第42話 クラーゲン
♠♠♠
ぷかぷか……ぷかぷかぷかぷかぷかぷか……なにが楽しいんだこれ?
リオが言ってた革命ゲームも他の連中はやってないみたいだし、本当にぷかぷか浮いてるだけ。暑いから冷たくて気持ちいいけど、人が多すぎて窮屈だし、水の中からのカラフルな光はキレイだけど目がチカチカするし。泳がないならズンズン音楽が楽しいから踊りたい。でも踊ってるやつあんまいない。その踊ってる奴もなんか上下に跳ねてるだけだし。
旧世界の、森の中の隠れ泉に作った隠れ家を思い出す。小さい頃は泉で朝から晩まで泳ぎまくってたな……素っ裸で。また思いっきり泳ぎまくりたい……。
「かつての隠れ家を思い出しますね」
浮き輪にお尻から入ってぷかぷかするリルルが言った。オレと同じく旧世界の思い出に浸ってたようだ。
「なー。ユッキーも来れたらよかったのに」
「いらしておいででございます」
「え? どこ?」
「少々頼み事がございまして、別の場所におられます。お仕事を早々に切り上げお手伝いいただき、大変感謝しております」
「頼み事……プールには来れないのか?」
「ノーラ様であれば何も障害はございませんが、ユッキー様でございますと少々ハードルが高かったようでございます。ご家庭や年齢、ぽっこりお腹様を気にされて、仕方がないことでございます」
「そっかー……」
「どうか気を落とさずに。今度お食事に誘ってみましょう。——隠れ家の合言葉は覚えていらっしゃいますか?」
「あぁ! 『ノスタル』!」
「『エモ』……でございます。お懐かしい……ミコル様の寓話でございますね」
「マホのばあちゃんなー。小っちゃい頃寝る前によく話してくれたなー」
「わたくし、ミコル様のお話の中では【ノスタル・エモ】が一番お気に入りでございます」
「オレも好きだぞ! ちょっと説教くさいけどな」
「寓話とはどれも説教染みたものでございます。——わたくし、この言葉は幼少の頃より意味もわからず口にしていたと記憶しております」
「え? なんでだ? 小っちゃい頃からリルルはリルテッタだったのか?」
「いえ、リルテの目覚めはほんの数週間前。リルルのみだった頃より、言葉は胸の中にあったのでございます。転生魔法で封をされた魂から漏れ出ていたのではないかと。肉体は違えど同じ魂。強い言葉や想いはマホ様の魔法でも蓋をできなかったか、あるいはに慮って扉を開けていただけたのか……強制転生という残酷さの中に光る優しさのようにも感じられ、今にして思えばマホ様からの贈り物のようにわたくしは受け取っております」
ユッキーのかわいい服を着たいって気持ちやブンサブローがぺろぺろ好きなエロイヌだってことも、魂から前世の記憶が漏れ出たからなのか?
……じゃあオレは? オレのことしか覚えてないオレはなんなんだ?
さあやは? さあやの中から出ようとするマホの想いはあるのかな……。
プールサイドにいるさあやを見る——あれ?
「さあやがいねー。リオも」
「リオ様を避難させに外に出たのでしょう。マホ様がお目覚めになられない以上、さあや様も非戦闘員。頃合いを見てユッキー様と合流する手筈——」
リルルが急に言葉を切り、浮き輪からお尻を抜いてオレの隣に立った。カラフルな光溢れる水中を睨んでいる。
オレも足先をねぶられるような気持ち悪さを感じて身構えた。水の中を蠢く昏い魔力——いる。
オレは身体強化魔法【コサミン】を唱えた。リルルも身構えいつでも迎撃できる体制を整えている。
「周りの奴ら避難させねーと」
「それなら心配ございません。九割ほど対応済みとなります」
「へ?」
「周りのお客様方、ほぼ全てわたくしでございますので」
「どゆこと?」
「わたくしの分身魔法と被飾魔法で再現したぱーりーぴーぽー様でございます。ホテルの受付時に男性のお一人様以外は別部屋へ誘導し、待機されていたユッキー様へバトンタッチ。伝心魔法で幻を見せつつ地下駐車場に避難中でございます。今向かえば、地下駐車場で水着自撮り大会に興じる奇特な風景がご覧いただけるでしょう」
ホテルスタッフも同様に避難済み。受付のねーちゃん含め全員リルルだそうだ。まったく気付かなかった。
プールにいたのは男の一人客とさあやたちが来る前からプールにいた客だったらしいが、その中でもリルルの判断で無関係と思われる客は男女共にナンパして随時避難させていたようだ。さっきさあやをナンパしてきた男共も別の女性リルルをあてがって避難済み。この無表情のリルルがナンパだなんて想像つかない。
「すべてさあや様の発案でございます。大変聡明な方……このリルル、驚嘆至極でございます」
「でもさ、この人数の分身と変身維持ってキツくね? 魔力足りるか?」
「ご安心を。この場の環境、わたくしや皆様の立ち位置……このリルル、ストレスマッハでございます。あぁ、あゆ様とさあや様の間に幾人ものわたくしが……胃がズタズタでございます……うぶっ!」
リルルが血を吐いた。鼻以外からも出すんだな。
オレの心配を他所に、リルルはスマホを叩いている。
「ユッキー様に別の建物へ避難依頼を送りました。現在プールにいらっしゃる方はお一人様の男性客が四人。この中にスモック使いの敵がいるかと……」
「どーすんだ?」
「取り押さえます」
リルルの言葉と同時に、プールではしゃいでいた奴らが突然動きを止めた。ノリの良かった音楽も止む。その時だ。後ろからオレの肩を誰かが叩いた。
「ねーねーキミキミ! 一人? 俺も一人なんだけどさー一人で自撮ってても寂しい感じじゃん? よかったら今日だけ恋ピに——」
ナンパヤロー! 一人客! 男! シイナ!
