管が宙に浮かび、路地にしゃがみ込んでいる男の周りを、ずらりと取り囲んだ。色とりどりの液体が入ったそれを、男は驚くほど繊細な指遣いで次々と混ぜ合わせる。それから「せっかくだ、校外実習といこう」と学生を手招きする。


混乱しながらも促されるまま隣にしゃがんだ学生に、「ハイこれなーんだ」と青い液体の入った試薬瓶を手渡す。いつも学校でやっている通り、親指で蓋を少し押し開ける。途端に漂う独特の刺激臭に、学生の速やかな同定。評点付きの正解を出した男が「それ、ちょっと持っててね」と言い置いてから、「さてじゃあこれは?」と足元に固定したばかりの魔法残渣の煌めきを指さす。空中に浮遊する小さな光の粒が、周囲の雨粒に反射して線状にきらめく。


教科書に載っていそうなほどくっきりと浮かび上がっているそれに、男の手が年代物の測量計を押し当てて、空間に光の直線を引く。その線上に、男の手が、赤い液滴を一滴ずつ垂らしていく。あぁ懐かしいな、としみじみと呟いて、男は眩しそうに目を細め、真剣な表情で残渣を見つめる学生の横顔を眺める。無精髭に覆われたカサついた唇がゆっくりと笑みの形を作る。


「ええ……なんですかこれ」と学生。


「ああそうだった」ふむと残念そうに呟いた男が光を睨み、周囲に待機していた制服たちを呼んで告げる。「5〜10分前に、最大効力3.8、影響範囲2.6の中級植物増強系魔法が発動された痕跡だな。荒っぽいけど正規ライセンス持ちの魔法使いだよ、編成方式からしておそらく30代、西国の出身」


礼を言った制服たちが、表情を引き締め慌てて街路へと駆け出していく。


ぽかんと口を開けていた学生がようやく声を出した。「えっ何それそんな詳しく分かる……習ってない!!」


「ちゃんと学会には出したよー。『お前のやり方は細かすぎて教えたところで誰も使えんからボツ』って、お宅の理事長が、教科書編纂のときにね」


男はぼりぼりと頭を掻きながら立ち上がり、腰を叩いて伸びをして、「さて。そんでこの犯人さんは、こんなとこで何してたと思う?」


「えっと……」学生の目が周囲をさまよう。「この貯水庫を壊しに?」


ヒビの入った貯水タンクと、その脇にぐったりと伸びている青いタコのような、触手状の召喚生物の死体を気味悪そうに見下ろす。


「でも壊せなかった。そしたら次は?」


「次って、ええと通常詠唱でダメなら、普通はより効力の大きい時限詠唱を試すけどーー」


「中級時限魔法の発動までにかかる時間は?」


「約15分ーー」


濃紺の制服たちがどよめく。と、貯水庫のフチに積まれたコンクリートブロックの下から、ふわりと緑色の光があふれる。野次馬たちがわめいて逃げ出す。光に駆け寄った学生が、持っていた試薬瓶の蓋を親指で弾き飛ばして、青い薬液をぶっかけた。たちまち光は消え、白い煙が薄く立ちのぼる。ぱちぱちとまばらな拍手をしながら、嬉しそうな笑みを浮かべて男が寄ってくる。


「な、何考えてるんですか!」息せききって学生が振り向く。


「なにって、来年やるだろ学外実習授業。その予習だよ、よしゅー」


呆気にとられて固まる学生の前、しれっと答えた男がその場にしゃがみこみ、目にも留まらぬ速さで2つ目の魔法残渣を固定・測量すると、手元のメモになにやら書きつけてそれを制服の一人にぽいと手渡した。


「はい、これでだいぶ絞り込めたね。俺ぁ飲み直すから、あとはヨロシク」


「ご協力ありがとうございましたっ」


濃紺の制服たちが一斉に敬礼。


学生の手から瓶を奪って代わりに足元の犬を押しつけ、その場を立ち去ろうと数歩進んだところで、


「ん?」


ついてこない学生を振り返る男。


犬を抱えた学生が、ぼたぼたとキノコ傘の端から雨のしずくを垂らしたまま俯いていた。


「……知らなくて、失礼なこと、ばっか」


「あー、まぁ俺が酒びたりのクソオヤジなのはなんも間違ってないから」


へらっと笑うと、男は学生に歩み寄って、


「お前は、他のことで息抜きできるようになってくれよ」


楽しみにしてるよ、と肩を叩く。


「酔い覚ましツアー、明日もよろしく」

作業BGM:ハイキュー!、Creepy Nuts

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― 新着の感想 ―
[良い点] 企画タグでやってきました。 飲んだくれオヤジが実は…というのに最高にシビレました。 夜の街のきらめきと飲み屋の雰囲気もとても良かったです。 女、男、それぞれの過去も気になりますね…。 あと…
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