第26話 屋台通りの戦い
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黒い靄を湛えた男はまっすぐこちらに向かってくる。オレと十歩の間合いで立ち止まった。揺らめく靄の中、口の動きが見え隠れする。
「あんたさ、さあやって女知ってる?」
さあや? なんで?
「知らねー」
「へーそう。なら、リオって女は?」
リオ? ますますわからない。銀次ママの店の客か?
「そいつも知らねー」
「嘘吐くなって。おまえ同じキャバの嬢だろ? 一緒にいるところ見たぜ?」
「知ってんなら聞いてくんじゃねーよ。なんだおまえ……」
「おぉ怖いねぇ初対面の相手に。ヤンキーかおまえ。俺の顔が気に入らねぇか?」
顔なんか見えねーからわかんねーし。
見えないが気持ち悪い視線を感じる。顔に張り付いているスモックの炯々とした目からではない。その内側から、舐めるような、べたべた触るような……じっとしていると鳥肌が立ってくる。
こいつが不審な点はまだある。こいつ自身からは魔力を全く感じない。魔力を放っているのは顔に張り付いてるスモックだけだ。魔力の少ない奴は基本二種類。能天気で不満も不安も無い奴か、欲求の赴くままに行動する奴。こいつからは後者の臭いがプンプンだ。
思い出すのは先週のユッキーから生み出されたスモック……きっかけは狂乱した男に頭噛みつかれたとかいう異常な事態だった。あの場で逃げだした男、あいつも顔をスモックに覆われていた——同じ奴か?
あの時の男はスモックに乗っ取られていて理性なんかなかった。目の前のこいつは黒のズボンにジャケット姿、小旅行でもできそうな大きめの鞄を持っている。流暢に喋っていて衝動に支配されているようには感じない。
「おまえ……デルクスか?」
直球を投げる。
「はぁ? んだそれ、名前か? どう見ても日本人でしょうよ」
躱された。
「感じわるーい。変なお面つけちゃってさァ。今取り込み中なのよねェ。ナンパなら他行っちゃってよー」
事態の読めないヨシカがしっしっと手を男に向けて払った。周りの人たちも同調して視線で敵意を露わにする。しかし男は怯まない。
「おまえらさぁあの女のダチかなんかなわけ? 母親として自覚を持てってお兄ちゃんが言ってたよって伝えてくんない?」
「兄? おまえが?」
ハルキをさあやに押し付けた男……やっぱり兄なのか。確か名前は——。
「シイナ……」
男の薄っすら見える口角がピクリと動いた。
「へぇ……あいつ俺のこと話したんだ。意外だな」
男——シイナは話しながら持っている鞄からなにかを取り出す。小さなシルエット……大きなクマちゃんの顔——。
「ハルキ!?」
首根っこを持たれた小動物みたいに、服の襟を鷲掴みにされて宙で成す術もない赤ん坊の姿があった。泣きもせず、暴れもせず、おとなしくおしゃぶり鳴らすだけなのは場面に合ってないが、なんともハルキらしい。
ハルキのいなくなったベビーカーからは微かだが魔力の残り香があった。誘拐犯は魔法使いかもしれないと思ってはいたが……。
「返せ!」
すぐさまシイナに向かって走り出した。しかし同時にシイナはハルキをこちらに向けぶん投げる。小さな体が宙を舞う。悲鳴が上がり、オレの顔からは冷や汗が垂れる。
シイナを無視してハルキの落下点に滑り込む——間に合った!
