第74話 リオの魔法
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向かってくる私の想いの刃を前に、椎名はこれまでにないほどの怯えを見せた。情けなく悲鳴を上げ、瞳の中の狂気が消し飛ぶ。
黄金の刃は椎名の急所から外れ、ナイフを真っ二つにして左翼も切断。背後の壁に大きな傷跡を作った。落ちた翼は光の粒となって消える。
椎名の三白眼には怯えしか残ってなかった。片翼となり、もう飛べないだろう。
折れて銀の輝きを失ったナイフを見て震え出し、両手で頭を抱える。柄だけとなったナイフが手からこぼれ、床にころんと転がる。
それを目で追っていた椎名が声もなく涙と涎を垂らしながら膝をついた。天敵を前に牙も爪も抜かれ縮こまる獣のようだった。
私は少しの間震える椎名を見ていた。
今の魔法にこれまで飲み込んできた言葉を全て乗せたつもりだ。完全に拒絶できたんだと、震えるだけのあいつを見て少しの安心を込めた息を吐いた。
リオさんを見る。赤く染まる腹部の痛ましい傷は完全に癒えていた。でも傷は消えても血は戻らない。
「リルルさん、パピさん……」
「はいーっす!」
名を呼ぶとパピさんはすぅーっと姿を現した。リルルさんは椎名を見張っていて、会釈してこちらに視線だけ向けている。
「助かりました」
「いいんすよいいんすよー! あの野郎が逃げた方角はわかってたから薄影魔法で姿消して近くを探してたんす。したら声が聞こえて……さあやちゃんが助けを呼んでくれたから来れたんすよ!」
「まったく……見つけたのならすぐに呼びなさい。ブン様が来てくださったからよいものを……」
「姉ちゃんが手分けしようって言ったんじゃんか! 護衛のくせに離れたのが間違いなんだよ!」
「そもそもあなたがあの卑劣な男を連れてこなければ、さあや様はピンチに陥らなかったのでは? お顔にあのような痛ましい傷を負うことも」
「それについては……マジごめんなさいっす……」
「気にしないでください。歯も折れてないし大した怪我じゃないです。それに、言いたいこと言えて前に進めた気がするんです。きっと今日このタイミングじゃないと言う機会はなかった……だからパピさん、ありがとう」
「さあやちゃん……! ……惚れていい?」
「お任せします」
キュンっとなってるパピさんからブンサブローに視線を移す。
「ブンサブローもありがとう」
労いながら【いたいのいたいのとんでけ】。伏せしたままのブンサブローから怪我を取り除いてあげる。
しかしブンサブローは伏せたまま。小さくお腹が上下してるから息はしている。気絶してるようだった。小型犬が思い切り蹴り上げられたのだ。酷い怪我だったに違いない。
怪我は治したけどブンサブローとリオさんが心配だ。
「パピさん、二人を病院に——」
そう言いかけた時だ。
リオさんが私の肩を掴んでゆっくり立ち上がった。言葉もなくふらふらと歩いていく。向かう先は椎名の元だった。
うずくまる椎名の胸ぐらを掴み、無理やり立たせて拳を握った。椎名は両手を顔の前に掲げてビクビクしている。抵抗する気力もないくらい怯えていた。
一発顔面を殴りつけた。椎名は「うぅ……」と呻くだけだ。もう一発殴ろうとリオさんが拳を振り上げる。
「今のはあーしを刺した分だ……んで! こっからはさあやの——」
「リオさん!」
私が叫ぶと二発目の拳が止まった。
「もう大丈夫ですから。私の気は済んだから……その男に殴る価値なんかありませんよ。やるだけ損です。ほっといて……もう休みましょう?」
「……あぁ……そうだな……」
静かにそう言った後、一発椎名の顔面を真正面から殴った。奴の鼻がひしゃげる。さらにもう一発、もう一発……五発目で殴り飛ばした。
椎名は床に転がり「あ……あ……」と声を漏らし、血だらけの顔面に触れて身を丸めた。
「損だろうが殴る! もう百発殴っても足んねーからなーっ!」
リオさんは「ふーん!」と鼻息を出した後、ふらっと糸が切れたように倒れた。
「リオさん!」
慌てて駆け寄り、膝を着いてリオさんの体を抱え上げた。顔面蒼白で瞳に陰ができたみたいに朧気だ。
リオさんは私の顔を見て、そして逸らした。
