第73話 とんでけ
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「治せ」
歯も折れてボコボコに顔を歪めたシイナが言った。
ここは新宿の……どこだろう? のこぎりとか金槌とかが棚に並んでるから、たぶんホームセンターか何か。その店の中で、私は顔を壁に押さえつけられてナイフで脅されている。この武器を失ってもすぐに凶器を調達できる場所……見え透いてるが悪意の理にかなった場所だ。
戦闘地域からも離れており、店内は窓が割れてるくらいで目立った崩壊はない。人の姿も無く、電気もまだ通ってる。
私の翼はズタズタでもう飛べない。逃げられないように、店に着いたらすぐにナイフで切り刻まれた。ナイフで切れちゃうなんて、そこは魔法らしく物理を無効化してほしかった。
「早くしろ! 見てたぞ? 傷、治せるんだよなぁ?」
背中越し、耳元で囁かれる。
「【いたいのいたいの】……」
私の後頭部を掴む椎名の手に指先を向けて唱える。椎名の体が金色の光が発せられ、段々と私の指先に集まってくる。
「捨てろ。俺や天井になんか撃つなよ? 背中にナイフが刺さるほうがよっぽど早いぜ?」
「……【とんでけ】」
強烈な光を纏う『いたいのいたいの』を床に向けて放った。床が抉れ深い傷跡を残した。
「はは! 全快だ! 便利な女だな。もし世界が終わらなかったら次はもっと上手く飼ってやるよ」
折れた歯は戻ってないが、見るのも悍ましい恨みしか湧かない顔に戻っている。おかしな方に曲がっていた足や傷だらけの腕や足も元通りだ。
別に脅されなくても治すつもりだった。弱り切ったこいつに言ったって、意味がないから。
「次はあれだ……あの黒い化け物を出せ」
「スモックのこと?」
「名前なんか知るか。いいから出せ」
「あんたには扱えない」
「出せ!」
「出せない。あれは意思で出せるようなものじゃない」
「ならまた痛めつけるだけだ。懐かしいだろ?」
「……あんたはいいように使われてただけ。力を集めるためのただの道具だった。もう声も聞こえないんでしょう? 分かってるはず」
「……随分行儀が悪くなったな。たった一年ぽっちで躾けたこと忘れるなんて低能な雌犬だ。次はトイレから教えてやろうか?」
背中に触れる感覚が鋭いナイフの切っ先から気持ちの悪い指先に変わる。長い指が背中をなぞり、次第に腰へと下がっていく。
壁に押さえつけられる頬を擦り、私は無理やり振り返った。
振り向き様に腕が椎名の体に当たった。対して強い力でもなかったが、椎名は飛び退いて両手を顔の前に出して壁を作っている。指の隙間から私を覗き、誤魔化すようにナイフを私に向けた。顔は下卑た笑いじゃない。強張って睨んでるが、どこか怯えのある目だった。
私は眉を顰めながらも、凶器をチラつかせる相手に向き合って口を開く。
「なんでボコボコだったか知らないけど、相当痛めつけられて参ってるみたいね。人間の気持ちが少しは分かったんじゃない?」
「人間……?」
「えぇ。あんたは人間じゃない。化け物だ」
「俺があんな真っ黒な化け物に見えるか? あ?」
「スモックは辛さや苦しみから生まれた悲しい存在……あんたは違う。ずっと醜くて卑しい化け物。心の器を快楽だけで満たした、誰の声も届かない、言葉の通じない化け物だ!」
「……いいじゃねぇの、化け物。人間様をペットにできる上位存在だ。そうさせたのは里桜、おまえだがな」
「そうかもしれない。でも選択したのはあんた。私はもうあんたの言いなりにはならない」
「そうか、なら教えてるよ。自分はペットや家畜なんだってなぁ。いずれ自分から服脱いで作った痣見ながら吐息漏らすように躾けてやる……まだ俺のことが怖いんだろう?」
「……怖い」
俯いた私を見て、椎名が冷たい笑みを取り戻して一歩ずつ近づいてきた。それを私は顔を上げて制する。真っ直ぐ、決して目を逸らさずに。
「でも立ち向かえる……一人じゃないから」
椎名が焦りを見せつつ辺りを見回した。遠くに響く地鳴りだけで店内は静まり返っている。
再び三白眼が光り目を細めた。
「誰がいるって?」
「みんなが……」
私は掌を広げて見つめる。
いろんな温もりを掌が覚えている。
差し出された手を掴んだ時の頼もしさ、ハグした時の背中の広さ、繋いだ時の手の温かさ……。
「……ここにいる」
「頭イカレたみたいだな。今お兄ちゃんが治してやるよ……」
ナイフを向けてにじり寄ってくる。
「まだ顔は傷つけたことなかったな……バレねぇように痕が残るような傷も……他の野郎に尻尾振んねぇように誰の所有物かわかるようにしねぇとな」
刺されても治せる……大丈夫……痛いのは慣れてる!