だが、キャッチの瞬間ハルキの姿が消えた。瞬きはしてなかった。でも一瞬でいなくなった。ピリッとした空気だけ残し、オレの手は空を掴む。
「なんでっ!?」
動揺する暇もない。迫ってくる足音。
ハッとしてシイナに向き直る。詰められた距離、もう目の前にいる! 手には青白く鋭い刃——。
「痛っ!」
脇腹目掛け突き出されたナイフを右手で間一髪掴んだ。掌に鋭利な痛みが走り、熱を持った血が流れだす。
「惜っしー。もうちょいだったのに」
「こいつ……!」
自由な左手でシイナを突き飛ばし、体をいなして腹を足蹴にしようと足を振り上げる。しかし、浴衣のタイトな裾が邪魔して足が上がらず空振りに終わる。シイナは微かに見え隠れする口で笑みを浮かべて距離を取った。
「クッソ……!」
「あゆたん離れて!」
ヨシカに手を引っ張られシイナとさらに距離を取る。ヨシカは振り返り、不快な男へスマホを向けた。
「今のぜーんぶ動画撮ってたから! 写真も撮ったし、SNSで爆散するわ! 目撃者もたくさん! 警察もすぐ来る! 誘拐と殺人未遂。あんたもう終わりよ!」
「どーぞ、拡散しろよ。どうせなにも写ってねぇんだから」
「は?」
ヨシカがスマホを叩き撮影した動画や写真を確かめている。しかし、そこに映っているのは黒い靄だけで、シイナの姿どころか背景すら薄っすらと見える程度のものだった。
「なんで? なんでっ!?」
「ついでに言うと目撃者もいねぇから。おまえらを除いて」
「はぁ!?」
背後を見ると、屋台に集まっていた人たちが一人残らず倒れていた。金魚掬いを応援してくれたチビッ子、さあやに優しくしてくれたその子の母親、屋台のおっちゃんまでも。彼らの背中には小さな黒い靄——スモックが生まれていた。
スモックは彼らの体から離れ、オレたちの足元をカサカサと這い走る。
「うえぇなにコレキモいー!」
「このっ!」
踏み潰そうとしたが俊敏な動きで避けられた。スモックたちはシイナの持っていた鞄に自ら入っていく。その様子のさらに奥を見て、驚きに目を見開いた。
騒ぎを見て逃げる人、遠巻きに見ていた人、遠くでなにも知らず祭りを楽しんでいた人——その誰もが声もなく次々に倒れていく。例外はなく、小さなスモックを胸から生み出して。
シイナの足元を見る。スモックとは違う、黒い渦が回っていた。なんらかの魔法……この男が使ったものじゃない。顔に張り付いてるスモックから同じ魔力の蠢きを感じる——他者から強引にスモックを呼び起こす魔法? デルクスの魔法だ。ユッキーに使ったのも同じ魔法かもしれない。やっぱりこいつがあの時の……。
「はークソ。ザコばっかかよ。——おまえらアホだろ」
小さなスモックたちを見て悪態を吐いたシイナは、侮蔑の矛先をオレたちに向ける。
「アホって言ったほうがアホなんですー! あんたはアホな上キモいのよ! ゴキブリみたいな変なの集めちゃってさー。そんな小っちゃいの怖くないもんねー! あんたこそざこよ! ざぁこざぁこ! よわよわキモ虫! ほら、あゆたんも言ってやんな!」
実際あの小っちゃいスモックはザコで弱っちい。
「ざぁこざぁこ! よわよわスモック!」
「なんも考えてねぇアホからはこいつら生まれねぇんだよ。ガキすら不満抱えて生きてんのに、おまえらは相当なバカだ。ピクリとも反応しねぇ。だから……用がねぇんだよ!」
スモックを纏いながらシイナが向かってくる。ナイフを振りかざし、ヨシカの首目掛けて——。
ギインッ!
鋭い金属音が響く。
前髪を留めていた三日月のヘアピンを外し、突き刺さる寸前で凶刃を受け止めた。接点をずらし、二つ折りのピンの中に切っ先を潜り込ませる。硬度はオリハルコンのままだ。強引に捩りナイフを折る。
驚き怯んだシイナの隙を突き肩からタックルをかました。シイナは後退りしながら膝を着いたが、すぐに立ち上がる。
「あゆたんすっご……!」
「ヨシカごめん! 浴衣破る!」
「へ? あっ!?」
折れたナイフの先を持ち、浴衣の裾——側面に切り込みを入れる。そのままビビィッと破き、左右に太ももまでスリットを作った。足が上がる。蹴りができる。
「よし、これで動きやすく——ぐっ!?」
思いっきり頬を殴られた。ヨシカの手が離れ、ステップで後ろへ下がるオレをシイナが追撃してくる。
左、右——拳を見てから避ける。反応できてる! でも全てじゃない!