「でーじょうぶだ……血が足りねーだけ——」
「もういいって言ったじゃないですか! さっきまでお腹に刃物刺さってたんですよ!? もっと自分のこと大事に——」
「人のこと言えんのかおめー」
「え?」
「千枝お姉ちゃんが心配してたぜ?」
「…………そう……ですか……」
かつての私の家に行ったってことだ。じゃあ全部知ってるってことで……。
「……引きました?」
「別に? 生き方へたくそだなって思ったくれーだな……千枝お姉ちゃんなー、謝りてーって感じだったぜ? 気付けなかったこと後悔してるってな」
「……千枝お姉ちゃんはなにも悪くないんです……」
「わかってんよ。でも謝りてーんだから謝らせてやれ。それから、おめーも『心配かけてごめん』ってなー。一緒に行ってやっからよー」
「……はい」
「ついでにあーしもおめーに謝りてーことがあんだがよー」
「え?」
まったく心当たりがない。
心配かけて、隠し事だらけで、私のほうが謝りたいことばかりなのに……。
リオさんは私の顔を見てくれない。私が困惑しながらも言葉を持っていると、リオさんの目から一粒涙が落ちていった。
泣いてるところ、初めて見た。
「……ホントは……止められたんだ……! 渋谷でおめーがナイフ持って、あのクソ野郎に向かって行っちまった時……」
あの時……リオさんは私の腕を掴んでた。強い力じゃなかった……。
「でもおめーが……あのクソをぶっ殺す権利を持ってるって一瞬思っちまった……ごめん、さあや……ごめん……!」
そんなの、リオさんはなにも悪くない……でも……。
「じゃあ……約束のリオちゃんシチューご馳走してくれたら許してあげます」
「……任セロリ」
「セロリは入れなくていいです」
やっとリオさんがこっちを向いてくれた。
笑ってた。知ってる笑顔だ。
私も笑い、リオさんの少し冷たい掌を握る。
「見なさいパピ……大変尊いと思いませんか?」
「……俺×リオさんとか俺×さあやちゃんとか推す気はねーの?」
「まずお一人に絞ったらどうです? ふらふらチラチラ、余所見ばかりの男性がいくら愛を謳っても、わたくしはキテるとは思えませんね。それから、姉に手錠を掛けられたくなければさあや様にはあと三年アプローチを控えなさい」
「え……さあやちゃんも未成年なの? またっすか……」
リルルさんがうずくまる椎名の元へ行き、散らかる商品から結束バンドを手に取る。椎名の手首と倒れてた大きな棚を結び付けて桃色に光る指先を振った。結束バンドはたちまち手錠へ早変わりする。
「あなたの処遇は追々……さあや様、皆様を連れて病院へ行かれますか?」
「私は戦場に戻ります」
「しかしそれは——」
「……呼ばれたんです」
呼ばれたのは一度だけ。でも、きっと必要としてる。
「私はあゆのところに……連れて行ってくれますか?」
「……承りました」
「ありがとうございます。——パピさん! リオさんとブンサブローをお願いします!」
「らじゃっす!」
敬礼するパピさんにリオさんを預け、私はリルルさんと共に店の出口へ。
「さあや……っ!」
背後からリオさんに呼ばれて振り返る。
「……おめーも魔法使いだったんだな……だがよー、調子に乗ってんなよっ!? あーしだってな、とっときの魔法使えんだかんなっ!」
リオさんはパピさんに支えられ上体を起こし、ポケットをごそごそ。取り出した何かをじっと見つめた。
「……【てのひらと石ころ】か……」
意味は分からないが彼女はそう呟き、何かを投げて寄こした。煌めく何かは大きな弧を描き、構えた私の両手に落ちてくる。
銀色の小さな箱……ライターだった。火が暴発して、危ないからって以前取り上げられた物だ。
初指名記念に、私の名付け親……【綾見さあや】のお母さんであるリオさんから初めて貰った贈り物……。
「……がんばれ……【がんばれ】っ! さあやっ!」
言葉から、ライターからリオさんの体温を感じる。さっき繋いだ手は冷たかったけど、伝わる温度はとても温かった。
「はい! 行ってきます!」
ぎゅっとライターを握り、その手を強く振った。
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