08 健全な魔力は健全な肉体に宿るということ
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08 健全な魔力は健全な肉体に宿るということ
怒気を含んだ銀熊の声に気圧されたグレッグがそれ以上何も言えずにいると、銀熊は心から心配した様子で続けた。
「頭痛は?吐き気はないか?グレッグ、よく見ろ。私は今何本指を立てている?」
銀熊は本物のクマにはできない関節の動きで右前足の人差し指を立てると、グレッグの顔の前に突き出してきた。
「い、一本。人差し指。」
グレッグは気圧されたままおずおずと答える。
「よし。指を動かすから頭は動かさずに目だけで追ってくれ。」
そう言って銀熊はゆっくりとグレッグの顔の前で指立てたまま右前足を左右に動かした。
「すまない。全て私のせいだ。二人とも訓練はここまでだ。今から健康診断をする。」
すっかり気落ちした銀熊は二人を待たずに先にほら穴に戻った。銀熊の感情の起伏についてゆけなかったグレッグは不安げにイヨタに尋ねた。
「なあ、イヨタ。俺、何か変だったか?」
「ああ。」
「どこが?」
「眼球が動いてなかった。」
「ええ!でも見えてたぞ。」
「そこは魔力のおかげなんだろう。」
「じゃあ、別にいいんじゃないか?」
あっけらかんとしたグレッグにイヨタはホッとしたような笑顔を見せた。
「お前が気にしてないならいい。」
「ああ、特に問題ない。・・・はず。」
銀熊の悲しげに丸まった背中を見ながら、二人もほら穴へと戻る。
銀熊は先にほら穴の床にあぐらをかいていた。尻の下には線が引いてある。銀熊はその線を指差しながら言う。
「この線の上に我々三人で正三角形を作るように座るんだ。」
銀熊はそう言うが円は小さく、言われた通りに座れば膝が当たりそうである。
「健康診断っていうから寝そべって色々調べられるのかと思ったよ。それにしても輪っかが小さくないですか?膝が当たりますよ。」
グレッグは先ほど見た銀熊の背中のことを思い、角の立たないように尋ねる。
「男三人でべったりくっつくのは少々気持ち悪いと思うかもしれないが、手をつながないといけないのでね。この言い方では余計に気持ち悪いか。んー、どう言えばいいのかな、ああ、二人とも異世界転生モノの読者だから気を使う必要はなかったんだな。私の左前足からイヨタの右手に向かって魔力を流す。それはイヨタの体の中を巡り、イヨタの左手からグレッグの右手へと伝わり、同じようにグレッグの左手から私の右前足へと帰ってくる。」
「おお、魔力循環!」
弾けたようにそう言ったのがイヨタだったので、銀熊もグレッグも一瞬石化した。その反応が不満だったのか、イヨタが言う。
「あの時代のラノベにハマったのはグレッグだけじゃない。」
「それもそうだな。」
そんなやり取りをしつつ、それぞれ腰を落ち着けた二人は銀熊の言葉を待つ。
「君たちは『低周波治療器』というものを知っているか?」
二人は顔を見合わせてオタ度の高いグレッグの方が答える。
「スイッチ入れるとビクッビクッってなるやつですか?昔のテレビジョンのコンテンツの中で見たことがあります。コメディアンがそれでのたうちまわっていました。」
うーんと唸った銀熊が答える。
「それは間違った使い方なんだけどね。本来はそれぞれが好む強度でこわばった筋肉をほぐすのに用いられていた。さて、それでは徐々に流す魔力量を増やしてピリピリとその存在を感じられるところまで上げるとしよう。君たちは魔力の流れを感じたらそう言ってくれたまえ。そうしたらその強度を保ちつつ循環を続ける。君たちの中に魔力詰まりを起こしている箇所があれば私の方で気づく。魔力詰まりは魔力の暴走を産む。特に私たちの場合は血流の代わりとして魔力を循環させているから・・・」
「心筋梗塞や脳梗塞に似た症状が出るかもしれないってことか。」
