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第49話 ナイフ

♦︎♦︎♦︎


 痛い……。

 体中が……頭もガンガンする……。

 息が……熱い……なに……?


 頬に触れる硬い感触で、自分がうつ伏せに倒れていると気付いた。

 手を着いて上体を起こす。傍らで倒れている誰か——。


 リオさん!?


 叫んだつもりだが、出てきたのは息だけ。声が出ない。肺が痛い。喉も焼けるようだ。

 リオさんの肩を数回叩く。すると「うっ……」と小さく呻いた。大丈夫生きてる。


 リルルさんは? パピさんは? ……あゆは……どこ?


 座り込んだまま周りを見渡す。

 瓦礫……炎上する車……遠巻きに散り散りに見える人々……私とリオさんがいるのは道路の路側帯。

 目を瞑り耳を澄ます……落ち着いていく息……鼓動……頭を揺らす耳鳴りが消えていく……意識を内から外へ……悲鳴……クラクション……悲惨な不協和音で満ちている。


「いい加減にしろよゴミがぁ!」


 怒声が耳に刺さる。発生源へ振り向いた。

 震える膝で立ちふらふらと歩く椎名の姿があった。纏っていた黒い靄が消えており、鮮明に見える姿に戦慄する。

 手には銀に光るナイフ。見慣れたナイフだ。

 あれでいつも脅された。首をなぞられた。手首を切られた。足を、腕を……治れば跡が残らないような傷をいくつもつけられた。

 そのナイフが振り上げられる。切っ先が下を向いている。ナイフの先に——。


「あゆ!」


 声が出た。

 走っていた。

 あいつの腕にしがみついてた。

 蹴られた。

 転んで、立ち上がった。

 銀に光るナイフ。私の手の中だ。奪っていた。

 あのナイフが、私の手に……。

 掌に赤い線。歪に広がる。痛みも広がって、切られたと気付く。

 おかしい……体が動いて、後になって感覚と思考が追いつく。


「どうした? やる気になったかぁ!? 簡単だよなぁ!?」


 あいつが笑ってる。

 なにがおかしい。

 おまえがいなければ私はこうしてない。

 幸せになれた。

 普通でいられた。

 あの人のことも信じていられた。あんなことされなかったし、しなかった。

 お母さんのことも忘れられた。

 おまえのせいでおかしくなった。


「あの時と同じだろ? 気持ちよかったか? 内心スカッとしたろ!」


 銀に光るナイフ。私の手の中。

 あいつは武器を持たない。ふらふらで今にも倒れそう。


 ——逃げて。


 【私】が言った。

 嫌だ。 

 これはチャンスだ。あの時とは違う。あれは刺したい相手だ。

 怖くない。

 私をたくさん殴ったあの手も、蹴った足も、首を絞めた指も、このナイフより怖くない。

 怖くない。

 怖くない。

 怖くない。

 怖くない。


「ダメだ……さあやっ!」


 背後から声。【私】じゃない。

 腕を掴まれた。強い力じゃない。


「おまえが殺したんだ! おまえが親父を——」


 走った。

 腕を掴まれてた力が一瞬強くなり、けど緩んだ。離れていった。

 あいつとあの人の姿が重なる。

 銀に光るナイフ。私の手の中。

 力を込める。


 怖くない……!


 銀に光るナイフ。赤くなっていく。

 ナイフが刺さる体。おかしい。こんな大きいはずない。

 顔を上げる。


「さあ……や……」

「銀次……ママ……?」


 赤く光るナイフ。私の手の中。


「ダメ……なのよん……どんなに……憎くても……」


 倒れる体。

 赤い水溜まり。

 赤く光るナイフ。私の手の中に無い。

 赤い掌。私のと、私のじゃない赤が混ざる。


「きゅ……救急車……だれか……」


 声が震える。

 視界も揺れてる。

 自分で通報しようとスマホを取り出す。手も震えてまともに持てず滑り落ちた。

 滲んでいく視界の先であいつが笑ってる。

 あいつの姿と重なっていたあの人の幻影。腹部を赤く染めて倒れた。

 傍らに【私】。セーラー服姿で包丁を持つ【私】。


 ——逃げて。


 右腕が疼く。

 消せない火傷痕から黒い靄が噴き出す。

 私を包む。

 閉じていく世界。閉じていく意識。

 私の心。私の中から離れていく。

 離れていく。


♦︎♦︎♦︎

■■■お知らせ■■■

少々帰宅が遅いこともあり、明日の投稿お休みします。

次回9/11の7~9時頃に更新します。

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