「オラー!!」
振り返りながら拳を構えた。しかしパンチの先にいた男に見覚えがあり、男の頬の直前で拳が止まる。
「ヒィッ! ……ってあゆちゃん?」
ユッキーの部下の男だ。ナルミシュウイチじゃない方。ハナビ大会の日にも会った、髪がツンツントゲトゲのにーちゃんだ。
「うほー超奇遇ー! だよねーこういうトコ来るよねー、ぽいもん。そんで? 一人? 隣のおねーさんってもしかして同じキャバの人? 紹介して——姉ちゃん!?」
「パピ……教えたでしょう? 尊みと敬いを想起させるような誘い方をしなさいと」
リルルの言葉の直後、静止した人々がギギギッ……軋む古人形の首が回るようにパピと呼ばれた男へ顔を向けると、一斉に飛びかかった。
叫び声とバシャバシャ水音が静かなプールに響く。近くで同じような声と音が二回ほど聞こえ、再び静かになった。プール内には気味の悪い魔力が漂ったままだ。
オレとリルルはプールから上がり、取り押さえた男たちも分身リルルたちが水上げした。男たち三人を並べて観察する。あまりの恐怖からか声もなくプルプル震えている。
「弟のパピでございます」
硬い地面に押さえつけられる男の一人を淡々と弟だと紹介するリルルに恐怖を覚えた。
「身内は避難させろよ……」
「受付時点で気付きましたが通しました。弟でも男性の一人客。例外はございません」
「こえーよぉ……大勢の知らない人に暴行受ける弟を無表情で見下ろしながら紹介する姉こえーよぉ……」
「パピ。失礼でしょう? しゃんと自己紹介なさい」
「鳴海パピです……ひぐっ……二四歳です……なんでもします……助けてくだひゃい……」
わっ……泣いちゃった。
「あゆちゃんって姉ちゃんの知り合い?」
「うん。友達」
「やっぱりかぁ……花火大会の後警察から電話来たからおかしいと思ったんだよぉ……マジかよぉ……じゃあ全然キャバに出勤してなかったのも姉ちゃんの仕業だったりする? 何度も指名したのに……」
「あ、それはオレがミセーネンだからだぞ」
「未成年なの!? あっぶねー……いや、てかそれ言っちゃダメだって! 姉ちゃん警官だから!」
「それは置いておきましょう」
「置いとくの!?」
「あゆ様。どうやら愚弟は犯人ではないと思われますが……」
「あぁ、違う。てかこんな簡単に捕まる奴じゃねー」
「で、あれば他二人も違うのでしょう。ただ委縮して縮こまっているだけでございます」
「二人? このにーちゃん合わせて三人……確か一人客って四人って言ってなかったか?」
「はい。一人取り押さえる前に靄のように消えました」
「靄……だぶんそいつだ!」
リルルは周りを見渡し、ピンクに光る指先をスイッと振った。周りの人間たちが光の泡となって消えていく。プール会場に残されたのはオレとリルルとパピのにーちゃん、それから名前も知らない二人の男客。
パピは一度立ち上がったが、腰が抜けたのかそのまま座り込んでしまった。他の男客二人は震える足で立ち上がると悲鳴を上げながらプールから逃げ出した。さっさと帰ってくれるなら避難の手間が省けて丁度いい。
「いませんね」
「探そう! シイナの奴、まだ近くにいるはずだ」
「ええ。しかしその前にプールの中の気配を……はて?」
プールを見つめていたリルルはオレに振り返った。
「シイナ……とは? 確か、顔も名前も存ぜぬとのお話では?」
「あーゴメン。キャバクラで話した時はさあやがいたから言えなかったけど、敵はシイナって奴でさあやの——」
さあやの兄……そう言い終える前にオレは言葉を切った。ほとんど表情を変えないリルルの顔が明らかに険しくなったからだ。顎に指を当て、何かぶつぶつと小さく口を動かしている。
「シイナ……リオ……二度の……もしや——」
真剣な顔に口を挟めない。
ぶつぶつ……ぶつぶつぶつぶつ……ぶつぶつにょろにょろ……にょろにょろ——にょろ?