グレッグはさっきの銀熊の怖いほどの慌てぶりとその後の落ち込みぶりに納得した。要は本当にグレッグの健康を心配したということである。
「ってことはこの身体で問題のある箇所は元の身体でも問題ありってことですか、先生?」
イヨタも銀熊の心配の意味が分かったらしく、一歩突っ込んだことを聞いてくる。
「そうだ。この身体は大部分が元の身体のコピーだからね。そりゃ心配もするさ。じゃあ始めよう。」
この魔力循環で分かったことは、イヨタは肺胞の魔力分子(元の地球では酸素)を取り込む機能が弱いこと、グレッグは脳に梗塞部位が二箇所あることだった。このベータ世界での二人の身体は銀熊の造ったものであるため、その後の治療も一瞬だった。その甲斐あってグレッグは本当の視力を取り戻した。
「さてグレッグ、自分の身体を魔力で覆うイメージをしてごらん。」
「いや、さっきも・・・。」
「いいから、やってみなさい。」
グレッグは渋々目を閉じて魔力の全身タイツそれも桜色のやつをまとっている自分をイメージした。
「目を開けて自分の身体を見てみるんだ。」
「おおおお!」
ちゃんとできていた。自分の魔力を自身で魔力視するのは実は高度な技術であるため、眼球を使った視覚が封じられていたグレッグには完成した防御魔法が見えていなかったのだ。
「じゃあ、治療の前からできていたったこと?」
「そうなのだろうな。」
銀熊はクマの顔なので正確に表情を読み取ることはできないが、ホッとしているようにグレッグには見えた。
「はー、結構落ち込んだけど、なんか自信ついた気がする。桜色いーなー。気に入った。」
グレッグが悦に入って自分の桜色の防御魔法を見ていると、イヨタが少々申し訳なさそうな口ぶりで話に入ってきた。
「先生、俺の色って、何色ですか。」
「うーん、イヨタは魔力制御がよくできていて無闇に放出されないから、まだ私も見ていないな。今のグレッグの感じ、見ていただろう。あんな感じで魔力のベールで自分を覆うイメージを強く持つんだ。飛び道具を跳ね返すために、獣に不意に噛みつかれた時のために。そんなイメージだ。」
内心焦っていたのかイヨタは返事も忘れて固く目をつむった。
「いやはや、さすがだわ。イヨタ、俺が色言ってもいいか?」
グレッグは冷やかし半分で声をかけ、イヨタに目を開けさせた。
「いや、自分で見る。ん?」
自分で見るとは言ったものの、どうやらイヨタには自分の防御魔法が見えていないらしい。
「先生、俺も目に問題があるんでしょうか?」
イヨタは不安げである。
「私がデフォルトで用意した君のジャケットと色が近いのかもしれない。ジャケットを脱いでシャツ姿で見てみたらどうだ?」
銀熊にそう言われて茶色い皮のジャケットを脱ぎ、黒に近いグレーのシャツ姿になったがそれでも分からない。いたたまれなくなりシャツも脱いで上半身裸になって、やっと「何かがある」程度に分かるようになった。
「結局分かったのか?」
心配そうに聞くグレッグ。
「何かあるのは分かるが・・・色が薄いのか?」
「もう、俺が言ってもいいか?」
言いたがりの子どものようにグレッグがイヨタににじり寄る。
「近い、近い。分かった。教えてくれ。」
よく分からないがイヨタは照れている。
「黄土色だよ。砂漠の砂の色というか、ここから見える荒野の色にそっくりだ。すげー、かっこいい。」
グレッグは滝を逆流させた時よりもずっと嬉しそうに「かっこいい」を繰り返した。
「そりゃ、分からんわ。肌の色と同じじゃん。でも、なんでそれがかっこいいんだよ。」
イヨタはやっぱり照れている。お前ら仲良しかと突っ込みたくなる気持ちを抑えて、銀熊があくまで紳士的に尋ねる。
「確かにここでは保護色のようにも見える色だが、何がそんなにかっこいいんだい?」
するとグレッグは意外そうな顔で答える。
「俺の防御魔法は桜色ですよ。ピンクですよ。なんとかレンジャーなら女性隊員の色ですよ。イヨタは黄土色ですよ。黄色ですよ。黄色のなんとかレンジャーはカレーライスを二十三杯食えるんですよ。すごいんですよ。」
