2話 事前準備と名前
気分が高揚してアレコレと考えている間にも時間は進む。
あれだけ有り余っていた時間が足りないなんて思ったのは初めての事だった。
それは今尚感じている事ではあるが、些末な事なのだろう。幾ら並行思考を増やしてもまだ足りず、物語を読んだり見たり聞いたりを繰り返していく内に人類の言葉がより深く理解が進み、厨二病と呼ばれる文化に惹かれたりと雑多な事で忙しい。
私の付与パターンに「…力が欲しいか?」という文言が追加されたのは言うまでもないだろう。
またこの時に与える力は“願望”と“在りし日の憧れ”と“成長”の概念にすることを決めた。
“願望”は空を飛びたいといったモノから愛されたいという様なその者が欲しいモノだ、これは能力の根幹で、次に“在りし日の憧れ”はああなりたかったこうなりたかったという叶えられなかった願いで包み、最後に3つ目は能力を“成長”させるというモノだ。
だから私には与えた能力がどう作用してどんな能力になるのかは分からない。もしかしたらまるで伝承に伝え聞く創造神の様な異能者が産まれるかも知れないのがまた面白いのだ。
そんな事を考えながらも私は体内に亜空間を創り分体を増やしていく。姿形は考えなくとも悪魔や精霊、妖怪や天使といった人類の創造物を遠慮無く使わせて貰っているので発想には事欠かない。
敵も味方も同じ所から出てくるのだが、知らない人類からすれば些細な違いだろう。
この亜空間の運営は意識的にすると面倒この上ないので無意識の作業枠に思考を数個投げ入れて自動化を図ることにした。
自動化といっても結局やっているのは私なのだが、意識的に心臓を動かすのと身体の機能として無意識に動かすのでは精神的労力が違うだろう?と若干こじつけ的だがそう自己解決する。
人類の味方になる分体は人類の価値観での可愛いやカッコイイかつポップな見た目を選び、雑なキャラ設定を演じる事にした。
例えば語尾にダゼ何て付けるデフォルメされた熊のぬいぐるみ風の分体がいい例だろう。
これらの姿を持った私の分体は既に各地へと散り積極的に戦う又は与えた能力を能動的に使う者を探し始めている。
どちらの私が見つけたとしても結局はその適合者を人類の敵側か味方側かどちらに誘うかは私次第だ。
そんな感じでヒール適正とヒーロー適正を見極めつつヒール適正側からのヒーローが現れたりしないだろうかと楽しみに思っている。その逆もまた然りだ。
どうなった所で私にとっては損ではなく、この状況が始まった時点で私の一人勝ちだ。
選定と量産を繰り返しそろそろ能力付与を行おうかと思っていた頃、新たな概念のヒーローが続々と産まれて私のキャパシティは歓喜の悲鳴を上げているが、この際どんなジャンルでも落とし込んで見せると謎の気概を見せていた。
この頃にはもう既にオタク文化を筆頭にアニメ文化に傾倒していたのは間違いないと自覚している。
しかし、この計画とオタク文化の相性は非常に良く、良質な発想を私に与えてくれていた。
最早この路線は変えられないし変えない。
その決意を新たに盛大に人類に悪質なパラダイムシフトを起こすのだ。
閑話休題
兼ねてより後回しになっていた私の名前を考え始める。
初めに考えたのはヘブライ語の敵対者を意味するシャイターン、転じてサタンは組織の名前として用意しているのでシャイターンやそれに類する名前は使えない。
そこから派生して悪魔系統はワンパターンが過ぎる。幻獣や妖怪から名前を貰おうにもしっくりと来るものが無さすぎる。例えば妖怪の総大将と名高いぬらりひょんを名乗ったとして、ぬらりひょんに率いられるシャイタンは何か違うと思うのだ。
幻獣も同様で四神や白澤、麒麟や龍を名乗った所でシャイタンの格の方が高く感じられる。
レヴィアタンやケツァルコアトルも同様で精々が同格ないし下手をすれば格下のように思われてしまう。
クトゥルフ神話から引っ張り出した外なる神を持ち出せば格の面では問題は無いが私にその格があるとは思えない。
アザトースの様に流石に目を覚ませばひとつの世界を終わらせる程の格は無く、ヨグソトース多元宇宙全てと全ての時間軸を内包する行動力も意欲もない。
私にとってはこの世界1つで良い、面倒な多元宇宙や時間軸など空想に投げ渡せばいい。
超宇宙の過ぎた格より下でシャイタンよりも格上の存在で相応しい悪役の代名詞を私はひとつしか知らない。
その名もアンリ・マンユ。
創造神で有りながら二元論による悪神の称号を自ら選んだ生粋の善神か悪神か。代が変わった方は善神であった所が面白い。
絶対悪を受け入れたアンリ・マンユと代替わりによる甘えを使ったスプンタ・マンユの対比が私としては最高に刺さった。
いつの間にか変わっていた最高善神アフラ・マズダよりも変わらぬ悪を貫いたアンリ・マンユをこのシャイタンの頂点に相応しいと決め、私は名乗る。
ーーーアンリ・マンユと。