第57話 生まれ変わり
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土砂降りの雨の中、真夜中で暗く足元も見えない道で点々と続く街灯を頼りに走った。一時間くらい走って、懐かしのつばめの里園に辿り着いた。
門に設置されたインターフォンを鳴らす。反応がない。
門を乗り越えドアを直接ノックした。何度も何度もノックして、玄関灯が点く。ノブが回りドアが開いた。
「どなたですか? いったい何時だと——」
ドアチェーンで少ししか開かない。中から見覚えのある顔が覗いた。最後に見たのは彼女が高校一年生の時だったが、あまり変わっていない。少しふくよかになったくらいだ。昔言った通り職員に——ここの先生になったんだ。
「千枝お姉——」
「だ、誰ですか!? それ……血!? け、警察!」
ドアが閉められた。ガチャリと鍵が閉まる。室内から慌てた足音が聞こえ、再び土砂降りの中に私は取り残された。
雨の音よりも、鍵の閉まる音が大きく何度も響いてくる。併せて映像が……瑞斗君の冷たいが滾った瞳が、義輝さんの血走った泣き顔が襲ってくる。私はかつての家に背を向け歩き始めた。
千枝お姉ちゃんの反応は当然だった。血まみれの女がずぶ濡れで立っていたんだ。不審者にしか見えない。
きっとそのまま突っ立っていれば警察が来て、千枝お姉ちゃんにも事情を話せて、近い未来で平穏を手に入れていたかもしれない。
でも明るい方向へ頭が働かない。暗い方向にばかり冴え、冷静なようで崖に突き進んでる。頭の整理整頓が、死ぬ前の身辺整理みたいになっていた。
私が包丁を奪って義輝さんを刺したのは事実だし、正当防衛が立証できるかもわからないし、男女で違いはあるが瑞斗君の入った少年院に私も入るかもしれない恐怖が——彼のあの目をまた見る日が来るかもしれない恐怖が全身を震わせ、かつての家に背を向けるしかなかった。
なにより、大好きな人を大嫌いになるのがもう耐えられない。千枝お姉ちゃんとは一緒にいられない。真っ暗闇の中で一つの星明りを頼る気持ちでやって来たが、お姉ちゃんを怖がらせただけ。間違いだった。
それに椎名家は私が来なければきっと平穏だった。何も起こらなかった。
私がいなければお母さんは蒸発しなかっただろうし、そもそも練炭自殺しようとしなかったかもしれない。もっと言えば、私がいたから顔も知らないお父さんと別れてシングルマザーになったのかもしれない。
私がいるから悪いことが起きる。人を変える。不幸になる。
私なんていなければよかった……要らなかった……。
死んでしまいたいと思ったけど、怖くてできなかった。痛めつけられるのには慣れているのに、自分を痛めつけるのはどうしてもできなかった。怖さが勝っていた。
自分で死ねないなら、殺してくれる人を探そうと思った。自殺サイトとかSNSで簡単に見つかるんじゃないかと安易に考えた。スマホは持ってない。でも県内のネットカフェとかを利用するのは捕まる恐れがあると思いやめた。人の多い東京へ行こうと思った。
私の荷物は財布と春希お兄ちゃんから貰ったガマぐっさんのみ。人を刺したというのに、しっかり大事な物は持って逃げている自分に呆れもするし腹も立つし、感謝もした。
財布から身分証になるものを破り捨てた。現金は六千円くらいしか入ってない。バイトもできず不登校になったし、義輝さんが引きこもるようになってからは私が買い出しなどもしていたから仕方がない。
公園で少し休み、まだ夜が明けないうちにいくつかの集合住宅地のゴミを漁る。運よく資源ゴミの日だった。適当な服を拝借し、血まみれの制服は捨てた。マスクと帽子だけ購入して顔を隠した。
座席予約のデータが残る新幹線は当然使えない。監視カメラは怖いが、マスクと帽子、それからできるだけ俯いて顔を隠して電車を利用した。電車賃だけでお金はほとんどなくなってしまった。
食事を取ってない。コンビニでおにぎりを一つ買って雑多な道を歩いた。
歩き通しだし、まともに寝てない。疲れ果て、人の往来を気にせず道の端で座り込んだ。
寒い。頭痛もする。土砂降りの中走ってたんだ。風邪を引いて当たり前だった。
マスクをずらしておにぎりを一口かじった。味はわからなかった。噛むのも飲み込むのも億劫だった。
お風呂にも入ってない。服もゴミ漁った物だし、雨に濡れ乾いた体から嫌な臭いがする。
もうお金も無い。なんでおにぎりなんて買ってるんだ私。漫画喫茶でインターネットを使う予定だったのに。結局怖がって死ぬつもりないじゃん。
「なにしてんだろ……私……」
自分のバカさ加減にほとほと嫌になる。おにぎりが塩辛くなったのを感じた。