羽ばたいて一気に詰め寄られ、私の首に手がかかる。
その瞬間だった。
別の羽ばたく音が横から通り抜けていった。鋭いハイヒールで椎名の横っ腹に蹴りをお見舞いしている。しかし蹴りは咄嗟に翼でガードされており、有効打になってなかった。
「リオさん!?」
「クッソが!」
リオさんは苦い顔して着地した。
蹴り飛ばされた椎名は床を転がって棚に背を打ち付けた後、床をペタペタ触りながら及び腰で立ち上がった。今までにないくらい顔が苛立ちと怯え、怒りに歪んでいる。
すぐに床から飛び立ち、高い天井すれすれまで昇ると、店内奥の棚陰に降りて隠れてしまった。
「リオさん、どうしてここに!?」
「あん? 大量のバケモンが湧いたらホームセンターに駆け込むのが常識だろうがっ!」
あなたもゾンビあるあるでしたか……。
ノコギリとかネイルガンとか、工具ベルト装着して武装している。
「キング原作小説の映画かってんだここはよーっ! 真っ黒だが霧的なモンも出てたしよーっ!」
「それだととんでもなく後味悪い結末なんですが……」
この感じ……リオさんは転生者じゃないみたい。
「なんで病院でおとなしくしてないんですか!?」
「だっていきなし全員出てっちまうからよー、ノリであーしも出てったら妖怪大戦争だろ? いきなし羽生えっしよー何回チビッたか教えてやろーか? 今日の日付+チビリ回数でロト6買えばたぶん当たるぜ?」
「二桁チビってるじゃないですか……」
「ホームセンターって下着売ってっか?」
「知りません! もう……!」
全然変わってない……ふざけててバカみたいで、いつも通りのリオさんだ……。
「ふふ……あっははははは!」
気付けば、私は声出して笑っていた。自分でも変だって思うくらいに。
リオさんは口をあんぐり開けて私を見ている。
「マジにイカレちまったか?」
「ふふふ……そうかもです」
「……元気そうだな?」
「はい」
「ふーん、あっそ」
「心配しました?」
「あん? 別に? それよか逃げんぞ。あのクソがまた来ねー内に——さあや!」
店内の商品棚が倒れてきた。咄嗟にリオさんが私を抱き寄せて避けてくれた。
倒したのは椎名。高い天井からこちらを睨んでいる。血管浮かせ歪みある顔。折れた歯の隙間から涎を垂らし正気とは思えない。完全にキレている。
「やりやがったなてめーっ!」
リオさんが腰に備えていたネイルガンを構え、椎名に向けて引き金を引いた。「カシュカシュ」と音だけして釘が打ち出されることはなかった。
「なんで銃みてーに出ねーんだクソがよーっ! ネイル『ガン』だろーがてめーはっ!」
「ここ日本ですよ!? 映画の見過ぎ! 商品棚並んでる物が武器として扱えるわけないでしょ!?」
私たちの様子を見て、椎名も右手に持っていた工具を構えてスイッチを押した。ギュイーンと音を立てて刃が回転している。充電式の電動丸鋸だ。めっちゃ武器。
「な? やっぱ映画は正しいぜ?」
「言ってる場合ですか!?」
椎名が猛りながら頭上から襲ってきた。左手にはナイフも握られている。
リオさんがネイルガンを投げつけたが容易に避けられた。リオさんは私を抱えて再び逃げ出す。
後を追う椎名がやたらめったら丸鋸を振り回し、商品棚や壁、床に爪痕を作っていく。
「っぶねーっぶねーっ! クッソ、ネイルガンじゃなくてあーしもチェーンソーにしとけばダンスバトルに持ち込めたのによーっ!」
「なんで!? そんなわけないでしょ!?」
「アホかっ! チェーンソーっつったらダンスだろーがっ!」
「わかんないわかんないわかんない……!」
「出口出口……!」
「リオさん、そっちは——」
自動ドアに突っ込み、ぶち当たって私たちは床に落ちた。当然ドアが開くよりこちらの飛ぶ速度が速い。
「痛でーっ! ガラスくらいぶち破れよなーっ!」
「だから……映画とか漫画じゃないから……」
仰向けに転がると、目の前に丸鋸の刃が迫っていた。リオさんと二人逆方向に寝返りを打って避ける。私と彼女の間を裂くようにノコギリが床を削って火花を上げた。
椎名の殺意は私じゃなくリオさんへ。彼女を睨んで丸鋸を振り上げる。
リオさんは急ぎ立ち上がり、腰に装備していたシンプルなノコギリを力任せに振った。丸鋸の刃とかち合ったが、一瞬の火花の後にノコギリが弾かれた。
今いる場所は店内の出入り口、つまり端っこだ。店の角にじりじり壁に詰められ、互いに翼を持ってるがリオさんに逃げ道がない。
私は倒れた商品棚からカッターを見つけ、フィンガーレスのグローブを外して自分の左腕を切った。鋭い痛みに耐え、血が溢れてく傷に指先で触れる。
「【いたいのいたいの】……」
しかし、指先に金の光は灯るが傷が吸い出せない。
自分以外を癒す魔法だった!?