シイナの拳や蹴りに躊躇がない。避けられず防御するが、純粋に力で勝てない。一発、二発打ち込まれ、防御した腕の骨が軋む。動きの鈍くなったオレは両腕を掴まれ、渾身の膝蹴りを腹にぶち込まれた。
「うっ……!」
「吐いていいぞー。そそるんだよそういうの」
込み上げてくる吐き気……我慢して飲み込み、全身に魔力を込める——強化魔法……。
「【コサミン】!」
蒼い光の粒々……両手首両足首に環を形成した直後、勝る力で両手の拘束を解く。半歩分飛び退いて回し蹴りを放った。腕で受けたシイナは宙を飛び綿飴の屋台へ突っ込む。
すかさず追う。地面に手を着き、転回を繰り返して勢いを増し、跳んだ。崩れた屋台の中で身を起こすシイナの脳天目掛け、回転しながら蹴りを——。
足先は頭部に到達しなかった。足首を掴まれ、時が止まったように宙でシイナの頭部を見つめる。顔に張り付く黒い靄……スモックの目じゃない、揺らめきの中にある人間の目と視線が交錯した。
「コサミンとか……膝だけ守る呪文かぁ?」
瞳孔開きっぱなしの三白眼——怒りも憎しみも感じない。快楽の色だ。
鳥肌が立つ前に視界が空へ向く。直後、背中と後頭部に車に轢かれた時みたいな甚大な痛みが激突してくる。
足首を掴まれたまま地面に叩きつけられた。地面が割れ、体がめり込んでいる。飛びそうな意識と視界の中、シイナがオレの腹に踏み立ち、顔を何度も踏みつけてきた。
強化魔法の上から生身と同じようなダメージを感じる。どこからこんな力が……。
シイナの足が上がる前に顔が見えた。片手で小さなスモックを綿飴みたいに食べていた。直接取り込んだ魔力が根を張るように全身の巡っている。手首や首筋に血管が黒く浮き出ていた。強化魔法と同じような効果を持っているとわかる。
【パオン】で三日月ヘアピンを剣サイズに伸ばしてシイナの胸を突く。紙一重で避けられたが、奴はよろめいてオレの腹から退いた。オレは背後へ回転しながら跳び起きて着地。
オリハルピンで殴ると殺しちゃうかもしれない。こいつからはデルクスの情報を聞きださなくちゃならないんだ。狙うのは腕か足……!
狙いを定め打ち込もうと距離を詰める。するとシイナは折れたナイフの柄を眼前にかざし、肩にへばりついてるスモックを握り潰した。凝縮され体液のように垂れるスモックの残滓を柄に塗りたくる。一振りすると真っ黒の刀が生まれた。
初見じゃない。スモックを武器や身体強化に転ずる。デルクスが使った魔法だ。——臆せず攻めろ!
シイナの力任せの剣撃と、オレのしなやかな軌跡を描く剣筋。魔法や武器の条件は似たものだが力では完全に劣っている。この柔らかいいなしで戦うしかない。
受けた刃を流し、得物を持ち替え、相手の勢いを利用して打ち込む。時に受けず、ギリギリを躱してカウンター、フェイント、飛び跳ね転がり、剣技に織り交ぜ体術も使い、建物や木々も利用する。
いいぞ、攻めきれる!
前世とはいえずっと修行してきた。積み重ねた経験が違う。この世界は平和だ。剣術なんてきっと必要のない世界だ——素人の付け焼刃で勝てると思うなよ!
相手の横一線を躱し、振り切って静止する一瞬を狙い黒刀の腹を縦にぶった切る。
渾身の一振りだ。刀が折れるか落とすか、どちらかの未来を見ていた。しかし、振り下ろされたヘアピンが叩いたのは地面だった。揺らぐ刀身が元の靄となってすり抜けたのだ。
「やっぱアホだな。技があっても、狙いがまっすぐすぎんだよ」
揺らぐ刀身から小型のスモックたちが噴き出してくる。あまりの圧に吹き飛ばされ、地面に押さえつけられた。倒壊した屋台が並ぶ道の真ん中だ。小さなスモックに埋もれ塞がれつつある視界の先、シイナの三白眼がオレを見て殺意を露わにする。
「目の前で誰か死ねばアホでも生めるかもな」
殺意の矛先は立ち尽くすヨシカに向いた。黒刀の先を地面に引きずりながら歩みを進める。
「やめろっ! 逃げろヨシカ!」
叫んでも止まらない。ヨシカも恐怖で動けないでいる。
「やっべー俺人殺すの初めてだわー。どんな感じなんだぁ? なぁ教えてくれよぉ!」
シイナが黒刀を振り上げる——ダメだ、もう!
目を瞑った時だった。雷鳴が轟き、地面を通して波動が伝わってくる。
目をゆっくり開く。ヨシカと男の間に土埃が立ち込めていた。その中に小さな影がある。静けさの中、少しずつ土埃が晴れてきた。あれは——。
「バカイヌ!?」
短足寸胴でションベンをオレに引っ掛けたイヌ——ブンサブローがそこにいた。
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■■■お知らせ■■■
次回、18時頃に更新します。
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