第49話 ナイフ
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痛い……。
体中が……頭もガンガンする……。
息が……熱い……なに……?
頬に触れる硬い感触で、自分がうつ伏せに倒れていると気付いた。
手を着いて上体を起こす。傍らで倒れている誰か——。
リオさん!?
叫んだつもりだが、出てきたのは息だけ。声が出ない。肺が痛い。喉も焼けるようだ。
リオさんの肩を数回叩く。すると「うっ……」と小さく呻いた。大丈夫生きてる。
リルルさんは? パピさんは? ……あゆは……どこ?
座り込んだまま周りを見渡す。
瓦礫……炎上する車……遠巻きに散り散りに見える人々……私とリオさんがいるのは道路の路側帯。
目を瞑り耳を澄ます……落ち着いていく息……鼓動……頭を揺らす耳鳴りが消えていく……意識を内から外へ……悲鳴……クラクション……悲惨な不協和音で満ちている。
「いい加減にしろよゴミがぁ!」
怒声が耳に刺さる。発生源へ振り向いた。
震える膝で立ちふらふらと歩く椎名の姿があった。纏っていた黒い靄が消えており、鮮明に見える姿に戦慄する。
手には銀に光るナイフ。見慣れたナイフだ。
あれでいつも脅された。首をなぞられた。手首を切られた。足を、腕を……治れば跡が残らないような傷をいくつもつけられた。
そのナイフが振り上げられる。切っ先が下を向いている。ナイフの先に——。
「あゆ!」
声が出た。
走っていた。
あいつの腕にしがみついてた。
蹴られた。
転んで、立ち上がった。
銀に光るナイフ。私の手の中だ。奪っていた。
あのナイフが、私の手に……。
掌に赤い線。歪に広がる。痛みも広がって、切られたと気付く。
おかしい……体が動いて、後になって感覚と思考が追いつく。
「どうした? やる気になったかぁ!? 簡単だよなぁ!?」
あいつが笑ってる。
なにがおかしい。
おまえがいなければ私はこうしてない。
幸せになれた。
普通でいられた。
あの人のことも信じていられた。あんなことされなかったし、しなかった。
お母さんのことも忘れられた。
おまえのせいでおかしくなった。
「あの時と同じだろ? 気持ちよかったか? 内心スカッとしたろ!」
銀に光るナイフ。私の手の中。
あいつは武器を持たない。ふらふらで今にも倒れそう。
——逃げて。
【私】が言った。
嫌だ。
これはチャンスだ。あの時とは違う。あれは刺したい相手だ。
怖くない。
私をたくさん殴ったあの手も、蹴った足も、首を絞めた指も、このナイフより怖くない。
怖くない。
怖くない。
怖くない。
怖くない。
「ダメだ……さあやっ!」
背後から声。【私】じゃない。
腕を掴まれた。強い力じゃない。
「おまえが殺したんだ! おまえが親父を——」
走った。
腕を掴まれてた力が一瞬強くなり、けど緩んだ。離れていった。
あいつとあの人の姿が重なる。
銀に光るナイフ。私の手の中。
力を込める。
怖くない……!
銀に光るナイフ。赤くなっていく。
ナイフが刺さる体。おかしい。こんな大きいはずない。
顔を上げる。
「さあ……や……」
「銀次……ママ……?」
赤く光るナイフ。私の手の中。
「ダメ……なのよん……どんなに……憎くても……」
倒れる体。
赤い水溜まり。
赤く光るナイフ。私の手の中に無い。
赤い掌。私のと、私のじゃない赤が混ざる。
「きゅ……救急車……だれか……」
声が震える。
視界も揺れてる。
自分で通報しようとスマホを取り出す。手も震えてまともに持てず滑り落ちた。
滲んでいく視界の先であいつが笑ってる。
あいつの姿と重なっていたあの人の幻影。腹部を赤く染めて倒れた。
傍らに【私】。セーラー服姿で包丁を持つ【私】。
——逃げて。
右腕が疼く。
消せない火傷痕から黒い靄が噴き出す。
私を包む。
閉じていく世界。閉じていく意識。
私の心。私の中から離れていく。
離れていく。
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少々帰宅が遅いこともあり、明日の投稿お休みします。
次回9/11の7~9時頃に更新します。