これまで自分には使ってこなかったし、発現したのはハルキに使った時。確かに【いたいのいたいのとんでけ】なんて自分に使ってたらイタい奴だ。
頭を切り替え、持っていたカッターや落ちてる金槌とか目に付く物を椎名に投げつけた。ほとんどが当たらずに床を鳴らす中、サイズの小さなペンチが椎名の背中に当たった。
椎名は「ひっ」と予想以上に驚き丸鋸を落とす。その隙にリオさんが翼を広げて脇を通り抜けようとした。
だが椎名が左手に握っていたナイフを乱暴に振ると、リオさんは苦悶の表情を浮かべて私の前に肩から落ちた。左足のふくらはぎに大きな切り傷ができている。すぐに真っ赤に染まってしまった。
「掠っただけだ……っ!」
「大丈夫! 【いたいの——」
言いかけたのとほぼ同時に椎名が羽ばたいて走り飛んできた。右手には持ち替えたナイフが握られている。殺意の矛先は私——間に合わない!
突き出されたナイフが見えなくなった。宙を舞う白い羽が遮ったのだ。
リオさんが私を背に隠し盾になった。脇腹を一突き。銀に光るナイフが深く刺さり、赤く染まっていく。
「リオさん! 【いたいの——」
再び魔法を唱えるが息が止まり続きを言えなかった。椎名に左手で首を絞められ、そのまま押されて強く壁に叩きつけられる。
リオさんが遠い……倒れて、痛みに苦しみ、声もなく私を見ている。
「出せ!」
「だか……ら……スモックは意思で……出せるものじゃ……」
「あぁだからあの女刺してやったんだ! これなら出せんだろ!?」
「出せ……ない……!」
「本当に死ぬぞ!? 出せたらあの女は治させてやる! あの女が死にかけてるのはおまえのせいだ! おまえが関わったから死ぬ! 親父もそうだ! おまえが来なかったらただの間抜けでいられた! 母親はどうだ!? おまえが邪魔だったんだ! おまえなんか産まなきゃよかったって泣いて、今は笑ってるだろうよ! おまえは誰とも関われない! 俺だけだ! 俺だけがおまえを使ってやる!」
私の足が宙に浮く。そして眼前にナイフが突きつけられた。
「俺はおまえを殺したっていいんだ! それで終わりならそれでも構わねぇ! どうする!? 決めるのはおまえだ!」
リオさんが……死んじゃう! 嫌だ……絶対に!
私が死ぬのも嫌……またあいつと絶望を歩く未来も嫌……!
私の心を汚く踏み荒らす闇が立ち込め始める。その闇の中にぽつんと微かな光が灯った。
『……さ……あや……ん』
……え?
頭に響く苦しくて消え入りそうな声……私を呼ぶ聞いたことのない声……でも不思議と誰の声かはわかった。
マホちゃんが私を呼んでる……!
もっと辛いこと考えたらスモックを出せる? それでいいの? 出せたらその後どうするの? 考えて……どうにか、私一人で——。
——違うでしょ!?
頭の中でまた別の声。【私】の声だ。
——一人じゃないって……気付いたんでしょ!?
……そうだ……!
力を振り絞り、震える両手で首を絞める椎名の左手に触れた。指を挟み込み、なんとか気道を確保する。細かく息を吸い、いっぱい肺に空気を溜める。
「だ……誰か……! 助けてください……! 助けて……!」
今出せる一番の大声でSOSを発した。静まり返る店内に響き、再び静寂が訪れる……返事はない。
大丈夫……私は知ってる……SOSは簡単に誰かに届く!