「なんじゃそれ。」
真っ先にイヨタが突っ込みを入れる。かれこれ二百年近く前の子供向けコンテンツの内容など知るはずもない。ところがグレッグのこの返答を聞いた銀熊は旧時代の家庭用コンピューターのようにフリーズした。
「また別の身体に乗り換えたのかな?」
グレッグは銀熊の目の前で手を振って反応を見るが、銀熊は瞬きさえしない。
「このままじゃ眼球が乾くぜ。」
「心配するべきところはそこか?」
そんなことを言いながら二人が銀熊の顔を覗き込んでいると突然銀熊が声をあげた。
「あったなあ!そんなバングミ!」
あった、あったと言いながら笑い転げる銀熊を見てグレッグとイヨタはやや不安になったが、イヨタのためにグレッグが解説する。
「バングミってのは視聴覚コンテンツの古い呼び方だ。特にテレビジョンが家庭の娯楽の中心だった時代によく使用された単語で・・・ってことは銀熊先生は二十世紀半ばから二十一世紀半ばに生きてたヒトってことになる。ほぼほぼ二百歳じゃん!」
解説しながら銀熊の実年齢に気づいたグレッグは自分が最も興味を持った時代のど真ん中に生きていたヒトに出会ったという事実に改めて気づいてしまった。
「そりゃそうだろ。ラノベの作家さんってことはそういうことだろ。ところで先生、何がそんなにおかしいんです?」
自分の世界に行ってしまったグレッグを諦めてイヨタは銀熊に疑問をぶつける。
「いやあ、イヨタ、すまない。さっきグレッグが言っていたなんとかレンジャーのようなコンテンツを私はリアルタイムで見ていたのだよ。四歳とか五歳とかそのくらいだったと思う。だがその頃の記憶は元の身体に付いていた脳に置いてきたはずなんだ。百年以上前に灰になったはずの記憶が蘇ってきたのでね、つい興奮してしまったんだよ。私の自我を支える記憶をパッケージングした学者たちはどういう基準で記憶を選び圧縮したのだろうか。つくづく不思議だよ。」
改めて地べたにあぐらをかいた銀熊は腕組みをして考え事を始める。再び声をかけていいものかどうか迷っているイヨタをよそに、いつの間にか自分の世界から戻っていたグレッグが躊躇なく質問をぶつける。
「銀熊先生、先生が俺たちをクリスタルにパッケージしたみたいに、先生を取り出した学者ってのがいるの?」
「ああ、そうだ。私は世界初の人脳ベースAIの実験台にされたんだよ。失敗に終わったんだけどね。」
銀熊はことも無げにさらりとそう答えた。そして次の言葉に戸惑う二人に向かって続けてこう言った。
「まあ、私が黒猫や銀熊になるまでの話は長い長い話になるからこれから少しずつ話してゆくよ。まだ確信はないんだが、おそらく君たちにも関係がある話だろうしね。」
「え?何故そう思うんです?」
気まずさが消えた二人は身を乗り出して尋ねる。
「主神様だよ。百二十億人の中から何故君たち二人を救出するように依頼したのか。私は理由を尋ねなかった。時間が経てば分かるだろうと思ってね。で、実際にベータ世界に連れてくる時に君たちから分けてもらった記憶で私は過去の自分を取り戻した。そしてさっきのバングミのようにまだまだ多くの情報が蘇ってくるだろう。主神様は偶然だとおっしゃっていたが、こんな都合のいい偶然はない。私の二百年はチーズのように穴だらけだが、きっと君たちの役に立つ。でも、とりあえず今はこの世界で生きるための訓練に集中しようじゃないか。」
言い終わると銀熊は腰を上げ、ほら穴を出た。少しだけ傾き始めた太陽がサボるなとばかりに二人を覗き見る。
「確かにまだ晩飯には早いな。」
「まだ昼飯も食ってないよ。まあ材料さえもらえれば、すぐにできるがな。」
「すげー自信だな。」
「食事の準備に関してはもう心配いらないよ。」
「助かるー。」
この二人は元の地球の様子は気にならないのだろうか。
ありがとうございました