考え込むリルルの背後に黒い何かがにょろにょろしている。一瞬頭が固まったが、すぐに怖気が襲いほぐされる。前髪を真ん中分けにする二つのピンの内太陽ピンを外し【パオン】で剣サイズに拡大させ構えた。
「リルル!」
名を叫ぶと同時に、リルルはにょろにょろに足を取られた。逆さまに宙吊りとなったリルルは特に慌てもせず、瞳に淡いピンクの光を宿す。
「被飾魔法【キャン・ベロー】」
光は瞳から全身に波及。直後、身を翻したリルルによってにょろにょろは切断された。にょろにょろは靄となり消え、自由になったリルルはプールサイドに着地。リルルの足、腕、首は両刃の剣のように鋭く水を弾いていた。自らを剣に変身させたのだ。
「不躾なお客様でございます。あゆ様、早急に処分して差し上げましょう」
「あぁ!」
リルルは中指でメガネをクイっと上げてプールを睨む。オレは泣き叫び動けないでいるパピを背に隠し前に躍り出た。
同時にプールの底から夥しい数のにょろにょろが静かに顔を出した。実際顔だった。にょろにょろたちの表面には無数の瞳が爛々と輝き、先端には口がありギザギザの多層に連なる牙、チロチロと二又の舌を出している。
「何匹いんだよ……」
文句を言った瞬間、プール中央が爆発したかのような水柱を上げた。
透明だがうっすらと黒い靄を湛えるぶよぶよの何かが現れた。丸みを帯びたぶよぶよフォルムで頭かと思われる場所には鋭い角が四本生えている。こちらには目や口などのパーツは見当たらない。大量のにょろにょろはこのぶよぶよから手足のように生えているようだった。
「一匹だった……なにこいつ」
「見た目は……おクラゲ様でございますね」
「この世界こんなキモい生き物いんの?」
「いらっしゃいます。深海とは宇宙より不確かな神秘。深ければ深いほど信じられない生物様がおります。強大さで言えばクラゲよりも……海の怪物クラーケンでしょうか」
「そんじゃクラーゲンだな、あいつは」
「入り混じった感情の波、その混沌……聞こえますか?」
「あぁ。あの時のアレだ」
あの時……前世の、城を砦とした最終戦争だ。目の前のスモックの強大さはあの時の対峙したスモックたちに酷似している。
耳を澄ませなくても聞こえてくる何十人かもわからないたくさんの叫び。クラーゲンのぶよぶよ頭部から発せられている。声の内容はわからない。大人数の誰かが叫ぶ不平不満……感情が弾けては行き場を失い反響している。
人一人が生み出すスモックより魔力が遥かに大きく強い。蠢く魔力の昏さも異なるものばかり。複数のスモックを合成したものなのだろう。こんな奴が何百と襲ってきて、旧世界では敗北した。
あれが初めての負けだった。それで死んだ。
この世界に来て、ワニワニにもナメキンにもギリギリだったけど勝った。悔しいけど一人じゃ勝てなかった。ワニワニにもナメキンにも、助けがあったから勝てたんだ。
「リルル! パピ! 助けてくれ! オレ弱いから一人じゃ勝てない! こいつにもシイナにも勝ちたい!」
リルルはほんの少し眉を上げて分かりづらくキョトンとしていたが、次第に分かりやすく口角を上げて微笑んだ。普段は全く見られない柔らかい表情だ。
「……きっと、一皮剥ける時なのでしょう。負けず嫌いでケンカや訓練でも思い通りにならないとすぐ拗ねていたクリス様が……敗北もまた価値のある糧。わたくしも、勝利を持ってリルテの生は価値のある死であったと証明致します。このリルル、剣槍となり必ずや尊き道を切り開きましょう!」
パピも「へへっ……」と鼻を擦って笑っていたが、すぐにハッとしてグゥと喉を鳴らし顔面蒼白となった。
「俺も?!」
パピの叫びを口火にクラーゲンのにょろにょろ触手たちが襲いかかってくる。
太陽ピンで触手を叩き切りながら、オレはシイナの行方を考えていた。
スモックを回収できず、こんなヤバめのスモックを殿に消費して面白くないだろう……まだ近くにいるはずだ。
デルクスに負けた。シイナにも負けた。次の死は本当の死……終わりだ。負けて死ぬのは無駄の証明だ。
瞬きの一瞬の暗闇にマホの顔が浮かぶ——今どうしてる? どんな顔してる? 泣いてる? 俯いてる? きっと笑ってはいない。
証明して見せる。勝って、生き抜いて、マホの魔法が——この終わりの延長が価値のあるものなんだって。
♠♠♠
■■■お知らせ■■■
次回、本日18時頃に更新します。
面白いと思っていただけた方、またその逆の方。
高低関わらず評価いただけると大変ハッピーです。