きっと、義輝さんを刺した瞬間からまともな思考なんてしてなかったんだ。悲観するだけで何も考えてない。
座った目線で周りを見る。たくさんの人の足が流れていく。私には近づいてこない。爪先が私には向かない。私はここにいない……。
私はいつも選択を間違える。でもこれが最後。このまま野垂れ死ぬことができればそれが正解だった。それなのに——。
「あらん? あの子……」
「君、迷子かい? 道の……それとも人生の、かな?」
二人分の爪先が私へ向いている。見上げると男性みたいな女性と、女性の恰好をした男性に手を差し伸ばされ、私は手を取ってしまった。間違いなのに……。
「——でも家に連れてきてよかったのかしらん……」
「仕方ないだろう。家も分からない、連絡できる人もいない、喋りもしない。かと言って警察という単語を出すと——銀ちゃん!」
「あぁんもう! 逃げちゃダァメダメよ~ん!」
「こうして逃げ出してしまう。よっぽどのことがあったのだろうね。まずはお風呂と食事にしよう。高熱もある。今日はゆっくり休んで、落ち着いたら話してくれるね?」
温かい……。
「おはよう、お姫様。よく眠れたかい?」
「おはよう……ございます」
「なぁによん、口きけるんじゃないん! それじゃあん、お・な・ま・え! 言えるかしらん?」
「椎……深咲里桜……です」
「りおか。ふふ、天上天下唯我独尊を掲げてそうな良い名じゃないか」
「それん、ウチの子のイメージじゃないん? 真逆よんこの子は。それでん? お家のこととかも言えるかしらん?」
「……もう少し時間が必要のようだね。気にすることはない。ゆっくりでいいのさ」
「ん~っふっふっふっふ! 食事が一人分増えてお料理楽しくなってきそうねん!」
明るい……。
「大丈夫ん!? んも~いきなり倒れて……びっくりさせないでん!」
「鍵閉めちゃダメだったかな? ——音がダメなのかい? では今後どうにかしていこう。ちょっとずつ君のことがわかっていく……心苦しくも、距離が近付いている気がして期待が膨らむね」
「——え? 仕事? ダァメダメよ~ん! あなた顔は大人っぽいけど未成年でしょうん? 聞いてなかったけどん、いくつなのん?」
「……二〇歳」
「嘘おっしゃいん! どうみても一六くらいでしょん! ウチはキャバクラ。子供にできることなんてな~んにもないのよ~ん! おとなしく留守番してん、これまで通り掃除洗濯係やってなさいん!」
「でも……迷惑……」
「……銀ちゃん、お店の皿洗いや掃除くらいならいいんじゃないかい?」
「なーに言ってんのよん楓さん!」
「家にずっと缶詰ではいいことなんてないさ。それに、私たちのことを知ってほしい。互いを知り、利を共有すれば、時と共に雪も溶けるだろう」
「……仕事すれば……お金貰えますか……? そうすれば一人で生活できます……」
「……ここを出たいのかい?」
「いえ……でも……」
「迷惑だなんて思うことないのよん? あたしたちは一緒に過ごせて楽しいしん。いずれにしても落ち着いてから相談しましょうねん?」
心強い……。
「おめー、毎日毎日裏で皿とかグラスとか洗ってばっかでつまんなくねーか?」
「そんなことは……でも、もっと役に立ちたいって……思ってます」
「ほーん、良い心がけじゃねーか。おめー歳は?」
「……二〇歳……です」
「二〇歳ねー……ちょっち顔がガキだがよー、化粧次第で化けんぜ? 役に立ちて―なら金だ。エプロンよりドレス着てホールに出てよー、男共からアンダーハートのイカくせー金巻き上げねーか? 結構楽しーぜ?」
「お化粧……ホール……」
「お? 興味あっか? 今なら三〇%オフで授業してやんよ。おめー名前は?」
「……深咲里桜……です」
「リオ? んだよあーしと被ってんじゃんよー。ま、どうせ源氏名必要だしな。おめーは……そうだな……塩見さあや……とかどうだ?」
「塩……?」
「つまみはよー、さやえんどうが一番だよなっ! ちょびっと塩味足してよーっ! あーでも嬢っぽくねーな塩は。んじゃ……綾見。【綾見さあや】だ」
「綾見さあや……私は……さあや」
名前を付けてもらって、化粧を教えてもらって、ドレスで着飾って、明るい話し方や大人らしい振舞いを覚えて……鏡を見ると、私じゃない誰かがいた。
さあやだと明るくなれた。軽くなった。心に余裕ができた。
こんな簡単に別人になれるなんて……。
いつしか深咲里桜は心の片隅にひっそりと隠れた。離れていった。
決して消えたわけじゃない。さあやが里桜を思い出す時現れ、話し相手になってくれる。逃げ道を探してくれる。
【私】は生まれ変わった。転生した。
【綾見さあや】に……。
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