「……選択を間違えたな?」
首を絞める力をさらに強め、椎名が言った。眉間に突きつけていたナイフを振りかぶる。
その時だ。
ピシャッと私の足元に小さな雷が落ちた。雷鳴に驚いて椎名が仰け反りナイフの動きも止まる。
「ったく、どいつもこいつもワシのことタクシー扱いしおってからに……さあやたん、かなりの戦士送り込んだけどよォ、こっちはどんな具合——」
「ブン……サブ……ロ……!」
修羅場を見て足元のブンサブローが目を丸くし、すぐに歯茎剥き出しで唸り出した。
私は雷鳴に怯んでいる椎名の脛を蹴り上げ、さらに両手で椎名の腕に爪を立てる。奴は苦悶の声を上げて拘束を解いた。
「さあやたん!」
ブンサブローと目を合わせ、差し出されたお手に手を伸ばす。触れた瞬間に雷化した。場所は元居た歌舞伎町一丁目。
周りに人もいない……ここじゃダメだ!
「ブンサブロー、すぐに戻って!」
咳き込みながらコーギー犬の頭を撫でた。
「アァン? 危ねェだろうがァ!」
「リオさんがあそこに……!」
すぐに状況を理解したブンサブローが「アン!」と一咆え。迅雷魔法でもう一度雷化した。
再び景色はホームセンター。場所は倒れてるリオさんの傍らだ。即座に左腕で抱き締める。
もう一度迅雷魔法を——しかし右手に触れていたブンサブローのふかふかな感触が消えた。
椎名がボールを蹴るみたいにブンサブローを蹴り上げたのだ。「キャウン」と悲鳴が聞こえ、小さなコーギー犬はガシャンと棚に叩きつけられて動かなくなった。
「い、【いたいのいた——」
リオさんのナイフが刺さる腹に向け呪文を唱える。
だがそれも間に合わない。
横顔を蹴られて声が途切れる。さらに髪を鷲掴みにされて引きずられ、リオさんから離された。
「瞬間移動するのは知ってたからなぁ! 戻ってくるって信じてたぜぇ!? ほっときゃいいのによぉ!」
顔を床に押さえつけられた。体も踏み敷かれている——動けない……!
「さ……あや……!」
切れ切れのリオさんの声……蒼白な顔……血が床を濡らしている……早く……早く……!
「行儀悪く歩き回りやがって……お兄ちゃんはそんな風に育てた覚えねぇぞ!? そんな下品な足は要らねぇよなぁ!?」
視界の片隅、私の足に向けてナイフが振り下ろされ——。
「……は?」
ナイフは振り上がったところで静止した。無理やり引っ張っても動かない。振りかぶったままの恰好だ。透明な何かに腕を掴まれている。
パピさんだ……来てくれた……私のSOSは届いてた……!
「がぁぁ!?」
椎名が痛みに顔を引きつらせた。ナイフが手から離れカランと床に落ちる。
その音と被さるように、私のすぐ横に雷が落ちた。ブンサブローと怒り一心のリルルさんだった。瞳孔が開き眉間に普段は見せない深い深い谷がある。
ブンサブローはよろよろとした後伏せ。ニヒルな笑みを浮かべて動かなくなった。
リルルさんは私の顔をチラリと見て、さらに怒りを滾らせて歯を食いしばった。
「推しの……顔を……!」
リルルさんが床を蹴り、椎名の後頭部を掴んで膝蹴りを喰らわせた。顔が減り込み鼻血が噴き出す。口からも白い何かが飛んでいった。数回跳ねてナイフの傍らに転がる。残っていた歯だ。
椎名はよらめきながら退がり壁に背を打った。手で顔に触れ、鼻血でてらてら赤く染まる掌を見て怯え出す。でも三白眼の中に光る腐れ切った狂気は消えてない。
狂気の瞳が見つけたのは床に転がったままの電動丸鋸だ。
一目散に走り出したが、何かに躓いて転んだ。透明化してるパピさんに足をかけられたようだった。
手を伸ばすが丸鋸には届かない。丸鋸も何かに弾かれて遠くへ滑っていく。これもパピさんが蹴り弾いたんだろう。
倒れた椎名にリルルさんが迫る。椎名は立ち上がってリルルさんに背を向けた。怯えた横顔を見せているが、私は奴の右手がポケットの中に入るのを見た。
まだナイフを……!
油断させて一突きする腹づもりだろう。
私は指先に金色の光を灯しリオさんの痛ましい傷に触れる。
「【いたいのいたいの】……リルルさんパピさん、退いて!」
吸収した傷を椎名に向ける。
放つ前に、リオさんが私の腕を掴んだ。
強い力じゃない。力を込めたくても込められない。怪我は治っても体力がないんだろう。でも、横目で見たリオさんの瞳には強い光が宿っていた。
「……大丈夫です……」
私は笑うように目を細め、再び椎名を睨み付ける。
「……【とんでけ】!!」
黄金の刃が飛んでいく。辛かった過去とか、後ろ向きの嘘とか、傷だらけの心の痛みを乗せて……。
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